第二章






意味




 季節のいつであろうと行軍が人の体にとって負担であることに変わりはないが、真夏の行軍は人の気を殺ぐ。気だるい暑さは足を前へ進めようとする意志すら奪うし、すぐに息があがって、鎧を着て走ることすらままならない。
 あくまで援軍として到着した神宮家は、飛田と向き合って陣を敷いた本條家の後方に座すような形で陣を敷いているが、そのまま向き合ってすでに久しい。小競り合いはあるっても、実際には状況はあまり動かない。そうしている間に、人も馬も疲れてきていた。
 そんな人々を鼓舞するために、神宮の陣営の中では相撲大会が行われていた。各隊から選ばれた代表が裸になって相撲を取っている様子は呑気だともいえたが、兵の訓練にもなり、動きのない戦況に精神を張り詰めさせた将兵には、いい気晴らしだった。勝者には、限られた食料しか与えられない陣中にあって、特別に彼らの将と同じだけの食べ物がもらえることになっているから、兵たちもそれなりに楽しんでいる。
 鎧をまとわず、普段は鎧の下に着る単に袴という格好でいた紅巴も、そんな人々を楽しげに見ている。ずっと床机に座して勝敗の行方を見ていたが、優勝者が決まると、褒美に小刀と労いの言葉をかけ、相撲大会は終わりを迎える。そうして結局何の動きもなかった一日が終わった。
 皆が勝敗や技について語らっている中、紅巴はこのために張られた陣幕を出て、のんびりと歩き出した。すぐ後ろに武藤尊芳が続き、護衛のための兵が数名ついてくる。
 彼らが陣を張る場所は、山を背後にした草原だった。食料は山に入れば調達できるが、水の確保に多少の難がある。もう少し進めば川があるものを、飛田はわざわざこんなところに陣を敷いた。冬の戦の時にはわざわざ冷たい川で戦闘を繰り広げたくせに、夏には水のない場所で戦おうとするなど、飛田は本当にひねくれていると思うと笑ってしまう。
 人の中を駆け回る兵や、見張りに立つ兵がいちいち地面に膝をつくのに笑みで応えながら、紅巴は陣の中心から少し離れた場所に立つ。山からは蝉の鳴き声がうるさく響き、沈もうとする太陽が必要以上に眩く彼らを照らしていた。
「若君は、いつでも涼しげですね」
 少し歩いただけで額を伝う汗と格闘しながら、尊芳が言う。
「あんまり汗をかかない体質みたいだが、ぼくだってすごく暑いよ」
 笑いながら紅巴が応える。あまり血の巡りも良くなく、水の掃けも悪い体質は良くないから改善する必要があると医師に言われ続けていることだが、それをわざわざ口に出したりしない。
「それは意外です。それにしても、日差しが強いな。傘を持ってくるべきでしたね。あまり日に当たらないようにしてください」
 紅巴が自分の影になるよう、夕日の光をさえぎって彼の隣に立ちながら、尊芳が言った。
「頼りにならない大将で申し訳ない」
「何をおっしゃいます。誰が頼りにならないですか」
 紅巴の言葉に、生真面目な性格の前面に出た顔で強く言い返す。それには笑みだけを返した紅巴に、尊芳は続ける。
「飛田は動きませんね」
「焦れるのを待っているんだろう」
 ただでさえ、相手が動くのを待っているのは、苛立つ。自分に余裕がないときは特にそうだ。そして、夏の暑さは人の苛立ちを増長させる。
「本條殿なら……亡くなった先代相手ならもう少し違う手を使うのだろうが、跡を継がれた今の当主は、まだお若いからね。昨日会ったときも随分と苛立っておられた。苛立つと判断が鈍る。あまりいい予感はしないな」
 自分自身、年若い神宮の大将は、冷静に状況を見てそう言った。
「しかし、我々がついているのですから」
「うん、そうなんだけど」
 現地に着いたときは、状況は決して悪くなかったように思う。だが日に日に、何も戦況は変わらないのに、悪いほうへ進んでいっている気がする。多分それは、戦に慣れた人間となれていない人間、追い詰められている側と、追い詰めている側の余裕の違いなのだろうが。
「こうまでして、本條に肩入れする必要があるのか、実はずっと疑問だった」
 流紅を人質に出して、遠い地にたくさんの兵を連れてきて、無理を強いて。
「こう言うと言い方は悪いが、所詮他国のことだ。本條が崩れたら崩れたで、どうとでもやり方はあると思う。石川も、自分たちに利が多い話しだったとは言え、神宮の申し出を聞き入れた。流紅もよくしてもらっているようだし、もう少し押せば神宮の方に倒れてくれるかもしれない。――正直言って、本條はもう駄目な気がする」
「紅巴様」
 はっきりと不吉なことを口にする紅巴を咎めるように、尊芳が彼を呼ぶ。慌てて周りを見渡すが、わざわざ陣の外れまで来ているのだから、彼らの間近にいるのは護衛の兵くらいのものだ。
 なんとなく安堵のようなものと、焦ってしまった自分への呆れのようなものの混ざったため息をついて、尊芳がいう。
「神宮のお人から、そんなことを聞くのは少し意外な気がします」
「家臣のくせに何を言う。情に厚いと言われようとも、所詮は自分の民が一番可愛いし、自分の家族が一番大切だ。領主たるもの責任もある」
 くすくすと紅巴が笑う。そんな彼を見て、先刻の自分の焦りとため息には、そんな紅巴への驚きと動揺もあったのだと、尊芳は思った。
「あまりあなたの口からそんなことは聞きませんからね。驚いたのですよ」
「そうかな?」
 笑う紅巴があまりに楽しそうなので、実はからかわれていたのではないかと思ってしまう。
 尊芳は、やれやれと大仰にため息をついてみせた。
「日が暮れます。こんなところにいつまでもいるのは危険です。陣営に戻りましょう」
 太陽はすでに半分沈み、赤い染みの余韻を残しながら西の方の空を紫に染めていた。夜になれば熱を含んだ風も少しは冷まされる。多少詰まっていた気も発散したことだし、兵たちも騒ぎなど起こさず、今日は過ごしやすい夜になることだろう。
 けれども、頷いた紅巴が踵を返そうとしたときに、それは起こった。短い生を鳴き喚く蝉の声の隙間に、太鼓の音が耳に届く。大声で何かを叫ぶ見張りの声は、それから一呼吸遅れてのことだった。








「戦国恋話」トップへ