第二章






後悔




 さすがに驚いたのか、目を見開いてそのまま止まっていた。少しして小さく息を吐き、すぐに刀を構えなおした男を見、そして流紅を見る。相手がもう攻撃をしてこない様子なのを確かめてから部屋に足を踏み入れると、後手に戸を閉めた。動揺を隠すように襟の切れ目を手で触りながら、つぶやく。
「神宮の人間か。早いな」
「戦が激化しそうだから、国に帰れと言ってきた」
「そうか。まっすぐにこちらへ情報を運べる石川の方が早かったな。神宮は撤退した。本條はまたも逃げ出し、飛田も大人しく撤退した」
「どういうことだ?」
 先の戦で本條を詰められず、先代を討ち果たしたのに、領土をかすめるまでには行かなかった苛立ちが、飛田家にはあるはずだ。それなのに、まるで中途半端な状態で帰っていくなど。
「おぬしの兄が捕らえられた」
 流紅が目を見開く。使者が息を呑む音がした。詳細を問う声もない彼らに、竹寿は続けて言った。
「本條が何かヘマをしたらしい。詳しくは知らぬ。だが神宮の嫡子は、本條の土地を得るよりも、飛田にとっては良い土産だろう」
 客観的な意見ではあったし、事実だった。しかしながらあまりな言い様に、流紅は怒っても良かったのだろう。でも、彼が相手に掴みかかるような勢いで言ったのは、そんなことではなかった。
「生きているのかっ?」
「生死は伝わらぬ。だから多分生きているだろう」
 討ち取られていれば、当然、誰がどのようにして、という話も出てくるはずだ。
「……それでは、尚悪い」
 ほっと息を吐いた流紅の傍で、掠れた声がつぶやいた。思わずのように落とされた言葉は、使者の口からだった。
 戦の状況が分からず苛立っているところに、兄が捕らえられた、という伝え。驚き動揺したところに、生きているだろうと言われて、安堵した。戦がどうなっているか気にかかっていたのは、偏に兄を心配したからだ。なのに、彼の命を喜ばない、声。
 明らかな失言に、流紅が振り返る、さすがに武寿がとがめるような視線を向ける。――流紅は、自分が手を上げなかったのも刀を抜かなかったのも、奇跡だと思った。それをしなかったのは、怒りのあまりに、目が眩んだせいだ。
「助けに行く」
 再度、声にする。更に切実に。
 今、助けに行かなくてはならない。撤退したとはいえ、飛田家はまだ領内に戻っていないはずだ。まだ追いつけるかもしれない。それに知らせが神宮に届く前でなければならない。
「何をおっしゃるのです。お分かりでしょう、ここであなたまで神宮から姿を消すわけにはいかないのです。民と父君のために、お戻りください」
 失言に、罰が悪そうな表情でうつむいていた使者も、さすがに再び口を開いた。声を低く抑えて言う、その言葉には気持ちが疼いた。わかっている、そんなことは。それでも流紅は頷かない。
「いやだ」
 泣きそうな声で、辛うじて抑えた声で、言う。声が大きくならないようにするので必死だった。
 最初から、兄を人質に見送って、自分が戦へ行けば良かったのか。
 戦ならば、誰もが彼のために盾になる。いつ見捨てられ、いつ暗殺されるか分からない環境に放り出すより、その方がいいと思ったのだ。あの人は、確かに体が強くない。独りで脱出もできないだろうし慣れない環境で体を壊すことも、ありえるから。それが裏目に出てしまった。ただ人質として他国に行くよりも、悪い環境に放り出してしまった。
 独りだからといって、挫ける人ではない。孤立していても、戦っていてくれるだろうことは、疑わないが。
 そんなに、ひ弱な人ではないから!
 尋常でないほど動揺する流紅の様子に、黙っている場合ではないが、言い募ることをためらった使者を見て、竹寿がため息をついた。
「これはわたしが言える立場ではないが、おぬしは帰るべきだ。父が言ったように、おぬしが神宮の当主になるべきだと思う」
 なぜか使者の味方をして言う。流紅はそれにカッとして、怒鳴りつける。もう、声が抑えられなかった。
「兄を知らぬくせに、えらそうな口を叩くな!」
 声を荒げた流紅に驚いて、無礼だなどとも言っていられず、使者は慌てて流紅の口を押さえた。耳をそばだてて廊下の外をうかがう。
 人の足音が、近くの回廊を駆けていった。城内が騒がしくなりつつある。
 使者の手を振り払い、睨み付けるように見て無言で相手の真意を問う流紅に、竹寿は肩を持ち上げて見せる。
「父にはおぬしを連れてくると言ってきたが、本当は逃げろと言いに来たんだ。別に必要なかったようだがな。いずれにしろ、この城から出ることに異存がないのなら、さっさと発った方が良い。わたしが戻るのが遅ければすぐに別の人間が様子を見に来る」
 当然ながら石川家にとっても一大事だ。多少の遅れでも不審に思って、すぐに誰かが駆けつけるだろう。問答をしている暇は、まったくない。
「それに、よく考えろ。おぬしがここにいて、兄が捕まったとなれば、どういうことになり得るか」
 言われるまでもないことだ。だから、こんなに混乱して――
 相手に向かって叩きつけるように思い、なのに激情を吐き出す前に止まってしまった。
 そうだ、使者が来たとき、自分を捕らえに来たのかと思ったのではなかったか。竹寿は、流紅を連れて行くためにと言った。ずっと、どっちつかずで様子を窺ってきていた石川が、こんな転機に神宮につくとは考えられない。特に、兄が生きて捕まったとなれば。飛田に対して神宮の立場は圧倒的に悪くなる。その彼の命を盾にされれば、神宮は何が起きても黙っているしかなくなるのではないか。よりによって、飛田に対して!
 だから紅巴は、生きて捕まってはならなかった。どちらにしても、使者の言う通りだ、生きていては尚悪い、というのは一般論だ。客観的で、現実を示唆している。――生け捕りだけは、何が起きても、あってはならなかった。
 それを兄がわからないわけがない。あの人のことだ、何をやろうとするか、目に見えている。死んでしまっていれば、取引の材料にされることもない。流紅を捕らえている石川家も、流紅を差し出そうとは思わないかもしれない。唯一残った跡取りを手中に収めておくことは、いくらでも使い道があるし、流紅を神宮に返して恩を売ることも出来るから。――逆に、ここでもし流紅が捕まるなり殺されるなりしてしまえば、必然的に神宮の跡継ぎは紅巴一人だ。神宮の立場は更に悪くなる。自分自身だけの問題なら、戦い抜くだろう。でも、彼だけの問題ですまないことなら、いっそ小さな妹に後を託して、自分を軽んじるくらい、あの人はするだろう。
 飛田を追えないなら、とにかく神宮に帰って、すぐにでも帰って、流紅の無事を知らしめなければ。助けに行くより何より、飛田家の手からよりも、彼自身から紅巴を守らなくては……!
「……すまない」
 苛立ちを覚えながら、流紅は低く言った。竹寿の真意は、よくわからない。だが、多分やはり悪意ではないだろう。礼と、感情に任せて怒鳴ったことの謝罪を込めて流紅がつぶやくと、彼は苦笑した。
「そんなことを言っている場合じゃないだろう」
 言う彼の言葉にかぶさるようにして、今度こそ確実に、城内が騒がしくなりつつあった。複数の足音が駆ける音が、誰もの耳に届く。
 ――問答を、している暇など。
 急いで立ち上がり、唯一の入り口へ向かう。使者が着いて来ているのなど、確認するまでもない。
 すれ違いざまもう一度竹寿に「すまない」とつぶやいて、わざと彼を突き飛ばした。寝巻きのままで刀を手に飛び出した流紅と、廊下に倒れこんだ彼を見て、こちらに向かってきていた一人が、叫ぶ。
「逃げるぞ!」
 後ろも見ずに走り出すと、すぐさま呼子の笛の鋭い音が響いた。突然の警笛に応えて、あちこちから大声が聞こえる。
 兵を蹴散らしながら馬を奪って逃げ、城を脱した流紅を追って、石川家居城は小さな戦でも始めたのかというような、大げさな騒ぎに発展しだしていた。


 いつもいつも、本当は、不安だった。
 生まれたときから流紅は、正室の子であるというだけで紅巴を脅かす存在だった。成長してくると、誰もが彼らを比較するようになった。流紅が望んでいなくても人の態度は常に、紅巴の方を侮っていたように思う。
 小さい頃は、兄を慕って後ろをついて歩いていただけだったが、だんだんと周りの人間の目に気づき始め、やがてそんな周囲に反発するようになった。
 ――大好きだったから、嫌われたくなかった。不安だったから、何かをしていたかった。もしかしたら、それは兄にとって不快かもしれないとも、思ったけれど。
 ずっと、不安だった。本当はとても憎まれているのではないかと。








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