第二章






乱れる




「一体どういうことだ、これは」
 常になく、誰もが聞いたこともないほどの怒声は、まぎれもなく神宮の当主のものだった。
「ったく、どうなっておるんだ。どうしてこんなことになる!」
 足が自由に利けば、大人しく座っていなかっただろう。歩き回って混乱を紛らわることができればそうしたいというのに、それすら出来ない自分に苛立ち、脇息をぎりぎりと握り締めてせめて代用していた。その抑えようのない怒りは、目の前に平伏する二人に向けられている。
 広い謁見の間の中、ぽつぽつと見える人影は少ない。うち一人は、部屋のほぼ真ん中に座した、武藤尊芳だった。紅巴に任せられた軍を率いてつい先頃桜花に戻り、報告のため単身城に登ってきていた。髪を乱し、血にぬれた鎧のままで。
「誠に、申し訳なく……」
「謝罪など誰が聞きたいと言ったか」
 最後まで言わせず、一言で切り捨てる。謝罪すら受け付けない、というのは、それほど怒っているということの証左のようだが、実際はそうではない。
 そうではない。
「流紅まで行方が知れないとはどういうことだ。紅巴から知らせをもらっておきながら、あの体力馬鹿が、まさか逃げそびれたわけでもないだろうが」
 もう一人、木の床に額をつけて平伏するのは、昼の明かりの元で姿をさらすには不自然な、色の濃い着物を着た男だった。流紅の元に使者として使わされた男だ。彼も、都合よくというべきか、機をあわせたように桜花へ到着したばかりだった。 紅巴の命で流紅を迎えにいったが、石川の阻止にあい、はぐれてしまったとの報を持って。
 まったくもって嬉しくない知らせは、こうして次々と神宮の当主の元へ届けられた。
「兄上を助けに行きたいとおっしゃっておられましたから、もしかしたら、飛田の方へ向かわれたのやも……」
「あの阿呆が! どうしてしっかり見張っておかなかった」
「石川の城を脱した後、石川の兵から奪った衣服で偽装して逃げましたから、いくらか撹乱はできましたが、やはり兵すべてをかわすのは難しく」
「そのために、お前らが行ったんだろうが」
「御意。紅巴様に、先手を打った命を頂戴しておりましたのに、若君を見失ってしまったのは、わたしの落ち度です」
「そんな分かりきったことをいちいち聞きたいわけではない!」
 責めているわけではない。進展のない、進歩のない言葉に苛立って相手に向かって怒鳴る。
 聞きたいのは、そんなことではないのだ。今更起きた物事への落ち度など、認めたところでどうなる。問いを口にしたが本当は、どうしてこうなったのかということすらどうでもいい。そんなことは誰にも分かりはしない。
 聞きたかったのは、こんな結果ではない。
 何が悪かったのかと問えば、大元を正せばすべて当主たる彼に返ってくることだ、だから今更誰のせいかどうかなど、追及するだけ馬鹿らしいことだ。巻き起こることを覚悟しろと流紅に言った、その言葉はすべて彼にも返ってくることだ。
 何が悪かったのだと問えば、すべて自分が悪い。だが、ここまで最悪な状況になるとは!
「こんなところで這い蹲っている暇があったら、さっさと一団を指揮して流紅を探せ。あの馬鹿のことだ、迷子になってないとも限らん。それにどうにかして飛田にもぐりこんで、紅巴を助け出す方法でも考えたらどうだ。あの馬鹿の頭で、生け捕りがどういう意味か分からないわけがない、何をやらかすか分からん!」
 怒鳴りつけられ、二人はますます頭を低くして、床に額を押し付けた。
「ご当主」
 諌めるような声は、近く座していた武藤のものだった。部屋の中、当主が座すのは一段高くなった上座、その壇のすぐそば一番上座に近い位置に座るのは、尊芳の父で、神宮家の補佐にあたる。
 たった一言、呼ばれただけだったが、激昂していた神宮の当主の顔は不機嫌に染まる。
 あえて説明されなくても、何が言いたいかはわかる。流紅はともかく、紅巴は――
「わしがこの体たらくで、子どもたちに迷惑ばかりかけておるというに、簡単に見捨てられるか」
 相手の言葉を封じ込めるように、吐き捨てる。
「こんなことなら、わしが人質に出向くなり戦へいくなりすれば良かったのだ。体の利かぬ木偶の命ですめば、あとはあの馬鹿どもに任せて安心だったろうに」
「ご当主、それ以上言われれば、わたしも怒りますよ」
「これが苛立たずにおれるか!」
「わたしに言わせたいのですか。飛田に捕らえられてしまえば、今生きていようがいまいが、紅巴様は亡き者も同然にしか扱うしかないのだと!」
 およそ臣とは思えない言葉を口にした武藤を、睨みつける。その馴れ馴れしさに怒ったわけなどではない、武藤家は神宮にとっても近しい存在だ。彼に視線を向けて、あえて諌める武藤も当然ながらこの事態に苛立っているのだと言うことにようやく気がつく。
 武藤家の初代、武藤芳月といえば、戦の世の中軍師として今も名高い人間の一人だ。神宮の初代を、飛田家に執拗に追われる混乱の中補佐として助けた彼は、女性と見まごうばかりの可憐な外見とは裏腹に冷静沈着な人であったと言う。現在の武藤家の人間からは、むしろ情に厚い神宮の風潮に染まった気質ばかりを感じるが。どちらかといえば、紅巴の方が、そんな武藤家の祖先に似ているような気すらする。
 そして神宮は、そんな相手に、意味もなく怒鳴り散らすことができるような、気質を持っていない。抑えようのない感情の捌け口が見つからず、視線を正面へ向けたところで、彼は聞こえてくる騒ぎに気がついた。先程からずっと聞こえていたものかもしれないが、まったく気がつかなかった。多分、部屋にいた誰もが気がついていなかっただろう。
「何事だ!」
 感情のまま、廊下の向こうへ強く声を投げる。耳を傾ければ、騒音はまっすぐにこちらへ向かってきていた。
 近づいてくる荒々しい足音、誰か兵の上げる声、そして時々そこに混じるのは、相手を呼ばわる声。その、名。
 その場にいた人間が、驚きに廊下を振り向いた。
 折りしも騒々しい足音は、部屋の前の回廊で止まる。開け放した障子戸の向こう、髪も乱して、神宮の兵のものではない簡素な鎧を纏っている人が立っている。西の神宮家当主が住まう城において、本来なら無礼極まりないような汚れた姿。髪は乱れ、顔も薄汚れて、しかも石川家の雑兵の鎧だ。
 懐疑と待望と驚愕と安堵と、様々なものの混じった皆の視線と、夏の真昼の日差しの中、息をきらして少年が立っていた。









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