第三章






視線




 飛田の現当主は、先代の長男で名を柳祥(りゅうしょう)という。体を壊した父の跡目を継いですでに五年たつ。飛田の人は、優美で艶やかな姿をした一族だというが、柳祥はどちらかというと武人らしさがあった。飛田の人間にしては、という程度の問題だったので、無骨さなどはまったくなかったが。
 本條を蹴散らし、神宮が撤退した戦場に残った陣営の中、彼は床机に座している。真正面に飛田の当主、その脇からずらりと並ぶ飛田家家臣の容赦ない視線にさらされて、捕らえられ、縛られて紅巴は地面に座らされていた。
「神宮の人間は田舎者で典雅などとは縁がないとはよく聞きますが」
 嘲笑う声が、家臣の誰かから発せられる。誰だって、どうでもいいことだが。その言葉を受けて、飛田の当主は紅巴を見下ろし、楽しげに言った。
「跡継ぎの長男は才に秀でて風雅を好むとも耳にしていた。戦場にまで笛を持ち込むとは、まるで貴族のようだな。これは昔、宮廷にあった名器だとか聞くが」
 紅巴から取り上げた黒い笛を手にして、嘲笑うように唇を吊り上げる。紅巴は地面に膝をついたまま顔を上げ、挑発のような言葉に対し、穏やかに笑う。
「他に才もないので」
 清閑な紅巴に対し、柳祥は唇をゆがめて、ふん、と鼻を鳴らした。
「何を言うか。ものの見事に神宮の軍が逃げられたのは、おぬしの指示だろう。なかなか見事だったぞ、あれをやられて、それでも軍を逃がしきるなど、侮った。結局本條の馬鹿息子にも逃げられたしな」
 あれ、とは弓での攻撃のことか。少しも悪びれずに言う飛田の当主に、紅巴はただ、静かに息を吐く。苛立っても仕方がない。これは戦で相手は飛田家なのだ。何より、終わったことだ。
 飛田の当主が言う通り、本條が攻撃に出た後、こちらが動くのを待ち構えていたような飛田の攻撃を撒くことができたのは、やはり紅巴の早い判断のおかげだっただろう。本條の当主が命からがら逃げ切り、完全に無事とはいい難かったが、神宮は大部分を温存して帰国している。これでは、痛みわけで戦が終わったようなものだった。
 それが何よりもおもしろくないのは、飛田の当主のはずだ。だが彼は笑みすら含んだ声で続けた。
「戦に勝ったとも言えん状況だが、思いがけない獲物が手に入った。神宮のご長男は侮れぬやつだが、体が弱いそうだから、無茶な脱走はしないだろう。ここに捕らえて来ていたのが次男だったら、迷わず殺していたところだがな。利用価値がある間は生かしておいてやるから、自害したりするなよ」
「確証などありませんよ、兄上」
 紅巴が何を言うよりも前に、かわりのように応えたのは紅巴の後ろに立つ柳雅だった。
「ここまで引っ立ててくるのも一苦労だったのですよ、兄上。刀を突きつければ、自分で飛び込んで来かねませんからね」
「殺してほしくて無茶な脱走もしかねんか。さすがに自分の置かれた状況がよくわかっているらしい」
 弟の言葉に、飛田の当主は唇を片方吊り上げて笑った。静かな表情で見上げる紅巴に、おもしろがるような声で告げる。
「どうせ死にたがるなら、一息で死ねる方法を選べ。中途半端にしようものなら、生殺しのまま生かしておいてやる」
 おもしろがるような声。それは常に泰然と構える神宮の当主と同じような姿勢ではあるのに、まったく方向が違った。相手を見下し嘲笑う冷淡な声と、からかうような、でも温かみのある冗談交じりの声音と。
 どちらにせよ、本気に聞こえなくとも、本気で言っているのに変わりないだろう。
「白蛇に連れて行く。東で随一、美しい国だ。光栄に思え」
 それは、飛田もまた撤退するのだとの言葉だった。



 飛田の居城は、本拠地白蛇(はくじゃ)にある。白蛇は碁盤の目に整えられた白壁の町で、東随一と言われる家の本拠だけあって人の行き交いも多い。だが活気にあふれた神宮の桜花とは違い、城も町もどこか静謐だった。
 雅やかで白い天守での夏は、紅巴にとって桜花よりもむしろ過ごしやすいくらいだった。桜花よりも北東に位置する飛田の城ではあっても、もちろん変わらず暑いが、そこに住まう人々が涼やかなのも手伝って、厳しい暑さというものとは無縁のようだった。
 押し込められた――というよりは、ただ単に割り当てられた、という形容がふさわしいような、思ったよりも待遇のいい処置で、紅巴は一室に籠められている。
 時々人の目は感じるものの、姿が見える場所に監視が張り付いているわけではない。甘いと言っていいくらいのものだったが、一概にそうとも言えなかった。姿の見える監視は、見張られる側への抑制にはなるが、脱走などしようと思ったら標的が絞られてしまう。自由にさせているように見せて、実際はまったくそうではない、という状況をこうやって相手に時々思い出させることのほうが、精神的な抑圧にはなるだろう。
 それでもはじめは、飛田の軍が白蛇に戻ってくるまでの間、紅巴が何度か日差しの暑さにやられて倒れかけたのもあったから、逃亡の危険が少ないと判断したためのことだったのかもしれない。白蛇に来てもう一月(ひとつき)は経とうかという近頃になって、徐々に監視の目が強くなってきていたが、それだって申し訳程度のようにしか思えなかった。
 もっと、底意地の悪い意図ばかりを感じる。ただ確実に言えるのは、逃亡を阻止するためというよりは、紅巴が自害するのを防ぐために、道具になりそうなものは片端から遠ざけられていることだ。
 飛田の当主の行動も、解せないものばかりだった。 飛田の当主は、おもしろがって何かと紅巴を臣下の前に連れ出しては、機密をもらすつもりなのかと臣をはらはらさせるような事を言い、動揺しない紅巴を見て楽しんでいるようだった。
 治世において、紅巴の意見を聞いたりすることもある。すらすらと、最善の策を答える紅巴をおもしろがっている。たまには食事も共にする。
 危険だと言う声を聞かず、紅巴を連れまわしていた。それは、神宮の人間を手の内に入れたのだと、自分の力を見せびらかそうとしているようでもあり、同時にこれだけのものを紅巴に見せるのは、今はどうあれ彼を生かしておく気がないのだと、紅巴自身に思い知らせようとしているようでもあった。
 この人は、自虐的なところがある、と思う。常に親族に命を狙われる立場に座り続けるには、そうでなければ意識を保てないのかもしれない。普通ならば。
 昨日もたわむれに、何でもないことで当主に呼び出され、笛をふいてみせろと言われた。飛田の家臣たちの嘲笑の眼差しにさらされながら、さらし者のように扱われるのは、普通なら例えようもない屈辱だと、思うものだろう。
 そして柳祥は、やることなどない捕虜のところに来ては、気まぐれに書物などを置いていく。それが迷惑なわけでもないので、ありがたくもらってはいるが。
 数少ない調度のうち、文机に向かってその書物を読んでいた紅巴は、ふいに目線を感じて顔を上げる。あからさまな気配は、見張りのものとはまったく違っている。そして顔を上げて、紅巴は自然と笑みをこぼした。
 ――白蛇に来てから、何度か同じように人の目を感じることがあった。その度に何事かと警戒して目を向ければ、今日と同じように、庭に面した廊下のところ、開け放たれた障子脇から部屋を覗き込んでいる小さな顔がある。
 紅巴のいる部屋が面する庭では、夏椿の白い花が、乱れるように、そのくせ清楚に咲いていた。そこにいたのは、背景にしているその花の与える印象が、まさによく似合う少女だった。流麗な黒い髪に黒い瞳は、すぐに飛田の血筋を連想させる。着ているものが明らかに質のいいものだから、多分間違いはないだろう。飛田の当主に、娘や妹がいるという話は聞いたことがなかったが。
 いつも相手は、目が合ったことに素直にびっくりしていた。よほど驚くのか、怖いのか、声をかけようと口を開いた時にはもう、いつも足音は遠くに逃げてしまっている。
 今日も紅巴と目が合うと、少女は大きな目をさらに大きく見開いた。微笑みかけると、さらに驚いた様子で、大急ぎで首を引っ込めてしまう。
 その驚き方が素直で可愛らしくて、くすくすと笑みがもれた。また逃げられてしまったかなと思うと、少し残念だった。けれども、廊下を駆けていくような足音は聞こえない。
 不思議に思って、顔が覗きこんでいたあたりを見ても、もう姿は見えなかった。近づいていったら、今度こそ驚かせて、飛んで逃げていってしまうだろうか?
 少し迷ってから、紅巴は廊下の方へ、そっと声をかけた。








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