第三章






華やか




「姫君?」
 反応は返らない。けれど逃げていく様子もない。一呼吸、二呼吸待つと、好奇心に負けたらしく、少女は再び顔を覗かせた。大人びた顔立ちが、おぼつかない表情のせいで幼く見えた。流紅と同じ年頃かと思ったが、実際にはもっと幼いのかもしれない。
「神宮の紅巴さま?」
 思い切ったように言う少女に、微笑みながら応える。
「そうだよ」
「昨晩、笛をふいてらっしゃったのは、紅巴さま?」
「うるさかったかな? 今度から気をつけるよ」
「違うわ、とっても素晴らしかったから、どんな人か見に来たの」
「それはどうもありがとう」
 素直に礼を言うと、少女は戸惑った様子を見せる。それが可愛らしくて、部屋を覗き込む彼女に合わせるように首を傾けて、問いかけた。
「それで、どうだった?」
「ずっと聞いてたのと全然違ったわ。神宮の人は野蛮で、飛田の人を見ると噛みついてくるって」
「噛みつくか、それはいい」
 本当にそんなことを信じていたようだった少女も、言われていた自分たちもおかしくて、笑い声がもれた。
「どうやら、印象ばかり先立って、お互いに理解が足りないみたいだな。ぼくも飛田の人は冷たい人間ばかりだと思っていたけど、姫はそうじゃないみたいだ」
 一瞬嬉しそうな顔をして、けれども彼女はようやく障子の陰から出てくると、腕を組んで憤慨して見せた。
「わたくしだって、飛田の人間です。油断すると、怖いんだから。今は生かしておいてあげてるけど、わたしたちは神宮の人が大嫌いだから、無礼なことしたら、すぐお手打ちなんだから」
「ぼくは、それでも構わないよ」
 静かな言葉に驚いた顔をして、それからまた彼女は、自分が言った事ながらも頬を膨らませて怒った。
「どうしてそんなこと言うのよ」
 紅巴は、ただ微笑んでいる。
 少女の言葉は、むしろ心地が良かった。こんな遠く離れた敵地に来てまで、しかも飛田の血筋をひくと思われる少女に、そんなことを言われるとは思わなかったから。
 紅巴が何も応えないのを見て取ると、少女は大きく息を吐いた。可愛らしい瞳で紅巴を睨みつけ、唇をゆがめている。
 それでも相手が何も言わないので、彼女は怒るのをやめたようだった。そんな表情を作っているのに疲れたのかもしれない。
 ますます首を傾けて、窺うように紅巴を見ると、まったく違うことを尋ねてきた。
「ねえ、桜花ってどんなところ?」
 子どもらしい素直な感情表現に、紅巴は笑みを深めて応えた。
「きれいなところだよ」
「白蛇よりもきれい?」
「こことはちょっと違うかな。桜花はもうちょっとごちゃごちゃしてる」
「それでもきれいなの? 変なの」
 少し不服そうな言葉に、なるほど、そうかもしれない、と思った。白蛇を見れば、もしこの少女がこの町しか知らないのであれば、そう思うのも当然だろう。
「桜の季節が一番きれいだよ」
「知ってるわ。聞いたことある」
 顔を輝かせて、少女が嬉しそうに言った。次に、出てくるのは、「どれくらいきれい」だろうか「冬の白蛇のほうがきれいよ」だろうかと、次々に出てくる少女の言葉を想像していると、彼女はぷっつりと黙り込んでしまった。どうしたのかと思うと、彼女は紅巴からは死角になる、廊下の先を見ていた。
「桜花の桜か」
 言葉とともに姿を見せたのは、すらりとした少年だった。
「残念ながら、神宮のご長男は、桜花の桜どころか、白蛇の雪すらおがめまいよ」
 声は美声だと言えたが、含まれた響きは決して人にいい気持ちを与えない。
 確か先代には、男ばかりの兄弟が五人いたはずだ。相手に与える、決して心地いいとは言えない印象ですら愉しんでいるとしか思えない彼は、十八になる四男だった。長男は三十を目前にした現当主で、次男と三男はすでにこの世にない。あとは、十五歳の五男がいる。
 柳雅の、美貌の一族と謳われる飛田家の血を確かに引いているのが分かるその姿は、雅やかだったが、たおやかでは決してなかった。しっかりした芯というべきか、何か揺るがないものがしっかりとその心にも体にも通っているような人だった。艶やかだったが、赤い唇に刻まれた笑みに優美さはない。
 全身を巡る血と同じように、何か氷のような冴えたものを、身の内に宿らせているように見えた。尊芳は紅巴のことを涼しげだと言ったが、それなら彼は、どんな環境におかれても、冷たい風を纏う。
「騒がしいと思ったら、百合か」
 柳雅は、障子戸にしがみつくようにしている少女を見ながら近づくと、鮮やかな唇に笑みを浮かべた。そうすると、戦の折に紅巴につけられて右頬に残った刀傷がわずかに弧を描く。普通ならば美貌を損なうことにしかならない瑕(きず)は、しかしながら彼の表情にあって、ただ凄みを増すだけだった。内から溢れ出る気配には、そのようなものはむしろ飾りにしかならないのかもしれない。
 揶揄するような口調で、彼は続けた。
「これはまだ子どもだが、飛田の当主の妻になるべくして生まれた女だ。あまりちょっかいを出すな」
 言われた言葉には、紅巴よりも百合の方が反応した。びくりと肩を震わせて、窺うように柳雅を見る。それからくるりと背を向けると、小袖の裾をからげて逃げていってしまった。
 少し残念に思いながらその後姿を見送って、紅巴は柳雅につぶやく。
「飛田の血筋の姫じゃないのか」
「俺の父の弟の娘。当主の従妹だ」
「それで、当主の嫁になるのか」
 驚いて紅巴が言うと、柳雅は低く笑った。
「お互いの立場を守るためだ。より近しい血の者は、飛田の人間にとっては何より敵だが、女の場合は話が別だな。仲立ちにして強い権力を得ることができる。同時に、血族を増やさないようにという考えもあるようだな。同族争いを減らそうというつもりらしいが」
 考え方の暗さに、紅巴は少し眉をひそめる。飛田は同族殺しの家系、とは聞いていたことだが、ここまで思考が泥沼だとは思わなかった。
 そんな彼を、柳雅もまた嘲るように見ながら続けた。
「あれは、男として生まれていればもう生きていなかったかもしれない立場にあるが、女で幸いだったな。生まれたときから当主の妻になるのが決められていたから、もうずっと白蛇で生活している。来年には、正式に嫁ぐのではないか。――当主になる人間が誰であろうと関係なく、な。取り入っておけば役に立つかもしれないな。それまでにお前が生きていられるとは思わないが」
 口調にも言葉の内容も、紅巴には不愉快だった。自分が生きていられることがないのなど、改めて言われるまでもないことだが。そんなことで今更腹などたてないが、先程の少女へ向かっての態度、誰もを侮ったような口調は、嫌悪感を呼びさます。
 よく知らない人間に対して、紅巴がそんなに極端な感情を抱くのは珍しいことだったが。
「用がないなら、放っておいてくれないか」
「捕虜の分際で、大きな口をきく」
 彼は時々紅巴のところに来ては、紅巴を不快にするだけして、おもしろがって帰っていくことがある。流紅が無事に戻った知らせを持ってきたのも、柳雅だった。
 そしてくつくつと喉の奥で笑いながら、彼は言う。
「用ならある。いつもいつもお前をからかって遊んでいられるほど俺も暇ではないのでな。お前に会わせる者がある。さっさと立ってついて来い」
 ――またか、と。
 気鬱な思いが、心の中に満ちていく。夏のじめじめとした湿り気のように、重くまとわりつくようにある、恐怖のような苛立ちだった。同時に寂寥が介在して、他にも混ざってくる相反する思いに、気分が悪くなった。







テンポ悪いかなあ。分かりにくいかも…。あかん…。


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