第三章






悪名




 連れて行かれたのは、白蛇の城の一角だった。謁見のための間とはまったく違いながらも、城の角にあたる部分に設けられた、小さな中庭に面した部屋。しかしながら、部屋そのものに連れて行かれたわけではなく、用があるのはその庭の方だった。
 たどり着いた場所で先ず目に入るのは、燃えるような百日紅(さるすべり)の花だ。紅色の花が咲き誇って、その鮮やかさは晴天によく映えた。その中で、控えめな色の、夾竹桃(きょうちくとう)の大降りな花が艶やかだった。毒があるからと、庭木にするのを嫌われるこの花をわざわざ城内に植える飛田家は、やはりたいそう天邪鬼だ。
 緑の葉が陽光を返してきらめき、目に眩しい極彩色の彩りに囲まれた小さな庭には、武装した兵が数人、そこに面する回廊から庭に下りる階(きざはし)の脇にも、槍を手にした兵が立っている。
 そしてその庭の中、くっきりとした真昼の明かりの下で、まるで暴(あば)きだされた何かのように、黒い衣服を纏い、暗い空気を纏って座らされている人間がいた。座っている、というよりは、うずくまっている、という方が正しいだろう。その顔は異様な形に腫れあがり、元の顔かたちも判別できないほどだった。全身が傷だらけで、腕も指も異様な方向に折れ曲がっている。一目見て、致命傷がないのは分かったが。
 白昼、美しい花に囲まれた庭の中、陽光の下で見るにはあまりにも唐突な姿だ。
「昨夜、城に侵入してきていたところを捕まえた。先程までは牢にいたのだが、薄暗いところではよく見えぬだろうと思って、こちらに連れて来させたところだ」
 特に紅巴に聞かせるという風でもなく、柳雅が言った。紅巴は回廊に立ち尽くし、庭土の上にある黒い影に目を囚われている。鮮やかな赤い色と、黒くなってこびりついたどす黒い赤い色が、ますます暗い空気を生んでいた。
「残念ながら、白蛇の城は複雑な造りになっていてな。城を造らせた昔の当主は懐疑心の塊で、招かれざる客にそなえて、あちこちに抜け道と仕掛けを用意した。下手に忍び込もうとしても、痛い目にあうだけだ」
 傲慢な美声は歌うようだった。けれども弾むような声音ではない。我が城のことを自慢するようでもない、そんな子どもっぽい楽しみはこの声にはない。相手を追い詰めるのが楽しくてしかたないというようだった。常に上に立ち、打ちのめされた相手を思って、嘲笑っているだけだ。
 顔を前に向けて、同じものを見ているというのに、柳雅の白面は変わらず涼やかだ。目の前にある残酷な結果を招く命令でさえ、彼はそんな表情で凄艶な唇から落としたに違いない。
「どこの人間だと思う?」
 その口調で、答えなど知れていた。――彼がそれを言い出すまでもなく、知れていたことだが。
 紅巴も、内心の苦渋を表に漏らすことなく、静かに言葉を返す。
「……そんなことを、いちいち忍がもらすわけがない」
「その通りだ。そして飛田家は、外に恨みを多く買っている。いちいち気に留めてもいられない程にな。どこのどいつが馬鹿な真似をしようが、構っていられるものじゃない。あてが多すぎるが、こいつは神宮の人間だ」
 最後の言葉に、わかっていたことでも、心臓が跳ねた。それでも、返す声は揺れない。ただ静かに、嘲笑を跳ね返す。
「何を根拠に」
「自分で吐いた」
 ――忍が、吐くはずがない、と言った言葉に同意した、その同じ口で柳雅はそう答えた。涼やかな眼差しを紅巴の方に呉れて、続けた。
「お前の弟は、お前とは違って無事に桜花へ戻ったそうだし、今度の観桜宴で、今度こそ次男が跡目を継ぐのだろうと噂されている。実際ならそうでなければならないところだが。さすが情に厚い神宮家だ。まだ見捨てられていなくて、良かったではないか。おかげでお前も飛田でのんびりと生きていられる」
「どういう根拠だ。もし神宮の人間だとしても、あれが何をしにきたと吐いたのか」
「こいつは何の情報も手に入れていない。城の見取り図も、武器庫の中身の情報も、兵糧の情報も持っていない。もし、頭に入れて帰るつもりだとしても、東随一の飛田家の情報を、そんなに単純なものだと考えられるのも癪だ。そも、ありえない。それなら、一体何をしに来た?」
「あれがわたしを助けるための手段なわけがない。何度も失敗する手ばかり使って、本当に助け出そうとしてるのかすら怪しいじゃないか」
 その刹那、庭土の上に座り込み黙っていた男が、唐突に顔を上げた。
「若君、決してそのような――」 
 搾り出された声は掠れていた。喉が鳴って聞き取りにくかった。そんな必死の声にも、彼に刀を突きつけていた兵が、容赦なく忍を蹴倒す。小さくうめき声が聞こえた。痛々しい光景に、それでも紅巴は静かに、ゆっくりと言葉を落とす。動揺など、しない。
「外聞のために、助けようとしたが失敗した、という体裁がほしいだけに決まっている。邪魔で軟弱なわたしを殺しに来たのでないとも限らない」
 自分の吐く言葉が、まったくの嘘であるのがよくわかっていながら紅巴は言い返した。
 ――実際に、殺しに来たのであれば良かったのに。
 しかしながら柳雅は、紅巴の言葉などまるで聴いていないかのように、歩き出した。階を降り、裸足のまま庭土の上を渡って、刀を突きつけられて座っている男の前に立った。
「あんなことを言っている。お前の苦労も報われないな」
 わざと哀れっぽい声を出して、相手の肩を踏みつける。うめき声など気にも留めず、忍を見下ろしたまま紅巴に向かって言う。
「忍が自分の出自を漏らすなど、おかしな話だ。それはつまり、自分の身を明らかにして何かを言いたいからだろう。神宮はまだ、お前を見捨てていないと。先程のわざとらしい言葉を聞いたか」
「他国の仕業かもしれない。そうやって神宮が未練がっていると思わせて、飛田が神宮を舐めきって失敗するように仕向けて」
「有り得ないことではないな。他国の企みを、わざわざ飛田家に教えてくれるとは、神宮の次期当主は噂に違わずお優しい」
 くつくつと漏らした柳雅の笑いが、声の入った耳から頭へまとわりつくようだった。蛇がその粘質な体ではいずりまわるかのように、相手を締め付け、畏怖を与えるように、思考そのものを絡めとる。――不快だった。
 彼の笑いは、紅巴の矛盾を暴いている。それを示して嘲笑っている。忍を庇うということは、迎えを否定するということは、紅巴自身も認めていることの証明に他ならない。
「これで何度目だ? 神宮の忍が捕まるのは」
「三度目だろう」
 観念して答える。表立って認めたりなどはしないが。
「残念、実に五度目だ。お前が知らないだけで。その手引きで、お前が逃げようとしたのがすでに二度。さして体も強くないくせに、よくやる」
 ――だがもう、これほど時間が経ち、これほどまで回数を重ねてしまっては、無駄なことだ。
 ただの血膿だ、ぼくなどは。切り取って、捨ててくれればいいのに。
 客観的に見た自分の命の価値は、さほど高くないと、紅巴は分かっていた。
 長子ではあっても側室の子で、家臣たちにですら跡目を継がせることを不安に思われるような人間は。国内では紅巴よりも流紅を推す声が多く、実質他国には流紅の方がよく名を知られている。もし紅巴が跡を継いだりしたら、他国へ与える印象もあまり良くないだろうことも、わかっている。だから神宮の嫡男とは言え、紅巴の価値はさほど高くないと、思う。
 いくら少しばかり知恵が回ったとしても、走り続けられる足がなければ、戦闘に耐えうる体力(ちから)がなければ、意味がない。あの時、兵の大半が飛田の軍を突破して、尊芳の連れた軍と合流できたというのに、紅巴を守っていた人間ばかりが、辿り着けなかった。意志の力だけで進めるものならと、思う。それならとっくに神宮に帰っていた。なのに、慣れない土地と夏の茹(う)だるような暑さにやられた体では、ここから逃げ出すことすら出来ない。この土地に留まれば、そして生き続けてしまえば、神宮にとっての痛みどころか、膿んでその傷口が治るのを妨げるような、ただの障害でしかない。
 ――しかしながらそれでも、神宮の長子である事実には変わりない。それは飛田から見ても神宮から見ても他国から見ても。今のままならその事実だけでも、神宮は飛田の行動におびえなくてはならなくなる。そして今現在神宮は、一体紅巴の命と引き換えに何を要求してくるのかと、固唾を呑んでいるだろう。
 例え何の要求が来なくてもその状態だ。実際に何かを言われたとき、神宮はどうするだろう。そして飛田は、何を要求するだろう?
 もし紅巴の命を盾に、飛田が無茶な交換条件を出したとして、本当に父親が素直に飛田の言い分を聞くことがあるかどうかと問えば、それはむしろ、ない可能性のほうが高いと、紅巴は思っている。出来る限りの事はしてくれるだろうが――だからこそ、こうして彼を助け出すための手が差し伸べられ続けているわけだが、あまりにも大きな要求をされた場合、彼は断るだろう、と思っていた。――だが、そのくらい、飛田も分かっているだろう。
 今のところ飛田は、神宮に何も要求していないという。それなら、彼らは神宮と取引がしたいわけではないのかもしれない。
 例えば、近いうちに飛田家は本條を下すだろう。そのうちに、石川も飲み込むか、もしくは石川が飛田につくかしてしまえば、その領地は神宮に隣接する。そうすれば、神宮と戦になるのは必然だ。
 そのとき、神宮に対する脅し、もしくは戦意を削ぐための手段として、紅巴を罪人のように杭に括り付けでもして、飛田の陣の前に掲げることくらいしかねない。――あの、戦のときの弓を使った戦略などを見る限り、彼らはそういうことをしかねない。
 さすがにそれを目にして、家の者たちがためらいなく攻撃に出られるかどうか、それはどちらかといえば「多分、無理だ」と答えるしかない。
「いい加減、こいつらの相手をするのに飽いた。神宮の凡俗に城を踏み荒らされるのには我慢がならない。清廉な白蛇の城を、鄙の血が汚すなど。どうすれば、あきらめると思う?」
 わざわざ忍の横にかがみこみ、優しげともとれる声音で柳雅は言う。
 飛田家にとって、神宮が紅巴をあきらめるのは歓迎できることではないはずだ。なのに、柳雅はそんなことを言う。――別に、それならそれで殺してしまえばいいと思っているのかもしれないが。
 そして飛田が紅巴をまるで客人のように部屋に迎え入れ、一見、監視がゆるいようにみせていたのは、こうして神宮からの人間をからかい、絡めとるためだけのようにも思えた。そして逃亡しようとして、失敗した紅巴を引きずり戻すのを、おもしろがっているのだ。ただ単に。少し希望を見せて、それを丁寧に叩き潰して遊んでいる。
 それらは多分、飛田の当主の考えではなく、柳雅自身の考えだろうと思った。なんとなく、ここでこうして忍を拷問しているのも、この場所に紅巴を連れてきたのも、飛田の当主ではなく柳雅の独断だろうという気がしていた。
 飛田は同族殺しの家系だという。それなら柳祥は、弟を警戒しているだろう。彼は、弟のこの所業を快く思わないだろう。決して、飛田家として間違いである行動とはいえないが。
 ――その気になれば、付け入る隙はいくらでもあるように見える。
「ここでお前の腕を切り落として、かわりに若君の腕を持ち帰らせてやろうか」





説明的過ぎますよね…。ううう。


「戦国恋話」トップへ