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「近いうちに宣旨を出す。お前は賑々しく桜花を出て、当主名代として領内を回れ」 ほしかったものでない言葉に、流紅は、星明りに照らされて光る瞳で父親を睨んだ。今どうしてそれを言われるのかが分からず、しかも言われた内容が彼の怒りを煽ったのだろう。荒々しく言った。 「どういうことですか。それではまるで、わたしが跡目を継ぐのだと宣伝してまわるようなものじゃないか」 「宣伝してまわるために決まっているだろう」 「兄上はどうなるんですか。兄上がいるのに、わたしが跡を継ぐなどありえない! わたしは絶対にいやだ」 「流紅、お前の意見など聞いていないぞ。これは当主の決定だ。黙って言うことを聞け。神宮の跡はお前が継ぐ」 睨み返し、揺ぎ無い声で、反論を許さない声で断言した父親に、さすがに流紅は口をつぐんだ。 「父親として、出来る限りの事はしたつもりだ。何度も間者を送り込んだし、紅巴自身も脱出しようとした。成功したときには途中石川をすんなり通れるように、石川の領主には先立っての謝罪として山のように貢物を送ってやった。だがこれ以上は無理だ」 もともと他国の様子を知ることは、国を守る上での基本だ。飛田の城下にもぐらせてあった神宮の手の者に、城内の様子を探らせた。城への潜入路、軍の配置などを把握することから始まり、逃走時の経路を確保するために、領内を掌握する手がなくなって荒れている本條の領地、流紅をとり逃して険悪になりつつある石川の領地を、問題なく通れるようにする必要があった。逃亡の手引きをするために、神宮の者を潜入させようと様々な手を使った。表立って入り込んだり、夜陰にまぎれたりと。だが、失敗するにつれて、手立てがなくなっていく。 もう、そもそも行き詰っていたところだったのだ。収穫といえば、飛田の居城や領内に関する情報が、多量に入ったことくらいだ。それも、不相応な多くの犠牲の上に。 ――紅巴は、きっと怒っているだろう。 あきらめることに、ではない。あきらめなかったことに。 あきらめることに怒るのは、紅巴ではない。流紅だ。 「いいか、我々は紅巴をあきらめたのだと、飛田に知らしめる必要があるし、長子がとらわれたとて神宮にはお前がいて、決して揺るがないのだと、他国に示す必要がある。当主名代として領内視察に出かけろ。どうせお前は口で言ったところで、自分で納得して実感するまで理解はしないだろう。実際に出かけて民の様子でも見てくれば、多少はその甘ったれた頭でも学ぶこともあるだろうさ」 「しかし、それでは兄上は?」 神宮に対しての利用価値があるから、と生かされている紅巴は、神宮が彼を見捨てた途端に、飛田が彼を生存させている意義がなくなる。 「何度も言わせるな。紅巴を切り捨てる。生きていようが殺されようが、わしは感知しない」 今更の決断だった。最初に彼が捕まったときに選ばなければならない道だった。でも、どうして最初からあきらめることができる? 遠来の地ではあっても、それが飛田ではあっても、生きているのに。何もせずに、生きている者を突然捨てることなど、できるものか! ――だけども、その助けたかった子ども自身にあんな手を使われて、いつまでもぐずぐずと未練たらしくいるわけにもいかないではないか。 「あれは、身をもってわしらを止めたのだ。もう助けをよこしてくれるなと」 何をやっているのだと、思った。紅巴も己自身もだ。うまくいかないこと、簡単に命を投げ出そうとする相手、相手が捕虜とは言え仁道に外れた飛田家、そして選ばなければならない立場。さまざまな物事に対する怒りが、身のうちを逆巻いていた。しかし選ぶべき道は、紅巴の方がよくわかっていた。 飛田家の人間を傷つけようとすれば、ただですまないことなど分かっていたはずだ。自分でそれを招いて、殺されないとも限らなかった。しかしどちらにしても、足が使えなければ逃亡は不可能だ。早くあきらめてくれ、と言っているのだ、あの子は。忍を庇ったのは、もう十分だと、言いたかったのかもしれない。これ以上貴重な人手を減らしてどうするつもりだと。 もう、はっきりとこの事に蹴りをつけなければならない。紅巴の行動は、それを決断することへの気を多少軽くさせると同時、相手に、しかも息子にそんな気を使わせてしまったこと、実際わずかでも有り難く思う自分のふがいなさに、余計に怒りを募らせるものだった。それでも、だ。 腹が立つからといって、認めたくないからといって、泣き喚いて押し通せるような立場にはない。 「わしは領主だ。一に曰く道。他に逃げ道があるのに、大義名分もなしに、これ以上人命を失うわけにも行かない。いつまでも我が子一人にかかずらかって、他国に神宮の弱い姿を見せて付け入る隙を見せるわけにもいかん。これ以上続ければ、余計に紅巴を煽ることにもなりかねん」 本来は当主として、すでに最初の時点で紅巴を見捨てるべきだった。あきらめなかったせいで、数人の命が奪われた。迅速でなければならなかったのに、手こずったせいで、失われた命の甲斐もない。あきらめるしかなくなった。 そして紅巴も、これ以上彼のために何かを費やすことで、あの頑固な子は、自分自身を余計に責めるだろう。煽って本当に自害されるのも我慢がならない。――実際、殺されても構わなかったのだという態度だったというではないか。 あとは、神宮の手が切れた後の、紅巴の意地に賭けるしかないのだ、もう。 「神宮の当主として、紅巴を切り捨てる。そうなれば、必然としてお前が跡目を継ぐことになる。いつまでもぐずぐずと文句を言うな」 「でも、父上。兄上はまだ」 何かを言いかけたのをさえぎって、とうとう神宮当主の声もきつくなっていた。 「お前は、何を持って自分よりも紅巴の方が当主に良いと言っていた? 選びたくない道を選ぶのが領主としての責務だ。お前がそれを負いたくないから兄に背負わせたかったのか」 「違う! わたしは……!」 「機があれば、もちろん見失うつもりはない。だが、今はもうこれ以上どうにもできん。いいか、今回ばかりはこの間のような我がままは通さん。命令だ」 断固として、彼は言う。選びたくなかった道だが、選ばざるを得ない。決めた以上、揺るがない。 流紅は、眉を吊り上げて、父親を睨みつける。神宮の当主はそれすら黙殺し、もう話は終わりだとばかりに、再び盃を手に取った。 満ちた沈黙に、夏の終わりを叫ぶ蝉の声が、途切れ途切れに聞こえている。 けれども、事はそれで終わらなかった。決断を、臣たちに伝えるよりも、流紅の行動の方が早かった。 理解しただろう、とか、言い聞かせた、とは思っていなかったが、さすがに状況くらいは分かっているだろうと思ったのは甘かったのか。当主自身が、自分の思いに囚われすぎて、流紅の激情を甘く見ていたのか。 わがままだと言われようとも。父親自身が言った通りに、自分で納得してしっかりと飲み込まなければ、前になど進めないのが流紅だった。 何かをしかねないからと、つけていた見張りを殴り倒して出て行ったのは、もはや天晴れとしか言いようがない。 次の日の夜、流紅は桜花の城から忽然と姿を消していた。 |