第三章






ただ懐かしき




 謁見の間ではなく、呼びたてられた飛田当主の居室には、当主本人の傍らに、少女が座っていた。顔を上げて無表情を繕っているが、とても居心地が悪そうだった。すでに薄暗くなった空に反して、室内には煌々と明かりが満ちているのに、照らされた少女は顔色がひどく悪い。
 そんな百合姫を傍らに、並んでと言うよりは、従えて座っている飛田当主は、悠々と脇息に肘をついて来訪者を迎えている。
 紅巴は彼らの前に、添木を当てられて自由の利かない足を投げ出すようにして座る。けれども、背筋を伸ばして毅然とした姿は、無礼だなどと言わせる空気を寄せ付けなかった。怪我と熱のせいでの衰えなど、人前で見せない。虚勢でもない紅巴の凛とした姿に、すぐに紅巴のそばを離れて末席にひっそりと腰を下ろした柳雅を見送ってから、飛田の当主は唇をつりあげて笑った。
「さすがに痩せたな。少しは堪えたか?」
 くつくつ、と笑う。お前の命は握っているのだと、静かに相手を脅すような笑みだ。
「死にたがるのなら、一息で死ねる方法を選べと言っただろう」
「動転して、失念しておりました」
 紅巴はただ、泰然と笑みを返す。
「何かご用だったのではないのですか?」
「用など、特にはないのだがな。どうしているかと思って」
 大して興味の無いことのように言う。
「もう少し牢で反省していただいても良かったのだが、百合が、お前の笛が聞きたいと駄々をこねるのでなあ」
 名が出て、当主の隣で少女がびくりと体を震わせた。視線が寄せられて、口を開く。決して慌てず動転せず、青ざめてはいても、つんとした表情で。
「まだ本調子でない者の楽の音を聞いたって、つまらないわ。百合は後日で結構です」
 けれども彼女の虚勢など、まったく意にも留めていない様子で、飛田の当主は彼女を眺めながら言う。
「せっかく笛の演奏があるんだ。久しぶりに百合の舞が見たい」
「今日はそんな気分ではありません。病人を見ていたら、わたくしも何だか気分が悪くなりました。お部屋に戻ってもいいでしょう?」
「そうか、それは残念だ」
 少しも残念で無い風に、さらりと柳祥が言った。百合を見て、それから再び紅巴の方へゆるりと視線を向ける。
「それなら、ここにつれてきた意味もないな。養生だけなら牢でも出来るだろう。ただし、鼠にかじられたり、食い物が腐ってたりはするかもしれないが。牢は蒸すし、空気の通りも悪くて、多少治りも遅くなるかもしれないが、後日で良いのならかまわんだろう。柳雅、さっさと連れて行け」
 少女の顔から、繕っていた表情が消えた。当主を見て、紅巴を見る。ただ悠然と構えて少女の視線に笑みを返す紅巴に、彼女は少し怖じ気た様子を見せた。助けを求めるように柳雅を見たが、彼女はすぐに視線を戻す。
「でも、わたくし、扇を持ってきていません」
「それなら、取りに行って来い。待っていてやる」
「いえ、いいわ。いらないわ。なくてもできます」
 何を言っても相手が折れることがないのをようやく悟り、少女はとうとう、泣きそうな顔で訴えた。
 彼女はきっと、紅巴を庇おうとしているのを察せられたくなくて、それを悟られたら余計に紅巴がひどい目にあわせられるのではないかと怯えて、懸命にさりげなくあるよう努めていたのだろう。残念ながらそんなものは誰の目にも明らかだったけれども。――ただ、これはただ、当主の気まぐれひとつで、紅巴の命などどうにでもなるのだとの、芝居に過ぎない。今更ながらでありながら、無茶な行動をとった紅巴への牽制に過ぎない。振り回されて、必死で紅巴を庇おうとする百合姫に、紅巴は申し訳なく思っていた。
 その耳に、それはそうと、とつぶやきが聞こえる。
「お前に朗報がある」
 隣りで百合姫が立ち上がり、歩き出そうとしたとき、もののついでのようにさらりと柳祥が言った。お前に――とは、もちろん、紅巴に向かって。
「柳雅がうっかり神宮の忍を逃がしてしまったと聞いて、どうなることかと思ったがな。お前はまだ見捨てられていないようだ」
「どういうことですか?」
 さすがに反応を返した紅巴に、彼は楽しげな笑みを浮かべる。
「神宮の次男坊が姿を消した。あまり知れ渡っている話ではないから、信憑性は薄いが」
 本当は、これを言いたかったのだろう。わざわざ、さり気なさを装って、相手の動揺を誘い出そうとする柳祥の意地の悪さには気がついたが――それでも、やはり驚かずにはいられなかった。
 流紅が、いなくなった。
 そんなはずは無い。あるわけがない。
 思ったことがそのまま口から出そうになった。どういうことだ、と考えるよりも前に言葉がこぼれそうになって、開きかけた唇をきつく閉じる。
 これは確かに、朗報と言えるかもしれない。紅巴個人にとっては。神宮が紅巴を見捨てていないことの証明になる。
 けれども、紅巴が何のために行動を起こしたかを考えれば、朗報などではない。
「そんなに陳腐な手はつかいません」
 彼は、静かに言っていた。その言葉の端から、ふいに笑みがもれた。そうだ、父は、そんなに見え透いた陳腐な手は使わない。紅巴を救い出すための時間稼ぎに、そんなことはしないだろう。あの人は、決して甘くはない。それなら、彼は別の決断をしたのだ。
「何かの間違いか、それは、父の決断ではないでしょう」
 誰の考えか。それを思うと、歓迎できる結果ではないのに、自然と表情が和むのが自分で分かった。父は別の決断をした、けれどもそれを簡単に呑む事の出来ない、融通の利かない誰かが、勝手にしたことだ。
「根拠は?」
「ありません。でもきっと、すぐに分かります」
 流紅の独断なら、父に敵うわけがない。きっと、すぐに結果が見える。
「随分と確信を持って言う」
 神宮の手が切れなかったことを喜ばず、それを否定しながら何故か楽しげな紅巴に、飛田の当主は少し不本意そうな声をあげた。
「神宮の人が選ぶことなら、多少なりとも分かるつもりです」
 ただ、紅巴はそう答える。飛田の当主は不服そうな顔をしたが、からかったわけではない。奇麗事といえばそうだが、嘘でもない。
 あなたには分からないだろう、と声には出さずに紅巴はただ思う。あなたには分からないだろう、こんな風に、肉親である小さな少女を振り回して、つまらないことに利用している人には。柳雅がうっかりと神宮の忍を逃がしてしまった、などと、ありえない事を聞かされ、その奥の真意を見ようともしない人には。
 神宮の、暖かい人の考えることなど分かるわけがない。どうして紅巴が、遠くに居ながら彼らの行動が分かるかなど、理解できるわけがない。――それは、洞察力の賜物ではあったけれども、ただそれだけで、相手も自分も同じように、相手の意思を汲んだりすることなどできない。
 神宮家と、飛田家は、こうも根本的に違う。
 紅巴の前に立って、少女が心配そうな目を向けている。不安そうな少女をただ安心させようと、紅巴は流紅に向けるときのように、穏やかな笑みを返していた。





ぬーん。なんかテンポが悪いんだけどなあ…。


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