第四章










 歌が、聞こえた。
 低い声だったが、歌の内容も込められた響きも陽気だった。なんとなく線香の匂いがするからか、読経の方が似合いそうな声なのに、と連想が働いたが、楽しげな声にはなんとなく坊主の印象が浮かばない。
 瞼を開けて、目を射る日差しの明るさに顔をしかめる。何度か瞬いてからもう一度改めて眼前を見ると、天井があった。見慣れない天井だ。
 何を考えるよりも前に、枕元に手が伸びた。いつもそこに刀を置いておくための癖だったが、当然のように手が空気を掴む。しかも、伸ばした方の腕がずきりと痛んだ。舌打ちしながら半身を起こすと、頭がずきずきと痛むが無視して、傍らに感じた人の気配に、座ったままで身構えた。
「起きたと思ったら、いきなりどうした」
 突然の流紅の行動に特別驚いた様子も見せず、そこに座っていたのは、黒い僧衣を着た年若い坊主だった。坊主というには雰囲気も眼差しも呑気なもので、頭にはぼさぼさの髪が生えているが。手元には針道具があって、どうやら着物の繕いをしていたらしい。先程の連想は、どうやら間違いでもなかったようだ。
「ここはどこだ?」
「寺だ。ついでにいえば山奥のぼろい寺」
 応える声は低く、穏やかだったがからかう色が強かった。
「そうじゃなく」
「土地の名で言うなら、ここは富岡だ」
「富岡?」
 聞き返す声には、大きなため息が混ざる。構えるのをやめて、座り込んだ。
 その土地の名を聞いて思い出せる場所は、石川でも本條でも飛田でもない。
「神宮の土地か」
 移動の途中だった。桜花から、石川への国境へ、戦の際には大急ぎで書け戻った道を今度は逆に、馬には無理を強いながら、昼夜なく駆けてきたところだった。夜通し駆け続けて、方角以外確認することができなかったから、あまり表の道を通りたくなかったから、だいたいこの辺りだろうという検討くらいはついても、それだけだ。
「自分がどこにいるのかも分からずにあんなに大急ぎで馬を駆けさせてたのか? 間抜けだな」
 年若い坊主は、カラカラと遠慮なく陽気に笑う。
「うるさい」
 楽しげに歌うような声に苛立って、流紅は吐き捨てるように言う。何より自分を罵っているのは、彼自身だから。全然、先へ進めていない事実の方が、気に重い。
 早く神宮の領内を抜けなければ、すぐに見つかって連れ戻されるだろうから。こんなところで呑気に寝ている場合ではないのに。――もし領外ならば、もっとそんな場合ではないのも、確かだったが。
「馬から落っこちて気を失ってたところを助けてやった相手に、それは礼儀知らずってもんじゃないのか? それとも頭を打って恩義ってもんを落っことしたのか」
 言われて思い出した。山中の道を駆けている時に、突然子どもが駆け出してきた。大慌てで手綱を引いて馬を止めたが、急停止の勢いで馬は前足を蹴り上げ、気がついたら流紅の手は手綱を離れていた。視界が回り、まだ朝早い空の色が目に鮮やかだったことばかりが、記憶に残っている最後だ。頭が痛いのは坊主の言う通りぶつけたのだとしか思えなかったし、腕は、そのとき捻りでもしたのだろう。
 危うく馬で、子どもを蹴り殺しかけた。
「子どもは無事なのか?」
「おかげさまで」
 そうか、とつぶやく。
「あの子ども、どうしてあんなに慌てて飛び出してきたんだ」
「聞いてどうする」
 独白のような流紅の言葉の揚げ足をとるように、坊主が言う。流紅も、相手が答えを知っていると思ってつぶやいた言葉ではなかったが、まるで事情を知っているかのように、そのくせ、それはあまり性質の良いことではないような、試すようでいて楽しげな声に、口をつぐんだ。
 まったく他意など無いようにも思えるし、逆に見下してからかっているようにも思える。つっかかっても、のらりくらりとこの調子でかわすだろう。
 いろいろ、なんだか頭にきていたが、流紅は仏頂面のままつぶやく。
「とりあえず、礼を言う。助かった」
 変な坊主だと、思う。普通の人間なら、倒れている人間を見て、こんなにばかばかしい応対はしないだろう。それとも、普通の人間なら、そんな状態の相手を拾ってきて看病はしないのかもしれない。神宮は他の国に比べて治安が良いが、それでも、荒れた時代なのだ。流紅が手にしていた刀を奪って、倒れた人間はそのままにして、もしくはご丁寧にとどめを刺して逃げる方が普通なのかもしれない。
 なのに、ずきずきと痛む頭に触れると、綺麗な布で巻かれて手当てされている。怪しい人間を連れ帰って傷の手当てをした上、相手が気がつくまで近くにいたくせに、事情も聞かずによく回る口で相手をからかっているのは、剛毅なのかこの男こそ馬鹿なのか。それとも、坊主だからなのか。
 言われた言葉に少し驚いたように目を開き、すぐに坊主は笑った。喉をくつくつと鳴らして、楽しげに。
「甘いな。どうしてそこで俺の言うことが信じられる。もしかしたら本当は、ここは飛田なのかもしれないぞ。気を失っている間に他国へ連れ出されたとも限らない。本條かも石川かもしれないし全然別の土地かもしれない。実はこうしてしゃべっているのはただの時間稼ぎで、実は兵隊が駆けつけてくるのを待っているのかもしれない」
 再び流紅の目が警戒に染まる。それを見ながらも、相手は変わらず陽気な口調で続ける。
「お前の刀をみた。桜の紋があった。ただの人間なら気がつかないかもしれないが、あれは神宮の紋だ。神宮の紋の入った刀を持てる人間など決まっているし、先日の戦で何があったのかも、知っている者は知っている。それでどこがどう動くかというのも、多少頭を動かせば分かることだ」
「一体何者だ」
「俺は常盤(ときわ)という。ここの寺に根をはっている生臭坊主だ。基本的には放浪好き」
 おどけて言って、流紅を見る。
「坊主だからそれなりに学があるし、ここにこもっていることは少ないから、あちこちの事情をそれなりに知っている。おぬしを拾ったのも、久々にここに返ってくる途中だった」
「一体何が目的で……」
 言いかけて、流紅は口をつぐむ。戦がおきてから、こうして気配をうかがうのは何度目か。
 廊下を歩いてくる足音がする。本当にこの坊主の言う通りなのかと少し焦り、すぐにその足音が、この場に踏み込もうというにはドタバタとただ落ち着きがないだけなのに気がつく。窺うように坊主を見ると、彼は知らん振りを決め込んで、目線をそらして口笛を吹く。
「常盤殿、戻ってきていると聞いたが……」
 たどり着いた足音の主は、部屋の中に声をかけながら、障子戸を開ける。訪れた人物は、部屋の中を伺い見ながら入ってこようとして、片足踏み出した姿勢のまま止まってしまった。
 泰明が、そこに立っていた。





旅って言うか……


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