第四章






分不相応





 呆然としてしばらく無言でそこに立ち尽くして、山村家の年若い当主は、戸口に背を向けたままの黒衣を見た。それから、恐る恐るというように、入り口を睨んでいる流紅の方へ視線を移す。
 目が合った瞬間正気に返ったのか、痛そうなほどの音をたてて、泰明は慌ててその場に膝をついた。両手をついて、勢いよく頭を下げる。あまりにも勢いが良すぎて、床に頭をぶつけたほどだ。
 肩を震わせて笑っている常盤が懸命に声を抑えているおかげで、再びそこに沈黙が降りた。
 呆れて、流紅がため息混じりに声をかける。
「何をやってるんだ、お前は」
「こ、ここはうちが神宮のお家から預かっている土地ですから」
 少し的外れなことを泰明が答える。そしてどこか必死な声で続けた。
「どうしてこんなところにいるのですかあなたは!」
「おや、面識があるのかい」
 常盤が呑気に問うが、泰明の耳には入っていないようだった。
「常盤殿、何を呑気に! だいたい、お怪我をさせてしまって……!」
 慌てた様子で言うが、問いかけの答えにはなっていない。それに対して常盤は、ただ肩をひょいと持ち上げただけだった。むすっとして泰明が続ける。
「早馬らしきものか、神宮からの使者の足を止めてしまったと知らせがきたけど」
 先達て戦があり、そしてまたいつ起きるとも知れない緊迫した状況が続いていて、その土地を大急ぎで馬で駆けていく武士がいれば、領主へ至急に何かを伝えに走る、もしくは臣下へ命を伝えに走る早馬である可能性が高い。それを、他愛のないことで止めてしまったとあれば、十分に大事だ。それで国の命運や、人の命が左右されることなど、わかりきっている。だから、そんな知らせを受けた泰明が大慌てで駆けつけてきたのだろうが。
「言ったな」
「神宮のお人だと気がついてて、わざとそんな言い方をしたでしょう!」
「したな」
 常盤の楽しげな様子は変わらない。
 早馬や使者がどうというより、主君の足を止めてしまい、もしくは負傷させたとなれば更に大事だというのに。
「おい」
 今度は、流紅が不機嫌な声を上げる。責めるような視線に、常盤は飄々と言った。
「誰も時間稼ぎでないとは言っていない」
 神宮のことを考えて、泰明のことを考えれば当然の行動だ。
 苦い顔で、流紅が黙り込む。
 彼が急いでいたのは、ただとにかく早く進みたかったから、そして神宮の手が回る前に、誰かに見つかる前に神宮領を抜けてしまいたかったからなのに。土地を抜け出す前に臣下に見つかってしまえば、父に知らせが行くのは当然だ。
 不機嫌な顔でそれ以上何も言わない流紅に、彼の不機嫌の理由をどうとったのか、それとも深くは考えなかったのか、泰明がハッとした様子で言う。
「もしかして、神宮家はわざわざあなたを遣わしてくださったのですか?」
 予想もしなかった反応に、流紅は片方の眉を吊り上げて泰明の方へ視線を向ける。無言のままの彼に、泰明は戸惑った風を見せた。
 まだ知らないのだ、泰明は。流紅がどうしてこんなところにいるのかを、知らない。神宮からの知らせもまだ、泰明のような小さな家の者には伝わっていないのかも知れない。――むしろ、常盤のような洞察力の方が尋常でない。ただの鎌かけだったのかもしれないが。
「あ、違うのですか? そうですよね、うちなどより、もっと国境(くにざかい)の方が事態が深刻化しているでしょうし」
「今はもう国境よりも、こっちの方が深刻だと何度も言っているだろうが。そうそう同じ場所には留まっておらんものだ」
 少し恥じ入る様子で目をそらしながらブツブツと言う泰明の言葉を継ぐように、常盤が言う。泰明はともかく、常盤の言葉は、いちいち流紅への揶揄のように聞こえてならない。
 しかし、そんなことにいちいち構っている場合ではないようだった。
 話が、見えない。
「一体、どういう……」
「やはり知らないか」
 問いかけようとした流紅にかぶせるようにして常盤が言った。まるで静止するかのように。
「神宮のご子息は、別の用事で急いでいたようだし、いつまでもこんなところで捕まえておくのも良くないだろう」
 真意を量りかねて流紅が睨みつけても、涼しい顔で続ける。
「何せ富岡は今、家出のお邪魔をしている場合じゃないからな」
「お前……」
「どうせ、飛田へ行く途中だったのだろうが。行きたいなら行け」
 無責任ともとれる言いようで常盤は、繕いをしていた着物の影に隠れていた――隠していたのかもしれないが、そこにあった刀を取り出して、流紅の前に放り投げた。
 鉄の塊は、寝具の上に重い音をたてて落ちる。事態についていけず成り行きを見ていた泰明が、驚いて声を上げた。
「常盤殿!」
「だって俺は、傍観者で部外者以外のものでいるつもりはないしなあ」
「わたしの正体を詮索しただろうが」
「興味本位だ。深い意味はない」
 信じるわけなどない。流紅はきつく睨みつけるが、相手は涼しい顔だ。何を考えているか分からない。――分からないからといって、ためらっている場合じゃない。
 流紅が刀を掴む。だが持ち上げる前に、足音も高く駆け寄ってきた泰明が、飛びつくようにして刀を押さえ込んだ。
「おい」
 睨み付ける。だが、泰明も同じだけの力で視線を返してきた。
「どういうことなのですか」
「お前の知ることじゃない」
「常盤殿の言うことは勝手な推測かもしれませんが、俺は常盤殿のことを信頼してます。いい加減に見えるかもしれませんけど、頭のいい人ですし。だから、あなたがこれから、どうしてどこへ行かれるのか、はっきり言ってくださらないとこの手は離しません」
「家臣ふぜいに、神宮の人間の意志全部を語れと?」
 言外に、出すぎだ、と言い切る。推測でしかない域で、泰明などが流紅の、神宮の動向をすべて知ろうなどと、思い上がりも甚だしいところだ、本来ならば。意見することですら、無礼だと一言で切り捨てられても文句が言えないものだった。いくら、桜花で親しく言葉を交わしたことがあると言っても。
 本来なら、二人の間の身分の差は、こんなに間近で会話ができるようなものではない。家臣一同が集まって流紅が上座に座るなら、泰明はもっとも戸口に近い末席、もしくは回廊にでも座らなければならないところだ。――流紅が、そんなものを振りかざすことなど、あり得ないことではあったのだが。
 しかし、泰明も負けてはいなかった。
「今更ですけど、そもそも神宮のお人が遠出なさるのに、供の一人もいないのはやはりおかしいです」
 泰明の言うことも、正論だ。そして常盤の言うことが本当で、流紅が勝手に飛田へなど向かおうとしているのならば、それは十分に泰明が彼の足を止める理由になる。何よりも優先されるべきは、流紅の意志ではなくなる。
 苛立って、流紅は泰明を更にきつく睨みつける。けれども、泰明は一層刀を強く握って、流紅を見返した。張り詰めた沈黙が満ちたが、常盤は横でやれやれとつぶやいている。のんびりした動作で針を手に取ると、呑気に裁縫を再開した。
 しかしながら、彼が針を一度二度と、刺したところだった。少し遠くで怒鳴り声が聞こえて、泰明が目をそらした。顔を上げた常盤と目をあわせ、それから戸口を振り返る。刀は、押さえ込んだままだったが。聞こえ出した荒々しい足跡に、泰明はすぐにも走り出したそうだった。
「若殿、こちらですか!」
 駆けてきた武士がひとり、開け放したままだった戸の外に、滑り込むように膝をついた。若、と言われて流紅は少しビクリとしたが、相手が呼んだのは泰明のことのようだった。
「今度はどこだ?」
 何が起きたかを問うこともしない泰明に、心得たように相手が素早く答える。
「上つの村の方です!」
「分かった、すぐに――」
 行く、と言おうとしたのだろう。けれども、自分の状況を思い出した泰明は、顔を前へ向ける。まだ睨んでいる流紅と、横でのんびり成り行きを見ている常盤の間で視線を往復させた。葛藤の表情で束の間、口をつぐんだが。
「常盤殿、若君をしっかり捕まえておいてくださいよ!」
「確約はできんな」
「常盤殿!」
「はいはい」
 生返事に相手を不審そうに見てから、不承不承の様子で、恐る恐る刀から手を離す。そして離してしまうと、「ご前、失礼します」と叫ぶように言って流紅に頭を下げてから、すぐに身を翻して駆け出した。






くくう〜。テンポがつかめない。説明過剰になってないですか〜?不安。

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