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「何が起きている?」 刀を引き寄せながら、独白のように流紅がつぶやく。すると常盤は、おもしろがるような口調で問うた。 「それは、ただの好奇心か? 神宮の人間としてか?」 簡潔な言葉だ。だが流紅は、相手の言いたいことを悟って、黙り込んだ。 「ただの好奇心でも、お前が神宮の人間である以上、話を聞いて何もせずにここを出て行ったら、お前はもう神宮を名乗る資格はないぞ、次男坊」 もし流紅が本当にただの通りすがりで、もしくは素性が知れていない時点であれば。この土地が巻き込まれているらしい何かの事態に、何の気なしに口をだしても、大した問題ではないのかもしれないが。 神宮家の人間として、民に対して、その所領に対して、背負うべき責務というものがある。しかしながら流紅は、仏頂面でつぶやいた。 「『神宮』は、兄上がなる」 事情を話すよう、強要するつもりの言葉ではない。ただ単に、自分がここにいる理由だ。頑なな流紅に常盤は、とりあえず、という様子で聞く。 「家を飛び出して、こんなところに来てどうするつもりだ」 「飛田に行って兄上を助け出す」 今更隠すまでも、改めて問われることでもない。もう迷うこともなくただ一つのことを言う流紅だったが、常盤は変わらず何食わぬ顔で続けて問いかけてきた。 「神宮の手練の者が何人も行ってどうにもならなかったものを、お前がどうにかできるのか」 「わたしは、他の者にはないものを持っている」 ほう、と常盤が眉をあげる。おもしろがっているのが、よくわかる顔で。多分、流紅が言おうとしていることなど、聞くまでもなくわかっているのだろうが。 「もしお前の言うように兄上を助け出せなかったとしても、わたしと引き換えなら、帰してもらえるかもしれない」 「自分を犠牲にして、か。なるほどそれでお前は命を捨てるのか」 「わたしがいなくても、兄上が無事でいれば、それでいいじゃないか」 「おめでたいな」 遠慮も何もなしに返ってきた感想に、流紅はむっとして口を閉じた。 「飛田家が、そんなに生易しいものだと、本当に思っているのか? 目の前にぶらさげられた餌を両方とも逃がすような奴らか。お人よしの神宮家ならともかく。それに、だ」 涼しげな顔で告げる常盤の言葉は、容赦のない正論だ。そして彼は続ける。 「お前の言葉は、兄に全部責任をかぶせるからそれでいい、って言っているように聞こえる」 「そんなことは言っていない!」 「そういうことじゃないのか。自分は兄を助けたいから大義名分で好き勝手して死ぬが、兄は帰ってきて神宮の民の全部の命を背負う責任を一人で負えばいいと言っているみたいだな。それも、兄が無事に帰ってこられればの話だ。もしかしたら、二人とも帰って来られないかもしれない。そうしたら、お前は父親に全部責任をかぶせるのか」 刀を握り締める手に力がこもる。――兄の、刀を。 悔しい、と思う。 「関係ない者は黙っていろ」 「確かに俺は部外者だが、神宮の土地に根をはる人間だ。上の人間の都合で国を賭けられてはたまらんからな。分不相応だろうが、折角の機会だから、口だけは出しておく」 常盤の言うことは、正しい。父はそれを分かっていたから、紅巴を見捨てると言った。それくらい、分かっている、いくらなんでも。 だけど、考えてしまう。見たことのない敵国。非道だと怖れられる飛田家。 ――足を折られた兄、そして、足を折られたという、神宮の忍。 失敗すればあるいは、殺されるだけでなくそれ以上の酷い目にあわされるかもしれないと思ったが、他にどうしろというのだ。 誰も彼もが、そんなことを平気でするような人間のいる場所に、そんな人間ばかりのところに、兄を一人で放り出しておけと言う。できるわけもないのに。 思えば、人質の話があがった春の日から、何かと自分を軽んじる兄に対する苛立ちと、心配があった。もしくは以前の冬の戦のときから、もしくはもっとずっと前の自覚しない昔からかもしれない。それが、ここにきて我慢しきれなくなって、破裂したようなものだった。 悔しいと思う。それはただ常盤に対してのものだけではなくて。自分自身に、父に、兄に、そしてどうにもならない状況に、まわりのすべてに。 何より、怖いのは飛田家ではない。ずっと助けたいと思っていたのは、戦からではない。彼自身からだ。――流紅の影からだ。 それはもう、幼い頃からの恐れだ。石川家を出てくるときにも思ったそれは、余計に重くのしかかる。本当は、憎まれているのかもしれない、と。 だけども、それだけじゃない。 「うるさい」 流紅は、常盤の言葉にも、自分の混迷する思いにも、叩きつけるように言った。 「もういい、何も聞かない。この土地にはかかわらない。それでいいんだろう。わたしだって自分がやってることが、的外れて馬鹿なくらいわかっているんだ。他のことには構わない」 ――人の言葉に、惑っている場合じゃない。神宮家の状況も飛田の思惑も、構わないと思ったから飛び出してきた。このままでは、今のままでは、何もかもの感情が無意味になる。 「兄上のために何かしようという人間は、もうわたし一人なんだ!」 しないのではない、出来ないのだとわかっていても。 断じて、兄一人を敵国に放り出して、そのまま死なせるなんてことがあってはならない。 悲痛な思いで、取り上げられてたまるかというように、流紅は刀を抱え込んだ。しかしながら常盤は、流紅の思いも、力いっぱい思いの込められた言葉も、坊主はさらりと流して呑気な顔で言った。 「まあ、行きたいなら行け。拾った命に対する責任以上のものは、お前には持たん」 刀も返してやっただろ、と。泰明には、流紅を捕まえておくと約束していたくせに、簡単にそんなことを言った。それから、流紅のことに興味をなくしたかのように、手元の布を引き寄せる。裁縫を再開するつもりのようだった。 「……なんだって?」 「お前の馬は、裏に繋いであるぞ」 「あいつに、わたしを引き止めておくと約束していなかったか」 「なんだ、行きたくないのか。だいたい人のことを気にしている場合なのか、お前は。そんなことどうでもいいんだろうが。お人よしだな」 喉の奥で笑う。人に意見をするだけしておきながら、結局は「でもお前がそうしたいのなら勝手にしろ」と言い捨てるのは、あまりにも意地が悪い。笑われたことも、引っ掻き回されたこともまた癇に障って、流紅はもう何も言わずに立ち上がった。刀を腰に差して、足音も荒く歩き出す。 呑気な表情の食えない坊主は、やはり止めるつもりもないようで、ただ手元を見て繕い物に精を出している。 「どうせ、見捨てることもできんだろ」 去っていく流紅の背中に、変わらず呑気な声で、そんなことを吐いたが。 |