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流紅が部屋を出てすぐに気がついたのは、辺りがあまりに賑やかなことだった。騒々しい、もしくは慌しい声にあふれている、と言った方が正しいかもしれない。常盤のいた僧房を出て、あまり広くはない寺の回廊をあるいていると、庭が目に入る。 人であふれた庭だった。口々に騒ぎ立てている人、泣いている子ども、そして慌しく動き回っている僧達。何かが起きているのだろう、ということは、それを見るだけでも察しがついた。でも、立ち止まらない。気づかなかった振りをして、すぐに視線をそらして歩き出す。 通りすがった僧を捕まえて、馬がつながれている場所を教えてもらい、ついでに履物を譲ってもらう。木につながれて草を食んでいた馬を見つけると、彼は馬の首筋を叩いてなでてやりながら、すぐに縄をほどいた。 「無理させて悪いけど、まだまだ道は遠いから、がんばってくれな」 神宮領にいる間はまだいい。問題は、国境をこえるときだ。そして、石川の領に入ってからは、兵に怪しまれないよう、人目につかない道を選ぶ必要がある。本條領は今、本條の当主は領内の小さな城に逃げてそこに納まっているが、領内はほとんど無法地帯と化している状態のようで、そこに至れば、石川領とは違った状況を迎えるはすだ。そして、問題は飛田家。 まだまだ道は遠い。こんなところで、惑っている場合じゃない。鐙に足をかけ馬にまたがる。振り切るように、駆け出した。 周囲を木に覆われた寺を脱し、そのまま人目を避けて山道を突き進んでいく。まとわりつくような晩夏の熱を風に変えながら、ただひたすら前へ進む。 しかしながら、しばらくもいかないうちに気がついたのは、臭いだったか、音だったか。流紅は、風にのって流れてくる大きな音に顔をあげ、不快な臭いに顔をしかめる。 どちらも、覚えのあるものだった。しかしながら、こんなところで感じるはずのないものだった。 先へ進めば進むほど大きくなる喧騒と、焦げ臭いにおい。 ――敵襲か? ほとんど反射的にそう思い、すぐに否定する。国境寄りの土地とは言え、国境そのものではない。こんなところがいきなり敵襲をうけるなどそうあることではないだろう。そういうことが起きそうだという報告すらなかったはずだ。裏切りや、奇襲ということも考えられないことではないが―― 物思いにふけっていた流紅だったが、突然視界の端をよぎったものに、考えるよりも前に手綱を引いていた。馬が嘶いて前足を蹴り上げ、振り落とされそうになったところを、なんとかこらえる。さすがに、同じことを二度繰り返す気はなかった。 馬のひづめが、地面を叩く。その横に驚いてうずくまっているのは、怯えた子どもだった。暑さとは別の汗が、ひやりと額を伝う。 「馬鹿!」 文句を言おうと口を開いた流紅よりも先に発せられた声は、まさに子どもが飛び出てきた茂みからだった。突然の急停止と、目の前に飛び出てきたものに興奮している馬を御しながら見ると、道の脇の茂みから別の子どもが走り寄ってくる。 「止まるな、逃げろ!」 うずくまった子どもよりも年かさの少年は、怯える子どもに近づくと、まずはその子を押し出すようにした。すぐに、押しても引いても相手が動けないでいるのを悟り、今度はその子を庇うようにして流紅の前に立ちはだかる。馬上から見下ろす流紅を睨みつけた。 「兄ちゃん……!」 少年の後を追うように、わらわらと続けて別の子どもが駆け出してきた。少年は、顔を向けて怒鳴る。 「出てきちゃダメだ。早く逃げろ。すぐに山村様が来てくれるから!」 「でも、にいちゃ……!」 子どもは駆けて来て、少年の後ろに隠れるようにして、流紅を見上げる。 「あいつらと違うよ、山村様のとこの人じゃないの?」 言葉につられるように、少年は再び流紅を見上げる。――髪を結い、立派な馬にまたがり、きちんとした身なりをして腰に刀を帯びた、武士。 値踏みするように流紅を見ながらも、健気に他の子どもたちを庇う少年を見下ろしながら、流紅は小さく息を吐いた。 「何が起きている?」 似たような言葉を吐くのは、すでに何度目だろう。まるで他の言葉を知らないようだ、と思うと歯痒かった。馬鹿のようだと思う。――常盤のせいだと思った。自分の知らないことが繰り広げられていることに、こんなに悔しく思うのは。知らない自分に苛立つのは。神宮の領内で何か事件が起きているのすら、知らなかった、知ろうとしなかった自分を責める心があるのは。 今は、今の自分は、それどころではないはずなのに。 苦味のはしった流紅の表情をどうとったのか、少年は警戒を和らげたようだった。彼らの後ろに広がる気の茂みの向こうを指差して、叫ぶ。 「本條の落ち武者がまた襲ってきた」 指の先には、煙が上がっている。幾筋も。目を向け、流紅は唇を噛み締める。――また、と彼は言った。 常盤や泰明の、そして少年の様子を見るに、一度や二度の事ではないのだろう。そして流紅は、少年の言葉ひとつで、起きている事態のほとんどを理解した。決して珍しい物事ではない。けれども、こんなに国の内で起きていいことでもなかった。しかも何度もだなんて、見過ごせることではない。 それどころじゃない。もうそれこそ、何度目かの言葉を心の中で叫ぶ。――どうせ、と言われた言葉が、脳裏をよぎる。うるさい、と叩きつけるように心中怒鳴りつけ、流紅は子どもたちを避けるように馬の手綱を引いた。 |