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その村では、泥と血にまみれた賊と、泰明たち神宮所領の兵が小さな戦を起こしていた。いくつかの家は煙を上げ、夏の熱気をさらに息苦しいものにしている。緑色に染まった田は賊に、そして逃げ惑う民に、無残に踏み荒らされていた。寺で見た光景、そして先程見た子どもたちを思い起こす――当然、それとは比べ物にならない、光景。 逃げ惑う、武器も武装もない無力な人を追い回して、刀を振るう人。悲鳴をあげて逃げる娘を捕まえ、馬の鞍に担ぎ上げる者、のみならず衣を剥ぎ取って嘲笑う者。少ない蓄えを担ぎ出していく者――これも、戦場では決して珍しい光景でないことを、流紅も知っている。知識としては知っている。けれど、軍規が厳しく、よく訓練された神宮の兵が繰り広げている光景を見た事はない。戦場は、見慣れている。幾度となく出向いた。しかしながら、これは。 駆けつけたものの、自国の領で、しかもいくら国の境に近いとは言え、決して国境とはいえない土地で繰り広げられている光景に、半ば唖然とした。 けれども、間近でした悲鳴にハッとする。村の外れに踏み入れていた流紅の方へ駆けてくる少女がいる。後ろを、裸の上に鎧を纏った賊が、下卑た笑いを響かせながら追いかけてきていた。そして賊は、進路に馬上の武士を見つけ、手にしていた刀を振りかざす。笑いをおさめることもせずに。 それを見て、押さえ込んでいた感情が爆発した。すべての怒りと苛立ちを込めて、刀を抜き放つ。 「大丈夫か?」 馬に乗ったまま、賊の血に濡れた刀を血振りする流紅に、転んだのか泥だらけになっていた少女がカクカクと頭を上下に振る。何が起きたのか分かってもいない様子で、流紅と、血まみれで倒れている賊を見比べていた。 「本当に、大丈夫か? 自力でここから逃げられるか。無理なら、山村の兵が来ているから、助けてもらえ」 言い聞かせるように、ゆっくりと口にするが、目を見開いて流紅を視界におさめているだけの少女は首を振るのをやめただけで、返事を返さなかった。本当に大丈夫なのかいぶかしんだが、この光景を見るに彼女だけに構っていられない。再度言い聞かせてから馬を走らせようと思ったところ、少女は突然目に色を取り戻して、叫んだ。 「茜子さんが」 聞き覚えのある名に、考えるよりも前に体が反応した。村の方に向けていた目を少女に戻し、目線を追う。喧騒と煙に束の間惑うが、さほど遠くない場所に目的の少女が見えた。田のあぜ道を子どもたちを従えて、駆けていく姿が見える。見覚えのある姿だと認識している暇もあればこそ、子どもたちの背中を押すようにして走らせていた少女の後ろに、馬に乗った賊が近づく。気がついた少女が、子どもたちに何か叫んでいるのが聞こえた。何を言っているのかは分からなかったが。 ここは富岡だ。泰明がいれば茜子がいるのも当然だったが、どうしてこんなところにいるのか。子どもに構っている場合か、と怒鳴ってやりたかったが、それどころではない。 「それを貸してくれ」 かわりに、流紅が倒した賊が負っていた弓と矢を指差す。視界の中で、茜子が鞍の前に担ぎ上げられるのが見えた。焦りと苛立ちが募るが、かけた声に反応が返らない。振り返って助けた少女を見ると、まだ覚めやらない恐怖と驚きにか、彼女は流紅の指の先と、流紅と、茜子をもたもた見比べて、怯えた様子で応えた。 「でも、茜子さんに当たるわ」 「大丈夫だから」 言い合いをしている場合などではないのに、相手はおどおどと言い募った。 「でも」 「いいから貸せ!」 苛立って、つい怒鳴っていた。戦場で迅速を尊ぶ兵と同じように行かないのは当然だが、慮っている余裕などない。厳しい口調に相手は本当に飛び上がり、それから、動揺して震える腕を伸ばして弓矢を広い、懸命に流紅の方へと差し出してくる。 流紅は、ひったくるようにして受け取るや否や、馬の腹を蹴って駆け出した。矢をつがえる。弦を引いた腕が痛みを訴えたが、無視をする。 空を切る、鋭い音がした。次の瞬間には、暴れる茜子が拳を振り上げた先、賊の頭に矢が突き刺さっている。突然頭に矢をはやして動きを止めた賊に驚いたのか、腕を振り上げたまま茜子が動きを止める。そんな彼女をよそに、手綱を掴んだまま絶命した賊が均衡を崩して馬から落ちた。突然、妙な方向へ手綱を引かれて、馬が嘶(いなな)いて前足を蹴り上げる。 「来い!」 駆けつけていた流紅は、暴れる馬の背にしがみつこうとしている茜子の腕を掴んだ。そのまま強引に引き寄せると、彼女は相手を見て目を見開いたが、それだけだった。自分から流紅の方へ反対側の手を伸ばして、しがみついてくる。 自分の前に彼女を乗せると、流紅はすぐに暴走する馬から離れた。 「おまえはいったい何をやっているんだ」 「みんなを逃がさなきゃと思って」 少女の息は切れていたが、さらわれかけていた割には、冷静な声だった。怯えてもいないし、震えてもいない。 「そういうことは、兵に任せておけばいいだろうが」 「すぐに駆けつけてこれるわけじゃないでしょ。動ける者が動かなきゃ。やっと、もうすぐ実りの季節だって言うのに、目の前で田を焼かれて黙っていられるものですか」 「それで、自分がさらわれそうになっていれば世話ない」 「でも、皆は逃がせたわ。ここはうちが神宮のお家から預かってる土地だもの、うちの人間が責任をもたなくちゃ」 確かに、泰明たちの働きで、賊の多くが逃げ出し始めている。だが彼女の言葉を泰明が聞けば、ため息をついたことだろう。妹の気概はありがたいだろうが、身を危険にさらしてほしいなどとは思うはずもない。しかしながら、茜子は続けて言った。 「だけど、もう必要ないわね。もう大丈夫なのでしょう?」 間近で、強く見上げてくる瞳に、流紅は少しひるんでしまった。 「どういうことだ」 「神宮家はあなたを遣わしてくれたんでしょう?」 泰明と同じことを、この少女は言う。彼らが、土地に住む民が、神宮家に対して持つ期待と、神宮家が彼らに対して持つ責務を思わせるには十分な、まっすぐな瞳。 視線を合わせていられなくて、流紅は目をそらした。 「そういうわけじゃない」 前方を睨みながら、苦味の混じった声でつぶやく。 |