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賊の逃げ足は速かった。旗色が悪くなってきたと悟ると、すぐに逃げにかかり、一旦逃げ出すと速い。三々五々、ばらばらに山中、木々の中に駆け込んでいく。こうなると、捕縛できたとしても、少数だろう。相手のすばしこさを抑えるには、兵が足りない。 泰明は幾人かを追っ手に出し、残りで荒らされた村の後始末にとりかかるつもりのようだった。火を上げている家は、刀を持った武士たちが、燃え移る怖れのある周りの建物もろとも叩き壊す。まわりに燃え移る危険のあるものが多い以上、水をくんでくるよりも手っ取り早いからだ。 流紅は村の外れに馬を止め、弓を帯の後ろに差し込んでから、茜子を下ろそうとした。自分は馬に乗ったまま腕で抱えて下ろそうとしたが、逆にその腕を相手にガシッと腕を掴まれて、考えるよりも前に振り払っていた。 「何するんだ」 「何するじゃないわよ、怪我してるじゃないの! 腕、腫れてるわ。どうしたのよ、その頭も」 「その腕を思いっきり掴む奴があるか」 ずきずきと痛む腕を庇いながら文句を言う。茜子は少しきょとんとした顔で流紅を見上げて、はっとしたように慌てて謝った。 「あら、ごめんなさい。驚いて」 「驚いたからって……」 「だってあなた、わたしを降ろしたら、手当てなんかしないで行ってしまいそうだったもの」 束の間言葉に詰まった。図星をさされたというわけではないが、揺らいでいる自分自身を指摘されたようで情けなく、勘のいい茜子に驚き、そして少し呆れた。 「だからと言って、他に止めようがあるだろう」 「それはさっき謝って……。あ、兄さんだわ」 茜子が手を振る方を見ると、彼らを見つけた泰明が走ってくるのが見える。流紅はため息を一つつくと、馬から降りた。腫れだした腕を庇うようにしながら、茜子を抱え降ろす。 そうも広くない村だ。消火に走り回る人の声、負傷者を助け、また遺体を片付ける人、肉親を失って泣く人の声に満ちた喧騒の中駆けてきた泰明は、すぐに流紅のもとにたどり着いた。 「常盤殿はどうしたんですか!」 開口一番、憤慨したように言う。流紅が苦笑すると、我に返った様子で顔を赤くした。それから、流紅の隣りに立って、呆れ顔で兄を見ている茜子の手を引っ張って引き離すと、二人で流紅の前に膝をついた。 「兄さん、痛いわよ」 「うるさい。お前はまたこんなところで無茶をして、若君のお手をわずらわせて。若君、お怪我はありませんか」 「腕を怪我してるみたいよ。腫れ上がってたもの」 流紅が何もないと答える前に、茜子が口をはさんだ。泰明はますます顔を赤くして、口を開くが。 「これは今回のとは関係ない。馬から落ちた時にひねったものだろう。お前が気にする必要はないよ。それから、そんなところに膝をつく必要もない」 「しかしながら、若君」 「目立ちたくない。ここらではお前が一番偉いんだろう。お前がそんな態度をとっていたら、皆が変に思う」 言い返そうとして顔を上げ、流紅の顔を見て泰明は口を閉じた。しかしながら彼が渋々立ち上がるよりも、茜子が立ち上がって流紅の顔を覗き込む方が早かった。慌てた泰明がその腕を引っ張る前に、彼女が言う。 「大丈夫なの?」 突然聞かれて、一瞬何のことかわからなかった。立て、と言ったことに対してではないのは明らかだった。茜子に流紅が置かれている状況が分かるはずもない。困惑したが、すぐに腕のことを思い出した。 「大した事はない。冷やしておけばすぐ腫れもひく」 「そうじゃなくて」 彼女はいつも、まわりくどい言い回しをしない。彼女なりの配慮もあるのだろうが――むしろ、だからこそなのだろうが、さらりと続けた。 「わたしが腕を掴んだ時より、痛そうな顔をしているから。何か、つらいの?」 言葉が、出なかった。取り繕えなかった。笑って誤魔化すことなど、もっと出来なかった。 知らずそんな顔をしていたからなのか、言い当てられて何を考えるよりも、唖然としたからなのか。 そんな風に、彼を親密に心配してくれる人は、はじめてかも知れないと思ったからか。家臣や親族がそうしてくれるのとは別に、ただ真摯に、彼の立場も責任もないものにして、まっすぐに見上げてくる目は、他にないものだった。 「何もない」 ――まだ悪あがきをしたいのだ、わたしは。 流紅はため息をついて、茜子から目をそらす。 改めて村の方へ目を遣ると、転がる死体は、起きたことの惨さを思い知らせるには十分だった。道端に、田の中に、山の木の中に倒れる人たちは、武装した者よりも、逃げ惑い背中から斬られた者が多い。その様子も、血と泥にまみれて泣き叫ぶ子どもの姿も、まったく見慣れない光景とも言えなかったが、自国領で見たいものではなかった。 「負傷者や、焼け出された者はどうしている。寺にいたのがそれか?」 問いかけには、泰明がすぐに答えた。 「ええ、すぐに村の方も人手をかきあつめて再建しますが、それまではお寺と、うちの方でもあずかっています。それにも限度がありますから、ある程度の仮住居だけでも整ったら、男連中は村の方に戻ってもらっているんですが。当人たちもそうしたいと言いますし、一度襲われた村は、二度も襲われることはないでしょうから」 「賊の追捕は」 「させておりますが、相手はすばしこく、逃げるのに慣れている様子で、多分今回も空手でしょう。いつも散り散りに逃げるので、捕縛できても数えるほどにしかなりません。山や森の中に逃げ込まれたら見つけるのも難しいですし、逆に潜伏してこちらに罠をかけてくる程度には知恵もまわるようで、深追いすれば痛手を負うことになります。そもそも地の利はこちらにあるはずなんですが、やつらも転々と身を隠す場所を変えているようです。一度追い詰めたこともあるのですが、こちらと渡り合えるくらいには、賊の数も多くて」 「大勢で来て、一斉に囲んで攻撃するしかないか。こういうことは頻繁なのか?」 「ええ、まあ。ここのところ」 「襲われたところの再建にしろ、追捕にしろ、まったく人手が足りないのじゃないのか」 濁すように言った泰明に、少し苛立ちながら続けると、彼は困ったように応えた。 「今はまだなんとか、うちのたくわえやらで賄える程度ですが、これ以上被害が増えるのは目に見えてます。どうせ、飛田はまた本條へ進軍するのでしょうから、また戦になればどうなるかは、考えるまでもない。そうなれば、もう手に負えません」 神宮が参戦すれば、その被害は倍増する。だが、してもしなくても、戦が起きれば同じだ。 「国の外とのかけひきで、神宮家は今色々な面でも余裕がないはずです。戦の兵糧、石川家との間でのこと、飛田家とのこと、ご嫡男のこと。もちろん領内のことですから、支援はしていただけるでしょう。こちらも、なんとか上の方へは迷惑をかけないよう報告のみにとどめて、援軍や食料の支援の申請はしていなかったのですが。先日、どうにもならなくなって、武藤様へ願い出たところでした」 先日、というのがいつなのかをはっきりは言わなかったが。 流紅がこういう風に事情を尋ねるのは、今更なのかもしれない。泰明は報告だけはしていたと言っていた。それなら、流紅はすでに事情を知っていて当然だった。だから泰明は、濁すような口調になったのだろう。そのことに気がついて、しかもそれが今頃だと言うことに、悔しさと羞恥の思いで一杯になる。 知らなかった。知らされていなかった。しかし、父は知っていた。領内を見て来いと言ったあの言葉は、暗にこの事態を示唆していたとしか思えない。 否――もしかしたら、わたしも知らされていたかもしれない、と思った。報告は聞いていたのに、上の空だったのかもしれない。国の内で起きていることを、きちんと見聞きしている心情ではなかった。それとも最初から、そんな状態の流紅には、知らせてくれなかったのかもしれない。どうせまともには聞いていないだろうと。 領内視察などを言い出した父は、もしかしたら流紅の目を覚まさせようとしたのかもしれなかった。 「本條の落ち武者と聞いたが」 苛立ちと悔しさと、そして、それを止めようとする感情が、身の内を渦巻いている。そんな流紅の葛藤に気づかなかったのか、泰明が答える。 「先の戦で飛田家は、本條領から引き上げる際、通る道々にある村や町を焼き捨てていったと聞いています。あれは、本條の民です。他に考えられません」 戦が起きれば、戦場付近の村や町は無事ではすまないのが定石だった。敵陣や敵の城の付近にある、人の住む集落は、邪魔になることもあるし、敵の拠点になることもあり、補給源になることもある。そのため、わざと村々を焼き捨てていくことは決して珍しいことではない。進撃の際には敵を狼狽させる役に立つし、撤退の際には目くらましになる。 しかしながら、優勢のうちに撤退した飛田家に、その用はないはずだった。ただ本條領をますます混乱させることを目的として、行く先々で人の住む地を焼いていった。――そもそも、戦の際には民を徴収する。民だけでなく、職のない流れの者や盗賊などを連れてくることも多い。そういった者は、戦の最中においても周辺の民を困らせるが、戦が終わればさらに始末が悪かった。主君が負けたとなれば余計にだ。本條家にはもう、そういった者たちを制御し、討伐する力は少しも残っていない。そして手綱をふりきった賊は、食料と金目のものを求めて周辺の村を襲い、人をさらう。村を焼かれて行き場をなくした民も、賊になる。追われるのを恐れた彼らは、移動を繰り返し、他国にまで逃げてくる。決して珍しい話でもない。 もっとも被害を被ったのは石川家だろうが、それを抜けて神宮の領にまで来るほどに彼らは切羽詰っているのだとも言えたし、それだけ今回は、路頭にあぶれた人々が多いのだと言えた。被害はこんなに国のうちにまで及び、しかも多発しているようだから、他国の手がかかっていることも考えられるが。 ただ国を逃げ、生きる糧を奪う彼らだったが、決して飛田家には向かわない。 飛田を憎んでいても、決して東には足を向けない。国へ帰る道々に人々の村を破壊した、彼らの非情さを理解しているからだ。飛田がふたたび本條の土地に侵略してくるならまた別だが、自ら飛田に侵入し、国土を傷つければどんな仕打ちを受けるかわからない。だが、石川家なら。神宮なら――と、思う。情に厚いといわれる神宮の統治は、こういうところで仇になる。 圧制で民を苦しめることは決して望まない。けれどそれで他国になめられることは、あってはならないことだった。 隙を見せてはいけない。 そしてそれだけではない。神宮の民に、同じ思いを味わわせてはいけない。領主が挫けて、民を路頭に迷わせてはいけない。それは神宮の名を持つ者として、当然背負うべきことだ。 ――――兄上。 目をかたく瞑る。拳を握り締めて、身が震えだしそうな感情を抑えこむ。 まだ、悪あがきがしたい。できるものなら、この村のことなど見なかったことにして、立ち去りたい。なのにわざわざ事情を聞いて、この状況を見て、どうするというのだろう、わたしは。 聞いて何もしないなら、神宮を名乗る資格などなくなる。そう言った常盤は正しい。――だけど、資格など。 いらない、そんなものは。兄上が無事なら、自分がこの国に居なくても、大丈夫だから。そのはずだから、今は、目の前のことに関わっていられない。 だけど、こんな状況にあるのは、この土地だけではないのだ。 「わたしがたとえ何者でなくても、この土地に留まれば、何か助けになるだろうか」 気がつくと、言っていた。口にして驚き、そして奥歯を噛み締める。 一刻も早く、駆けていかなければ、いつ兄の命が絶たれるとも知れない状況なのに。こんなところで留まっている場合ではないのに。 そして国から出るのが少しでも遅れれば、追っ手が来る。泰明は、流紅が何を命じようが何を頼もうが、神宮からの下知であれば当然従わなければならない。流紅は父の手に捕らえられてしまうだろう。連れ戻される前に、国を出なくてはならない――そうなのだけども。 目の前のこれを、見捨てるのか。 兄を、見捨てることになるのか。 はっきりと蹴りをつけて、選ぶことが出来なかった。あんなに、かたく心に決めて飛び出してきたのに。 そして、もしかしたら、父は流紅を追わせてなどいないかもしれないと思った。父は、追っ手を出さなかったかもしれない。泰明が、流紅の出奔のことを知らなかった事に関しては、まだ彼らのような人にまで、連絡が行き渡っていないからだとも思えるが。 その目で、神宮領内を見て来いといったあの人は、もしかしたらこうなることを読んでいたかもしれない。もし国の状況を目にすることがあれば、見捨てられるわけもないことを。 ――しかしながら、討伐の兵が来るのならば、同じことだ。神宮の将に見つかれば、同じことだ。 「もちろん、一人の手でも必要な事態ですから」 泰明は驚いたように目を見開き、そして嬉しそうに言った。その顔に、続ける。 「わたしのことは、どこの誰とも詮索しないでもらいたい。ただの通りすがりで、この土地の状況を見かねて手を貸すだけだ。誰にも、わたしのことは伝えないでほしい」 苦し紛れですらない言葉。しかしながら泰明は、笑みを浮かべ、きっぱりとした声で応えた。 「お約束いたします」 その瞬間、泰明が例えようもないほど大きな物を抱え込んだことは、分かっていた。流紅がその背に負うものと、同等とも言えるものを。それも、泰明が持つ権限では分不相応とも言えるもの、損としか言えないものを。分かっているつもり、だったが。 「おう、泰明殿」 その場の雰囲気も、この村の嘆きと怒りですらも、ものともしない呑気な声がして顔を向けると、踏み荒らされた道を有髪の若い坊主が歩いてくるところだった。 「終わったか?」 焼かれた田や家々に目を遣りながら問う。泰明は流紅へ一礼すると、常盤の方へ駆け出した。 「怪我人の誘導をお願いします」 「おう、任せておけ。坊主が役に立てるのはこれくらいだ」 「賊を追った者から何か報告が来ているかもしれません。必要な物資の確認もしないといけないから、常盤殿は若君をお願いします。くれぐれも、危険なことにまきこまれないように気をつけてください」 常盤と流紅、両方へ言い置いて駆け出そうとしたところ、茜子が当然のように彼の後を追った。 「わたしも行く。怪我人の手当てくらいなら手伝えるわ」 「お前は家に帰って……」 足を止めて言いさして、泰明は言葉も止めた。ため息をついて、再び駆け出す。 「しかたないな。ひとりでうろつくなよ」 その彼を、遠くから呼ぶ声がする。声を上げてそれに堪え、動き回る人々の方へ向かう二人の背を見送っていると、おもしろがるような声が言った。 「やはり、居たな」 人々が、慌しく走り回っているのを尻目に、さして急ぐ様子もなく、流紅の方へ歩いてくる。 「おや、腕が腫れてるな。そちらの怪我の方は気がつかなかった。すまなかったな」 拍子抜けするくらいさらりと言って、にやりと笑う。その顔を睨み返す。結局常盤の思い通りになったのだろうと思うと、腹がたった。 そんな流紅に、笑いながら常盤が言った。 「お人よしが。本当に先へ進みたければ、子どものひとりふたり、蹴り殺してでも駆け続けろ」 「見てきたように言うな」 「お前が殺し損ねた子どもらは皆寺に避難しているからな。事情は聞きかじっている」 「坊主のくせに、物騒なことを口にする」 「寺が武装する時代だ。俺のことなど大したものではない」 常盤の表情は変わらない。そのままで、彼は言った。 「やはり、お前はまだ分かっていないな」 |