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※ 村は背後を山に包まれ、眼前に田が広がっている。村の横合いから、田を左手に、村を包むようにしてある山の木々を右手に見ながら村の中を歩いて行くと、突然まわりに歓声がわいた。驚いて目を向けるた先、彼らを見つけた子どもたちが駆け寄ってきていた。 「今日はどうしたの? 様子見に来てくれたの?」 まず茜子を掴まえて彼らは口々に質問し、彼女が笑いながらそれに答えると、今度は常盤を取り囲む。 「ねえ、いつ帰ってきてたの。今度はどこに行ってたの?」 「常盤さま! 今度来た時は、おもしろいお話たくさん聞かせてくれるって言ったよね」 口々に言う子どもたちに周りを固められて、袖や着物を掴まれていたが、常盤は困った様子もなく、いつもと変わらず飄々と言う。 「そうだったかな」 途端に子どもたちから不満の声があがった。その反応が楽しかったようで、常盤が大人気なく声を上げて笑うと、さらに子どもたちが不満の声を上げた。 しかしその様子はとても楽しそうで、流紅は驚く。 「よくあれになつくものだな」 「だって、常盤様っておもしろい人だもの」 簡単にひとことで言い切って、茜子は続けた。 「まず、村長のところに挨拶に行くわね。状況も聞けるし」 常盤を撒き餌のように子どもたちの中に残して、まだ彼女の方を見ている子どもたちに手を振りながら、茜子は村から少し外れた方へ向かって歩きだす。村の家々は決して一軒一軒が寄り添うようにして建っているわけではないが、それでも集落として固まって建っている。そこからほんの少し、他の家からは離れてある建物があった。彼女が向かうのはその家だ。 「村長の家は、他の家から少し離れてるのか」 「そうみたいね」 興味深く村の様子を見回していた流紅に、茜子が頷く。辿りついてみると、村の家々が、戸に蓆を下ろしただけの質素なものであるのに対し、長の家は大きく広く頑丈な造りで、そして戸口にきちんと戸板がある。 家の前に立ち尽くして止まった流紅を、茜子は不思議そうに振り返った。中に入ろうとせず、家の入り口やその周囲を見ていた彼は、茜子の視線に気がついて顔を戻す。 「やめておく?」 問う声に束の間迷い、頷いた。 「悪いが、少し、歩いてくる」 「分かったわ。でも、一人で遠くまで出歩かないのよ。すぐ終わるから」 笑いながら、小さな子どもに言い聞かせる母親のような口調で言う。それに笑いながら応えてから、流紅は彼女に背を向けて歩き出した。泰明が彼につけた護衛は、ちゃんとその後ろをついてくる。 先程は通り過ぎただけの家々の間を縫うように歩く。一見して村は悲壮感などを感じさせなかったが、時々家の中から人のうなり声などが聞こえてきていた。よく見れば、そこかしこで働いている人々の顔色もあまり良くないように思える。 家々の間を抜けて裏手に出ると、目の前の山は近い。青々とした木々が視界を覆っていた。村の方を振り返り、森のようになっている山を見比べて、流紅は護衛の人間を手招いた。 「すまないが、ここで少し見張っててくれ」 言われて、男は驚いたように、山に眼を向ける。 「何かあるのですか?」 「何もないが、とりあえず」 「しかし、あなたを一人にするなと山村様に言われております」 「どうせ村の中にいる。何かあれば呼ぶから来てくれればいい」 流紅の言葉に、相手も食い下がっては来なかった。大きな町をうろつくと言っているわけではないし、大声を上げれば村中に聞こえるようなところだ。 「わかりました」 「視界が悪いから、気をつけてな」 言い置いて、再びの応答の声を背に、流紅は再び歩き出す。村の外れを縁取るようにして、ぐるりと周囲を歩き、田の様子を眺める。田圃には、青々とした稲穂が風にそよいでいた。地べたに這い蹲れば、辛うじて身を隠せる程度には高さがある。 「ねえ、神宮さまの兵がいっぱい来るってほんと?」 突然話しかけられて、流紅は驚いて目を向けた。常盤にくっついてどこかへ行っていたはずの子供たちが幾人か戻ってきて、彼を見上げていた。気がつかなかったが、もしかしたら、村の中を歩いていたのもついてきていたのかもしれない。見慣れない人間がものめずらしかったのだろうか。 「もう大丈夫なの?」 子どもたちの大きな瞳が、不安そうに見上げてくる。流紅は地面に膝をついて目線があうようにしてから、問いかけてきた少女の頭を軽くなでて、笑みを浮かべながら答えた。 「大丈夫だよ。ちゃんと守ってくれるから」 つられたように少女が笑う。すると、唐突に別の子どもが声を上げた 「ねえ、茜子さんのお婿さんって本当?」 急に言われたことに、流紅は驚いて勢いよく振り返った。突然の相手の反応に、子供の方が驚いた顔をして流紅を見返す。 「なんだって?」 聞き間違えかと思い問い返すが、相手の子どもは口を閉ざしてしまった。それまで口々に何かを話していた子どもたちも、ぱったり口を閉ざしてしまう。何事かと思っていると、視界に黒衣が見えた。 「妙な噂があるって言っただろ?」 楽しげな声が耳を打つ。 歩いて来る常盤を見つけると、子どもたちは流紅の方を指しながら、口々に常盤へ訴えだした。 「だって、よく一緒に歩いてるの見るって」 「誰か知らないけど、泰明さまも仲いいみたいだからって、皆言ってる」 誰か身元も分からなくて、そのくせ泰明が丁寧に接していて、茜子といるのをよく見るというのなら、人々がそう結びつけるのも不思議はないのかもしれないが。のんきだなと思う反面、緊迫した空気が満ちたこの富岡の地の人々も、そういった状況の中ですら小さな楽しみを見つけるのだと思うと、たくましさが頼もしくもあった。 「流紅」 苦笑しながら答えに窮しているところに、名を呼ばれて顔を上げる。長と話が終わったのか、茜子が駆けて来ていた。子どもたちはそれをみて、したり顔で何やら話しだしている。それを不思議そうに見ながら、茜子は少しふくれた顔を流紅に向けた。 「あんまり遠くまで出歩いたら駄目だって言ったのに」 「すまない。村の様子を見たかったから」 「長に話を聞いてきたわよ。倒れて動けないのは五人くらいですって。まだ本調子でない人も他にいるけど、寝ているほどのことではないみたい」 「そうか」 そんなに多い数ではない。だが、そもそも人が多い村でもないようだから、少ないともいえないだろう。しかしそれくらいなら、長の家に入れそうだ。 「病人は、長の家に運び込んだ方がいいな。一所に集まっている方が守りやすい。村の人間の蓄えとかも、気になるようだったら長の家に預けた方がいいだろうな」 「危険だと思う?」 「念のためだ」 常盤と茜子が村の長にかけあい、病人の移送をはじめて間もなくだった。夏の長い日も、空の色を染め替えながら西の空に傾きだした時刻。 村の人間を呼び集めて、まず病状の重い五人は人の手を借りて運ぶ。自分で動けるが、働きには出られない程度の人も収容する。村の誰もが、何事かとは言わずにその指示に従って動いていた。 動転したような、大きな声が聞こえたのはそんな中だった。慌しく作業していた人々の上にも、その声は通っていく。素早く声のした方へ顔を振り向け、方向を確認すると流紅は、歩くのを手伝っていた病人を、別の人間に押し付けて走り出した。声がしたのは、見張りに立っているように、と流紅が指示した山の方。 流紅がたどり着く前に、護衛が慌しく駆けてきているのに会う。その背を追うように、突然沸いた喊声(かんせい)が辺りを包み込んだ。 「若君!」 護衛は、流紅の呼び名を知らない。だから泰明が彼を呼ぶのと同じように、流紅を呼びながら駆けてきた。押さえた肩に矢が刺さっている。 「賊です、山の方から!」 来たか。内心つぶやく。 「早いな」 もう、こんな村の子どもたちが、神宮の兵が来ることを知っていた。思ったよりも噂が広まるのが早かったのだろう。 「大丈夫か? まだ走れるなら、皆へ知らせろ。長の家へ行くか、何でもいいから武器を持って田の方へ逃げるように。走れなければ、田の中に隠れて大人しくしておけ」 「しかし」 「護衛なら必要ない。急げ!」 怒鳴られて、護衛は痛みに顔をしかめながら走り出した。その彼とは逆の方向、山の方へ駆け出そうとした流紅は、突然肩を掴まれて止まる。 「どこに行く」 振り返ると、黒衣の人が、夕日に赤くなりだした周囲から切り離されたように立っていた。その向こうを、茜子が駆けてくるのが見える。 「お前が行くのはそっちじゃない。泰明殿に知らせに行け」 「それなら、お前が行け」 流紅は常盤から目をそらし、辿り着いて足を止めた茜子に言った。それを、常盤が珍しく仏頂面で止める。 「お前はまだ分かってないな、次男坊」 問答をしている場合ではない。彼らの横を、手に手に鎌や鍬などを携えた、村の男たちが駆けていく。悲鳴や怒声が、村にあふれつつあった。立ち尽くしてる場合ではないというのに! 反論しようとした。けれども流紅が何を言うよりも前に、常盤が突然彼を突き飛ばした。自分の後ろに放り出すようにして、彼自身は流紅の前へ身を乗り出す。 よろけた流紅を慌てて茜子が支える。その手を振り払って、睨むようにして常盤を見返す。口を開いて何かを言う前に常盤は、懐から書物を出して目の前に掲げた。その瞬間激しい音がして、矢が突き刺さる。まだ読み終わっていないのに、と悪態をつく声が聞こえた。 「おい!」 「お前がそこにいると、俺も茜子殿も、身を呈してお前を守る羽目になるんだ。それくらい分かっておけ」 振り返り、常盤は流紅を見た。その向こう、村の男たちを蹴散らして賊が向かってくるのが見える。矢が、人を傷つけるのが見える。 「お前が行け、次男坊。何のために俺がついてきてやったと思ってる」 「わたしが行って、お前に戦ができるのか」 「そういう問題ではない」 分かっている。――分かっている。唱えるように思う。だから、この土地に留まったんじゃないか。だけど――分かっていないのかもしれない。分かりたくないだけだ。戸惑い、流紅は常盤を睨みつけた目を離し、彼らの問答を見守っていた茜子の方を向いた。息を大きく吐くと、常盤に向かって手を突き出す。 「火打を持ってるだろう」 「なんだって?」 「火打だ」 火をつけるための道具だ。富岡に帰ってきて、しばらく根を張っている彼が常備しているかどうかは定かではなかったが、旅慣れているのなら習慣で持っているかもしれない。 流紅の言葉に、常盤は何も言わずに小さな袋を差し出した。受け取って懐に収め、さらに流紅は常盤が持っていた本を奪う。突き刺さったままの矢を引き抜き、帯に挟むと、書物を開いて紙を数枚破り取った。 「あ、お前、勝手に」 「坊主が戦に口を出すな。お前たちは、皆を非難させろ。山の方へは行かせるな。風上へ走れ」 文句を言わせず、ぼろぼろになった書物を常盤の手に押し付けた。 「これくらい何とかできずに、領主が名乗れるか」 「お前は、本当に救えない大馬鹿だな」 「勝算がある。そうでなければ逃げている。わたしだって分かっている!」 言い置いて駆け出した。賊の方に、ではない。 手近な家へ駆け寄ると、入口にかけられた筵を乱暴に引き剥がす。家から駆け出てきて逃げ惑う人々を背に家の中へ駆け込み、筵を土間に投げ出すと、紙をその下に入れて火打を取り出した。 |