第四章






賭け






 一軒の家が、黒煙をあげて燃え出した。突然の火に、人々の目が集まる。次いですぐに、隣の家が火を噴いた。
「止まるな、逃げろ!」
 怒鳴る声に、人々は火から逃げようと風上へ駆け出した。風は、下から吹き上げるように、山の方へ向かって吹いている。しかも、火は次々に、村の家々へ燃え移っていた。山から駆け下りてきていた賊はたまったものではない。そのほとんどが火に追いやられて、いくらか山の方へ逃げていく。
 流紅は刀を抜いて、火の手が上がる前に村の中にまで侵略してきていた賊に応戦しながら、人々が逃げるのを手伝っていた。すでに田の方へ逃げ出した者は、後は体力に任せて走っていくだけだが、間に合わなかった者や負傷者は、村長の家に逃げ込んでいる。彼らを追い立てるようにしながら、流紅自身も村長の家を目指して走った。
 夕日と炎に包まれて赤く染まる中を走りぬけ、流紅が家に駆け込むや否や、戸口が閉められた。戸の脇に控えていた常盤の指示で、戸口の前に戸棚が持ってこられてさらにそこを塞ぐ。
「どうしてお前がここに来るんだ馬鹿者」
 常盤が言っているが、無視をする。
「急いで窓を塞いで!」
 すぐ近くで茜子の声がした。締め切った室内は暗い。夏の熱気と、外で燃える家々が撒く火の熱と、逃げ込んだ人の体温とで、ひどく蒸した。怪我人も多く、血の臭いでただでさえ空気が悪い。
 壁一枚、戸板一枚でさえぎられた向こうで、賊たちが荒々しく叫んでいるのが聞こえる。思わぬ抵抗にあった怒りの声は、たったそれだけの隔てで防げるものではなかった。そして、賊の攻撃も。今は火に気をとられているが、賊がこの家を襲撃し始めたら、きっとひとたまりもないだろう。
 広い土間に立っていた流紅が、刀を鞘におさめ、人々が身を寄せている部屋の方へ足を踏み出すと、突然声があがった。
「何故火をつける必要があったんだ!」
 暗い部屋の中で身を寄せている人の中、一人の男が叫んでいた。外で何が起きているか分からない、これから何をされるか分からないような状況で、困惑の捌け口を見つけた人の声は、怒りに震えていた。同意の声が、次々にあがる。
「狼煙がわりだ」
 流紅は短く答える。恐慌に包まれた人々に、何を言っても無駄のように思えた。それだけで分かる者もいるだろうが、明らかに説明の足りない彼の言葉に、再び苦情の声があがる。
「いったい狼煙がなんだと――」
「彼に文句を言ってどうなるの」
 弁解しない流紅を見かねて、茜子が口を挟んだ。
「兄さんが今どこにいるか知ってるの? あれだけ煙があがればどこにいても見えるし、人が走って探し回るよりも早いわ。壁にもなるし、時間を稼げる」
 賊は刀を持っている。人々の家は、そんなに頑丈な造りではない。崩して壊して、乱暴に鎮火させるのは難しいことではない。しかし、それまでに十分な時間がかかることも事実だ。逃げる人の助けになるし、泰明への合図にもなる。
「大事なものはこの家に運び込むようにって言ってたでしょ。家なら建て直せばいいわ」
 宥めるような、励ますような茜子の声に、ざわめいていた人々の声も、少し落ち着いたように思えたが。今度は別のところから声があがった。
「ここに燃え移ったらどうする!」
 近くで、やれやれという顔で常盤がなりゆきを見ているのが分かる。流紅は茜子が何かを言う前に、ゆっくりと答えた。――誰もが動揺するのは、仕方のないことだから。
「燃え移らない。ここは他と離れてる」
「しかし火を放たれるかも」
 また、別の声だった。
「賊は、物を奪いに来てるんだ。他の家が燃えてしまったら、目的はここしかない。わざわざ火を放ったりしない」
「それなら、ここにいるのは危険ではないか!」
「だから、戸口と窓を塞いだんだろう」
「そんなことで、どうにかなるのか。相手は武器を持っているし、今までたくさん村を襲ってるんだ」
 正論だった。長の家は他に比べれば頑丈なつくりだが、城であるわけではない。頑健な城砦だって、執拗な攻撃の前には門を破られる。
「長い時間持ち堪える必要はない。泰明は、今日の夕方には神宮の兵が来ると言っていた。もうとっくに来ていてもいいくらいだ」
 それがいつになるか分からないのが、唯一の問題だったが。
「まだ、来ないじゃないか!」
 流紅は、口をつぐんでしまった。答える言葉が見つからない。その彼のかわりに、再度隣りで声がした。
「じゃあ、あなたたちなら何が出来たの? 彼が判断して行動してくれなければ、こうしてここにいることだってできなかったかもしれないのよ」
 ――それは。
 人々の声が、少し低くなった。誰もが沈痛な顔で身を寄せ合い、不安の表情を見合わせている。だが、茜子の言葉が必ずしも正しくないことを、流紅は分かっていた。ばらまいてみるように、と泰明に言った噂話が、予想以上に早く広まっていたことを別にしても。
「神宮家は何をしているんだ」
 ちいさなつぶやきが聞こえた。神宮は、彼らを守る盾のはずだった。その救助の手が遅れ、こうした事態になっているのを恨むのは、当然のことかもしれないが。
 流紅はただ、口を閉ざしている。茜子が彼に何かを言おうとする前に、外で動きがあった。賊が声を張り上げて何かを叫んでいる。先程までの騒々しさとは様子が違い、しかも近い。
 明らかに、野次だった。そして怒号。そんなものをこちらに向ける余裕があるということは、もう鎮火されてしまったのだろう。観念して出て来いとひときわ叫ぶ声があって、流紅はくるりと踵を返した。
「おい」
 黙って見ていた常盤が、問いかけるような声をあげる。そのくせ、確信が滲んだ声だった。進むには目の前の戸口を塞ぐ物と、その脇に立つ常盤を退けなければならないのが分かっていたから、流紅は低い声で応えた。
「交渉に出る」
「それなら、俺が行く」
 事も無げに常盤が言う。
「名無しのお前が出て行って、何が出来る。同じ名無しなら、俺の方が口が回る。殺されてもさほどの支障はないだろう」
 目を向けると、薄明かりに溶けるようにして立つ坊主は、呆れ顔をしていた。
「何度も言わせるなよ。ここでお前に何かあれば、最低山村の家のことだけを考えても、泰明殿はとりあえず死んでわびるくらいはしなければならない。それですめば良いがな。この国がどうなるかを考えれば、話はもっと悪い」
 戸を塞いでいた棚に手をかけていた流紅は、目の前の問題と、彼が抱える問題とを提示されて止まった。周りの人間が、一体何を言っているんだと、問うような目を向けているが分かるが。
「平常時、領主が何にも増して優先すべきは、己の命だ。投げ打っても良いのは、有事の際のみだ。それまでは、何が何でも生き延びて、民のためにあくせく働くものだ」
「いまのこれは、有事ではないのか」
「笑わせるな」
 常盤は、一言で切り捨てる。
「山村家にとっては有事だが、神宮家にとっては些事だ。この村ひとつ程度の存続とおぬしの命をはかりにかけたら、どちらが重いかは考えるまでもないだろう」
 戦の折、領主の命ひとつで、和睦にもちこめるようなことは珍しいことではない。命を捨てて、その土地と人を相手に明け渡す証明にする。国を贖える命。国を賭けられる命だ。
「お前はここで死ぬわけにいかない人間だ。お前はこの家の奥に隠れて、誰を盾にしても、生き残る最後の一人にならなくちゃいけない」
 ――分かっている。
 例え目の前で誰が死んでも、自分は生き延びろ。そう言い聞かされて育ってきた。
「それがいやなら、最初にとっとと逃げておくべきだったんだ。本当に馬鹿だな」
 それはただ単に、最初に見捨てて逃げるか、後で盾にするかの違いしかない。どちらにせよ、見殺しにすることに変わりないのは、確かだったが。結局最後に迷うのなら、常盤の言葉は正しい。
 分かっている。本当は。自分がどれだけ矛盾を吐いているかも。目の前の物事も、流紅の肩にかかったものも。
 ――そして、兄が捕らえられたということが、立派な「有事」であることも。命を投げ打つべき、有事であること。命を投げ打とうとし、自分を見捨てろと伝えたあの人の方が正しい。そして決断した父は正しい。
 兄一人の命と、民すべての命を比重にかけるのか。
 神宮が彼の命に固執すれば、それは神宮の民の行く先を左右する道を、悪い方へ導くことになりかねないのに。流紅が、兄のためだと駆け出して、その不在が他国に知れるだけでも国の威信をぐらつかせることになるのに。目の前を見れば分かるように、今だって十分に危うい、それを。
 助けられると決まったわけでもないのに、そのために命を賭けるのか。国を賭けるのか。
 ――今ここで、目の前の人間たちのために、命を賭けるのか。十数名の人。それと、国中に住まう人間を、秤にかけるのか。
 もしはじめから、流紅が名乗りをあげていれば。この土地に留まると判断した時に、神宮の人間が来たのだと知らしめていれば。
 今富岡に向かっているのだという救援の軍は、もっと先を急いだだろう。もうとっくにこの土地に辿り着いていただろう。これ程の被害がでることもなかった。それ以前に、神宮の威光を恐れた賊が、勝手に逃げ出した可能性もある。そもそもこんな状況にはならなかったかもしれない。
 ――――でも、だからと言って。
 思考は、堂々巡りを繰り返す。兄を助けたかった。でも神宮の民を見捨てられなかった。でも、悪あがきがしたかった。そして問題は、振り出しに戻る。
 だけども――民も兄も、簡単に見捨てられるわけがない!
 叩きつけるように思う。しかしながら流紅が何を言う間も、行動をする間もなく、外から戸を殴りつけるような音が響いた。戸板の前におかれた棚が、弾けるように動いた。常盤が流紅を後ろへ引っ張って退かせ、慌てて人々が棚を押さえつける。悲鳴があがった。恐怖に満ちた室内とは裏腹に、外で哄笑が聞こえる。
 そして流紅の耳は、その中をついて、また別の音を聞いた。何かが空を裂く音。気のせいかと思ったが、再度同じ音がした。甲高く細く笛のようだったが、もっと鋭い。
 流紅は前へ踏み出すと、ゆっくり言った。
「外に出る」
「馬鹿を言うな!」
 戸を抑えている一人が、叫んだ。今手を離せば、間違いなくこの戸口が開いて賊が押し寄せてくる。何を考えているのだと、その声は言っていた。
 しかしながら突然、外で再び喚声が沸いた。賊の怒号とは違う。何事かと再び人々は困惑していた。恐慌におちいるという寸前、渾身の力で戸を抑えていた人々は、叩きつけていた音がやんだことに気がついた。手ごたえが何もない。かわりに、矢が壁に突き刺さる音がする。
「そこをどけ、外へ出る」
「この音が聞こえないのか。外は矢の雨だ」
「弓を止めろ!」
 口をさしはさんだ人には応えず、外に向かって叫ぶ。すると戸惑うように弓矢の音が少なくなり、やがてぱたりとやんだ。人の声は、まだあふれているが。
 信じられないものを見るように、目の前で戸を抑えていた人々が彼を見た。流紅が前に進むと、彼らは慌てて戸を抑えていた棚を退けて、逃げるようにその場を退いた。



 村長の家を、賊が包囲している。それはいつか見たのと同じように、髪を乱してぼろぼろの鎧を着て、抜き身の刀を下げた男たちだった。数は決して多くはないが、彼らは失うものをもう持たず、ただ奪うことしかできなくなった人間だった。
 賊の背後を包み込むようにして、鎧を着た兵がいる。弓を構えた者たちが賊を狙い、その前で刀を構えた兵たちは、兵の包囲になかば唖然としながらもがむしゃらに刃向かってくる賊たちに応戦していた。その軍の中に、馬に乗った武者が数人見える。
「若君!」
 戸口をくぐりぬけて、赤い夕日に包まれた情景を見渡す。流紅を見つけて叫ぶ声が、怒号の上にひときわ大きく聞こえた。泰明だ。声の出所を探して馬上にそれを見つけ、そして流紅は泰明の隣りに知った顔を見つけた。
 その間に、周辺の人間の目が自分に向かって来ているのが分かっていた。兵の目も賊の目も、後ろの人の目も。
「尊芳、やめさせろ」
 増援を率いてきた将へ、無造作に言い放つ。尊芳はそれに応えて兵へ命令を叫ぶ。賊が向けてくる刃に対し、彼らはただ盾を構えた。しかしながら武藤家の若者がそれを言うまでもなく、流紅が何を言うまでもなく、争いの波は徐々に引いていた。
 問うような視線が向かう。奇妙な緊張と静寂が満ちている。
 火は鎮められたはずなのに、落日がまだあたりを赤く照らしている。神宮の兵の、赤の揃えの鎧が染みるようだった。
 流紅は唇を開いて、朗々と声を上げる。
「現神宮当主、神宮嘉銅(ひろたか)が第二子、流紅という」
 一挙一動を人が見守っている。見張っている。それは、決して今に始まったことではなかったが。改めてその意味を思う。その重さを、思う。目の前の光景を心に刻み込む。賊の姿、村の姿。
「神宮の家を敵に回したい者がいたら、得物を持って名乗り出ろ」
 戦場ではない。賊が行儀よく一騎打ちに応じるわけもない。これはただ、殺せるものなら殺して見せろ、と。力を見せ付けるためだけの言葉だった。
 賊たちは、降って沸いた立て続けの出来事に、まだ困惑から抜け出せないようだった。突然囲まれて反発した時とは違い、改めて周りを完全に取り囲んでいる兵たちを見て、その数の多さを、この土地にいる兵たちとは比べ物にならない歴然とした差をはじめて思い知らされた。そしてそれを、一声で従える人。
 神宮家を侮っていたはずの彼らは、そのことすら忘れ果てたようだった。もう最後の足掻きすら放り出して、手にしていた刀を次々に落として行った。



 やれやれ、と後ろで声がして、流紅は室内を振り返る。平伏する人々は、むしろ腰を抜かしたように見えた。
「鏑矢か」
 茜子とともにその中に立っている常盤が、呆れとも感心しているともとれない声で言う。
「古風だがな。合図には使える」
 流紅が聞いた笛のような音は、矢の音だった。空洞があり、射れば、虚空を飛ぶときに笛のような音をたてる。彼らのずっと前の時代には、開戦の合図に使ったものだ。未だに神宮の兵は合図などにも使う。
 賊を捕縛している兵たちの方へ歩き出すと、その間をぬって泰明が駆けてくるのに気がついた。流紅が何を言うよりも前に、泰明が大きな声をあげる。
「ご無事ですか!」
「何もない」
「申し訳ありません、もっとちゃんと護衛をつけてあれば……」
「勝手にうろついたわたしが悪いのだし、お前がつけた護衛はちゃんと役に立ってくれた。矢傷を負っているはずだが」
「道中会いました。急ぐので、手当てに幾らか兵を残して置いてきてしまったのですが」
「ちゃんと労(ねぎら)ってやってくれ」
 言って顔を上げる。兵に指示を与えていた尊芳が、彼らの方へ向かってくるのが見えた。彼は流紅の元へ来ると、足元に膝をついて頭を下げた。慌てて泰明が同じように膝をつく。
 流紅は尊芳を見下ろして言った。
「お前が来るとは思わなかった」
 困惑顔をあげて、神宮家の重臣は応える。
「いらっしゃるとは思いませんでした」
 彼が知らないということは、やはり父は追っ手を出さなかったのだろう。
「泰明に口止めしていた」
「おいでになっていたのなら、おっしゃってくださればよろしかったのに」
「極秘だったからな」
 苦笑する。
「もともと、わたしが領内視察に出かけるのは父上の意志だから。内実を探るために、極秘に来ていた」
 まだ尊芳は、納得できない顔で流紅を見ている。さすがに彼は神宮の人間をよく分かっていた。そして泰明を問うように見るが、見られた方は平伏するのに必死で、まったく気がついていない。
「存じ上げず、遅くなりまして申し訳ありません」
「まったくだ」
 尊芳に非はないが、つい本音がもれた。もう少し遅かったら、どうなったか分からない。最悪、常盤の言うようなことになっていたとも限らなかった。
 流紅は小さく息を吐くと、ついでのようにつぶやいた。
「父上に連絡を」
 その足元で、ひれ伏した人の声が、御意、と短く応える。








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