|
まず場所を移るように言う将たちの言葉に柳雅も、血にまみれた姿をどうにかするため大人しく引っ込んでいた。彼を他の幕屋へ招き入れ、もといた幕屋をとりあえず片付けるよう将たちが指示を出す。手引きをした者がいないか、他に仲間らしき者が潜んでいないかの捜索がはじまり、辺りはにわかに騒がしくなった。 「あまり夜中に物々しく動くな。敵に動揺を気取られる。本條の仕業であれ、そうでないにしろ、陣内が浮き足立っているのを気取られるわけにいかない」 そう言いおいた柳雅の言葉がなければ、煌々と松明がたかれ、もっと仰々しい捜索が行われていただろう。外はとりあえず、声が行きかい、いつもよりも少し多い火が辺りをうろついている程度だった。陣営を敷いたばかりの夜だから、そのせいでざわついていると取れないこともない。 柳雅の言った通り、紅巴にも当然疑いの目が向けられたが、彼自身が何もしていないことは、 ついてきた見張りが証明している。そもそも、行軍中ずっと人に見張られ、何か指示を出すときには必ず柳雅や別の将を通さなければならなかった紅巴に、外部と連絡をとることができるわけもない。 陣内の探索には邪魔にしかならない紅巴は、無理矢理にも自分の幕屋に押し返されていた。 することもなく、騒がしい周囲に反して何をすることも出来ず、紅巴はただ寝具の上に座り込む。体力がないのは分かっているから休むべきなのだろうが、不穏な気配に、そして思い至る不穏な物事に、意識が覚えてしまっていた。 ただ頭の中で柳雅の言葉を繰り返し考えている。 柳雅の命を狙う者など、当てがありすぎて分からないのは事実だ。一番考えられるのは、本條の手の者。彼らが現状を打破するには、大将たる柳雅を狙うしかないところまで追い詰められているのも事実だ。そして、まわりの国々。戦に乗じて何かを仕掛けようとするのは考えられることだ。そのどちらかが飛田の兵に紛れこんだのかも知れない。度々攻撃を受けたことを考えると、本條の民でないとも限らない。――そして、飛田の臣。他国にそそのかされたか、柳雅へ思うところがあるのか、内輪の人間が行動を起こさないとは断言できない。飛田は恨みを買いやすい。考えれば考えるほどそういった可能性が浮かんでくるのだから、彼自身が言う通り、どうでもいいことなのかもしれない。 思いを巡らし、そうした理由で柳雅が狙われるのなら、数日後に到着する飛田の当主も、同様なのだと考える。 紅巴は押し込められた白い室内、周りを駆け回る足音を聞きながら、戦の前の出来事を思い出していた。 紺碧の空に、冴え冴えとした月の浮いた夜だった。 ほぼ出陣前夜、とも言える日にも、飛田の当主は何を思ったのか、月見の酒に紅巴をつき合わせていた。 「お前を陣頭に立てると言った時の皆の顔を見たか」 酒を手に、くつくつと笑いながら、目の前でおとなしく相伴している紅巴に言う。言われた方は笑みを返しながら、反対の声だらけでしたが、と静かに応えた。 「陣頭と言っても、実際には柳雅殿が率いていかれるわけですから」 「みすみす弟を、敵の前に立てて、殺すつもりかと言う意見も出たな」 戦ともなれば、何が起きて誰が倒れるとも限らない。その混乱の中に、神宮の人間と共に飛田の人間から柳雅一人を行かせるとなれば、そう捉える者がいても不思議はないだろう。それだけの前科が、飛田の血にはある。 「いくらなんでもそれではあからさま過ぎると言うものだ」 そのつもりだともそうでもないとも言わず、柳祥は笑っていた。 「軍陣の血祭りにしてしまえなどとも言っていたが」 出陣の際、勝利を願って行う儀式がある。簡素化されつつあるそれの中でも、昔から行われるのが戦の前に捕虜を斬首する「血祭」という行為だった。首を晒し、軍神に供えたことにする。同時に、その血なまぐさい行為は、敵方への威嚇となる。――今回、敵となるのが神宮家でなくとも、その残忍な行為は確かに、本條への威嚇となるだろう。 そのいかにも飛田家らしい、戦国らしい風習に自分自身が持ち出されているというのに、紅巴は穏やかな態度を変えない。それが、飛田の臣にとってはかえって気に障るものもあるようだったが。常に追い詰められた状況にあるくせに、悠然と余裕を失わない態度は、相手を侮っているように、とられることもある。何かと紅巴に構う当主への不満も、そちらへ向かう。笠に着ていると思われることもあるだろう。 それすらもやはり、紅巴の表情を変える事はなかったが。彼は笑みながら、残忍な言葉に応える。 「あなたご自身は、どうなのですか? わたしと二人でこうしているのも、臣のどなたもいい顔はしないでしょう」 「わたしのすることに口出しはさせない」 余計なことを言うなと、その顔には書かれている。眉根を寄せて盃を煽ると、柳祥は空になった盃を物憂げに見る。 紅巴が徳利を持ち上げると、彼は盃を差し出して紅巴のほうへ顔を向け、再び笑みを浮かべた。悪巧みを思いついたような顔だった。 「神宮の方からは何かと次男の名を聞くが、お前の方が価値があるようにわたしには見える。神宮の人間は、皆目が悪いのか」 「わたしは脇腹ですし、あなたは弟を知らないからそうお思いになるだけです。体が強くないのだって、当主としては良いことじゃない」 「確かに、白蛇に来てからも何度か寝込んだな。おかげでこちらとしては随分と楽だったが」 だが原因はそんなことじゃないだろう、と彼は言う。 「お前が、神宮の人間らしくない、というだけの話ではないのか? 神宮の人間は、体力自慢で能天気なのが血筋だろう?」 家臣の多くが流紅の味方をするのは、あるいはそうなのかもしれない、と思った。紅巴が好んで表に立とうとしなかったのもあるかもしれないが。 「弟を憎んでいると言ったな」 「ええ」 「本心か?」 念を押すような言葉に、紅巴は真意を窺って柳祥を見た。 「お疑いですか」 「情に厚い神宮の人間が、弟を殺せるのか」 そう言ってから、ああ、と柳祥は何かに思い至ったかのように続ける。 「憎んでいるということは、すでに殺したいと思ったことがあるということかな」 飛田の人らしいことを、楽しげに問う。 紅巴は、酒に酔っていても雅やかに見える飛田の血筋の人を見ながら、神宮の人との違いを考えていた。そして問いかけに対して、不意をついて言葉が口から落ちた。 「――憎まないわけがない」 神宮に属する人間に対してなら、絶対に言うことなど出来ないもの。思わずのものであっても口から零れ落ちることなどなかった言葉だ。それは、いつかも柳祥に対して言ったのとは違う。あのときのような、内面を繕った表だけのでまかせではなかった。 今はまったくそんなこともないが、小さな頃は、側室の子だということで、惨めな思いをしたこともある。流紅を恨んだこともある。まだほんの子供の頃のことだけども、ふとそんな頃のことが思い出されて、卑屈で惨めな自分のことばかりが浮かんでは消える。 妬まないわけがなかった。正室を母に持ち、強い心と体を持って生まれ、誰もに望まれてそこにある弟を。 ――実際に、殺してやりたいと思ったことなど、何度もある。 何度も、あった。 それは事実だ。 ぽつりと応えた紅巴を興味深げに見て、飛田の当主は言う。 「そういうことだな」 妙に納得した様子で、柳祥は唇を吊り上げて笑った。そういう表情をすると、柳雅とよく似ている。 だがやはり、常に挑発的な柳雅に比べ、飛田の当主は、ある意味そういった前へ向く力が、彼よりも少ないように思えた。前へ向くというのはこの場合、あくまで内に向かってではなく、外部の人間に向かって、という程度のことだが。 「わたしは、身内のほうが怖いな」 それは彼も、決して飛田の人間には見せない感情だろう。弱さを見せると、途端に食われる。 しかしながらその言葉に、すべてが要約されているようだった。 |