|
慌しく人が走っていく。馬に飛び乗って駆けていく者が多い。事の顛末を他に知られるわけには行かないから、これでも控えめで偽装などもしているのはわかるが、それでも普段よりも人の出入りが多いことは否めないだろう。唐突に。 そして例え、城内がその動きを隠そうとしていても、やはり内に宿った空気は急に熱を帯びたようになった。 「前に竹寿殿が来た時から、戦の準備はしてあったんだ。父上は意地が悪いだけだよ」 城内を、門の方へと連れ立って歩きながら流紅が言う。 「だろうな」 竹寿は、苦笑交じりに受けた。そうであってくれなくては困る、とつぶやく。その思いは半ばの確信と、残りには願いがこもっていたのだろう。結局竹寿も気づいたに違いないが、石川家の思惑通りに神宮の当主が動いていたのでなければ、知らせもなく神宮の城を尋ねた竹寿との会見に、臣があれだけ集っていた説明がつかない。 神宮当主はともかく、と。隣りを歩く流紅に顔を向ける。流紅は、滞在を勧める神宮に対し、急いで準備をしなくてはならないからと、折り返し領地へ帰る竹寿を門まで見送るつもりだった。 「何かわたしの申し出は気に食わなかったか?」 弾かれたように竹寿の方へ向いた顔は、驚きの表情を浮かべていた。竹寿の肩越し、陽光の中にある、桜花城の中庭が見える。陽だまりの庭には、生憎花が見えない。 「いや」 自分の反応に、相手の問いに、流紅は苦笑してみせる。 「父上が決めることだ。わたしが口をはさむことじゃない」 事実だ。けれども夏の頃からの流れで、いよいよ近いうちに神宮の当主がその座を息子に譲り渡すつもりなのだということは、誰の目にも見て取れることだろう。代が替われば、当然多少は国内もぐらつく。しかし実際に、もう一人を切り捨てたと言う事実を証明するにはそれが一番の方法であって、揺ぎ無く立つ姿を見せるには効果がある。そして、若々しい力は、邦民を、臣を鼓舞する力になるだろう。 自分で否定しながらも、声には生彩がない。自身でそれを悟って、流紅は更に眉間に皺を寄せて口を閉ざしてしまった。竹寿が笑みを浮かべた。 「政略結婚が気に食わないか。妹には、会ったことがなかったか?」 「城で世話になっているときに、何度か」 のんびりとした、穏やかな少女だったと記憶している。竹寿同様、石川の前当主にとって遅くに生まれた姫君は、城の人間に大事に守られて育ち、時々少し苦笑してしまうくらいに無邪気な性格だった。確か、流紅より一つ年下になるはずだ。 政略結婚が気に食わないなどというわけでない。最初から、そういうものだと分かっていた。竹寿の妹姫だってそうだろう。 「でも、気に食わないとかじゃなくて」 「何か障りでもあるのか?」 竹寿は、更に小さく笑いをもらした。彼の全身を、これから始まる物事への責任に対する別の緊張が覆っている。けれども、神宮当主に会う前の緊張に包まれた様子とは違い、その笑みには親しみとからかうような響きがあった。 言外に問われたことに、流紅は少し頬をふくらませて見せる。 「石川家と、神宮家と、飛田家と、これにすべての命運がかかる。わたし個人の考えなんて、握りつぶすべきなんだろう?」 「うちにいた時には聞いたことのない言葉だな」 竹寿の前で、兄を助けに行くと無茶をわめいたのを思い出す。 「わたしだって、少しは学習するんだ」 憤慨して、ふん、と鼻息を吐いて言うと、意外にも笑いながら竹寿は同意してくれた。 「だろうな。前と顔つきが違う気がするよ」 「どう違う」 「ちょっと精悍になったな。ちゃんと色々悩んでるように見える」 それなら、前はどれだけ脳天気だったと言うのだろう。笑い含みの声に、流紅はますます憤慨して口を閉ざした。それを見て竹寿はますます笑ったが、ふいに彼の表情から軽いものが消えた。笑みだけを残して、目には真摯な色を乗せて、流紅を見た。少し自嘲しているようにも見えた。 「政略結婚などと言うが。ただ服従の証に血縁をさしだす我が家の方が立場は弱い。さっきも言ったが、正室にしてやってくれと言っているわけではないぞ? もちろん、どうせならそうしてやってくれた方が兄としては安心だがな。気にかかることがあるのなら、無理にとは言わない」 流紅も大きく息を吐いて、表情を改める。 「そういうわけには、いかないだろう。正室にと望みたい女が、身分低い場合は」 顔をうつむけて小さく笑った。 例えば武藤家など、神宮でも有力の家柄の娘なら、竹寿の言うことも通るだろう。だが勢力が劣るとは言え他国の領主の姫君を差し置いて、小さな武家の娘を正室に据えることは、どう考えても問題だった。竹寿がどう言おうとも、石川の家臣はいい印象を持たないだろう。そもそも石川にはこの話に反対している者も多いだろうに、これ以上、少しでも争いの種になるようなことは、避けるべきだ。 分かっていたことだ。繰り返し思う。だから、自分から女性に目を向けないと決めていたのだ。なのに――結局、どうするつもりだったのだろう。 「それなら、わたしがこう言うのは難だが、側室に迎えてやればいいじゃないか。神宮の人間の側室だ、正室にはなれなくても、これ以上ない栄誉だろう」 そうかもしれない。普通ならば。 武家の結婚は、家同士の契約でしかありえない。嫁はただの人質で、間者で、子をなすための道具でしかない。――当主にとっての大きな仕事のひとつは、子孫を残すことだ。 どちらにせよ、望んだ相手一人きりを、傍に置くことは不可能だった。 「わたしはまだ考えが甘いんだ」 流紅はただ苦く笑う。前言撤回などしていない、と言われたことを思いだす。その通りだ。まだ優柔不断にも、あがこうとしている。 「できれば、自分の子どもにはわたしたちのような思いをさせたくない。だから、迎えるなら正室が一人でいい」 兄がいなければと思ったことはない。父の側室である桔梗の方(かた)は良い人で、早くに母を亡くした流紅と桃巳に対して、本当の母親のように気遣ってくれる。――でも、神宮家が神宮家としてある以上、絡んでくる問題は、あまりにも重過ぎた。 例え腹違いでなくても、同じような問題は起こるのかもしれない。けれども、要因になりそうなものくらい、最初から避けて通りたい。 「わたしは、今はまだ他のことは言いたくない。兄上が帰ってくるなら、石川家と契約するのは、兄上でなければならないんだ」 そして、続けて言葉を落とす。冷たい風を受けて、冬枯れた庭に目を向けて。 「今ならまだ、春に間に合う」 「今度の観桜宴か?」 竹寿の言葉に、頷いた。賑やかで華やかで、そしてしめやかで儚い春の宴。思い浮かべて、そして苦笑する。 「自分が選びたくないから押し付けるのかなどとは言ってくれるなよ、さんざん言われてきてうんざりしているんだ。ただ兄上と話し合って決めるくらいは、したい。まだ可能性があるのなら、その前に決めてしまう必要はないと、思う。どうするべきか分かってる。でも今は、どうしたいか、のほうが強いんだ」 ――帰ってくる。 真意を問いたい相手。飛田に加担したという兄の真意を問う機会を用意すると石川が言うのなら――どんな手順を踏まなくても、戦場で接触することになるのは確実だろうから、助け出す機会はあるだろう。父が何を言おうとも、懸念することがあっても、やっと、そのために動き出せる。皆が動いてくれる。その事に、確かに気持ちが高揚した。そして話を詰めるうちに、現実に動き出す人々を見ているうちに、喜びが大きかった分不安も大きかった。 またこの土地に彼が立つ。そこに至るまでの、間に横たわった物事を考えると、気が重くなる。この計画が飛田家に知れたら。神宮が動いていることで、紅巴が疑われたら。彼自身が拒んだら。そして、戦場で失敗したら。 「紅巴殿のことを餌にしておいてなんだが、今おぬしを頭にまとまりかけている神宮の家をまたひっかきまわすことにならないか」 黙りこくってしまった流紅に、遠慮がちに竹寿が言った。それは、人質の問題が出てきたときに、話題にのぼったことだ。――不在になった方が、当主になる権を失う。自然と人は、遠くの人よりも、留まってくれた人の方へと集う。その人が何か不始末をしでかしたら、遠くの人を思って「あの人なら」と嘆くのだとしても、目の前の手の届く範囲にいる人にすがる。 「――それでも」 「神宮の人間に、娘を差し出してくる相手は多いだろう? 家を守り立てていきたいと思うなら、たとえ当主を継ぐことがなくても、断ることなどできんだろうに」 「それでも」 期待すればするだけ、叶わなかった時の落胆は大きい。だから、最悪の予想を常に用意しておくべきだと思う。でも、先の望みを浮かべる心を、止められない。 わたしの願いはそんなにも、大それたものかと、問いたかった。竹寿にではない。父にでもない。ただ、誰かに。 家族がいて、隣りにいてほしいと思う人がいて。ただ、笑って暮らしたいだけなのに。 やるせない思いに捕らわれかけ、流紅は不意に笑った。奔放に歩き回って、きっと相変わらずの生活をしているだろう少女を思い出すと、なんだかおかしかった。 「わたしがどれだけ悩んで状況をどうにかしたところで、相手に忘れられてるってこともあり得るけどな」 「なんだそれは」 「慌しい奴だからな。実際わたしのことをどう思っているのかもよく分からないし、当主の妻なんていやだと言いそうだからな」 再び竹寿が、なんだそれは、と問うが、流紅はただ笑っている。 もし石川の姫を側室にして、無理矢理にでも彼女を正室にすえることにでもすれば、惰性でないことは証明できるだろうか。でも例えできたとしても、心底怒られるだろうということは、想像に難くなかった。 そしてもし兄が本当に無事に帰ってきて、紅巴が石川と取引をすることになって、それで迎えに行ったらどうやったら惰性などではないことを証明できるのだろう。 そこに至るまでの道は、暗い。けれどもその先を考えることで、少しだけ気持ちが救われるような気がした。馬鹿馬鹿しく、ささやかな問題ですら、目標になってくれることを強く願った。 |