第五章






誓い





 石川家が前面に出て動くとは言え、流紅が前線に出て護衛がないわけにもいかず、そもそも参戦するのに護衛程度で済ませるわけにも行かず、結局神宮家も一軍を動かすことになる。慌しく戦へと向けて本格的に動き出した神宮家だったが、実際の準備は、竹寿に言った通りにずっと前から進めていた為と、迅速さが必要になる事態だった為、竹寿が去って幾日もしないうちに流紅も桜花を発つ事になった。飛田に察知される前に、夜通しかけて石川領内を通過し、戦場となっている場所に辿り着かなくてはならない。
 兵を動かすのは、本拠地桜花からではなく、国境近い場所からだった。桜花を発つのは流紅と目立たない護衛程度の兵なので、桜花の城の城門内に集う人々は、決して多くない。
 しかしながら国境近くにあたる土地を治める人間が、慌しく桜花に集まっている。指示を仰ぐためと、流紅を迎えに来たのだったが。
 門前に収集された人馬と荷の様子を見に来た流紅は、決して多くないその人々の中に知った顔を見つけて少し驚いた。
「どうした。お前も招集されたのか」
 慌しく走り回る人々の中、泰明は、どこか途方にくれたような顔で、その中に佇んでいた。
「あ、若君」
 泰明は、いつものように大慌てで膝をつこうとする。流紅はそれに笑いながら、いつものように彼を止めた。
「こんなところで礼などしたら皆の邪魔になる。お前はいつもそそっかしいなあ」
 彼らの横をすり抜けて、慌しく荷を担いだ人々が通り過ぎていく。門前に準備を整えつつある中に、地面に膝をつく人間など邪魔でしかない。
「……そうですか?」
「不服そうだな。わたしには言われたくないって言うんだろ」
「いえ……あの、そういうわけじゃなくて。いつもわたしが茜子に言っていることだったので」
 なるほど、それは複雑かもしれない。
「皆は元気か?」
「元気すぎて困るくらいですよ」
 流紅の言う、皆は、の言葉が主に茜子を指している事が分かっているのだろう。泰明はため息混じりに答える。
「実は、茜子に縁談が持ち上がったんですよ。……持ち上がったと言うか、わたしが武藤様に、なんとかいい縁がないかと泣きついたんですけど」
「……それは知らなかった」
 驚いて目を見開く流紅を横目に、再度深く息を吐いて、泰明が続けた。
「ばれないように、こっそり話を進めてたんですけど、それはもうあいつは勘がいいですからね。怒るわ暴れるわ数日行方をくらますわで、大騒ぎで手ひどく突っぱねまして。武藤様のお屋敷に殴りこむなんていうものだから、結局とりやめにしたんですけど」
 実際にやりかねないから恐ろしい。槍や長刀の一つや二つ持ち込んで、玄関先で大立ち回りをするくらいはやらかしそうだった。知らず笑みがもれる。
「何か言っていたか」
「……何かって?」
「突っぱねた理由」
「理由なんて、必要ですか、あいつに。ただ単に家に、嫁いだりしたら今までのように行かなくなるのが嫌なだけですよ」
「そうか」
 少し不服に思って、流紅はそう一言返した。気づいているのかいないのか、泰明は肩を落としたまま力なく続けた。
「この土地で生きて死ぬのがいいんだ、なんて言ってましたけどね。できるわけないじゃないですか。いい年した娘が嫁の貰い手もなくて、わたしはもう頭が痛くて。このまま……」
 何かを言いさして、止まる。どこかぼんやりした顔で視線を宙に浮かべ、それから少し険しい表情になったので、流紅もさすがに驚いてしまった。お人好しで、振り回されてばかりで、心配ばかりしている泰明が見せたことのない顔だった。
「泰明は、いくら家の体面があるからって、茜子の意志を無視して無理矢理縁談をまとめてくるようなことはしないだろう。何か、あったのか?」
 問われて、初めて泰明は自分の表情に気づいたようだった。大慌てで、すみません、と言いながら動転している様子を見て、流紅は冗談交じりにわざと少し渋い顔をして見せた。
「まさか、この戦にもついて来るって言ってるんじゃないだろうな」
「まさか、それはさすがに。今回はほとんど隠密行動ですし、大急ぎでの移動ですから、軍以外は動かさないものだと聞いていますし」
 大抵の戦は、茜子の言った通り飯炊きのための人手や、荷物を運ぶ人間、さらに戦場へ物売りに来る商人がいる。さすがに、飛び入りになる今回はそれもない。
 多分、言い出しはしたのだろうなと思い、止めようとした泰明の苦労を思うと、悪いと思いながら少し笑みがうかぶ。
「あれから碌に礼も出来なくて申し訳ない」
「何をおっしゃいます。若君は、あちこち駆けまわったり、ご当主の補佐をなさったりと、お忙しかったのですから」
「そうは言っても、せめて家の方からでも何かできればいいんだが、わたしがお前のところにやっかいになっていたのなんて非公式だから、表立って何の礼もできなくて」
「そんなもの、必要ありませんってば」
「お前は、お人好しだよなあ。こういうことは、利用して出世しようとか考えそうなものなのに。わたしが領内を回っている間だって、娘を差し出そうっていう親は多かったし」
「わたしなんてまったく若君のお役に立てませんでしたし、娘を差し出そうにも、差し出せるような気の利いた人間はいませんので」
 泰明は、茜子が流紅を逃がそうとしたことも、彼らの間にあったことも知らない。茜子がまだ何も言っていないのなら、知らないままのはずだったが。――もし、知っているのなら、もっと違う受け答えをしただろう。逆に、分かっているからこその言葉だとも受け取れるが。縁談の話を持ち出したのだって。
「若君」
 考え込んでいると、泰明が少し困ったような顔をして流紅を見ていた。呼ぶ声に応えて眼差しを向ける。すると彼は慌てた様子ですぐに目をそらした。
「いえ、なんでも」
「気になるじゃないか」
「すみません。でも、ええと……やめておきます」
 珍しく煮え切らない。周りの人間に振り回されているようではあったけれども、泰明は自分の主調はする人間だったはずだ。
 言いさした自分自身のせいで慌てた泰明は、かわりのように頭を下げて言った。
「ご武運を」
 戦に行く人間を見送る言葉には正しい。しかし、流紅は少し眉を上げて、泰明を見た。
「お前も戦に行くんだろうが」
「……ああ、そうでした」
「何ぼんやりしているんだ。大丈夫か?」
 萎縮しきった様子で、泰明はただ、すみません、と答える。



 先触れの人間が、渡殿を進んで回廊を曲がる。姿の消えた先、受け答えをする声が聞こえて、流紅は奇妙な感覚に捕らわれていた。父が、兄を見捨てると言ったのが、この渡殿だった。あの時の困惑と、怒りを思い出す。呼び起こしはするが、心の内は別のものに支配されたままだった。激情のままに走っている間はいい。
「ご武運をお祈りいたします」
 あくまで戦のためではないという体裁で、甲冑を着込まず旅装の流紅に、丁寧に礼をして彼女は言った。当主の妻なのだから、着ているものが良質なのは当然なのだとしても、豪奢ではなく華美ではなく、たおやかな笑みでのみ身を飾るような人だった。穏やかで、けれども決して希薄ではない女性(ひと)。
「有難う存じます」
 その微笑を直視できなくて、出立の挨拶に来ていた流紅は、ただ頭を下げる。そんな彼に、相手は優しい笑い声を小さくもらして、応えた。
「そんなに堅くなってしまわないで。どうぞ、ご自分のことを、一番にお考えになってくださいまし」
「でも……!」
「それから、わたくしのことよりも、桃巳様のことを、気にかけて差し上げてくださいませ。お兄様を心配して、ずっと塞ぎこんでいらしたのですから」
 顔を上げて相手の笑みにぶつかり、それ以上何も言えなくなってしまった。この人は、本当に――父が言っていたように、紅巴と同じで、見かけによらず芯が強い。紅巴同様彼女も、側室だと言うことで、たくさんの諍いや蔑みを経験して乗り越えてきたのだろう。流紅が何を言っても、今更なのかもしれない。敵わない。口を閉ざすしかなかった。拒絶されているのではなくて、ただ本当に、彼女の中には断固としたものがあって、それと同時に流紅と桃巳を気遣ってくれているのが分かるから。
 流紅は桔梗に再び頭を下げて、腰を上げる。
「桃巳」
 呼びかけても、返事がなかった。桃巳は、部屋の隅に向かい、流紅に背を向けたまま膝を抱えて座り込んでいる。後に流紅が膝をついても、頑として振り向こうとしない。
「顔見せてくれないのか?」
 問いかけにも、やはり返答はない。
 妹は、当主の側室である桔梗の方の部屋に入り浸っていることが多くなった。以前からよく桔梗の方には懐いていたが、紅巴が戻らなくなってから、そして流紅が一度行方をくらましてから、どんどん頻繁になっていた。なす術もない状況で、身勝手な大人たちを見ているしかない彼女が、もしかしたら一番辛かったのかもしれないと、今更ながらに思う。誰よりも寂しかったのは、小さな妹かもしれない。
「すぐ帰ってくるから」
「兄さまもそう言ったわ」
 やっとの声は、怒りを含んでいた。息が詰まって、流紅はすぐに言葉を返せなかった。
「帰ってくるときは、兄上も一緒だ」
 背を向けて座る少女の頭に手を乗せる。撫でるように、とんとんと叩いてから、震える肩を抱き寄せた。桃巳は顔をくしゅくしゃにして壁を睨みながら、震える声で言った。
「流紅も帰ってこないなんてことになったらいやよ」
 口約束のいい加減さを攻める相手に、頬を寄せて、頷くことしかできなかった。



 出立のために、門前に集まった緒将がいる。内々の出立だから、大した人手があるわけではない。実際には国境を出るときに戦支度を整えるのだし、その後も昼夜を問わず移動をして本條の領を目指すのだから、賑々しく出立することはないだろう。だから実際には、ここ本拠地桜花を発つのが、戦のはじめなのだと言えるかもしれなかった。
 しかしながら、この先の明暗を分ける戦であると言うのに、戦の折には華美を好み、自らを目立たせることを好む武家には珍しく、とても地味で、ささやかなものだった。
 実際には、命運をかけた物事だって、そんなものなのかもしれないが。
「先の戦から、本條からの流民や賊に悩まされ続けてきた。よほどの痛みを被った者も多いだろう」
 流紅は、戦の大義名分を押し立てるために、前に立つ。本條から受けた屈辱を、飛田のもたらした戦災を思い起こして、人々は流紅を見る。期待を込めて。
 白く吐き出した息が震えてるのが、もうどうしてかもわからない。大きく呼吸をしてから、再び口を開いた。
「諸悪の根源を絶つ」
 彼の放った一言に、威勢のいい歓声のような――喊声のような声が、沸き上がった。朔風にさらわれ、澄清の空に吸い込まれていく。枯れた山は、寂しく風を通わせ、逸り怯える心にも冷たく吹きつけた。
 旅立ちには、あまりにも寂しい季節だった。








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