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※ 対する飛田家は、大部分を持ってきた兵糧で賄い、どうしても足りないものは、周囲の村や町から大人しく買い取っていた。暖をとるのに必要な薪は、兵が自ら周辺の山に踏み入って取りに行く。国に負担をかけず、現地で必要なものを調達するのは、名将の条件ともされるが、周囲の村々へ押し入って無理矢理にでも集めてくるものかと思っていたので、紅巴は少し驚いた。柳雅は決して生易しくはないが、逆らう者には容赦しないと言った反面、逆らわない者に対しては庇護を与えると言ったことは事実なのだろう。何が得策でないのかも、きちんとわかっている。 そしてしばらく待つまでもなく、別働隊として才郷の城へ出向いていた飛田の軍から、城を落とした報が届いた。立て続けに、飛田当主が蒲原へ到着する。 柳雅の予告どおり、飛田当主が軍を引き連れて現れると、飛田家が総攻撃へと転じる前に、本條家から白旗の使者が現れた。 二十を少し過ぎたばかりの本條家の当主は、一年ほど前、先代の頃から続く飛田家との対立の責任を、そして国を明け渡す服従の証を背負って、飛田当主の前で切腹し果てた。 長きに渡って進展の見られなかった状況に、ようやく決着がついた瞬間だった。 飛田当主他主だった人間は、門の開かれた蒲原の砦へと踏み入れた。入りきれない軍は変わらず周囲に野営を行っているが、違いは途端に満ちた活気だろう。捕虜を捕らえ、小競り合いのようなものばかりで大きな戦闘はあまりなかったものの、功労者への褒美の受け渡しが行われ、夜になると戦勝の宴が開かれる。 「身の証を立てられたか?」 笑いさざめく人々の中、当主の間近の席に呼ばれ、分かりきったことを問われても、紅巴はただ笑んで見せた。――褒美を貰う人間の中に、彼が含まれていなかったことなど、分かっているだろうに。 「残念ながら、わたしの出番はありませんでした」 「まあ、簡単な戦だったからな」 「心配していたような、周辺からの手も入りませんでしたし」 「あとは、才郷の城へ入って、ここが名実飛田の物になったのを知らしめるだけだからな」 今更、その移動中に本條の家臣から横槍が入るとも思えない。馳せ参じて、貢物を持ってくる者はいるかもしれないが。 「せっかく飛田に身を転じておいて、何も手柄がないのではお前もつまらないだろう。戦勝祝いに、皆を感心させるような笛を披露できれば、褒美をやるぞ」 「笛は、行軍中になくしてしまいました」 「なくした……? お前が、あれをか」 さらりと応えた紅巴に、上機嫌だった飛田当主の表情が、あからさまに不快に染まる。笑い騒ぐ人々の声が、白々しく背景に聞こえた。実際、そうして見せながら彼らの会話に聞き耳を立てているものは多いだろう。 紅巴は自分の言葉が、舞い上がっていた相手へ冷水を浴びせるものになったのだと理解していながら、穏やかに見返して続けた。 「別の笛を用意していただければ、お祝いに参加することもできるのですが」 戦勝祝いに所望され、応えられなければ不敬とされても仕方がない。だから紅巴はすぐにそう切り替えしたが、飛田当主は不審げに彼を見る。捕らえられた戦の折からずっと大切に持っていたものを無くしたとは、簡単に信じてもらえなくて当然だろう。 穏やかでない表情で紅巴を睨み、おもむろに盃の酒を煽ると、飛田当主は不機嫌な顔のままで言った。 「それなら、柳雅に舞でも披露させるか。あれも見目は一級だから、目の保養にはなろう」 出た名に、当主の弟ながら上座近くにいない柳雅を探して、さりげなく目が宴席を泳ぐ。当主がいるときは大人しく鳴りを潜めていることが多いから、末席にいるものかと思ったが、あの鮮やかな気配の持ち主はこの広間の片隅にも見当たらなかった。 また一層当主が不機嫌になる前に、呼んできます、と言い置いて御前を辞し、紅巴は宴の席を後にする。 酒の息と、人の熱気と、祝いの浮かれた空気に満ちた部屋を出ると、途端に風が体を刺すように吹いていった。身震いしながらも、人に満ちた部屋と外に面した回廊では、気温だけでなく空気に満ちた圧力すら違うようで、身の回りが軽く、開放されたような気持ちにもなる。 雪はやんでいるが、雲が空を多い、うず高く積みあがっているせいで、空は暗く重い。星明りも月明かりも僅かにすら見えなかった。 もともと柳雅がいそうな場所など予想もつかなかったから、適当に歩き出した。回廊の脇、槍を持って立っていた兵を見つけて問いかけると、門の方で見かけたと言われ、不審げな視線に見送られて足を向ける。 頑健を誇る砦は、大した痛手もうけないまま、飛田に明け渡されている。木造の門は開け放たれていたが、十分な威圧を持ってそこにあった。その門近くの回廊に、紅巴はようやく柳雅を見つける。武装はといたものの、髪を簡単に後ろに結っただけの彼は、足元に跪く兵と何かを話しているようだった。 紅巴が声をかけるより、近づくよりも前に、柳雅が顔を上げた。きつい眼差しで周囲を見回し、紅巴を見つけると、唇の端で笑う。 「何か用でも?」 歩み寄ってくる紅巴を見て、おもしろそうに言った。実際、紅巴の方から柳雅に関わることなどあまりないことだったから、誤魔化しでなくおもしろがっているのだろう。紅巴が近づくよりも前に、柳雅と共にいた兵が駆け出していく。遠く、宴の笑い声が聞こえる。 「ご当主が呼んでいる」 口を開き、言葉を吐くと、白い息が浮いた。すぐに風にさらわれて、視界は再び暗く沈んだが。柳雅は驚いた様子で、長い睫毛を上下させて瞬くと、声をたてずに艶やかに笑った。 「それで、のこのこ呼びに来たのか。一人で出歩くなと言われなかったのか」 「忘れているんだろう。多分」 酒の勢いと、自分の思い通りにならない不愉快さで。 それでなくたって、紅巴もこんな時に逃げようとは思わない。皆が気がゆるんでいるとは言え、砦の周りには、飛田の軍が野営している。兵たちも浮かれ騒いでいるが、あの軍の中を呼び止められずに抜け出す自信はなかった。 「あなたこそ、こんなところで何をしていた? あの兵は」 「興味本位か? 詮索か? 兄上に報告して、少しでも自分の信望をあげるか」 命がかかっているからな、と嘲笑うように言って、柳雅は紅巴の問いをはぐらかした。 「参席しなければ不敬になる。参席すれば不興を買う。俺が何をしようと、あいつの気に入ることはないのだから、同じなら近くにいない方がましだ」 そもそも、周囲の警戒にあたれ、と俺を祝いの席からはずしたのはあいつなのにな、と続けて。 「だがご所望とあれば仕方ない。戻ってご機嫌取りでもしてやるとするか」 戦に終わりが見えても、彼ら身内に満ちた暗澹とした空気は、あまりにも色濃く湿り気すら帯びているようで、取り払われる気配がまったくない。空に満ちた雲よりも重く、出口があるのかすら、分からないほどだった。――流され続けた血のせいで。 長い黒髪を翻して踵を返し、紅巴に背を向けて歩き出す柳雅の背を追い、知らず吐息が漏れる。飛田家の臣たちが――当主が思うような展開にはならないだろうという思いが、心の中に強い確信を持って芽吹いていた。 |