第六章






油断




 飛田当主が到着してから、蒲原の砦に腰を据えていたのは、せいぜい二日程度だった。三日目の朝には、砦を守るためと、断罪を待つ捕虜を捕らえておくために、将兵を残して砦を発つ。徒歩の者を含む軍の移動はそう早くもいかないから、目的の才郷の城までには、五日程度というところだろう。
 ちょうどその中頃を行軍中、すでに今回幾度目かの攻撃を受けていた。――再び、集った民からの。
 他愛ないものだが、おかげで足が進まない。多少のものではあっても、軍も消耗する。そして、兵たちの疲労が高まっていく。このときも、雪原の中にわざわざ足を止めて、襲って来る人々を追い払ったところだった。
「どういうことだ。もう、終焉が目前だと言うのに、いつまでたっても辿り着かない」
 飛田当主は、苛立ちを隠しもせずに吐き捨てた。軍の中頃を進んでいた彼は、今は馬を降り、床机に座して事態の収拾がつくのを待っている。軍そのものが足止めを食らい、度重なるものに浮き足立つ兵たちは、日に日に指揮の行き届きにくいものになっていたため、時間がかかっている。
 飛田の主だった将は、軍の前後にふりわけてあるので、飛田当主の周囲には、柳雅と紅巴、そして数人の飛田の将がいるばかりだった。替え馬を引く兵や騎兵、槍を持った徒歩の兵をあわせて他にも人間はいるが。
「多少やりすぎたか」
 苦々しくつぶやき、彼は、傍らに座す柳雅をちらりと見た。
「やはり、本條を討ったからと言って、単純に邦民を掌握するのは難しいか。それとも、ただ単に飛田がなめられているのか」
 柳雅はそ知らぬ顔で真正面を向いている。気づいていない素振りをするだけで、実際には自分に向けて言われているのが重々分かってるはずの弟の、謝罪するでもへりくだるでもない態度に、飛田当主が更に更に苛立ったようなのが、見ているだけで分かる。近く座していた飛田の将が、やんわりと口を挟んだ。
「万全の備えをしていても、何が起こるかわからないのが戦ですからな。後はもう城に入るだけのこと、焦る必要もありますまい」
「そうですとも。刃向かうものを従えて、ここで飛田の力を見せつけながら進むのも悪くはないでしょう」
 口々に言う臣に対し、飛田当主は束の間口をつぐんだ。苛立っても仕方がないのは、分かっているのだろう。
「しかしこれでは、領内を完全に掌握するのに時間がかかるだろう。長く白蛇を留守にするわけにもいかないと言うのに」
 本條の臣と民を完全に従えるのに時間がかかれば、当然弱みを突こうと他国が動き出す。その隙に、本拠地を抑えられては何にもならない。白蛇という土地は、飛田家の居城がある場所というだけではなく、飛田家にとって象徴的な場所だった。整然と美しく、栄えた町。東の飛田家、雪の白蛇。
 臣が口を出す前に、飛田当主は苛々と続けた。
「柳雅は、才郷の城に残していく。飛田に刃向かう人間も多いだろうから、他の人間では不安がある。やはり、飛田の血の者がいるのといないのとでは、まったく違うだろうから」
 周囲で起きている争いの音や、人が動き回る音を取り残して、沈黙が降りた。柳雅が小さく息を吐いて、笑う。
「仰せとあれば」
 あからさまな兄の言葉にも、彼はまったく動じなかった。――自分の傍から引き離そうと言う、あからさまな配備だ。更に言えば、民の叛乱を目にしていながら、少し進むたびに襲われる程にその怒りが大きいことを重々承知していながら言うには、あからさま過ぎる。
 しかしながら、飛田当主の言葉も、柳雅の返答にも、誰もが意見をする暇もなく、早馬の知らせが場の緊迫を破った。
 駆けつけてきた馬は、当主の眼前に来る前に、馬を止めて飛び降りる。馬廻の護衛を掻き分け、肩に背に矢を生やし、鎧のあちこちから血を流した兵は、崩れるように雪の上に膝をついた。それだけで、白い地面が汚れる。
「申し上げます」
 かすれた声で、懸命に叫ぶように言った。
「蒲原の砦に、敵襲」
 言葉が空気に放たれると同時、辺りがざわめいた。当主に従ってその場にいた臣たちだけでなく、護衛の兵たちまでもが声を上げる。数日前に本條から奪い、そして数日前まで自分たちが滞在していた場所だ。兵を残し、きちんと備えをして出てきた。
「どういうことだ」
 相手をなじるように、飛田当主が怒鳴る。慢心相違で駆けてきた、使い番の兵は、更に頭を下げた。
「突然のことでした。叛乱です。大勢の民が突然湧いたように現れまして、篭城の備えもなく、なんとか抵抗していたのですが……」
「どういうことだ、はっきり言え!」
「砦を占拠されました」
 飛田の当主は、唖然とした顔で兵を見ている。
 あの砦は頑健で、篭城には適した場所だった。飛田の当主が才郷の城に無事辿り着くことが出来れば、折り返し援軍も来るだろうし、才郷へ着く前に引き返して来てくれる可能性だってあると、留守居を任された将だって、それを考えたはずだ。それなのに、篭城できなかった。――相手にさせてもらえなかった。単純に民の側に、それだけの知識があったと考えるべきなのかもしれないが。何かがおかしい。
 成り行きを見ていた紅巴は、柳雅へ視線を向ける。しかし彼は、やはり黙って使い番の兵を見ているだけだった。
 そして更にその耳は、こちらへ駆けてくる人の声を聞きつける。
 緊迫した空気を騒々しく踏みにじり、場に割り込んできたのは、別の早馬だった。先刻駆けつけてきた兵と同様、まったく同じような動きで飛田当主の前に膝をついた兵は、彼もまったく同じような姿をしていた。体に突き刺さり、折れた矢。ぼろぼろの鎧。倒れそうなほどに疲弊した馬。
「申し上げます!」
 膝をついて叫ぶ。きっと、その場にいた将兵すべてが、同じような予感に捕らわれただろう。
「才郷の城が、落ちました」


 先刻とは正反対に、沈黙が場に満ちた。報を運んできた兵の、荒い息遣いがやけに大きく聞こえる。胴丸だけの兵は、今にも地面に崩れ落ちそうだった。それを睨むように見て、飛田当主は憮然と声を出す。
「まさかあの城までもが、民に襲われたなどと言うわけではないだろう」
 もともと本條家の根城だった。民に襲われて簡単に落ちるようなものではない。当主の問いに、切れ切れの答えが届いた。
「民ではありません、兵です。突然現れて、突然攻撃を仕掛けてきました。石川家の兵です!」
 今度こそ、飛田当主がぎろりと柳雅を睨む。才郷の城と、蒲原の砦を落とす算段は、柳雅が整えるようにと指示されていたものだった。そのために、先発として一足先にこの土地に攻め入ったのだから。
「桂木と西沢はどうした」
 尋ねたのは柳雅だった。
「桂木様は敵の将を引き連れて、お見事なお討ち死にでございました。西沢様はわたくしをご当主への伝令として出すために、わずかに残った兵と共に城を討って出られました。その騒ぎにまぎれてわたくしが出立して間もなく……」
「何故、知らせのひとつも寄越さなかった。城を落として、浮かれていたか」
「あまりにも唐突なことでしたので。城を落とすのに疲弊した軍ではすぐに立て直すのも難しく。援軍を請う知らせは……」
「もう良い」
 苛々とさえぎり、飛田当主はうずくまるようにしている兵を睨みつけている。采配を握り締めている手が、力を込めるあまりに震えていた。
 折角、本條家の配下の者が留守居をしていた才郷の城を手中にし、あとはそこへ入城するだけだったというのに、目の前で栄誉を奪われて、黙っていられるものではないだろう。
 蒲原の砦に入るのとは訳が違う。本條家を下しただけでは、この土地を手に入れたことを外へ知らしめることが出来ない。その居城であった才郷の城に入城しなければ、名実共にこの領土を手中に収めたとは言えない。――間近な終焉に辿り着けない、などというどころの話ではない。そんなもの、立ち消えたも同然だ。再度一からやり直し。
「どうする」
 苦々しくつぶやく、その目は柳雅とは逆の位置にいた紅巴に向かっていた。先程、将が意見を口にする間も、人々が動揺する間も、ただそこに座して成り行きを見ていた人の方へ。
 紅巴は、人々の目が一斉に自分に向けられるのを動じもせず、穏やかに受けて、ゆっくりと言葉を口にした。
「僭越ながら、白蛇にお戻りになることを、おすすめします」
 一度は勝利を目前にして――実質、この領土を手中に収めたも同然のところ、さらりと横から奪われている状況で、取り戻す策を求めた相手に言うには、あまりにも愚かな意見だった。いくら、事実でも。――事実だからこそ。
 そして誰かが、何か余計なことを叫びだす前に、紅巴は続ける。
「石川家が、城を落とすだけで何もしてこないと言うことはありえないでしょう。しかし我々には後にも先にも留まるべき場所はなく、すでに、この土地に長の滞在をしている飛田には、兵糧の心配もあります。いずれにしても、本條殿を討ち果たしたのです。少なくとも、この国の東は完全に手中に出来たと言えるでしょう。今はそれで満足するべきです」
「一年に渡る時間と労力とを無にしてか!」
 怒りをあらわにして、飛田当主が吐き捨てた。気にしているのは、言葉通りのものではないはずだ。それだけのものを賭けて尚、神宮の人間を手中にして、周りを脅かすためにそれを前面に押し立てて攻め込んでおいて尚、一刻を手中にできなかったという、事実。飛田家の――名門の家長として、家の名折れを招いた己の名声の失墜。
「留まる場所があるなら、粘ることもできるでしょう。しかしこの季節、雨風をしのぐことが出来ない場所で、野営を張り続け戦闘を続けるのは、あまりにも酷です。目前に勝利があって、明らかに優位であった時とは状況が違う」
 城の中にあっても、本條家は余裕などまるでなかった。城を囲み寒風にさらされてはいても、明らかに勝利が目前にあった飛田家には余裕があった。しかし、今はまるで状況が違う。
 飛田当主は、我慢しかねたように采配を投げ捨てた。それが雪に吸い込まれて落ちる前に、床机を蹴倒して立ち上がる。
「陣を張る。幕の用意を」
 一拍置いて、慌てて将たちからの返答が聞こえる。軍が足を止める時は、大なり小なり、大将の所在を示す陣幕を張る。駆け出した人々を焦れた目で見送り、それから紅巴を振り返って言った。
「手ぶらでは帰らぬ」
 しかし、彼らにとっては非情にも、陣幕の準備すら十分にはできなかった。
 耳に届くものがある。民を追い払い、隊列を整えようとする指示の声ではない。使いの兵でもない。そんなものが駆けてくるよりも早く、地底から届くような、腹に頭に響く音が、辺りの空気を震わせだしていた。人が歩く早さで叩かれる太鼓の音だ、地響きのような。徐々に近づいて、徐々に早くなる。
 飛田家が民からの攻撃に気を取られている間に、その騒動にまぎれて忍び寄っていたもの。
「敵襲―!」
 叫びながら、三度目の使いが駆けてきた。







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