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言葉に詰まった。 柳雅は、はじめから最後まで、紅巴を神宮の人間としか見ていなかった。そして、この状況を彼が招いたものでないことくらい、当然分かっていた。紅巴を取り巻いていた環境に、そんな隙などわずかもなかったのだから。 だから、神宮家が一体どういうつもりでこの戦に参戦しているのか、どうするつもりなのかわかっていないのも、十分承知しているはずだった。しかしこのままでは、神宮は確実に窮地に追いやられる。束の間逡巡し、行動に迷った。その間に、柳雅が外の喧騒に負けないよう、大声で呼ばわる。 「誰かあるっ。反逆だ。捕虜が逃げるぞ!」 彼の声は低く通りがよく、気づく人間も多いだろう。ハッとして見ると、柳雅はただ笑んで紅巴を見る。 「どうせその足で、この状況で、生きては逃げられないだろう。覚えておいてやってもいい。この傷が消えるまでの間くらいは」 柳雅の右の頬に刻まれた傷。夏の戦で、紅巴がつけたもの。結局、紅巴がいた証など、人につけたそんなものでしかないのか。――この男にとっては。 紅巴は奥歯を噛み締め、柳雅を睨みつけると、踵を返して走り出した。柳雅が追ってくる気配はなく、布陣の中央、大将の所在を示す陣幕を出ようとしたところで、ようやく柳雅の声に駆けつけてきた兵に鉢合わせる。慌てるよりも前に刀を振るった。もう、迷う心も何もかも消えうせていた。 一人二人と斬り伏せて、外に飛び出す。それだけでもう、腕が少し重かった。戦への参戦も、まともに太刀を握るのも久しぶりで、鈍ったのかもしれない。 考える間もなく紅巴を見咎めて駆けてくる兵があって、紅巴はすぐに再び走り出す。 飛田家の陣中、柳雅の命令がどれだけ早く行き届くか、その間にどれだけ早くこの陣から逃げられるかで、全てが変わってくる。ありがたいのは、誰もが目の前の敵に気を取られていること、飛田当主の命で張りかけた幕屋が放置されており、目隠しになることだった。ほとんどの兵が、出払って応戦している。 走りながら、周囲を見回す。紅巴がいる飛田家の陣中央は、三方を敵に囲まれていた。この状況で、この体力で、乱戦状態になっているところに紛れ込んで、無事に反対側へ抜けられるとは思えない。そして、神宮家の軍に紛れ込んで、逆に神宮の兵に討たれないとも限らなかった。――どちらへ向かうべきか。 迷いながらも、とにかく柳雅のいる陣幕から離れるために足を動かして、ひたすらに前へと走り続けた。 馬の蹄の音がして、ようやく将の一人が駆けつけてきたのは、紅巴が逃げ出した後、少しの間をおいてのことだった。一番最後にこの場を離れ、応戦の用意を整えていたところに、騒ぎを聞きつけたのだろう。紅巴に斬られて倒れている雑兵を見て驚き、そして立ち尽くす柳雅と雪の上に散らばる赤い染みを、柳雅の雑兵に囲まれ、ぐったりとした身を起こされている飛田当主を見て、驚きの声を上げる。 間近で馬を飛び降り、二、三歩進んで、そのまま力が抜けたかのように膝をついた。 「これは、一体どういうことなのです。何が起きたのですか。それに、神宮の……」 動揺し、当主の遺体と柳雅を見比べる相手に、柳雅は大きく息を吐いてから応えた。 「俺が傍についていながら、不足だった。周囲に人がいなくなったと見るや、あいつが突然兄上の太刀を奪って、兄上に斬りつけて……」 愁傷に言いながら、飛田当主の腰を指差した。豪奢な太刀を身に帯びていたはずの飛田当主の腰には、鞘だけが残されている。 「お屋形様のご慈悲で生き永らえた身で、なんということを……!」 「取り押さえようとしたが、逃げられてしまった」 「だからわたしは、神宮の如き凡夫を軍に置くのは、反対だったのです!」 飛田の将は、悲痛な声を上げる。 「やはりこの突然の攻撃も、神宮と結託して」 「だろうな。あまりにも奴らに都合よく運びすぎる」 それとも、とつぶやいて柳雅は続ける。 「神宮を見限ったのも、見限られたのも本当だったかもしれないな。しかし神宮家が今こうして飛田を攻撃してきたために、自分の立場が危うくなったのを悟って、当主の首を土産に、再び神宮家に逃げ帰ろうとした」 「なんと、卑劣極まりない」 「なめられたものだ、飛田家も!」 眉をしかめ、やり場のない怒りをぶつけるかのような、強い声で言う。鋭い眼差しは、自然と当主の遺体の方へ向いていた。遺体を起こし、簡素な担架へと横たえていた兵たちが、怯えて身をすくませる。 「しかし、どうなさるのです。ご当主が、こうなった以上は……」 大将が討たれれば、軍は浮き足立つ。統率する者がいなくなり、兵は行動に迷う。そもそも、目的を失う。そうなれば、投降するか、逃げ出すか、これまでだと思い、自刃するかなのだろうが。 「お前は、このまま、こんな所業を許しておけるのか」 柳雅の冷たい眼差しが、自軍の将へ向けられる。絶望にとらえられ、同時に怒りに彩られた将の顔は、あまりにも冷ややかな視線を受けてすくみ、そしてすぐさま吐き出すように言った。 「まさか!」 そうだろう、と柳雅は受けて、顔を上げた。――当然だ、自分たちの主に取入り、騙し、殺害した者を、見逃すようなことをするわけがない。そもそも、お互いにいがみあって久しい神宮家と飛田家ならば。 「馬を持て。俺が陣頭に立つ」 命じられて、控えていた兵の一人が駆け出していく。動き出した事態に、飛田の将は嘆くばかりでなく、すぐに居住まいを正した。頭を下げ、命令を待つ。 「何が起きたか、すぐに知れることだ。それならはじめから、兵には包み隠さず知らせろ。全軍を持って神宮に当たり、兄上の仇を討つ」 「御意」 叫ぶように応える将の声は、少し涙に揺れていた。悲しいものよりも、悔しさと怒りに、揺れる声。 卑劣な行為を許すな。犠牲になった当主の、弔いを。仇を討て。そういった怒りは爆発しやすい。操りやすく、返せばそれは、士気を高めるのと変わりない。 「どうせ、神宮の軍へ逃げ帰るに決まっている。それならそれで構わぬ。神宮家ごと、叩き潰してやる!」 |