第六章






会いたい




 飛田家の動きが妙に活気づき始めたのは、突然のことだった。活気づいたというよりは、突然火がついたかのように、声をあげ、突進してくる相手に対し、神宮の兵は少なからず怖気づいた。
 声をあげ、異常とも言える空気を放ちだす敵軍に、多少なりとも困惑の色を隠せない。戦の全然が、軍全体に拡大しつつあった中、自分自身も馬に乗って戦局を見ていた流紅は、その最中に知らせを受け取った。
「そうか」
 まず兄が無事である報と、こちらへ向かっているとの知らせを聞いて、流紅は顔を輝かせる。次いで知らされた飛田当主の訃報を耳にして、まわりで同じようにその報告を受けていた人々が、歓声を上げる。勝った、と誰かが声をあげ、浮かれた空気に染まりかけた。浮ついた空気は伝染しやすい。しかしながら、流紅の表情は硬い。
「それでか」
 飛田家が突然、活気づいた理由。執念を燃やすかのように、攻撃に勢いづいた理由。
「兄上は、他には?」
「飛田家には援軍があると」
 そうか、と短く返す流紅にかわり、別の者が声を上げた。
「しかし、いくら援軍があろうとも、当主がいなくては、軍が崩れるのも時間の問題だろう! 援軍が来るまでに、簡単にこちらが抑えられますぞ」
 口々に、将兵が声をあげる。まるで、時の声のようだと思った。実際そう言ってもいいだろう。勝った喜びにあがるのが時の声ならば、人々はすでにもう、勝ったつもりでいる。――しかし、現実に見て、飛田の陣は崩れてなどいない。
 束の間思案し、流紅はすぐに傍らにいる武藤家の嫡男へ命じる。
「講和の使者を」
「……どういうことですか?」
 ざわめく人々を背に、尊芳が問い返す。
 状況を見れば完全に優位に立っている。それなのに、和睦の使者を出すなど。
「普通なら隠すはずの当主の死を前面に押し立ててくるって事は、飛田家には策があって、まったく負ける気がないってことだ。援軍を別にしても、勝算があるんだろう。浮かれるのはまだ早いぞ!」
 叱責の声に、ざわめきが鎮まる。
「そもそも、蒲原の砦も、才郷の城も落としたのだから、この国の西の地は手に入れたも同然だ。多くは望まない。調子に乗って攻撃を続けて、引き際を見誤ると、足元を掬われかねないからな」
 飛田家が冷静ならば、もし兵力を失い、兵糧を無駄にして国への負担を重くしたいと思うのでないのなら、講和を受けるだろう。飛田家にしても、この国の東はすでに手に入れたようなものだ。本條も討たれた今、そちらの領土の臣たちも素直に飛田に従うだろう。悪あがきするのが得策でないことくらい分かるはずだ。――冷静ならば。
「兄上ならそうする」
 つぶやき、兄の無事を確認したとは言え、まだ彼は敵陣の只中にいるのだということが、脳裏をよぎる。まだ無事を自分自身で確認できたわけではない。停戦の使者は、彼にとってどういう働きをもたらすか、予想がつかなかった。
 ――早く。
 切実に願う。早く、戻ってきてほしい。無事を確認したいと言う思いだけではなかった。また戦局が思わぬ方向へ動いたりする前に、神宮の庇護下にいてほしい。何が起きるか分からない。それが戦だ。戦の前に父が言っていた不安が消し飛んだのはありがたいが、それならそれで、あの人は、何をしでかすか分からない。
 兄の下へ使わした将兵がきちんと彼を守り、とどめてくれることを願いながらも、流紅は神宮の軍のために、声を上げた。
「神宮が動くなら、石川だって不満はないだろう。急げ!」



 停戦のため、黄色い旗を掲げた使者が、戦場を駆けていく。入り乱れ、刃を交えていた人々も、猛然と駆けていくその騎馬を慌ててよけ、見送った。神宮の陣中から飛田家に向けて駆け出した馬は、しかしながら、飛田の本陣に到達する前に、足を止める。
 飛田の陣営から放たれた幾筋もの弓矢が、騎馬を襲った。馬も人も全身を貫かれ、大きな音と共に、地面に落ちる。
「卑劣な!」
 あがる声に、飛田家は答える。卑劣なのはどちらだ、と。
「仇を討たずに、この戦を去ることはあり得ない」
 怒鳴り返される声。そして、飛田の軍の後方がざわめき始めていた。蒲原から急ぎ、本陣を追って来ていた後援の軍が、近づきつつあった。



 血気に逸った飛田の軍に対して、神宮が持ちかけた講和など、焼け石に水程度のものにもならなかったのだろう。濁流を押しとどめるのに、たった一本の杭ではどうにもならない。
 思った以上に勢いづいている飛田家と、到着が間近に見える援軍に、遅かったと舌打ちするしかない。もう少し、もたらされた報告が早ければ。しかしながら、神宮を気遣って知らせてくれた兄も、混戦の中を駆け抜けて知らせを持ってきた兵も、彼らにとって最善を持って動いてくれた結果だった。何を悔やむことも、責めることも筋違いだ。
「もう一度、講和の使者を立てる」
 流紅は、誰にともなくそう言った。
「きっと無駄です」
 案の定、傍近くに控える尊芳が、そう止めるが。
「だからと言って、このままでは、戦況がひっくり返ってしまう。何もしないよりはましだ」
「しかし」
「飛田も神宮も、決定打がないままに、お互いに消耗するだけだ。どうして、分からないんだ」
 どうして、飛田家は。
 確かに甚大な労力を払って、一度はこの領土を手に入れたも同然だった飛田家にとって、講和など業腹なのかもしれない。しかし、本條家に呑まされた煮え湯は、神宮も同じことだ。簡単に引けないことなど、あちらも分かっているはずだ。その相手からの停戦の使者を、簡単に打ち捨てるなど。最後の一兵までと言うつもりか。
「他の者が出て無意味なら、わたしが行く。それなら、無下にもできないだろう」
「確かに、それなら話くらいは聞くかもしれません。しかし条件に、何かを出せと言われたら、どうなさるおつもりです!」
 尊芳が、声を上げる。手綱を握る手に力を込めて、流紅は戦場を睨みつけた。そうだ、流紅が行っても無駄かもしれない。仇討ちを叫ぶ飛田家には。
 それでも、と馬を進めようとした流紅は、彼を守るための馬廻の兵を掻き分けて進んでくる騎馬を見つけた。使い番の兵は、大慌てで大将の元まで来ると、馬上から叫ぶ。
「飛田本陣より、一軍あり。陣頭にて指揮をとる飛田柳雅に向けて、攻撃を仕掛けた模様」
 本陣から? 頭の中を行きかう問いと、思い至る答えに、全身から血の気が引くようだった。白い息を吐いたまま凍りついた流紅のかわりに、尊芳が、どういうことだ、と問いを発する。
 息を切らし、せわしなく口から白い呼気を吐き出しながら、知らせを持ってきた兵は、一言叫ぶ。
「紅巴様です!」
 心臓がひとつ、大きな音をたてて鳴った。





ここでこのお題ですか、と自分でつっこむ…。
もうちょい、ラブラブちっくな話に使いたかったなあ〜…。

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