|
やはり、こうするのが最初から良かったのかと、ざわめく飛田の陣営を見ながら思う。あの時に逃げ出さず、留まって、柳雅を抑えるべきだったのか。 木崎が連れて、飛田に紛れ込んだ兵は決して多くはない。人目につくのを避け、選んだ必要最低限の兵は、だから他を圧して驚かせるには足りない程度でしかなかった。 しかしながら、自軍の陣中、間近からの攻勢には、さすがに飛田家も動揺した。まずは少数精鋭で、待機していた騎馬兵を襲って馬を手に入れ、真っ直ぐに陣頭に立つ柳雅の方へ向かう。 地響きをたて、雪を蹴散らし白い煙を上げて進む騎兵に、将を守るはずの歩兵たちが慌てて道をあける。混戦状態の最中、馬上で太刀を抜いて自身も戦闘に加わっていた柳雅の、真向かいに来て彼らは止まった。――戦の最前線で。 馬も人も、自らの体温をさらすように、寒気の中白い息を吐きながら、堂々と足を止めた。そして何のためらいもなく、何事かと成り行きを見る飛田家のほうへ、一騎が進み出る。仇討ちを叫ばれる張本人だと言うのに、後ろめたさも見せず、高らかに声を上げた。 「我は、西方神宮家が当主、神宮嘉銅が嫡男にて、神宮紅巴と申す者」 穏やかに続ける。 「飛田殿に、一騎打ちを所望する」 すぐに、馬鹿な、と声があがった。自分は卑劣な手段で当主を討ったくせに、と叫ぶ声がある。 しかしながら、紅巴には分かっていた。柳雅にも、重々分かっているはずだ。 仇討ちを大義名分にするのなら、柳雅が出てこないわけにはいかない。先程の、講和の使者へ対するようなことをするわけにはないかない。いかな飛田家でも。――同族殺しの根付いた飛田家だからこそ。いくら紅巴を下手人に仕立て上げたところで、紅巴が飛田家において身の証を立てなければならなかったのと同様、柳雅は身の潔白を示す必要がある。 周囲ではまだ混戦が繰り広げられる場で、少しだけ強引に作られた隙間に、騎馬が一騎進み出る。漆黒の馬には、同じく黒い鎧をまとい、流麗な髪を背にたらした美しい人が騎乗している。鎧の上から纏った白い母衣(ほろ)を風になびかせた、飛田家の新しい指揮者だった。 「また会ったな」 くすくすと笑う声は、楽しげだった。無理矢理にも引きずり出されたのに、彼はいつもと変わらず余裕にあふれている。 「それで? 次はどうする」 すらりと太刀を掲げて、柳雅は涼しげに言った。紅巴もそれ受けて、穏やかに返す。 「ぼくを試したいのか?」 「そうかもしれないな。どの程度まで踏ん張ってくれるか、楽しみだったんだが」 「まだ、何もかもが決したというわけじゃないだろう」 「こんなところに出てきてか?」 再び柳雅が笑う。しかしながらそれには応えず、紅巴は手にした太刀を振るった。刃が打ち合わされる音が鳴り響く。片手で手綱を繰りながら、太刀を振るうのは、簡単なことではなかった。打ち合う端から、腕から痺れるような感覚が這い上がってくる。長の行軍と、陣中を走り回ったことと、もう十分に、自分自身の限界を超えているようだと気がついた。けれども結局、柳雅を抑えなければ、どうにもならない。それが出来ない場合の、後の手は、どうあっても避けたいものだった。だから―― 打ち合わされた太刀を、なんとか押し返す。鍔迫り合いのまま力いっぱい抑えた太刀は、相手の反発にあって、お互いに体制を崩した。もつれ合って、馬から落ちる。雪が煙のように舞い上がった。 息があがる。喉がひりつくようだ。胸が痛い。それでも紅巴は身を起こして、仰向けに倒れた相手に向かって太刀を振り下ろした。辛くもそれを刀で受けた柳雅の手が片方、勢いに押されて刀の柄から外れる。取り落とすまではいかないが、十分な隙だった。再度太刀を振るう。飛田当主の血を絡みつかせたままの太刀は、過たず柳雅の肩を捉えていた。 血飛沫があがる。けれどもすぐに、紅巴は胸を蹴り飛ばされ、雪の上を数歩後ろへよろける。 片手で肩を抑えて柳雅が起き上がる。どよめきが、背後から聞こえた。自らの血で顔を赤く染めながら、柳雅は凄艶な笑みを顔に刻んで、嘯く。 「雅やかな神宮のご長男が、こんなに剣術達者だとは思わなかった」 「雅さでは、飛田のお人にはかなわないよ」 紅巴は、太刀を構えたまま言い返す。さらに呼気を吐いて、足を踏み出そうとした。けれども、虚空できらめいたものに、動きが止まる。気がついていても、俊敏な対応ができなかった。狙って放たれた矢のうち幾らかは払い落としたが、防ぎきれなかったものが、腕に突き刺さる。 痛みと勢いに、足がふらついた。雪の上に膝をつき、飛田の軍勢を、柳雅を睨みつける。 「若!」 叫んだのは、どちらの陣営だったか。紅巴が弓矢にひるんだ隙に飛田の軍から人が走り出て、柳雅を庇いながら、さがろうとしていた。まだ、何の決着もついていないと言うのに。 ――でも、これでも少しは、何かの役に。 思いながらも、なんとか立ち上がり、紅巴は周囲を見回した。この一騎打ちが痛み分けで終わるなら、彼自身も早く神宮の陣営に戻らなければならなかった。紅巴の供をして駆け出してきた木崎たちを目で探る。彼らは周囲の飛田の兵を抑えるので必死だった。紅巴が柳雅を負傷させたことで、俄然、間近にいた神宮の兵は勢いづいている。けれども、その誰も、単純に紅巴を助けるために駆けてくることは出来ないだろう。視界に、柳雅を助けるのとは別に駆け出してくる飛田の兵が見える。 孤立する。このままでは。 急いで身を翻し、とにかく目の前の飛田の軍勢から逃れるために、駆け出そうとした。けれども、思考を、体の動きを、何かが邪魔をする。――されているようだと、思った。 とにもかくにも、追いすがってくる飛田の兵へ、太刀を振るう。敵を切り伏せ、再び前へ進もうとするが。 走れない。足が重い。 喉が激しく鳴っている。頭の奥で、血の脈打つような音が響いている。雪を蹴散らして走るのは、ひどくもどかしかった。前に前にと足を動かす意志だけは何よりも強いのに、体がついてこない。右脚が、思うように動かない。柳雅に折られたところだ。 ――走れない。 もれる息が白く、視界も白い。鎧が入り乱れて、血の色があちこちに溢れているというのに、白かった。思ってから、再び雪が降り出しているのに気がつく。 ……雪は。 ちょうど一年前、そのときも戦場で見たのだったか。昨年の冬を思い出す。夏の戦を思いだす。結局、どちらも足手まといになってしまった。そして、今も。 まずい、と思った。その背後から、声がする。 「捕らえろ!」 柳雅だった。殺せ、ではなく。 ――あの、少年は。 傍若無人で、自信にあふれていて、凍りつくように美しいあの少年は、どこまでも、利用できるものは利用するつもりのようだった。 掴まえてどうするつもりかは分からないが、先の戦の時のようにはならないだろうということは、分かる。 捕まるわけには行かない。 強く息を吐く。強く顔を上げる。その耳に、また遠くから声が聞こえた。 「再度飛田に講和を申し上げる!」 神宮の陣営から。信じられない思いで、声のした方を探る。馬が駆けてくるのが見えた。赤い鎧を着て、茶色のやわらかな髪をなびかせて駆けてくる少年。 「指揮官も手傷を負われた様子、一騎打ちを逃げ出し、こちらに相対できないのであれば、我が方の申し出をお受け願いたい!」 まだ、遠い。辿り着くには遠い。けれども、さすがに飛田の陣営からもどよめきが上がる。振り返れば、奥へ引っ込みかけていた柳雅が足を止めていた。片手を挙げる。それを見て、何を考えるよりも前に叫んでいた。 「流紅!」 声の意味を理解しただろうか。呼ばれた少年は、慌てた様子で手綱を引いた。馬が足を蹴り上げる。その間近に付き添っていた神宮の騎兵が、流紅に体当たりするかのように、もろとも馬の上から転げ落ちた。その頭上を、幾筋もの矢が通り過ぎていく。射られた馬が、もんどりうって倒れた。 返す返すも、飛田家は。振り返り、紅巴は柳雅を見た。肩を押さえ、脇を支えられて立つ黒髪の少年は、紅巴の視線を受けても平然と笑う。 ――どうあっても、簡単に、帰るつもりはないということか。 |