◎在沖縄米軍と海上自衛隊の暴挙を糾弾する!
◎イージス艦衝突の事実究明を!
◎沖縄県民大会(3月23日)に連帯しよう!
<二つの軍隊による暴挙を糾弾する>
沖縄署は2月11日、在沖縄米軍の海兵隊員を女子中学生暴行の容疑で逮捕し、翌日、送検した。この事実が明らかになるや、米軍と日米政府は「遺憾の意」を表明し、事態の沈静化をはかった。在日米軍は2月20日を「反省の日」とし、沖縄と岩国で外出禁止措置がとられた。このような措置にもかかわらず、その後も米兵による犯罪はやまない。まさに異常事態が恒常化している。
1995年、少女暴行事件に対して沖縄県民は激しい抗議に立ち上がった。米軍も日本政府も再発防止を強調したが、実効ある対策は進まなかった。日本政府と与党の実際の関心は、県民の怒りを分散させ、県政を転換させることにあった。日本政府は経済支援を「取り引き材料」とする「アメとムチ」の政策で沖縄をたたいた。
沖縄では基地の重圧が軽減されるどころか、日米軍事再編の渦中に巻き込まれていった。日本「本土」の沖縄への共感と関心も事実として薄れていった。安倍政権下では、沖縄戦に関する歴史教科書の改ざんにまでいたった。一方、米国ブッシュ政権が強行したアフガニスタンとイラクでの戦争は米国民の支持すら失ってしまった。沖縄米軍の犯罪の続発はこのような事情と無関係ではない。
1週間後の2月19日、海上自衛隊の最先鋭イージス艦「あたご」が、横須賀基地への帰港を目前にして漁船に衝突し、沈没させた。ハワイ沖でミサイル発射実験を終えてからの帰路である。イージス艦は船舶が頻繁に交錯する海域で警戒を怠り、自動操舵で漁船群に突入していった。「常識を外れた」航行に「なだしお事件」の反省はなかった。
海上自衛隊の潜水艦なだしおは1988年夏、釣り舟「第一富士丸」を沈没させ、30人を死亡させた。海難審判庁と横浜地裁のそれぞれで、責任の多くは潜水艦側にあるとされた。しかし、事実の究明には多くの疑問が残った。自衛隊の証拠改ざんについてもあいまいにされた。海上自衛隊は民間船の航行を無視する無法行為と秘密主義を厳しく糾弾されたが、その「体質」を改めることはなかった。その後もさまざまな事故や不正、犯罪を繰り返えし、そのあげくの暴挙だった。
<イージス艦衝突の事実究明を!>
●あまりにも大きな落差
イージス艦「あたご」が漁船「清徳丸」を破断、沈没させてから2週間になろうとしている。乗船していた親子二人はいまも行方不明のままだ。
懸命の捜索にあたってきた僚船と漁協は生活のために漁に戻った。「海のしきたり」として何度かの節目がもうけられた。衝突から一週間後の川津港を東京新聞は次のように伝えている。
「冷たい風が吹き付ける港の岸壁では25日午前、住民らの気持ちに区切りをつけるため『浦じまい』という漁師町の儀式が行われ、吉清さん父子の親族や住民約二百人が海に向かってお経を唱えたり、海に供え物を投げ入れるなどした」。治夫さんの叔母は父子の名前を「涙ながらに叫び、二人が見つかってほしいが(漁師仲間を)危険な目に遭わせることはできないから、と話した」。
この儀式はテレビでも大きく報道された。漁協はこの日、家族の申し出を受けて捜索の中止を指示した。同僚の一人は、「捜索を続けたいに決まっている。でも漁を休み続けるわけにもいかない」と海を見つめてつぶやいた。親族の一人は、「必死になってやってもらった。これ以上、仲間たちに迷惑をかけるわけにいかない。二人には冷たいようだが、これで勘弁してください」と声をしぼり出すように語っていた。
3月2日、福田首相が父子の自宅で親族に会い、謝罪した。親族の一人は、「手をあわせてもらった、大変なことをしたと親子の写真の前で涙ぐんでくれた」と記者団に答えていた。首相には親族の思いをつづった手紙も渡された。漁協の支部組合長は「地元としては十分にやってもらったと思っている」と述べた。別の親族は、「今時分に来るのは遅い、涙はかれてもまた出てくるんだよ」と憤りを隠さなかった。
首相にとっては政治判断の末の訪問と謝罪であろう。首相は被害を受けた側と心中が通じたか。親族、同僚たち、漁協が受けてきた政治的重圧に思いが及んだか。福田首相と石破防衛大臣の今後の言動がさらに厳しく問われなければならない。
親族は、首相を迎えたこの日、海上保安庁に対しても捜索の打切りを要請した。行方不明のまま捜索を打ち切らざるをえない「海の宿命」に耐える人々。被害者を翻弄する防衛省と海上自衛隊。言いようのない落差がそこにある。
●深まる情報操作・隠蔽の疑惑
政府、防衛庁、海上自衛隊は衝突を前後する事実経過をいまだに明確にしていない。「海上保安庁が捜査中だから明らかにできない」ということは理由にならない。実際は内部の疑心暗鬼や相互不信によって、統一見解がでないということだろう。情報のリーク合戦が繰り広げられ、さながら暗闘の様相だ。
疑惑は深まっている。防衛事務次官みずから、衝突当日の海自側の事情聴取について「(海上自衛隊の事前了解を得ていたという説明が虚偽だった)可能性はまったく排除できるということではない」と述べた。「乗員に接触していない」と答弁してきた石破大臣も、直後に大臣室で再聴取したことを1週間近く明らかにしなかった。「議事録はない」と発言したが、実際には聴取記録が存在した。まさに「小出し」される情報が「二転三転」している。
石破大臣への疑念は自業自得である。石破大臣は19日、衝突後の最初の記者会見で、「経過を確認中であり、正確に把握することが現時点での職責だ」と述べた。だが大臣の報告には最初から怪しさがつきまとっていた。
大臣が経緯を初めて説明したのは19日夕方、なぜか自民党の国防部会だった。党部会を優先させた仲間内の軽率さが、その後の転落の始まりとなった(部会での大臣発言は、記者会見とは違って、防衛省のホームページには掲載されていない)。
石破大臣は部会で、見張り員が漁船に気づいたのは衝突2分前で、見張り員は清徳丸のものと見られる緑色を灯火を見た。イージス艦は1分後に後進したが、間に合わず衝突した、と説明した。海上自衛隊トップはこれに先立つ昼の会見で、「イージス艦は回避行動をとったと聞いているが、どのようにどの時点かは捜査に委ねたい」と答えている。こうして海自と大臣の最初の情報が一人歩きした。
緑の灯火とは、船の右舷を見たことを意味する。漁船はイージス艦の右前方にいたはずで、左舷の赤の灯火が見えなければならない。その漁船の右舷が見えるということは、「進行方向の左にカーブを切っていた」ことになる。つまり、イージス艦は右に回避すれば衝突の危険があるので、直進したのは当然の判断だった・・当初の情報はこういう解釈が可能だと印象づけるものだった。
海上自衛隊は、前任の当直士官をヘリコプターで運び出し、海上保安庁の承諾なしに事情聴取していた。防衛大臣も独自に聴取した。彼らは当然、衝突に至るまでのシュミレーションをしただろう。そして「2分前」から「12分前」に変更するに際して、その違いの意味についても検討しただろう。責任の所在と重さが異なってくるからだ(*注)。
「2分前の緑灯」を「12分前の赤灯」に訂正するまでの間、大臣は何を考えていたのか。
●「ウソ」をあばかれた防衛省と海上自衛隊
当初の発表は誤りであったことが次々に暴露されていった。最初に「ウソ」をあばいたのは漁船側だった。僚船たちと漁協は、海上自衛隊と防衛省の発表に対して「本当のことを言っていない、海の常識に反している」と即座に反発した。彼らは漁船のレーダー記録を公開して矛盾を指摘した。彼らの主張は海を知る人々に広く受け入れられ、海上自衛隊と防衛省を追いつめていった。
続いて海上自衛隊の関係者がメディアに登場し、イージス艦の行動を批判しはじめた。元海上幕僚副長は「漫然と航行していたという感じをもつ」「情けない措置だった」「おごり、油断の可能性がある」などと語った(26日、NHKニュース)。
こうして、防衛省と海上自衛隊が断片的な情報を二転三転させているなかで、衝突にいたる経緯が浮かび上がっていった。
「12分前」どころか、要員の交替前に漁船群の存在は確認されていた。その情報は当直仕官に引き継がれなかったか、あるいは無視された。交替後、見張り員は清徳丸を衝突直前まで見逃していた可能性が高い。最後の1分までイージス艦は危険を認識しておらず、「自動操舵」で航行し、回避行動をとらなかった。艦長はその間「仮眠」していた。
艦長は謝罪後の記者会見で、衝突現場が漁船で混みあう海域であることを理解していなかったと述べた。本当なら「船乗りの常識外」である。それとも知らなかったことにして責任を軽減しようというのか。どちらにしても言語道断である。
石破大臣は事実を明らかにしなければならない。弁解と居直りに終始するのであれば、海上自衛隊の腐敗にメスを入れることなどできるはずはない。
●民衆に敵対する「危機管理」
評論家たちの多くは海上自衛隊の「危機管理能力」を声高に叫んだ。衝突のその日、行方不明の親子を捜索する映像が流れているなかで、「漁船だったから良かった、自爆テロだったらどうなったか」という「識者」の発言がテレビで流れた。
渡辺大臣も同様の発言をした。読売新聞はこれを支持して、「漁船との衝突さえ回避できないようでは、日本の安全保障は心もとない。『万が一、自爆テロの船だったらどうするんだ』との渡辺金融相の指摘ももっともだ」と書いた(2月20日、社説「漁船との衝突も回避できぬとは」)。
このような「危機管理」論者の議論は、イージス艦と同様、漁民の生命や労働を無視している。海で生計を立てている人々や海運関係者たちは「なだしお事件」と同様、僚船や漁協の主張を支持した。それほど海上自衛隊に対する不信が蔓延している。「こんな小さな漁船を沈めて、どうして国を守れるのか」という漁民たちの訴えは、民衆犠牲をかえりみない危機管理論議、国防論議とは相容れないものである。
いっぽう石破大臣は、日本の自衛隊は特異な存在だと指摘している。日本には軍法会議はない。捜査権が海上保安庁にあることが海上自衛隊のプライドを傷つけている。それが今回の海上自衛隊の対応の背景にあるという趣旨だ。「改革」が責務として辞任を拒否する大臣は、イージス艦衝突事件を利用して、自衛隊の「治外法権化」に向かおうというのか。
イージス艦衝突の徹底究明、事実と責任を明らかにせよ!
インド洋上での給油活動再開を糾弾する!
「海外派兵恒久法」を許さない!
(3月2日)
(*注)自民党幹部は野党の追及にいらだって、「2分か12分かと言うが、7分ならどうなのか」と語気を荒げたという。そんないい加減な問題ならば、海自も大臣もこれほどこだわらなかっただろう。
20年前の「なだしお事件」では、「1分と2分」が争点の一つとなった。
「・・(潜水艦)なだしおの『航泊日誌』のいわゆる改ざんないし書換えが、何の目的で、誰によって、いつ、どのようにして行われたか・・改ざんの目的は、なだしおと富士丸の衝突時刻を実際の時刻よりも遅らせて記載することにあった。・・衝突時刻が少しでも遅い方が、なだしおが右転回避措置を終了して停止に近い状態のところに富士丸が左転してきて、衝突したということを主張できるからである。つまり、これによって、なだしおの右転回避義務の履行が遅れたということはなかったのだというアリバイを立証するためのものだったというわけである」。
「事故直後、航泊日誌を担当していた信号員は、ほぼ事実をありのままに次のように記載していた」・・「ところが改ざん後の航泊日誌には次のとおりとなっている」・・「後進一杯の時刻を1分、溺者部署発動と富士丸全没の時刻を2分もずらして変更していたことが分かる」。
「では、この衝突時刻をわざと遅らせるために誰がどのように工作したのか」・・
『続・なだしお裁判の真相−第一富士丸沈没の責任−』(照井敬著・成山堂1993年)より引用。
(*)なお宮城全労協の各組合は、当時、仙台海難審判庁での審判傍聴などを通して、第一富士丸関係者を支援した。
<沖縄県民大会(3月23日)に連帯しよう>
●外出禁止中、またも米兵が逮捕
沖縄署は3月2日、沖縄市で、米空軍嘉手納基地の上等兵を建造物侵入の容疑で逮捕した。この上等兵は容疑を認めているという。日米両政府が「遺憾の意」を表明し、米軍の綱紀粛正が強調されているにもかかわらず、米軍兵士による犯罪が繰り返されている。
外出禁止令が出された20日以降も、重傷の自動車事故、覚醒剤取締法違反の容疑で逮捕、さらに2月29日には海兵隊員がドル紙幣の偽造・行使の容疑で送検されている。
このような事態に町村官房長官は3日、「米政府、米軍に遺憾の意を再度強く申し入れる。再発防止策の協議にも一段と厳しく対応せざるをえない」と表明した。だが沖縄では「政府は腰が引いている」など、日米政府と米軍に対する批判が強まっている。「米軍は本当に兵を教育しているのか」「上層部だけが再発防止を言ってもまったく浸透していない」「今の綱紀粛正では歯止めはかからない」など抗議の声が続いている。
●被害者への卑劣な非難・中傷
2月13日、海兵隊の二等軍曹が女子生徒に暴行したとして逮捕された。2月29日、那覇地検は、被害者が告訴を取り下げたことによって、逮捕・送検されていた二等軍曹を不起訴にし、釈放したと発表した。地検は「そっとしておいてほしい」という被害者の意向を伝え、「その意向を最大限尊重しなければならない」とコメントした。
沖縄の状況はぜひ地元新聞のサイトをご覧いただきたい。たとえば沖縄タイムスは1日、「被害者に大きな重圧、問われる支援態勢確立」と題して、「結果的に、被害者は日米安全保障にかかわる政治問題を一人で背負い込むことになった。加えて一部報道機関が被害者への周辺取材を進めるなどし、県警は『二次被害』を懸念していた・・」という解説記事を掲載している。
事件が明らかになって以降、被害者への本末転倒の非難や中傷が、一部のメディアやサイト等でなされてきた。このような動きに抗議して、2月19日には沖縄県北谷町で緊急女性集会が開かれた。朝日新聞は、「事件直後に出した抗議声明で、米側への要求の一番目に『被害少女への精神的ケア』を掲げた。『あなたは悪くない。痛みを共有しています』と少女に伝えたかった」と、主催者の声を紹介した(2月17日)。
琉球新報は社説で、「本社にも(加害責任を問うどころか、まず被害者を非難する)読者の電話が届く」と明らかにし、「責めを負うべきは加害者であって、決して被害者ではない」と、被害者への誹謗・中傷の動きを強く批判した(2月18日)。
●県民大会(3月23日)に連帯しよう!
県民大会を準備してきた市民・住民団体などは、3月23日に北谷町で予定どおり開催することを確認した。8日には実行委員会の結成総会を開き、アピール文を発表する予定だ。
「被害者少女に配慮し、当初、予定していた『米兵による少女・婦女子への暴行事件に抗議する県民大会』の名称を『米兵によるあらゆる事件・事故に抗議する県民大会』(仮称)に変更する。県婦人連合会長が先頭に立つ。呼び掛け団体に、新たに連合沖縄も加わることも報告された。257団体(うち79団体は女性団体)は、実行委員として参加する予定」(琉球新報1日)。
自民党はすでに県民大会の不参加を決定している。2月28日の議員総会では、「海兵隊の全面撤退を求める野党とは基本姿勢が違う」「6月県議選を前に、野党の反基地運動に政治利用される」などという意見が相次ぎ、「野党主導になりかねない大会に参加すべきではない」と判断した。公明党も「県知事が出席できる状況なのか、今後の動向を慎重に判断する」という(沖縄タイムス1日)。
与党の対応は県民の怒りに背くものだ。すでに県議会をふくめ全市町村議会で米兵犯罪に決議する決議が超党派であげられている。「県民大会不参加」は県民を分裂させる利敵行為である。
県知事は容疑者の釈放に関して、「いずれにしてもこのような事件は決して許されず、他の事件が続発していることも事実だ。米軍、日米両政府は引き続き県民が納得できる形で具体的な再発防止策を講じ、万全を期してほしい」と表明した。県知事が県民大会成功のために尽くすのは当然のことだ。
3月23日、沖縄県民大会に連帯しよう!
日米両国政府への抗議を強めよう!
(2008年3月3日)
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