宮城全労協ニュース/第178号(電子版)/2011年3月14日

進まない沿岸部の安否確認(四日目、続報)
     〜虚脱感に負けてはならない。

       読者からの投稿
 
 
 四日目(十四日、月曜)早朝。宮城合同労組組合員たちと彼女の実家がある松島へ、そこから更に仲間の自宅がある東名まで行こうと車に乗った。昼、仙台にもどって続報を書いている。
 
 合同労組組合員の働くS職場(仙台中心部、市立病院近く)は二日目の夕方(?)から電気、水道が通った。この周辺の復旧が早く始まったようだ。ネット、固定電話、ファックスが一番早く回復した。携帯充電が可能になった。
 
 交通は比較的順調だった。時々、給油のための長い車列に出会った。周辺のコンビニ等はほとんど閉まっていた。
 
 JR仙石線松島海岸駅の手前で通行禁止の表示があったが、通行は可能だった。駅周辺は泥にまみれていた。横転した車もあった。瑞巌寺前では住民が復旧活動を行っていた。その奥は冠水していた。
 
 観光協会の職員は、「ここは津波でない、高波程度だ」と説明したそうだが、その意味はすぐにわかった。
 
 仙石線沿いに矢本、石巻方面に向かった。途中の海では養殖棚が散乱していた。郵便配達のバイクとはじめてすれ違った。東名まではいけない、と地元の人たちが言っていた。
 
 仙石線陸前大塚駅(東名駅の一つ手前)で消防団に止められた。「これから先には行けない。邪魔になるだけだから誰も入れていない」。毅然とした強い口調だ。
 
 仙石線のレール上に地元の人たちが座り込んでいた。「東名駅周辺はホームしか残っていない、野蒜周辺はかんぽの宿しか見えない」と告げられた。「内陸方面にある公民館かお寺に行けば何かわかるかもしれない」とも。
 
 移動の途中、「大船渡で三メートル、ただちに高台へ」というハンドマイクからの声が聞こえた。住民が次々と家から出てきて歩きはじめ、高台に登っていった。その様子からは、何度もこのような緊急避難を繰り返しているように感じた。「気を抜いてはダメだ」という話し声も聞こえた。
 
 そこから先の公民館にはたどりつけなかった。やむなく仙台にもどった。途中の川(吉田川か鳴瀬川か?)には流された家が浮かんでいた。土手にはいろんなものが打ち上げられていた。虚脱感に負けてはならないと自分を励ました。
 
 矢本、石巻、古川とはまったく連絡がとれない。河北新報の今日の朝刊は、石巻駅前の商店街周辺はまだ水浸しだと報じている。「ヘリコプターがひっきりなしに飛び回り、孤立した人々を次々と搬送」している。
 
 鉄産労の仲間が何度か仙台東部、東南部に車で向かっているが、南北を貫く東部高速道路あたりから沿岸部には入れないといっている。
 
 電通労組の仲間が、自宅のある石巻をめざしてレンタカーで東京から向かったそうだが、その後の連絡がとれていない。
 
 組合員たちは懸命に仲間と接触しようとしている。仙台の周辺、郊外はまだ不通だが、中心部は携帯が通じやすくなっている。昨夜から携帯の通じる仲間が増え始めている。
 
 名取、富谷、利府の電通労組の仲間とようやく連絡がとれた。山元の仲間とも連絡がとれたが、自宅は使えないという。
 
 今日、鉄産労事務所の電話が回復した。宮城全労協のホームページが更新されている。
 
  
 仙台市中心部ではコンビニ、スーパー、生協店舗などは部分的に開いており、人々が並んでいる。仙台駅前のダイエーには、早朝にもかかわらず数百人が並んでいた。時折、消防、救急のサイレンが響いている。
 
 昨日の早朝には、宮城県庁前から山形に向かう私鉄バスの臨時便が出た。実家に向かうのだろうか、数百人が並んでいた。全員が乗れただろうか。
 
(仙台・八木、十四日午後二時)
 
●以上
 
宮城全労協hp178号(4日目・続報)の写真説明。
 
上は、
 
●仙台新港コンビナートの火災現場から立ち上る煙(仙台市若林区蒲町の避難所より、3月13日)
 
中、下の2枚は、
 
●土砂に埋まるJR仙石線松島海岸駅周辺
(3月14日)
 
@@@撮影/宮城全労協事務局