| 宮城全労協ニュース/第185号(電子版)/2011年3月29日 |
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石巻地区からの通信と支援への御礼! 石巻周辺では仲間たちの生活再建・地域再建の闘いが始まっています。3月24日には大阪電通合同労組の支援隊ともども石巻地区(東松島、東名、矢本)に入りました。 本号の内容は以下の通りです。 ●全統一労組支援隊、南三陸町で活動! ●大阪電通合同労組支援隊、石巻方面へ! ●石巻の仲間たち、生活再建・地域再建へ! ![]() *写真は3月14日(月曜)午後撮影、石巻全労協・電通労組の仲間によるもの。 写真の中に「石巻市八幡町歩道橋」が映っている。 JR石巻駅から南東部で、市街地と湊地区を繋ぐ内海橋の湊地区側。日和山からよく映る、北上川の中瀬にあるマンガ館(石ノ森章太郎)の近く。 被災地を貫く国道398号の要衝。起点は石巻市で、女川〜雄勝〜北上(宮城県)〜志津川を経て、登米〜築館〜花山〜秋田湯沢市に至る。 ●全統一労組支援隊、南三陸町で活動! 電通労組は全統一労組の仲間から「支援隊が南三陸町に入る」との緊急連絡をいただきました。 全統一支援隊は3月20日夜に出発、21日、南三陸町に入り支援活動を行いました。支援隊は現地災害対策本部で、地元で足りない物資(たとえばミルク、下着、電池、カップ麺、等々)について意見交換したそうです。子どもたちへの本や玩具も喜ばれるとのこと。 第一便の様子は下記ユーチューブでも見ることができます。また第二便は27日に出発しました。 南三陸町をはじめ宮城県の水産業では多くの外国人労働者たちが働いています。 「外国人研修生・技能実習生は(ここには)60名いたようです。全員無事帰国しました。と、関係者から直接聞きました。会うことは出来ませんでした。/救援物資は、南三陸町災害対策本部に届けました。各避難所には、軽トラックで配送していました。喜んでいただきました」(全労協ファックス通信1464号・3月22日「全統一労組は南三陸町へ救援物資を10トントラックで搬入!」から) 【リンクURL】 http://www.youtube.com/watch?v=JMfZ1LCfE1k ●大阪電通合同労組・支援隊が石巻地域へ! 3月23日、大阪電通合同労組の支援隊が仙台に入りました。24日、支援隊と宮城全労協は東松島町を経て石巻市に入り、石巻全労協の組合員たちを激励し、ガソリンや灯油など地域活動に必須の支援物資を届けました(石巻からの報告をご覧下さい)。 同夜、仙台での対策会議で意見を交換。大阪電通合同の仲間たちは、阪神淡路大震災の様々な教訓の中から、とくに次の二つを強調しました。 避難所生活から仮設住宅への入居や居住区の移転への過程では、いわば「機械的な振り分け」ではなく、地域コミュニティのつながりを大切にする方法を見出して、被災者たちが励ましあい希望を共有する関係を作り出していくこと。 錯綜する被災地の諸関係の中で、労働組合あるいは労働者として、その解決能力を発揮すべきであること。 石巻への支援とともに、短時間ではありましたが意見の交換に感謝します。 ●石巻の仲間たち、生活再建・地域再建へ! (注)以下は石巻全労協・電通労組のHさんからの通信です。石巻周辺の状況を組合の仲間たちなどに伝えたものです。プライバシーを配慮して一部削除などをし、宮城全労協事務局の責任で掲載します。 <大阪電通合同労組・救援隊が来石、被災した地域の仲間を激励! (24日)> 3・11大震災以来、水、食料、電気、通信が断たれ、ガソリン、灯油などが入らず移動手段、暖をとる手段を奪われてきた。それでも、被災した人々は避難所で、また一階が水浸しの自宅二階でがんばっている。 地震に続く大津波から2週間が経ち、水道、電気、通信が回復しつつあり、地域住民は連日、へドロと飛散する埃と格闘しながら自らの生活を取り戻すために奮闘している。 救援物資は避難所になかなか届かない。街のあちこちにある瓦礫の山はそのままに放置されている。 そのような状況のなか、ガソリンと灯油を積んだ大阪電通合同労組の仲間と宮城全労協の仲間が石巻に駆けつけ、組合員たちと家族を激励した。 郵政合同労組の組合員が住む東松島市東名(野蒜(のびる)海岸近くの地域)は、この時期は潮干狩りでにぎあう奥松島の景勝地で、海岸線をJR仙石線が走るのどかな地域である。 大阪の仲間と国道45号線で合流し、東名地区に向かう。閑静な田園を横切り、一山を越えると状況は一変する。 野蒜小学校周辺は、床上まで浸水した海水とヘドロでぐちゃぐちゃの家々。小学校の校庭には無数の車が流されてきたのか校舎に突き当たり重なり合ったまま止まっている。 仙石線の踏み切りはドロに覆われ、線路は錆び上がったいた。海と繋がる運河には、流された家屋や車が無惨に沈んでいる。 県道を走ると自衛隊による復旧工事で通行できない。途中で車を置き、仲間の自宅まで徒歩で向かう。 東名駅は破壊され、レールは海側からの津波の力で山側にえぐられ枕木ごと垂直に立っていた。津波の力の恐ろしさを改めて感じた。「畏れよ!」である。 仙石線沿線から山側にある仲間の自宅は、床上浸水で一階は泥のなか。お連れ合いさんと必死にヘドロと格闘したのだろう、少しずつ片付けられつつあった。本人はガスコンロを買いに矢本地区(自宅から10km)へ自転車で出かけて留守であったが、お連れ合いさんは私たちの訪問に「心がぼろぼろで壊れそうになっていました。皆さんの激励に勇気をもらいました。」と感激していた。 お互いに頑張りましょうと声がけをして別れ、定年退職して自宅で過ごす次の仲間の自宅に向かう。 この仲間は、お連れ合いさんとともに間一髪車で津波から逃れ、現在はご子息の住むA県に避難している。 自宅は海岸の近くであるが、こちらも床上浸水で流されずに建っていた。飼い犬が二匹繋がれたままになっていた。 大阪の仲間は、「阪神・淡路大震災の時もペットの避難について問題になった。対策が必要だね。」と語っていた。 海岸近くを見に行くと、海岸に近い田畑は海水が引かずに留まっており、海と思わんばかりである。防潮林の松林は破壊され、瓦礫が延々と続く風景が目に刺さる。災害派遣の自衛隊員にも疲労がたまりつつあるようだ。 大阪、宮城全労協の仲間と別れて、石巻へ戻る。途中、矢本地区に住む、こちらも床上まで浸水した郵政合同の仲間の自宅を激励訪問。仲間は、家族全員の車3台がダメになったと落胆していた。私たちの住む地域は、移動手段に車が欠かせないからだ。 一瞬にして変貌した故郷。 この現実から出発しなければならない。私たちには、支えあう仲間がいる。この仲間たちと前を向いて歩んでいきたいと思う。 大阪の仲間たち、ありがとう。 (2011年3月24日) <古川から組合員が今日も激励に来石!(25日)> 昨日の大阪電通合同労組の仲間の激励に引き続き、本日も私達の自転車やガスコンロのリクエストに応えて、支援物資等を満載して古川(*現大崎市)から組合員が来石。激励支援を受けた。 早速、津波で車を失い、更にガソリン不足で移動手段を失った仲間や地域の方々に自転車を届けた。 また、頂いた支援物資とガスコンロ、ボンベを東松島市の東名地区に住み、電気、水が断たれているなか自宅の二階で避難生活を続けている郵政合同労組の仲間に届けた。 その後、あまり報道されていない鳴瀬川河口の周辺を見て回った。 この地域には、全国一般宮城合同労組S支部の元支部長が住んでいるところである。野蒜海岸から百mのところで、家々は土台を残すのみで完璧に破壊されていた。 インターネットの避難者名簿で情報を得て、前日まで東松島市内の避難所を探しまわって、隣町の松島町品井沼地区の避難所に町内会全員(約90人)が移ったという情報をつかみ、今日、訪ねてみた。 しかし、本人と家族はそこにはおらず、誰も見ていないということで不安が襲った。いろいろ探してもらった結果、町内会の班長が生、死、不明者リストを作成しており、家族3名の名前があった。どこかで生きていることを確信し、帰路に着いた。 (2011年3月25日) <安否確認は続いている!(26日)> 本日は、「東北全労協大震災対策本部」のKさんが、ガソリン、灯油、支援物資を積んで石巻に来て頂きました。3日連続の支援に感謝申し上げます。早速、地域の仲間に届けました。 家屋損壊が1家族(避難所)、床上浸水が4家族、そのうち被災していない仲間の家に避難しているのが1家族、実家で避難生活をしている1家族、自宅の2階で生活をしているのが2家族・・など。電気、水道が復旧していない状態での生活が続いている仲間もいます。床上浸水した仲間は連日の後片付けで疲労困ぱいです。 Kさんは石巻に物資を届けたあと、(*さらに北上して沿岸部の)雄勝地区へ状況把握と物資支援に向かいました。雄勝船越地区の仲間は犠牲者が一人もいなかったとほっとしていました。 支援活動も、全労協や組合員への支援から、地域とりわけ市街地から手が届いていない沿岸部にどのように展開していくのか課題です。 私は仲間に支援物資を届けたあと、津波で破壊された湊地区にある連れ合いの実家を見に一緒に行ってきました。 ヘドロと瓦礫をくぐりながらやっとの思いでたどり着きました。震災後、始めてです。一変した生家に落胆した連れ合いの姿を、私は見ることはできませんでした。 寝たきりの義母は、たまたまショートステイで実家を離れていた為、津波に遭遇することなく難を逃れました。同じ敷地内に住む義兄夫婦も同時に自宅を失い、今、私の家で避難生活を送っています。これからの生活をどうするのか、これからの問題が山積みです。 被災から2週間が過ぎ、我が家のなかにも体調を崩して寝込む者も出てきています。T組合員も嘔吐、下痢、発熱で昨晩から体調を崩しています。 長期化する被災生活は、健康にも留意しなければなりません。みなさんも無理をせず充分体調には気を使ってください。 私は明日、郡山に実家があるattacの仲間が高速バスを予約してくれていました。車で郡山に向かい、高速バスをつないで一旦、東京に戻り被災地の状況を報告してきます。 (2011年3月26日) ■以上/宮城全労協ニュース185号(2011年3月29日) |