◎地震から一ヶ月、被災地を襲う余震
◎投稿「気になっている二つのこと」


写真/東松島市野蒜(のびる)地区(石巻全労協・電通労組Hさん撮影、4月3日)。(上)かんぽの宿周辺、(下)JR仙石線野蒜駅構内。
津波は「貞山堀」を越え、仙石線を破壊した。石巻市の旧北上川河口から阿武隈川河口まで、仙台湾の半分を結ぶ貞山堀(日本最長の運河)周辺は壊滅的な被害を受けた。しかし、それでも被災沿岸部の一部に過ぎない。
●被災地を追撃する余震
大震災から一ヶ月を目前にした4月7日深夜、強い地震が宮城をはじめ東北地方を襲った。宮城県では最大、震度6強の揺れが観測された。幸いにして(宮城県沖合いの震源地が深かったために)津波の被害はなかったが、被災地への打撃は大きかった。
宮城で死亡した3名のうち2名の高齢者は「ショック死」だったという。入院中の患者たち、介護・福祉施設の入居者、また自宅療養の人たち、子供たち、避難所生活を余儀なくされている多数の住民たち。いわゆる「災害弱者」たちの心労はいかばかりだったか。
自治体も住民も、復旧に向けた懸命の闘いのさなかだった。広範囲にわたる停電、ガスと水道の供給停止、JR在来線と東北新幹線の運行中止など、インフラ機能の回復には再び時間と労力が必要となった。ハローワークをはじめ自治体業務に大きな支障をきたしている。多数の店舗が再び休業を余儀なくされている。
人々の不安はそのような直接的被害によるものだけではない。
第一に、東北電力・女川原発(と青森の東通原発)は「使用済み燃料プールの冷却機能が一時(最大1時間20分)停止」した。
「頼りない命綱/安全に疑問」と地元・河北新報は報じた(9日)。「福島第一原発事故が、なお収束のめども立たない中、地震国・日本の原子力関連施設が抱える課題の大きさが、あらためて浮き彫りになった」。
地震の直後、女川原発について東北電力と安全・保安院は、外部電源は点検中の一回線を除いて四系統あり、そのうち三系統が地震の揺れによって遮断されたが、一系統が機能していると繰り返した。外部電源がすべてダウンした場合、緊急用の電源はどうなっているのか。またそれも機能しなかった場合、原発の安全性はどのように確保されるのか。肝心の点については触れなかった。東北電力は、事態を重く受け止めている、原因を分析して再発防止につとめたいとコメントしたが、「未曾有の被害を招いた福島第一の電源喪失と紙一重」(河北新報)の事態に対する責任ある対応とはとうてい言えない。
第二に、一連の地震と「宮城県沖地震」の関係について県民は大きな不安を抱いている。
宮城県沖地震は30年から40年の周期的発生が確認されており、前回(1978年)の記憶は生々しく残っている。
今回の余震は「宮城県沖地震」には相当しない、との見方が強いという。しかし一方、3月11日の巨大地震によって宮城県沖地震はいわば「流された」との見解があると報道されていた。宮城県沖地震を発生させるエネルギーは依然として蓄積中なのか。宮城県沖地震がごく近い将来、誘発されるのではないかとの不安が募っている。
また3月9日には三陸沖地震が発生していた。宮城県北部で震度5弱、三陸海岸では養殖棚が津波の被害にあった。気象庁などは、想定される宮城県沖地震との直接の関係はないと発表した。この地震は別の関心をよんだ。「長周期地震動」の可能性がとりざたされたからだ(日経新聞3月10日「都庁のエレベーター止まる/震源から430キロ、震度2なのに」)。3月4日、内閣府の委託を受けていた日本建築学会が「東海、東南海、南海が連動した場合、超高層ビルの揺れは想定の最大二倍になる可能性がある」と指摘し、警告を発していた(毎日新聞3月5日)。そして11日、大地震当日の河北新報は「(長周期の地震動による)想定外の揺れに備えたい」というタイトルの社説を掲載していた。
9日の地震と11日の「本震」との関係について明快な説明はなされていない。
●大震災から一ヶ月〜安否確認、救援から支援へ
宮城全労協はこの間、組合員、家族・親族、仲間たちの安否確認に全力をあげてきた。全労協組合員は沿岸部の居住者を含めて無事であることが確認された。しかし家族・親族を亡くした組合員たち、今も行方不明の親族を捜索し続ける組合員たちがいる。
家屋を失ったり大破した仲間たち、ライフラインの復旧を待つ仲間たちへの救援活動が続いている。宮城合同労組など全国一般全国協議会の各組合は被災者への労働相談活動に取り組んでいる。
次の大きな課題は漁業、農業、職場のすべてを同時に失った沿岸部に対する支援だ。地震と津波の多発地帯である東北地方の太平洋側で再び暮らし、産業を興し、故郷を再建するためには、長い時間と闘いが求められる。既存原発を停止させ、脱原発社会に踏み出すことが同時に必要となる。
いっぽう「復興」を利用しようとする者たちの動きがある。
竹中元大臣は「動き出した復興、二つの懸念」と題する文章を発表した(日経新聞電子版4月5日)。「復旧・復興・改革というプロセスを一体化し、シームレスに実行できるかどうか」「例えば、東北の農業復興に当たっては、単に元の状態に戻すのではなく、環太平洋経済連携協定(TPP)対応型の競争力ある農業にすることを目指すべきだ」「自治体の復旧に当たっては思い切った市町村合併を進め、強い基礎自治体ができるようなインセンティブを与えるべきだ」「基金の創設に当たっては、道州制の先取りのような形で大幅な権限を地域に委譲すること」などと主張し、「大胆な構想力」や「リーダーシップ」を政府に求めている。
TPPや道州制は、民主党政権が抱えていた懸案事項だった(自民党政権であっても同様だろう)。大震災からの「復興」を、これら「難問」を突破させる契機にしようという類の
議論が様々な場で出始めている。東北地方の農業現場からTPPへの反対が噴出し、自民党はおろか、民主党も多くは反対論だったことはどうなるのか。農地を失い、また原発によって作付けもできず、畜産の展望も立たない農民たちが、まったく無視されている。
道州制はどうか。自治体や住民から政府に対して、地元の実情を大切にしてほしいとの声が上がった。福島原発に関する政府の一律同心円規制への批判もそうだ。大震災は道州制の問題点を浮き彫りにしたというべきなのだ。
何よりも竹中元大臣の主張には、原発に関して一言の言及もない。自己責任と市場競争を政策原理にすえ、安全規制の緩和を推進した小泉構造改革への反省など微塵もない。
岡田民主党幹事長は被災地で、「新しい東北づくり」の観点が必要だと述べた。竹中的な主張と同様の発想がかいま見える。
新自由主義者たちの暗躍を許してはならない。(2011年4月9日)
(注)以下は読者からの投稿です。
<3.11東日本大震災から一か月、
〜気になっている二つのこと>
強い余震が何度も繰り返し続いている。中でも4月7日深夜の地震はM7.1で、宮城県内の最大震度は6強と大きなものだった。
私事だが、3.11震災でそれまで住んでいた老朽マンションが被災し、比較的被害の少なかった母親の居宅に避難して過ごしている。東日本が被災からの復興を目指し立ち上がろうとした矢先の、しかも場所によっては本震よりも強い揺れと深夜の津波警報に、各地から悲鳴にも似た嘆声が届く。仙台市内の比較的被災が少ない地域に避難して過ごしている私ですら、深夜の大地震の恐怖と、その地震がもたらしたさらなる被害拡大に心が縮む思いでいる。
4月8日午後になって、私の3月までの勤務校(小学校)の同僚Kさんが電話をくれた。学校のある県南のS町では、この余震で再び水道が止まり断水状態に陥り、復旧のめどが立たない状態だという。14日に始業式(前年度の終了証書もこの日に渡される)を 開くことを決め、何とか進められていた年度始め計画なのだが、その実施すら危ぶまれている。
S町だけでなく、仙南広域水道の七ヶ宿ダムからの送水管が大きく破損したため、周辺の8市町村で再び断水したことが新聞でも報じられている。
子どもたちはあの3月11日以来、クラスの友達が一堂に会する機会を奪われ続けている。学校教職員の疲弊も気になるところではあるが・・・。そして、県南地域の放射線量も大いに気になるのだが・・・。せめて、子どもたちが集まり、友だちと出会える安全な「場」を、一刻も早く保証してほしい。
この場を借りて、気になっていることを書きたい。
◎(その1)「原発事故をめぐって・・・」
震災2週間ほど後の数日間、仙台市若林区に震災・津波の後片付けのボランティアに行っていた私の連れ合いが、その日の夜に聞かせてくれた話。
たまたま一緒にボランティアで土砂片付けに行った学生のこと。彼が原発の安全性を強く訴えるので、よく聞いてみたら、地元国立T大学工学部原子核工学科の大学院生で、この春からは東京電力に採用が決まり、しかも配属先が福島第一原発だという話だ。
彼は優秀で有能な原子核科学技術者なのだろう。しかも、震災被害に心を痛めボランティアをかってでる優しさと行動力を持った好青年に違いない。その彼が、「核科学技術者」としての自己を支える「原発安全」の確信は何によるのだろうか。福島第一原発のこれだけの放射線漏れ(溶融)事故を目の当たりにしても揺らぐことのない「原発安全神話」には驚かされる。また、正直恐ろしさも感じる。強固な「安全神話」は、どのようにして作られたのか。
実は学校教育も「原発安全神話」拡大の責任の一端を担ってきている。「クリーンで安全なエネルギー」であることを宣伝するパンフレットを学校ルートで配布し続けてきただけではない。文科省が特設の時間を設けて「環境教育」の名のもとに、安全で安価なエネルギーとしての「原子力」発電について、学習指導するように推進してきたのは十年ほど前のことだったか・・・。その上、地球温暖化の主因が二酸化炭素排出であるとして、二酸化炭素削減の名目で「原子力=クリーンなエネルギー」論が力を増し、電力会社・政府主導で「安全でクリーンなエネルギー」のキャンペーンが原発推進派の著名な「知識人」を総動員する形で強力に推進されてきた。その結果、若い世代の中には「原発安全神話」が、自明のこととして強く刷り込まれてきたのだと言える。
個々に名前を挙げることはしないが、原発推進派の学者や著名な「知識人」たちも、私たち学校教育に携わってきた者も(その協力の度合いに大小の差はあれ)、その責任を免れることはできない。
3月11日の大地震直後から始まり、日々深刻さを増してきた、福島第一原発の放射能漏れ(溶融)事故だが、一か月を経ても収束(終息)に向かう兆しは見えない。被災し亡くなった家族・身内を捜すことすらできずに避難を余儀なくされた周辺地域住民の心のうちを思うとき、あまりの無念さに言うべき言葉も見つからない。東京電力の無責任さ・いい加減さに加え、事故後の政府の無能さにも心底、怒りを覚える。農産物・水産物の汚染や土壌・海洋汚染の可能性まで含め、正に二重三重に「人災」の様相を成している。
今回の福島原発の事故に関して、様々な科学者・評論家や団体・個人が、様々に見解や見通しを出し続けてきている。それらの内容を一つ一つ検証してはいないが(またその余裕はないのが現実だが)「原子力資料情報室」の情報はその信頼性においてきわめて重要だと思っている。
その「原子力資料情報室」の創設(1975年)に深く関わった高木仁三郎氏さん(故人)について、思い出したことがある。
高木さんは、亡くなる2〜3年前、宮城県女川町公民館(?)で開かれた「女川原発差し止め訴訟」関連の講演会に、講師として訪れたことがあった。高木さんが、その日の講演で、原子力発電の脅威について語ったなかで、「反核・反原発」運動の持つべき射程として、核物質および核廃棄物を相当長期にわたり安全に管理し続けなければならないことに関して、とくに時間を割いて語っていたことを思い出す。
高木さんは、「反原発」の立場に立ちつつ、この先、原発を廃炉にすることも含めて、核物質および核廃棄物を安全に管理していく技術の開発・継承とそのための有能な核技術者を準備・養成していくシステムの必要性にふれ、自らの世代の核科学技術者が担うべき歴史的責務であることを熱く語っていた。
今、福島原発事故の収束がまったく見えない中、手のひらを返したような無責任な「東電解体」論や「放射線被曝」への恐怖ばかりが増幅されかねない局面を迎えている。その責任の第一は、もちろん東京電力首脳部と政府が負うべきものだが、厳密な意味で、的確な情報を発信する専門家(原子核科学技術者)が余りにも少ないことにも因っていることを痛感する。
話の発端の彼(今春採用された東電の核技術者)は今どうしているだろうか。今春に1000余人の新人を採用した東京電力の一員として、まだ新人研修の最中かもしれない。あるいは、人手不足の福島第一原発にすでに配属されているのだろうか。
彼のような若い核技術者(原発に賛成であれ、反対であれ)たちも含めて、全国の核科学・技術の専門家、被爆医療の専門家・・・の総力を集めた「対策会議」を政府主導のもとで開催すること。そして、その場で、原発事故の現状と見通し、廃炉への道筋、周辺の土壌・海洋の汚染の分布・拡大の現状と予測、農産物・水産物の汚染やいわゆる「風評」被害、さらには放射線被曝に対する医療等々も含めての、想定されるあらゆる非常事態に備えること、今できる最善の的確な対処(冷却と放射線流出の停止)を検討し、直ちに実行に移すことが必要なのだ。
「想定外」という言葉の曖昧さを許さず、厳密に科学的で、正確でウソのない「情報」を遅れることなく提示することが、事態を一刻も早い「収拾」に向かわせる早道を示すに違いない。
◎この間、気になっていること(その2)
「東北朝鮮学校への宮城県の補助金打ち切りのこと」
宮城県が次年度(2011年度)の東北朝鮮学校への「補助金」打ち切りを決め、3月25日に通告したことが、地元紙(河北新報3月31日朝刊)で報じられた。
今回の震災では、仙台市太白区八木山にある東北朝鮮学校も大きな被害を受け、校舎が沈み込み、傾いたり、窓ガラスが破損する等の被害を受けている。学校の寄宿舎を宮城県内の在日朝鮮人被災者の避難所にし、早い段階から復旧にむけた取り組みが進められていた。全国の在日朝鮮人同胞の支援(人も物資も)が入り、いち早く県北や沿岸沿いの被災地に支援物資が(日本人被災者にも)届けられてきた。3月20日には朝鮮学校近くの八木山中学校で第1回目の支援炊き出し(400食)を行い、3月23日には仙台市沿岸部の被災者が避難する蒲町中学校で第2回目の炊き出し(600食)を行うなど、また石巻市市街地での炊き出しなど、様々な支援活動を行ってきている。
これらは東北放送のニュースで「国境を越えた復興への歩み」としてテレビ放映され、日本人被災者からも感謝の電話が学校に寄せられるなど、各地で大きな感動をよんでいる。3月27日には遅れていた初中級学校の卒業式を行い、4月12日には入学式も実施できる運びとなっている。
そんな折、宮城県の村井知事は、北朝鮮による一昨年の「核実験」や昨年の韓国砲撃を受け、「情勢と県民感情」を理由に、今回の打ち切りを強行した。大阪の橋本知事、千葉の森田知事に続く排外的な動きとして、多くの心ある宮城県民は深く憂慮している。
そもそも、税金は日本人と同じに徴収されながら、住民としての権利は剥奪されている在日朝鮮人の置かれている現状は、教育においても一層顕著である。文科省は、朝鮮学校が「学校教育法」の第一条校に該当しないことを理由に「学校」と認めずにいる。その結果、大学進学でも不利益を被り、私学学校への「補助金」の対象からも除外されている現状にある。この現状を憂うる多くの県民の要望によって実現していた「補助金」制度だが、村井宮城県知事は、その限られた額の「補助金」すら、今回打ち切ってしまうというのだ。
大震災からの復興が急がれる今、問われているのは、復興の内実だ。自然の猛威の前に大きな被害を受けた東北朝鮮学校に対し、被災した日本の学校と同じに支援の手を差し伸べるべき行政当局(宮城県教育局)が、あろうことか「補助金」の打ち切りを通告する事態は、断じて許すことができない。
一体、誰のための復興か。どのような復興なのか・・・。村井宮城県知事は猛省し、「日本人だけによる、日本人だけのための復興」という、誤った偏狭な民族主義を捨て、日本に住み暮らす全ての人々に開かれた復興の道をこそ目指すべきではないのか。
事態は急を要している。朝鮮学校に支援と激励を集中しよう。開かれた日本社会を目指す震災復興の道を共に歩んでいくために、村井知事の「補助金」打ち切りを撤回させるために、できることから始めていくつもりだ。
2011年4月9日(G)
■以上/宮城全労協ニュース188号(2011年4月13日)

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