G8対抗行動(仏)の報告〜
日本の原発労働者に強い関心
(注)6月下旬、フランスで「G8」が開催された。「先進国首脳会議」の参加首脳は、大陸からは今回の開催国であるフランス、ドイツとイタリア、そしてロシア。イギリスと米国、カナダ、そして日本。
対抗して、各国・地域からG8に反対する労働者市民が結集した。対抗アクションには7千人が結集した。
フランスの仲間たちからの要望に応え、東北全労協対策本部は代表を派遣した。以下は対抗アクションに参加した仲間からの報告です。

フクシマに心を寄せる脱原発への世界的流れ!
〜フランスG8対抗アクションに7千人
5月26日〜27日、フランス北部の保養地、ドーヴィルで主要8カ国首脳会議(G8サミット)が開かれた。日本政府の原発に対する態度表明に注目があつまった。主催国であり原発大国であるフランスからは、大震災以後いち早く大統領が訪日し、日本政府を激励(つまり牽制)してG8に備えた。フランスは原発関連企業による汚染水対策プラントを「輸出」するという「商魂」も発揮した。
今回のG8の最大の関心事は福島原発事故だった。原発の安全基準の再構築が各国の内政問題となった。一方、日本の「脱原発」への転換は阻止しなければならない。こうしてフランスは菅首相に冒頭発言の「栄誉」を与えた。
脱原発の声は大きく広がっている。菅首相は再生エネルギーの目標達成の前倒しを表明したが、国家政策としての脱原発には触れなかった。日本の内情は別として、G8会議は、日本は「原発推進」だと追認したのだった。(その後、海江田が安全を宣言し、菅首相が追認した。)
ドイツ、イタリア、スイスが「脱原発」の国民的な声に転換を余儀なくされていた。原発輸出国、立地国は民衆の圧力に押されている。「フクシマ」がその原動力になっている。
日本の私たちはどうするのか。故郷・福島を思うにつけ重い気持ちだったが、世界社会フォーラムなどのつながりもあって要請を許諾し、被災した労働者・住民たちの思いを胸にしてフランスに向かった。
●圧倒的なデモンストレーション
G8に先立って21、22日、「対抗アクション」が隣県の港湾都市、ル・アーブルで取り組まれた。フランスのSUD−PTTとソリデール、Attacフランスなどが中心となって準備され、パリでも集会が組織された。
21日、7千人が「反G8!」のデモを開始した。街には「戒厳令」ともいえる警戒体制が敷かれ、多数の「警官隊」が動員されていた。後で聞いた話によれば、当局は「暴徒」が来るので「開店」しないようにと商店などに要請したそうだ。
デモコースも市中心部は許可されず、海岸通りを巡ぐり巡った。集会参加者のバスが言われもない弾圧を受けたりして「サルコジの威信」を賭けた徹底した警備体制だった。
しかし、そのような対峙の中でも、デモは私たちがテレビ等でかいま見るように、実に情熱的でカラフルで、力強く、しかも毅然としたものだった。
「反G8!」の大きな横断幕を掲げ、SUD、Attacフランス、NPA(新たに結成された反資本主義政党)、社会運動や市民運動団体などが賑やかに示威行動を展開した。多くの住民がアパートから顔をのぞかせ、手を振っていた。

福島原発事故の衝撃が欧州を駆け巡ぐっていた。欧州全域で脱原発運動のうねりが広がっていった。ドイツ、イタリア、スイスの政策転換をもたらした。原発大国・フランスでも、原発には依存できないという新しい機運が拡大している。
こうして、デモ行進でも「フクシマ」という言葉が何度も大きくあがっていた。
軽快な打楽器のリズムに合わせてステップを踏む参加者など、それは陽気で熱気溢れるものだった。
デモ終了後、開催地点の大きな広場で集会が行われた。参加団体が様々に出店していた。さながら日本でいう「屋台村」の趣きか。参加者が飲料や食べ物を買い、思い思いの場所に陣取り、そうして集会が始まった。
ここで集会の全容を紹介することはできないので、別の機会にしたい。多くの発言の中で、私には、チェルノブイリから参加した労働者やフランスの原発労働者の話がとても印象的だった。
●「ヒロシマ・ナガサキ」と「フクシマ」
チェルノブイリの労働者が発言した。いまなお続くチェルノブイリの悲劇、展望が切り開けない住民たちの苦悩が述べられた。
続いて私から「東日本大震災」に対する支援・連帯の御礼を述べ、福島で現実に起こっている状況を報告した。
「自然社会と原発は共生できない」ことの教訓を、悲痛な現実に踏まえて再び肝に銘じ、脱原発への国際的な取り組みを進めようと訴えた。日本で6月11日に計画されている「100万人アクション」の取り組みも紹介し、世界各地での連帯を提起して大きな共感と連帯の拍手をいただいた。
翌日、5つの分科会に分かれて報告・提起、そして討論が行われた。私は、脱原発問題の分科会に参加した。参加者は150名ほど。ロシアとフランスの原発労働者、フランスの反原発活動家から冒頭の問題提起があった。
私も提起の一員になり「ヒロシマ・ナガサキが世界に問うているもの」を一つの軸にしながら、現在の福島原発事故の状況と、そのような事態をもたらした背景について報告した。短時間でうまくまとめられなかったのは、少々残念だった。
なぜなら、私は、日本の三つの都市の核による悲劇をヨーロッパの皆さんに伝えたかったからだ。会場では丸木美術館から送ってもらったパンフレットを配布した。「原発の図」画集も「回覧」し、多くの人たちが見入っていた。だから、ますますそういう思いがつのったのだ。
戦争と原発。それぞれの背景がある。その教訓の上で、現在生きている人々が、人類に対してますます高まる将来へのリスクを取り除くために行動すること。それは、実は、日本の「ヒロシマ、ナガサキ、ヒバクシャ」が世界に発信し続けてきた事ではないのだろうか!
地震・大津波が数百年単位で断続的に日本列島を襲い、壊滅的被害をもたらしていた、備えが必要だと、いまではどの新聞も書いている。当然だ。しかし、広島、長崎、福島はこの百年以内に日本で起きたことだ。日本の三つの都市が、それぞれの背景のもとに、核被害の犠牲となった。そのことを「途上国」を含めた各国の仲間たちとどのように共有していくか、大きな課題だと感じている。
●「福島の原発労働者」に寄せる思い
分科会にはチェルノブイリの労働者も参加した。エネルギー供給のためには原発は必要と宣伝されており、また民主主義的な情報公開はないと報告していた。
フランスの原発労働者との交流もあった。それらを通して感じたことは、原発労働者の役割、労働条件について、社会的な関心が高いということだ。これは日本とは大きく異なる。
原発大国のフランスでも、原発労働者は日本と同様に差別的な雇用体系のもとにあるという。下請け、孫請けの「下層連鎖」の下にあって、有期雇用でもある。しかし、日本と違うのは、まず、原発労働者の諸権利の承認・拡大を求めることは当然だという要求があり、労働運動のテーマとなっていること。そして、原発労働者たちと反・脱原発運動との共闘を進めることが大きなテーマになっている、ということだろう。
「原発を止めろ」という市民・住民の闘いが発展している。一方、原発労働者はどのような労働条件で働いているのか。両者の関係は日本ではどうなっているのか。原発労働者がいなければ「収束」はできない、原発労働者を追いやっては(社会的に排斥しては)ならない。そのような意見が出されていた。
フランスをはじめ欧州では、日本の労働者と労働組合の状況が否定的に(当然だが)とらえられているが、今回、具体的に福島の原発労働に関する危惧や疑義を抱いているように強く感じた。
日本の原発労働者は無権利だ。東電と経産省がようやく福島原発の実態の一部を公表したが、それは「氷山の一角」にすぎないと労働者の皆が思っている。原発労働者の実態が内部告発されてから長い時間が経つ。堀江さんの「原発ジプシー」は1979年だった。何も改善されなかった。労働者派遣法が原発労働を合法化したともいえる。
フランスでは原発労働者への監視が強まっているとの指摘もあった。それは、原発の国家管理という、もう一つの問題を提起していた。
米国は原発防衛を強化せよと日本政府に要求していた。テロへの備えだといわれている。日本政府の正式コメントはないが、日本へのいらだちが伝わってくる。原子力発電所は核爆弾保有に関する特異な国際関係の監視の下にあるが、日本は非核爆弾保有国の中で例外的な位置を認められてきた。核燃サイクルもそうだ。
米国等が日本の原発管理に疑いをもっていることも明らかになった。だが、大陸側の「日本海沿岸」に多数の原発を立地した日本は「(日本が仮想敵国を極東・東アジアに想定している以上)明らかなリスクを犯している」との指摘は、実は原発反対派からなされていたのだった。
どこから考えても、日本の原発政策は破綻した。福島の悲劇を背負いながら、私たちは日本での脱原発運動を発展させ、政官財の原発政策を転覆させていかねばならない。そのように考えさせられた訪仏だった。
高橋喜一(宮城全労協/電通労組)
2011年6月10日
■以上/宮城全労協ニュース197号(2011年6月24日)

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