宮城全労協ニュース/第209号(電子版)/2011年11月21日

最低投票率の県議会選挙/
女川で反原発候補3名当選




 11月13日、宮城県議会選挙と女川町など4つの町議会選挙が同時に投開票された(女川町長選挙は無競争当選)。県の選挙管理委員会の決定により、県議会選挙は震災から7か月後となった。

 同じく延期されていた仙台市議選は8月28日に実施された。おそらく総務省の意向もあって同時期実施が模索され、確定的と報じられたこともあった。沿岸自治体からは県議選の先送りの要求があったのだろう。とくに石巻市は、広域合併による自治体機能の喪失が復旧・復興を妨げていると大きな問題となっていた。



<自民党会派は過半数を維持、民主党は後退>


 県議選の結果は、おおむね以下のようなものだった。

 自民党は被災地などで現職が落選し、前回より2議席減の28議席(定数59)にとどまったが、保守系無所属を加えた会派で単独過半数を確保した。公明党(前回と同じ4議席)を加えた県政与党は「安定多数」を得た。

 民主党は前回より4人多い13人を擁立したにもかかわらず、現有から2議席を失い、7議席となった(会派には推薦候補1人が加わる)。立候補した現職8名の前回得票は62,174票であり、前回の109,787票から実に47,613票を減らした(読売新聞)。仙台市の実績ある長老議員は前回の半数以下に落ち込み「逆風」の激しさを示した。新人候補は全員が落選した。党首選挙での党内対立状況に加え、野田政府の「TPPと増税」が陣営に重くのしかかった。安住財務大臣は被災地の地元で苦しい弁解演説を余儀なくされた。仙台市議選(定数55)では、前回07年の9議席から7に減らしている。こうして退潮傾向は続いている。

 社民党は公認候補3名、仙台2、大崎1で全員当選を果たした。とくに地域での継続的な活動が評価されたと報じられている。

 共産党は過去最多の4議席を獲得し、議席を倍増させた。「低投票率が組織政党に有利に作用した」(各紙)だけではないだろう。被災地である石巻・牡鹿選挙区では、多くの票を積み上げ、定数5名中3位で初議席を勝ちとった。定数2議席の塩釜選挙区でも獲得票を伸ばし、新人候補の当選を果たした。村井知事は(本心は定かでないが)「県政批判の受け皿になったのでは」と感想を述べている。

 みんなの党は2議席にとどまった。仙台では5選挙区の全区で立候補したが、当選したのは宮城野区だけだった。



<41.69%、最低の投票率>


 保守系会派議員は秋の県議会定例会で、焦点の一つである「水産業特区」をめぐり混迷・錯綜を重ねた。土壇場の本議会採決で、被災地以外を中心とする多数が支持に回って成立させた。県議会選挙で知事推薦のお墨付きが必要だったとされる。

 選挙で自民党系候補を支援した村井知事は、県政与党の勝利は県の復興方針が支持されたものだと強調した。

 当日有権者数160万1821人に対して、投票率は過去最低の41.69%となり、初めて50%を、しかも大きく下回った。震災下の復旧・復興のなかで、この結果が突き付けられた。知事も県政与党も、ここに示された「県政不信」の自覚があるか。


 仙台市議選と切り離して実施されたことが低投票率につながった。仙台市長もそのような趣旨のコメントを出した。宮城県の一極集中都市である仙台市で、投票率は34.97%にすぎなかったのだ。

(仙台市といっても被災状況は大きく異なる。沿岸部の津波被災地は、内陸部とは全くと言っていいほど状況が違う。だが内陸部の造成地などでは、宅地破壊などの被害が際立つ地域がある。マンションや自宅、事業所など、修理はもちろん、移転を余儀なくされるほどの地震被害は全地域的に広がっている。)

 被災地の現状を考慮し、選挙時期を繰り下げるべきだとの主張もあった。実際、震災の影響により、多くの制限があった。たとえば投票所973か所のうち、6割で閉鎖時間が早まった。一方、仮設住宅の集会所を個人演説会の会場としたり、仮設住宅から無料の「選挙バス」を出すなど、自治体による様々な努力があった。「被災地」の投票率は選挙区によって大きく分かれており、一般化しては言えない(南三陸町は36.71%だったが、女川町は70.14%だった)。問題は、被災地住民の声を県政がどのように受けとめるのか、選挙戦での論戦が深まらなかったことだ。


 さらに、宮城県議会選挙の長期的な低迷状況がある。70年代後半ないし80年代前半から投票率の明らかな低下傾向が始まったが、とくに1991年(66.96%)以降、4回にわたって大きく低下しつづけ、前回07年統一地方選挙では50.45%まで下がった。県政と県民との乖離が問題となっていた。「富県戦略」によって高い支持を得た村井知事も、政権交代を果たした民主党も、この事態を好転させることができていない。

 民主党が期待に応えられなかったのは、震災後の今回だけではない。政権交代直後に実施された宮城県知事選挙(2009年10月)では、再選に挑んだ村井知事に、文字通り完敗した。それ以降、地方自治体選挙で民主党は低迷と後退を続けてきた。

 他方、村井知事は県政与党は勝利したので「認めていただいた」と言うが、<41%選挙>の反省が、そこにはない。震災便乗型の宮城県復興方式は、仮設住宅をはじめ様々な分野で矛盾と困難に直面している。知事に信任を与えるわけにはいかない。



<女川原発反対候補3名の当選>


 村井知事の<勝利宣言>に対するもう一つの反論は、同日に実施された女川町議会議員選挙が示している。知事は謙虚にならねばならない。

 女川に関して当初、「原発は争点にならない」という報道が目立っていた。「原発問題より、復興が先。選挙で争っている場合ではない」「原発にはだれしも、何らかの恩恵を受けている。争点にはならない」等々。

 同日予定の町長選挙では、自民党県議の無競争当選が確定していたという事情もある。現職町長は続投の意欲を示していたが、「禍根を残したくない」として断念、撤退した。事実上の後継バトンタッチとなった。
 
 町議会選挙の結果は、そのような流れとは違っていた。12議席に13人が立候補した選挙で、女川原発に反対する3名が全員、当選した。

原子力発電(所)に反対し続けてきた無所属の新人候補は、そのような否定的な報道にもかかわらず、当選を果たした。「女川原発反対」から「脱原発社会の実現」へと向かった40年来の住民運動が連綿として続いた証しとも言える。

 2人の共産党公認候補は、再稼働反対・女川原発廃炉を訴え、実に2位と3位で高位当選した。原発依存ではない女川復興への願いと期待が、それら3名に投じられた。

 女川町議選の投票率は70.14%、県内2位だった(1位は、福島県境の丸森町で77.50%。3位は県南・沿岸被災地域の山元町で67.41%)。

 村井知事は女川原発に関して、「原発問題は国のエネルギー政策」だとして賛否を明らかにしていない。「(必要なのは)エネルギーの国産化」「原発推進か否かの対立軸は、どうでもいいと思っている」などの真意不明の発言もあった。東北電力は「ストレステスト」の2次評価に着手しており、数か月を待たずに再稼働についての知事の方針が問われることになる。しかし、原発に対する基本的な姿勢はいまだに示されていない。

 放射能汚染問題の対応についても、知事と宮城県の姿勢は明らかに消極的だった。その結果、放射線量測定、県境を接する丸森町をはじめとする住民の健康調査、県北地域を中心にする「稲わら」問題等々、住民は県に要求の声を上げてきた。

 女川町では「人口の1割近い約900人が犠牲になり、中心部では住宅の8割近くが全壊」した。その町議会議員選挙で示された結果に対して、村井知事の真摯で真剣な対応が求められている。



■以上/宮城全労協ニュース209号(2011年11月21日)