女川原発の再稼働を許さない!
「みやぎ秋のつどい」開かれる
11月3日、仙台市内で「女川原発の再稼働を許さない!2012みやぎ秋のつどい」が開かれました(主催:集会実行委員会)。佐藤隆さん(電通労組)からの報告を掲載します。
なお、講演要旨の紹介とともに、講師である田中三彦さんの論考案内も掲載されていますので、ぜひ活用してください。
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田中三彦さんが講演
「2012年みやぎ秋のつどい」には約300名の人々が参加した。集会に先立って1999年のJOC臨界事故、東海村の村上村長や福島原発告訴団などを描いたドキュメンタリー映画「主権在民〜フクシマから東海村へ」が上映された。映画終了後、福島原発告訴団・東北の土井さんから「第2次告訴・告発への参加者が1万人を超えて集まった」とのうれしい報告があった。
冒頭、集会実行委員長の鈴木宏一弁護士から、女川原発差止訴訟の証人でもあった田中三彦さんが紹介された。田中さんは科学ジャーナリストとして活躍しておられ、国会事故調(国会東京電力福島原子力発電所事故調査委員会)メンバーとして福島第一原発事故を調査・検証した。
鈴木さんは「スリーマイル、チェルノブイリ、福島の3つの重大事故が起きた。原発が重大事故を絶対起こさないということはあり得ない。事故が発生したときは、周辺全域が放射能に汚染され住めなくなり、住民のすべての生活が奪われる」「再稼働をしなくても東北電力管内の電力は十分まかなわれている」「原発周辺自治体のみなさんとともに、女川原発の再稼働を許さず
、廃炉に向けた運動を進めていく」と挨拶した。
田中さんは講演で、事故原因の究明が必要であるにもかかわらず「地震の影響を排除して津波だけのせいにしようとする」国や東京電力を強く批判した。また、究明と対策なくして女川原発の再稼働はありえない、現状は「被災原発」として徹底した安全性の確認が進められているとはいえないと指摘した(講演要旨を参照のこと)。
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反対決議を上げた美里町長からメッセージ
講演に先立ち、「平和を考えるつどいin美里」(9月30日)を開催した美里町佐々木功悦町長からのビデオレターが披露された。佐々木町長は政府、経済界の脱原発に逆行する姿勢や発言を強く批判し、「今回の事故により原発の安全神話は完全に崩壊し、原子力発電に対する国民の不安は日に日に高まっている。美里町は女川原子力発電所からおおむね30キロ圏内に入っている。女川原発は震災で重大事故と紙一重であった。緊急時防護措置準備区域の自治体の長として、安全性が発表されない原発の再稼働は断じてあり得ないと考えている」「美里町では町議会と共催で“平和を考えるつどい”を開催し、原子力発電に頼らないエネルギー政策への転換を早急に図り、原子力に依存しない社会を目指すべきと強く宣言した」とメッセージを寄せた。
9月30日の「つどい」には500名の町民が参加し、福島県浪江町長が講演した(内容は美里町のホームページで紹介されている)。美里町では10月、町民デモも行われた。
なお宮城県内の原発から30キロ圏内の自治体は女川町、石巻市(5キロ圏内)、南三陸町、登米市、涌谷町、美里町、東松島市。反対決議をあげた美里町議会、登米市議会、涌谷町議会の議員たちが今回、集会に参加した。
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地方自治体議員などからの発言
講演の次に県内各地からの発言が続いた。
女川町議会議員の阿部美紀子さん。「去年の3月1日〜4月1日で、女川原発のある小屋取で44,500ベクレルのヨウ素が観測されている。東北電力はその事実を住民に知らせないで、原発の体育館に避難させたと思う。住民の恩を着せながら、原発の安全性をアピールするために住民を利用したのではないのか。この間、大崎市田尻、加美町の方から「女川原発の再稼働を許さない」との請願が出された。請願は否決されたが、30キロメートル以上離れた所からの応援を受け、励まされた。廃炉に向って進んでいきたい」。
鹿島台「女川原発の廃炉を求める会」代表で元鹿島台町長の鹿野文永さん。「3月17日、廃炉を求める会を結成し、一千万署名に取り組んでいる。脱原発首長会議の結成に参加したが、この動きを全国津々浦々に広げたい。9月には超党派議員の原発ゼロの会との意見交換会にも参加してきた。田中先生の話を承って身の毛のよだつ思いだ。闘いは決して容易ではないと思う。柏崎刈羽の先進的な実例が運動の具体的目標になる。廃炉に向け、ストレートにいければと思う」。
登米市議会議員の佐藤恵喜さん。「昨年9月の原発からの撤退、自然エネルギーへの転換を求めた意見書の採択から、今年6月の「女川原発の再稼働を行わないことを求める」意見書採択に至る過程で、議員の原発への共通認識を高めていった。今や市長も新規増設反対、10年以内の廃炉を言うまでになっている」。有機米農家の厳しさ、肉牛の価格の下落など風評被害が続いていることなども報告され、「今後は行政レベルから市民、住民の運動へとつなげたい」と展望を語った。
涌谷町議会議員の只野順さん。「自分が議員になるきっかけの一つは、自宅が全壊したとき、避難所で会った子供たちの「福島原発事故があったけど女川の原発はどうなるの」という問いかけが心に残ったからだ。議員の中でも原発問題に対する温度差があるし、住民の関心が薄れてきているような感じもあるので、しっかり発信していこうと考えている」。
「脱原発・風の会」代表の篠原弘典さん。「女川原発は被災した原発です。そのことをきちんと伝えて、被災の問題を解決できなければ絶対再稼働してはならない。それを皆さんにきちんと把握していただきたい。そして力を合わせ、つなげて女川原発を止め、最終的に廃炉として、原発のない社会を実現することを目的に進んで行きたい」。この閉会の挨拶で、熱気あふれるつどいは終了した。
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廃炉しか道はない
福島第一原発が依然として危機にあるなかで、根拠もなく強引に「収束」を宣言した野田政権。一方、原発推進政策の反省なき安倍自民党の復活の兆し。福島県民を置き去りにした放射能対策。原発再稼働を推進する電力事業者と経済界。東京電力はさらに10兆円の血税の追加を要請しようとしている。暗然たる気持ちになる。しかし、原子力発電所は絶対的に倫理の上で、さらに経済的なコストの上で、すでに破綻している。廃炉しか道はない。
田中さんの講演を聞きながら、加藤陽子東大教授の寄稿文「原発事故報告書を読んで」(朝日新聞、7月25日)を思い出した。少し長くなるが引用し、この「つどい」報告の結語としたい。
「今回の大規模な事故調査と報告書作成の画期性についてである。・・・第2次世界大戦の終結時に、政府自らの手では歴史の総括をしえなかった国の国民として、感慨深いものがある。・・・調査と報告書といってすぐ想起されるのは、1931年の満州事変の調査にあたったリットン調査団であろう。・・・戦前期の日本は、報告書の中身をよく吟味せずに連盟を飛び出した。今度こそ、国会と政府の事故調が作成した報告書の中身を、国民の一人一人がよく読み込み、提言部分の最大公約数が、しかと政策に実現されるまで、監視する必要があろう。」
なお、次に掲載する田中三彦さんの講演要旨では、図解・図表で説明された部分は省略しています。そのため、原子炉内部の状況や各種の数値については、触れていません。また報告文執筆者の責任で、講演の文言を意味の通る範囲で省略し、話し言葉を変えています。参考として田中さんのこの間の論考をピックアップしたので、ぜひ参照してください。
【参考】田中三彦さんの論考と報告書
世界(岩波)2011年5月号「福島第一原発事故はけっして”想定外”ではない」
岩波新書 2011年7月「原発を終わらせる〜原発で何が起きたのか」
世界(岩波)2012年1月号「ストレステスト以前の重大問題を問う」
世界(岩波)2012年9月号「国会事故調は何を明らかにしたか」
国会事故調報告書(徳間書店)2012年9月30日
●田中三彦さんの講演の要旨
「福島原発事故の実態と女川原発再稼働の問題点」
田中さんは講演の始めに世界観を語った。「原発とは核の問題だ。核戦争が起きたら世界中の人が死ぬ。だから私たち人間は、個人の死だけでなく、全体の死(絶滅)を考えなければならない。核は(人の)がんのようなもので制御できず、原発はその延長線上で考えなければならない。すでに廃棄物はどんどん作られている。廃棄物は未来の世代への負の遺産だ」と述べ、「未来世代に残さないこと、あわせて人類が生き延びることを真剣に考えてください」と強調した。また、原発事故について「スリーマイルとチェルノブイリは地震とは無関係であった。この40年くらいで3回起こった。(事故は今後も)必ず起きると思う」と指摘し、本題に入った。
1.事故直前の地震に対する耐力不足について
福島原発事故の原因として、一つは背景としての原因、もう一つは直接の原因(どうして爆発が起こったかなど)がある。
田中さんは「石橋克彦先生のワーキンググループで物理的原因を調べた」という。3.11前の福島原発は大きな地震に耐えうる基礎耐力を持っていたのか、という点だ。
福島原発は地震の加速度265Galに耐えうるように設計されていて、1966年に設置許可が下りている。日本の原発は耐震設計指針が出るまで15年位、指針無しで建てられてきた。2006年に600Galの新指針が出る。265Galで設計したものが600Galで地震が起きた時にもたないのは、直感で判る。
保安院から各電力会社にチェック(耐震バックチェック)の要求が出されているが、やってこなかった。中間報告もいい加減なものを出している。必要な補強をしない。事故調でチェック資料を要求し提出してもらったが、<心配していながら>補強はしていない。国も各電力会社にごまかされてきた。バックチェック(耐震安全性評価)を自主的にすることは皆無である。中間報告を出しているからいいじゃないかでは全然ダメ。原発の基礎耐力がなかった。
2.津波に関して東電は何も手を打っていない。
3.シビアアクシデント対策ついてのマニュアルはあるにはあるが、中央制御室ですべて操作できるという前提で作られている。(爆発を止めるために)現場に行って弁を開けるとか、そういうことを考えないで、中央制御室からボタンで弁を開けるという前提で考えられている。今回、それは停電によりできなかった(暗い、現場が判らない)。電気があるということでしか考えられていない。訓練センターで運転員の訓練をするが、過酷事故に対して最悪を想定した訓練をできる現場がない。
4.物理的原因について
1号機に入ろうとしたが、東京電力が危ないというので現場を見ることができなかった。写真(での判断)では全然だめ。事故の原因を特定していくということになると、津波で壊れたか、地震で壊れたかを現場で観察しなければいけない。事故の原因を特定することが数十年出来ない。錆が発生し、水素爆発で壊れたか地震で壊れたか何も見えなくなる。どうせ判りやしないと、すべて津波の話にしてしまう。(田中さんは「東電の重大な虚偽報告」を指摘し、明らかになった事実として、いわゆる2分間のズレについて具体的に説明した。第一原発への高さ10メートルを超える津波第二波の襲来時間は15時35分ではなく、15時37分である。そして、津波の前に電源が失われていた。)
政府のIAEA(国際原子力機関)への報告も、東京電力の(報告)も、地震の影響はなかったとしている。地震による影響がなかったと書くのは何故か。津波に原因を特定してしまえば津波対策だけでよいが、地震で壊れる可能性があるとなれば全国すべての原発のバックチェックが必要になる。(そのことだけで)数年動かせない。
5.女川原発の再稼働問題について
(1)女川と東海原発、この二つは絶対再稼働してはいけない。福島第一、第二原発と同列。たまたま結果オーライだった。相当、後遺症を負っている。
この点について田中さんは、柏崎刈羽原発を例に話した。
2007年7月の新潟中越地震に伴い起こった柏崎原発事故(1〜7号機)では、相当な後遺症を負った可能性がある。
新潟県には技術委員会に二つの部会(地震、地質・地盤に関する小委員会と、設備健全性、耐震安全性に関する小委員会)があり、国が調べたことが本当かどうかを含めて、県として調べている。設備小委員会では後遺症を負っていないか検証し、今後大きい地震が来た時の耐震安全性もチェックするという二段階で評価する。国と県の両方で合格した場合について動かしていい(と判断をする)。県は厳しい評価をする。国がOKを出しても県は出さない。その状況が3.11まで続いていた。2、3、4号機は全然立ち上がる気配がない状況。その審議中に3.11が起きた。
(2)女川原発の再稼働を論ずる前に<まず>なされるべきこと
女川原発は、東北地方太平洋地震によって<被災した原発>であるという意味で、3.11に被災しなかった原発と大きく異なる。
<被災原発>として何よりもまず、「設備健全性」(歪み)「耐震安全性」(数字的チェック)がチェックされなければならない。
チェックは、国の原子力規制委員会によってだけでなく、宮城県がそのために特別に設置する公正かつ透明な専門委員会によっても、なされなければならない(新潟県・柏崎刈羽原発方式)。批判的な人も入れて審議すべきである。
(3)MarkT改良型格納容器の安全性について
女川原発とほぼ同型の格納容器をもつ福島第一原発1〜3号機の格納容器が、今回の事故で、どこの部分がどのような理由で大きく破損したか。そのことが完全に究明される必要がある。
その究明と、それに対する対策なくして、女川原発の再稼働はあり得ない。
以上、「女川原発の再稼働を許さない!2012みやぎ秋のつどい」の報告。
佐藤隆(電通労組)記。
■以上/宮城全労協ニュース234号(2012年11月12日)