宮城全労協ニュース/第236号(電子版)/2012年12月9日

東松島・東名に五百名が集う
〜第二回「走れ!仙石線」



 第二回「走れ!仙石線in東名」が11月10日、JR仙石線東名(とうな)駅前広場で開催され、地元住民を中心に500名がつどった。

 早朝から駅前広場には十張りのテントとパラソルがひしめき、支援団体は出店準備に大忙し。大分からはプロレス団体「プロレスリングFTO」のレスラーが仮面姿で参加(子どもたちは大喜び!)。石巻・東松島の避難所、小中学校を訪れ現地のニーズに応じて物資支援活動を行っている大分を拠点とする「あかちゃん助け隊」は「鶏飯」。ネパリ・バザーロは「カレー」。パスポートはラーメンの出店。地元団体から豚汁、焼きそば、コーヒー・お茶の各コーナー。宮城全労協は準備・会場係を引き受け、大阪全労協は好評を得ている「おでん」など。

 10時30分に開会。司会の第一声は「あの時は吹雪で大変だったね、今日は南国のような天気です!」だった。

 今年3月10日、東日本大震災一周年を前に開かれた第1回「走れ!仙石線」のイベント。宮城県では珍しくはないが、雪が舞い荒れ模様の天候だった。地元の人たちは口々に「あの時(震災の日)も雪が降っていた」とつぶやいていた。どんよりとした雲が暗くおおいかぶさり、復旧・復興を見通せない被災住民の重苦しさを象徴するかのようだった。

 一転して今回は最高の好天にめぐまれた。四方八方から、住民たちが三々五々、集まってきた。ボランティアが設営した屋台の手作り料理を食べながら、近況話しの輪を作る住民たち。陽を浴びながら、ゆったりとした時間を過ごす人たち。津波犠牲者を弔う記帳台や仙石線早期復旧の署名コーナーは人がとぎれることはなかった。

 イベントの最初は「琉球國祭り太鼓」の演奏。エイサー隊四名による太鼓と舞踏。会場にカチャーシーの踊りの輪が拡がった。独特のリズムにあわせて踊りだす子どもたちの笑顔。芸能イベントの出し物の一つとして楽しむという域を越えて、自分たちと沖縄を結ぶ縁に、被災地住民たちが思いをはせているかのようでもあった。



 舞台には前回に続いて「夢ハンカチ」が飾られた。今回は地元の高校生が作成したもので、三百枚のメッセージが集まったというアナウンス。「夢を書こうと言われても、なかなかそういうわけにはいかない。生徒たちの反応も複雑なものがあった」という苦労話も紹介されていた。参加者の手によって繋ぎあわされたハンカチの二本のラインは「仙石線のレール」を表現した。被災地の早期復旧・復興の願いを「みんなの夢を乗せて 走れ!仙石線」に載せたものだ。コウセイ&リュウが歌う「この国に生まれて!」をバックに、右に左に夢ハンカチが揺れ、被災地の人達も想いを一つにした。



仙石線の早期全線開通を願う声

  
 総じて八か月前の第一回は、被災住民を励まそうとする各地のボランティアの努力とエネルギーがイベントを盛り上げた。今回は、徐々にではあれ戻りつつある住民たちの存在もあり、被災地がこれからどのように向かうのか、その試行錯誤をより反映したものとなった。イベントの中心は、その意味で住民自身であった。

 今回のイベントを前にして、仮設住宅を始め野蒜・東名地域に一千枚を超える呼びかけチラシが配布された。地元住民が仮設住宅や被災地に居住する人々の家々をまわって、イベント参加を呼びかけた。ボランティア活動を通して顔見知りになった地元の人達から「10日にお祭りがあるんだって」「何にも楽しみが無いから楽しみにしてる」という声を聞くようになったのもそのころだ。

 野蒜(のびる)・東名地区は津波で大きな被害を受けた地域であり、防風林が根こそぎ押し流された。JR仙石線、その南側(海側)を平行に流れる東名運河。そこから先は荒涼とした風景が拡がっている。農地や住宅地は冠水したままで、まるで湿地帯のようだ。津波被害地域は、かつてここに人の営みがあったという事すら想像すらできない。



 地元自治体は仙石線不通区間の別ルート建設(高台移設)でJRと合意した。一年半はかかると言われていた用地買収は既に完了している。JRが着工にいち早く取り組むことが問われている。

 今回のイベントで発したアピール「ふたたび走れ!わたしたちの仙石線」では次のように訴えている。

「仙石線の早期全線開通は、東松島市野蒜、宮戸地区の復旧・復興のためだけではなく、仙台市と県内第二の都市石巻市をつなぐ大動脈という観点から、通勤・通学・観光客の回復のためにも絶対に欠かせません。鉄道があるところには人がやってきます。人がやってくるところには、商業が成り立ちます。被災し、避難していた住民が戻ってくる基礎ができます。二〇一五年全線開通までわたしたちは待てません。半年でも、一年でも早い仙石線の早期全線開通をわたしたちは望みます。みんなの要望を取り入れた復旧・復興が実現するよう、被災地住民が手をつなぎ、支え合い共に歩んでいきましょう」。

 東松島市は2005年4月、桃生郡矢本町と鳴瀬町の合併により発足した。大震災により一千人以上が死亡し、一万棟(全体の3分の2)を超える住宅が全半壊した。そこからの復旧・復興は厳しい。何より大切なのは、被災住民が復旧・復興の主人公だ、ということだ。「走れ!仙石線」につどった住民の知恵と力が、これからの街づくりに発揮されていくだろう。



被災地住民の苦悩


 東松島市を取材したNHKテレビ全国ニュースでの特集があった(2012年9月7日、ゆうどきネットワーク/「被災地忘れじの旅〜宮城県東松島市」)。

 <今もまだインフラの整備が進まず、先行きが見えない中、避難している住民たちは、この先、生活の基盤をどうすべきなのか、迷いの中にいる。8月、高台移転の計画案が発表された。海から2キロメートルの高台への移転、仙石線の新ルートも決定した。新しい街づくりへ向けて、10月から市との個別面談が始まる。人々の心は揺れ動いている。9か月ぶりに当地を訪れたアナウンサーが(野蒜地区を訪ね)、そうした人々の声と被災地の現状を伝える>という番組だった。

〇Aさん。お寺の一室でそろばん教室を開いている。避難した小学校は二階まで津波に襲われ、そこで祖母を失った。市による無償の解体作業は年内が限度。自宅を取り壊すかどうか決断がつかない。

〇仮設商店街で理髪店を営むBさん夫婦。自宅で理髪店を営んでいたが、すべて津波に流された。仮設住宅で仕事を再開した。ゼロからの再出発だった。それでも聞きつけて通ってくれるなじみの人もいるし、新しい客もついた。高台移転での面談を前に夫婦で話し合っているが、移転をすると店舗併用住宅を建てて商売できるのか、なじみの客は通ってくれるか、不安だ。

〇Cさん。一階が浸水した。同居していた家族は仙台市に引越し、週末だけ帰ってくる。この家に暮らしているのは、先祖から受け継いだ川沿いのこの土地を守りたいからだ。部屋には「住みます、のびるに」と書かれた手作りの布があった。代行バスの窓からがれきに埋まる光景を見ていた乗客たちが「ここには住めないね」と話していた。「それを聞いていた娘が、一晩かけて作った」ものだった。

〇8月に帰ってきたばかりという一人暮らしのDさん。40年来同居していた母と妻を津波で亡くした。妻が使っていた部屋で就寝している。「今は一人だが、この家は自分には何物にもかえられない」「移転したら妻の存在がなくなる」。区長として地域の再建に取り組んでいる。市に街灯をつけてもらったり、旧住民とのからおけ大会も企画している。

「野蒜を再建したい」という住民の声がアナウンサーの心に残った。「10月からの個別面談を前にして、行くか、残るか、仕事はどうなるか、子どもの学校や通学など、思い悩む。事情はみな違う。失った家族や暮らした家への思いは断ち切れるものではない」。「高台に行くのか残るのか、決断は難しい」と結んだアナウンサーは、最後は感極まって声をつまらせた。

 集団移転への賛否を迫られる中で、不安はいっそう強まっている。市は「集団移転等に関する意向表明書」の提出を10月から住民に通知している。「提出された書類が、各移転先の区画整理や災害公営住宅の戸数を確定させるための大切な資料となる」と市は説明している。住民からは、集団移転に同意しない、参加できない市民への復旧・復興支援策を市に求める声があがっており、住民意思の尊重・配慮に徹した行政サイドの姿勢が求められている。



岩手、福島、宮城の被災者への思いを込めて



 東北で大きな被害を受けた岩手・福島・宮城の三県。イベントは、それぞれの被災地で苦しむ人々への思いを込めて「力を合わせて船出だ!」に移った。民謡歌手の山田さんが、岩手県民謡「外山節」、福島県民謡「相馬盆唄」を披露、参加者たちは手拍子で応えた。ホーム上に上がった踊り手と漕ぎ手(地域住民とボランティア)が「エンヤー・ドット」という艪漕ぎの掛け声をあわせ、宮城県民謡「大漁唄い込み」が始まった。参加者と舞台が一緒になって、明日に向かって力強く漕ぎだした瞬間だった。「すばらしい漕ぎ手の皆さんに感謝します」。山田さんのコメントは東北三県の被災者に向けられていた。

 みやぎ宅老連絡会が作った音頭「たちあガレイ!」。車いす利用者の皆さんと介護スタッフが「沖縄メロディーのユニークな振り付け」で会場の笑いを誘い「立ち立ち立ち立ち立ちあガレイ!」とノリノリだった。大阪のバンドが仙石線の各駅を歌詞に入れ込んだ「走れ!仙石線」を演奏した。

 これまで東松島の被災地支援に多くのボランティアたちが駆けつけた。各参加団体からの一言を受け、主催者から「ありがとう!私たちは元気です」と感謝の言葉が述べられた。

 今回のイベントのフィナーレは、塩釜市などで被災したメンバーで活動している「和太鼓演奏連 千賀」(千賀の浦=塩釜和歌などに読まれてきた)の皆さんの勇壮な演奏だった。大小七張りの力強い和太鼓の音が拡がる。アンコールの声でもう一演奏。「また皆さんとの出会いを楽しみに演奏させてもらいます」という言葉に、少しずつ広がっていく被災住民のつながりを実感した。

 最後に主催者を代表して坂本さん(「野蒜・宮戸地区復旧復興を考える会代表」)が挨拶。「・・参加した人、実行委、ボランティアの皆さん、ありがとうございます。ご存知のように仙石線はこの線路には戻らず、山側に500メートルほど登ったルートで2015年に開通の予定です。用地取得は終わったということなので、少しでも早くできればいいと思います」。

 仙石線の早期全線開通に向けた要望書が読み上げられ、拍手で採択された。「再び走れ、私たちの仙石線!これからも仙石線が復旧するまで続けていきましょう。また、お会いしましょう」。最後の言葉を参加者のみんなが心に刻み、イベントは幕を閉じた。


 以上/高橋喜一(電通労組)記



■以上/宮城全労協ニュース236号(2012年12月9日)