女川原発の再稼動を許さない!
〜仙台で集会(3月16日)
(注)大震災2周年を前後して、各地で脱原発を訴える集会が開催された。宮城全労協は東北全労協とともに、福島集会、東京集会に参加した。以下は3月16日に開催された仙台集会の内容。佐藤隆さん(電通労組)から寄せられた文から、編集部の責任で抜粋し、紹介する。
<女川原発の再稼動を許さない!>
3月16日午後、「女川原発の再稼働を許さない!2013みやぎアクション」の主催による集会、デモが行われた。夜の部では「福島に寄り添い、福島を忘れない!みやぎの集い」が仙台市民会館を会場に開かれた。
昼、夜ともに多くの市民、労働者が集い、明日につながる熱気あふれる集会であった。福島県民に寄り添い、原発震災の災禍を繰り返さないために、明日からの行動の糧になる発言がなされた。
以下、参加者の発言を紹介しながら、集会報告としたい。
<「昼の部」では>
主催者代表挨拶で鈴木宏一弁護士は、多くの住民は「いまだに避難生活をつづけており、家に戻れる目途も全くついていない」と指摘し、次のように述べた。
「原発が重大事故を起こしてしまえば、取り返しがつかないことになる」、それを明らかにしたのが福島第一原発事故だった。「被災した住民は家、職場、学校、地域社会、ふるさと、生活のすべてを奪われている」。放射能汚染は拡がり、少なくても東北、関東周辺全域に重大な影響を与えている。「水、川、海、山林、農地、宅地すべてを汚染し」かつ「農産物、水産物のすべてを汚染してしまう」。「住民は、常に高い放射線の中で健康被害に脅えながら生活することになり、長期間にわたってその状況が強いられる」。「福島原発事故は子孫にとてつもない負の遺産を残すものであり、これ以上の災禍は絶対に許されない」。
また、福島原発の使用済み核燃料のメルトダウンや水素爆発の危険性も指摘された。「使用済み燃料は処分方法すら決まっていないし、現在は六ヶ所村と各原発の敷地内に保管されているが、それを引き受けるところなど何処にもない」「プルトニウムを含むため、何万年単位での保管を続けなければならない」。
「原発の再稼働を続けることは、使用済み核燃料を増やし続けることであって、絶対許されることではない。女川原発を再稼働させず、廃炉を実現していこう」と結んだ。
続いて、関西から来てくださった藤波心さんのトークイベントがあり、会場の参加者と一緒になって「ふるさと」を合唱した。
県内各地からの発言がなされた。
女川原発の廃炉を求める会の鹿野文永さんは、昨年7月、涌谷町でも脱原発の会が発足し、9月には美里町で佐々木町長が先頭になり脱原発の町民集会が開催されたことを報告した。「全国の市町村長が脱原発を求める(めざす)首長会義を発足させ、活動している」「70%の人々が原発NOだと私は信じているので、(衆議院)選挙結果と脱原発は別である」。日本の企業は「廃炉の方法・技術や、廃炉を求める人類の知恵を輸出するのではなく、同じ原発を輸出しようとしている。これを止めなければならない」と発言し、参加者から大きな拍手が寄せられた。
放射能から角田を守る会代表の池田匡優さんは「原発事故が平和だった生活を一変させた」「美しかった田園風景は放射能汚染地帯に変わってしまった」と、押し戻すことのできない2年間を振り返った。
1号機に続き3号機、4号機が爆発、5、6号機も爆発してしまうのかと本当に恐怖に感じた。「宮城県の南部は福島第一原発から60kmから80kmに位置している」。当時、アメリカ政府 は「自国民に対し80km範囲からの避難」を呼びかけたが、日本政府は「さしあたり人体に影響のあるレベルではない」と述べていた。その後、嘘の情報提供やSPEEDI情報の隠ぺいが明らかになった。屋内退避の呼びかけもなく、ヨウ素剤も配布しなかった。「多くの人にとって、低減できたはずの初期被曝だった」。「政府の対応に憤りと大変な失望を感じた」し、「こどもたちの健康や命よりも自分たちの利権を優先させる、原子力ムラの存在に恐ろしさを感じた」。
県の南部地域では様々な活動団体が立ち上がり、県と市町村に対し、要望・要求を提出してきたが、一部が聞き入れられただけだ。水道水については「角田、岩沼、亘理は、阿武隈川から取水した水を浄化し、水道水として供給されている。調べた結果、この水道水は日本で最も放射能汚染の水準が高いことが判り、市当局に改善を求めているが、まだ何の対応もなされていない」。
最後に「何よりも気がかりなのは、こどもたちの命と健康が大変危険な状態にさらされていることです。こどもたちは未来そのものです。次世代を担うこどもたちをないがしろにして、この国の未来はありません」「子供たちの未来を脅かす危険な原発は必要ないのです」と発言を締めくくった。
その後、労働組合や運動団体、弁護士などから、それぞれの活動報告と決意表明があったが、ここでは割愛させていただく。
<「夜の部」、前福島県知事が発言>
主催者代表の鈴木弁護士が冒頭、「夜の部」について、「私たちは福島原発事故を忘れない、福島の被災者のみなさんを決して忘れることはない」という主旨で進めたいと述べた。
2年も経過したが、福島原発事故はまったく収束していない。格納容器の中はいまだ確認もできず、汚染水は増え続けている。「福島の皆さんの喪失感は、私たちは到底、想像できないものであると思うし、190万県民の皆さんの苦しみは、これから何十年も続くと思われる」。福島に残った子供連れのお母さんが、テレビでコメントを求められ、「この子が大人になった時に、福島で育ったからという理由で結婚できないということがなければいいんですが」と言った。「その言葉が忘れられない」。安倍政権の再稼働と原発推進発言、財界がそれを歓迎する姿勢は「福島の人々の苦しみを忘れている」からだ。
冒頭の主催者挨拶は、「私たちは、決して福島の県民の皆さんを忘れません。これからも福島の皆さんに手を差し伸べていきたい」「女川原発を再稼働させない、脱原発の運動を続けることが、福島の人々を忘れない証になる」と結んだ。
前福島県知事の佐藤栄佐久さんから「福島原発事故までなぜ行きついたのか」と題する特別講演が行われた。
佐藤知事は経緯を振り返って、述べた。1994年(あるいは93年)、東電から使用済み核燃料の共用プールの設置の要請があった。担当課長は2010年までには核燃料を減らすことをグラフで示し、国がそのことを保証すると約束したが、1年後に約束が破られ、国は信用できないと思った。98年、プルサーマルの事前了解については、「原発はトイレのないマンション」であり、次の4つの条件を付けてプルサーマルをOKしたと、当時の状況を語った。
4つの条件とは、MOX燃料の品質管理、作業者の被曝の低減、使用済みMOX燃料の長期展望の明確化、核燃料サイクルへの国民理解。
しかし、その後、関電の高浜でのMOX燃料データのねつ造、99年9月の東海村JOCでの臨界事故による被曝で2人が亡くなるなど、OKする条件がなくなっていった。
また、韓国出張時、東電は新規の電源開発の凍結を発表し、各自治体に「脅し」をかけてきた。その背後には、国=経産省が「ムジナ」のごとく在り、東電をコントロールしていることがあると、佐藤さんは語気を強め、指弾した。
佐藤さんは「科学技術で実現可能なことと、実施してもいいことは区別されるべき」という視点を持つことが必要であり、「安全を確認したら(再稼働を)やってもいい、ということか」と問いかけた。
<「シンポジウム」から(農業現場で)>
続くシンポジウムでは、初めに田村市在住の農家、大河原多津子さんが発言。
福島原発から直線で39kmの「汚染レベルが低いエリア」に住んでいる。夫は有機農業を30年前からやっており、私も体に良いもの、子供たちにも安全な食事を提供したいと農業についた。チェルノブイリ事故当時、生後2ヶ月の長女がいた。「母乳から放射能物質が検出され、原発の問題は全地球的な問題だと、その時」分かった。当時、講演会の企画、署名活動、高木仁三郎さんの呼びかけた東京での3万人のデモへの参加など、「一生懸命やりました」「大きなうねりを感じたんです」。
だけど、子育て、仕事の忙しさの中で、少しずつ自分に言い訳をしていた。「あれは旧ソ連という技術的に未熟な国が起こした。日本の科学技術は起こさないのではないのか」と。ガンマ線の測定器を購入し、当初はきちんと記録をしていたが10年、20年経つうちに、記録を採ることも止めてしまった。
そうして、福島原発事故に直面する。
「原発事故のときは方角が大切だ」ということは知っていたので、放射能測定器「アールダン:R−DAN」の数字を毎日、見続けた。15日の浪江、飯館へ放射能雲が流れた時は、アラームが鳴り、数字がものすごい勢いで上がっていった。非難する時、一緒に暮らしていた「22歳の娘はマスクを二重にかけ、自分たちはいずれ血を吐きながら死ぬんだと、車の中で泣いていました」。
郡山に避難をしたが、「アールダン」をみて、だんだん郡山が高く、田村が低いと判ってきたし、「子供たちが帰りたい」と言ったこともあり、家畜が心配で先に田村に帰っていた夫、祖母の下へ帰った。
大河原さんは、その後、ずっと田村で農業をしている。「グリーンピース」の調査が入り、野菜を調べた結果、「このエリアは多分、作れますよ」と言ってくれたことが、ここで農業をしようと思った要因だとも。「国も県も信頼できないが、そういう人たちなら信じられるかもしれない」と、当時の状況を生々しく語った。
3分の1くらいにお客さんが減り、周りの農家の人たちも元気がなかったこともあり、大河原さんは有機農産物を預かり、東京に出向いて販売を始めた。その流れの中で「放射能測定の結果や農薬の影響」などもすべて公表して販売する、野菜とパンの店をもつ準備をしている。エスペラント語で「希望」という店名にしたいという。
当てにしていた金融機関の融資を断られて、厳しい状況に直面しているが「一歩でも二歩でも前に進みたいと思っている人間たちを少しでも応援したいという気持ちがある方」は「えすぺり」建設の支援をお願いしたいと訴えた。
報告を終えた後、6万本の原木と4トンの原木しいたけを、汚染のため廃棄した2人の友人のことを題材にして創った人形劇の最後の部分を演じた。「ライフワークとして完成させ、いろんなところで上演したいと思っている。福島を忘れないでください」と発言を終えた。
<シンポジウムから(被曝労働)>
郡山市在住の佐藤昌子さんからは、被曝労働についての発言があった。
佐藤さんは、福島連帯ユニオン・宮城合同労組の組合員として被曝労働を考えるネットワークの活動に取り組んでいる。
被曝労働に従事するために、「多重下請け構造の下、全国から集められ、ずさんな労働被曝管理と限度線量を超える労働者の使い捨てが横行し、異議申し立てする者には解雇の恫喝と業者丸ごとの切り捨てさえ行われている」と現状を紹介した。
それら全てが労働争議に発展するわけではないと状況を説明しながら、いくつかの事例を紹介した。
「被曝労働ネットワークには2百件にも及ぶ労働相談が持ち込まれ、福島連帯ユニオンはいま、28名の「除染労働者」の争議を闘っている。元請けがゼネコン、一次請負が同族企業、二次請負が東電の100%子会社、そして「三次請負会社に彼らは雇われている」という例をあげた。文字通りの多重請負、ピンハネ構造である。
闘いの結果、時間外労働を含む未払い賃金分の支払いと、法律にはない被曝労働に対する「健康管理手帳の交付」という大きな成果を勝ち取った。
しかし、除染作業に対する「特殊勤務手当、1万円」は、未だに支払われていない。三次下請け会社は、二次下請けから一人当たり「2万1千円」で請け負っている。二次下請け会社は、この中に「特殊勤務手当も含まれている」と主張しているが、三次下請け会社は、特殊勤務手当の存在も知らなかったようで、「手当てが含まれていたら赤字だ」と語ったという。彼らの日当は、1万1千円から一万円。「特殊勤務手当」を差し引くと、日当ゼロか、1千円となる。無法が闊歩している。
先月、構内作業員(福島原発の現場で清掃作業)から解雇の相談があった。相談者の宿舎は山奥のバンガローや床の抜けた廃屋に5・6人、「まるでタコ部屋」。特に食事はひどく「ウサギの定食」と呼び、唯一のご馳走は「週一度、町に出て食べる<会津っぽ>のラーメン」だったという。
傾斜45度の現場、吹きすさぶ寒風の中での作業(冬季であった)。それを想像して佐藤さんは、涙が出てきたという。
「人として扱われていない」労働実態、「マイナス500円の賃金明細書」、日常的に内部被曝する被曝労働。労働者を食い物にし、使い捨てにする不法・不当な業者と業界。「犠牲を組み込むことでしか動かないシステム」(高橋哲哉さん)を、佐藤さんは事例を挙げ報告した。
収束していない、中間貯蔵施設を造るという場所に戻れと言われ、そこで子供を育てなければならない立場に追い込まれている人たちの「心をどうか理解してください」と訴え、国の「押し付けるままの帰還、復興を許さない」「思いをひとつにして闘いをつくっていかない限り、本当の意味で脱原発、廃炉はあり得ない」と思いを述べ、発言を終えた。
<シンポジウムから(放射能から守る)>
子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク世話人の駒崎ゆき子さんからは、ふくしま集団疎開裁判の報告と、郡山市の現状報告があった。
郡山市は市役所付近が一番高い。いまでも、0.5マイクロシーベルトある。放射線量の高さは、チェルノブイリでいうと「強制移住区域」だから、本来なら移住しなければならない区域だった。
「ここで子供たちを育てること自体、やはり間違いではないか」と思う。市からの自主避難者は総務省に届け出を出した人で6千人だが、実際はその倍くらい、いるのではないだろうか。
裁判に踏み切るきっかけは、ネットワークの郡山での集まり。お父さん、お母さんが文科省の「20ミリシーベルトは許さない」、と6月(2011年)に提訴した。「夏休みまで結論を出して、子供たちを疎開させたかった」からだという。一日も早く疎開を実現したかったという親の願いに対して、2011年12月16日、郡山地裁で却下の判決が下された。奇しくも野田首相の「収束宣言」の日であった。
その後、12月27日に仙台高裁に異議申し立てをし、現在も裁判は続いている。
原発事故当時、郡山市は1時間あたり240マイクロシーベルトあった。しかし、枝野大臣の「直ちに健康に影響ない」という「テレビでの発言を信じ、飲料水の確保のため、2時間、並んだ市民が多かった。SPEEDIできちんと知らされていたら、子どもを連れて並ぶことは絶対しなかったと、後悔しているお母さんがいる」。政府の責任はとてつもなく重い。
今年3月発表された38,114人の甲状腺検査結果(平成23年度)は、甲状腺がんが前回の1人に加え、今回、2人が新たに発見され、3人はすでに手術を終えたという。疑われた人が7人おり、とても気にしていると話した。
夜の集会は、終始熱気に包まれ、成功裏に終了した。
<原発推進の公然たる復活に抗して>
安倍政権の発足に伴い、自民党は原発の再稼働と原発維持政策に舵を切った。通産省を軸に、原子力ムラの巻き返しが始まった。福島原発事故はすでに過去の出来事である。そのような世論形成がなされている。「電気が足りない」「電気料金が上がり続ける」「自然エネルギーは補助的に使えばよい」「原発は安全」などなど。まるで、福島の人々のこれからも長くつづくであろう困難を忘れたかのように。
岩波新書の「原発のコスト」で大佛次郎論壇賞を受賞した大島堅一・立命館大教授の『新たな「原発神話」を許すな』(2012年12月19日、朝日新聞)から引用し、これからの指針の一つとしたい。
・・『原発のコスト』で言いたかったことは、原発に見えないコストがあり、それが本来負担すべき電力会社などの利害関係者ではなく、一般国民の負担になっているということである。加えて、原子力政策が一部の利害関係者のみで決定されているために、原子力開発が暴走し、一層、国民へのコスト負担を強いているということである。
原発のコストの最悪たるものは、原発事故による被害である。周辺住民の被害は、まだ本格的調査すらされていない。・・・被害は、深刻そのものだ。被害者は、ふるさとやコミュニティーそのものを丸ごと失い、回復がきわめて困難な状況になっている。・・・
原発は、国が丸抱えで進めてきた事業である。原子力行財政を根本的に見直し、変えない限り、過去と同じような政策が維持されてしまうのは当然である。このままでは、「原発がなければ経済が崩壊する」などといった新たな神話が次々と生まれ、過ちが再び繰り返されるのではなかろうか。(以上、引用)
以上、佐藤隆(電通労組)
■以上/宮城全労協ニュース241号(2013年4月14日)