宮城全労協ニュース/第247号(電子版)/2013年7月30日

「福島を忘れない!」



 前号に紹介したように、<被災地・福島をめぐる旅>前編を掲載します。フランスの郵便労働者を案内しながら、県北の飯館村から原発立地地域へ向かった高橋喜一さんの報告です。



福島市〜飯館村〜南相馬市小高区〜浪江町へ
被曝した大地、阿武隈高地を横断する
 
<忘れない!忘れてはならない!ふくしまを!>



 6月3日、JR福島駅前を出発したのは午前10時過ぎ。来日したフランスの独立左派労働組合SUD・PTTの郵便労働者と共に、現地の人との交流を行いながら福島原発事故の被曝地を巡る行動だ。3・11東日本大震災、そして福島第一原発事故。2011年6月、フランスでのG8に対抗するヨーロッパ行動にフクシマをアピールすべく参加した時にお世話になったATTACの仲間である(*)。事故「直後」人々はどのような行動をとったのか。あるいは、とらざるをえなかったのか。避難、そして放射能に汚された故郷・大地を自分なりに再度見つめる旅でもあった。
 

(参照/宮城全労協ニュース197号/2011年6月24日「G8対抗行動(仏)の報告〜日本の原発労働者に強い関心」)

 

 福島から富岡街道(R114)をひたすら山に向かってひた走る。この街道は福島〜川俣〜浪江で国道6号線に合流する道路である。この街道沿いに海側から見ると福島原発事故で浪江町民が避難した「津島地区」「赤宇木地区」の各地区が、さらに県道R399を北上すると間もなく「飯舘村長泥地区」をへて飯舘村村内を抜けて川俣、伊達を経由し福島に向かう。津島、赤宇木・長泥。これらは福島原発事故によって大量の放射能が空中に放出された「放射能汚染ルート」の一つである「飯館ルート」でも高汚染地域とされる。

 当時、何の情報も与えられないなか、避難を決断した浪江の人々は、このルート上にある「津島地区」に避難し、更にこのルートを経て避難を続けた。飯館村の村民は、ヘッドライトを照らして延々と続く避難車列に「何が起きたのか!起きているのか」と、底知れぬ不安を感じた。

 飯館村の人々も何の情報も与えられずに、放射能が村に降り注いでいるなかで過ごしたのだ。

 一号機爆発が12日15時36分、三号機爆発が14日11時01分、二号機炉心露出14日17時、四号機爆発が15日6時過ぎだという。そのような情報が明らかにされない中で、避難指示が同心円的に拡がっていった。

 高放射線量の地域である飯館村には「一か月以内の全村避難」が「政府要請」となった。苦渋の選択を迫られた飯館村の村民6千5百人の全村避難が始まったのは、5月15日に入ってからだった(約1千名が自主的避難)。

 飯館村は福島第一原発から「50キロも」離れていた。放射能汚染被害は福島全体に及び、さらに県境を越えた。その加害責任は、原発政策を推進してきた国と東電にある。だが、安全神話に毒され、利便性を追求してきた国民もまた、その責めを負わねばと思う。



富岡街道を飯館村へ


 途中の福島市飯野町は、避難した飯館村役場の仮設庁舎のある町だ。この町は「UFO目撃情報が多い」とされることから「UFOの町」としてチョット有名だ。「千貫森」がUFO基地だそうだ。
大きな空が拡がる風景は、素晴らしい夜空を感じさせるには十分である。

 飯野を過ぎて飯館村に入る途中の川俣町。飯館村の臼石小仮設校舎があり、少し行くと「除染廃棄物の仮置き場」があり、白い防護服を着た人達が除染廃棄物を積み上げていた。そこに設置されている線量計は「0.25μsv」の値を示している。作業している方に挨拶し、写真撮影後しばし立ち話。警備の労働者からいろいろ話を伺う。この辺の人かと思ったら「いわきから来ている」との事。その段階ではあまり気にもしなかったが、この先、行く先々で「いわき」が登場する。

◎写真/除染廃棄物仮置き場


 いよいよ飯館村に入る。福島から浜通りに向かう重要なルートであり、輸送トラックが走って行く。ここから南相馬市原町区までのルート上には「店」などは一件も開いていない。所々の集落や緑濃い中に点在する家々は、玄関や窓を閉め切っており、人々の生活の匂いまでも閉じ込めたようである。

 「郵便局」が開いていたのでみんなで立ちよってみた。局舎付近を線量計で図ると、多少線量が下がっている。開局にむけ除染をしたという事だろう。

 ところで、一緒にツアーを組んでいるのはフランスの郵便労働者だ。若い局員は嬉しそうに「私も少しフランス語を学んだ」と語り、フランス語で自己紹介をしたり、いろいろ話をしてくれた。

 飯館郵便局は昨年の12月27日に再開したとのこと。飯館村は計画的避難区域に指定され、約6千5百人の村民が避難した地域である。だが「除染実施、着手済み」をあわせても宅地は1%、森林4%(13年3月31日現在、除染情報サイト⇒環境省)しか進んでいない。

 しかも、除染を実施しても数カ月で線量が戻るので、その効果が疑われている。この「イタチごっこ」の状態が続くなか、巨額の除染費用が大手ゼネコンの懐を潤し続けている。

 2012年7月17日、飯館村では「避難区域の再編」が行われ「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」の三区分に再編された。川俣町を経て辿ってきた今回のルートは「避難指示解除準備区域」に当たる。年間積算線量が「20msv/年」以下となる事が確実であると確認された区域で「年間1msvを目指す」とする地域だ。だが、除染実施後の問題は「除染」の効果が疑われる、つまり除染によって期待するほどの効果も無く数カ月もたたずより線量が高くなると言うような事象も現れている。(環境省の除染情報サイトでは「繰り返し除染の効果」として「除染処理の時間が一定の時間に達するとそれ以後は殆ど効果が上がらない」としている。福島の自然環境を無視して進めてもと言うことだ)このような状況下で、年末に慌ただしく開所した郵便局。「世界最高の安全の下の原発早期再稼働、成長戦略の一翼を担う原発輸出」という政権の強力な圧力がと思わざるを得ない。ここで会った郵便労働者が地元の人かと思ったら、局長だけが地元の人でほかの労働者は全員「いわきから転勤してきた」という。

◎写真/草に覆われた農地に除染廃棄物


 郵便局付近の家、宅地にも「除染の痕」がうかがえる。家の回りには木が無い。家を囲む「屋敷林(いぐね)」は切り倒され、周囲の植え込みも極端に刈りこまれている。神社境内のスギ林もマーキングがされていた。恐らく今後、切り倒されるのだろう。

 今の時期は田圃に青々とした稲苗が風にそよぎ、畑も収穫期をむかえた野菜や若芽が育っている頃だ。いま、目の前に拡がる一帯には夏草が生い茂っている。村民が切り開いてきた「田畑」の現在の無残な姿だ。

 営々と続けられてきた「開拓」「開墾」で築き上げたものは、原発事故と「放射能」によって奪われてしまった。除染を繰り返し、根っこの深い草木を取り去り、農地として「再生」するまでの途方もない時間を考えると、暗澹たる気持ちにならざるを得ない。道を隔てた消防分団の車両置き場でも6、7人の労働者がヘルメット、防護服で身を固め除染活動を行っていた。



飯館村帰還困難区域・長泥地区


 関沢地区から小宮地区を経て長泥に向かう。道の両側の田畑には夏草が勢いを増したかのように生い茂っている。ところどころに民家が建っている。牛のいない牛舎。庭先には草花が咲いているが人の気配はない。

「R399」に入り、道の両側に木が生い茂った登り道を車でどんどん進んでいく。既に集落を過ぎている。「本当にこの道で間違いないのかな?」。「免許の無いナビ」である私は内心不安を抱えながら進むしかない。

 少し下がると、道路に赤い旗を持った警備員が立っていた。その後ろには、がっちりとした「錠前」がかかった鉄格子のバリケード。長泥地区はこの道を下ったところにあるが、ここから先には行けないと言っていた。「人は来るんですか?」と聞くと「たまにね。このまえバイクで何人か来た」。線量計で図ると「10μSV」前後。警備のおじさんは「こっちの方がもっと高いよ」と指さしてくれた側溝付近。計測すると、あれよあれよという間に「15μSV」を超えていった。とんでもない線量だ!プレハブ2棟の待機所があり、簡易トイレが設置されていた。

 気さくな警備員のおじさんにあれこれ質問を投げかけながら、長泥地区に思いをはせた。

◎写真/ここから先は通行止め(長泥地区に向かう道路)


「毎日ここまで通うの大変ですね?」。
「いわきから毎日、通ってくる」。

 驚いた事に、除染廃棄物の仮置き場の作業員、郵便局の局員、そして長泥地区への道路封鎖の警備員が全員「いわき」から飯館村に「働き」に来た人達だったのだ。

 幾重にもグランドに野積みされた除染廃棄物の袋。原発事故以前は子ども達の元気な声が集落に響いていたのだろう。無人の学校では雑草が生い茂った校庭と、よどんだ水をたたえたプールが、初夏の日差しを浴びていた。

 長泥からの帰途「村内パトロール」の車と出あう。車の中から「こんちわ!」と挨拶すると窓を開けてくれ、話が聞けた。福島市内に避難し、仮設にいること。みんなで「順番こ!」で村のパトロールをしていて、今日は「当番」だとか。二人のおばちゃんは人懐っこい笑顔で話してくれた。広場にはプレハブが建ち、多くの車が駐車していた。多分、除染等で飯館村に来ている人達の車だろう。



八木沢峠を下り南相馬市へ


「平常時には身体的障害を起こす可能性のある被曝は絶対に無いように防護対策を実施します」として公衆の線量限度を「一般人の被曝は年間1mSV以下にする」、職業被曝の線量限度は5年で100mSV。原発事故などでの「緊急時被曝状況」では「重大な身体的障害を防ぐ」として「年間20〜100mSVを目安線量とする」(国際放射線防護委員会「ICRP」の防護体系⇒首相官邸HPより)」)

 だから今回の福島第一原発事故では「原子力安全委員会は、この基準の最も厳しい(これを安全側に寄った数値?と言うそうだ)20mSV基準で対策を決定」した。日常では「年間1mSVが安全の許容範囲」だが、今回のように「事業者」や「放射線研究機関」などが「放射能の閉じ込めに失敗」したら「線量の基準緩和」を行うから、被曝地域に住む人は年間20mSVでも安全であるという論理展開だ。20mSV〜100mSVまでの範囲なら安全委員会なるものが「自由に決定」できるということだ。

 原発事故被災地住民から「他の人(一般国民)と差別されていると感じる」という声が上がるのは当然だ!東電や国は、ここで(放射能汚染地域の実態放射線量)「生きる」「生活する」という事をどう考えているのか!

 加害者である東電と国はふんぞり返り、「被害者」の「賠償請求」も買いたたき、そして「20mSV以下は安全であり、早期帰還にめどがついた」と震災時から放置させてきた住家、宅地や土地の「回復」には自己責任を押し付ける。本当に「胸糞が悪くなる」!

◎写真/美しい飯館村の風景


 飯館村は標高500から700メートル位の阿武隈高地に位置している。飯館から南相馬に向かう八木沢峠は福島〜飯館〜南相馬のルート(R12)上にあり標高520mの急峻な峠だ。車は右に左に曲がりながら峠を下る。道路の両側は山また山で、緑が濃くなった道を一路「南相馬へ」。

 南相馬に入ると住民の姿や車の数は一時よりも多くなったと感じる。原発事故で避難した住民が少しずつではあれ戻り始めていることがうかがえる。

 これから南相馬市小高区と浪江町の境に位置する「希望の牧場」へ向かう行程だが、予定していた時間をかなりオーバーしているので、受け入れ先に午後2時頃になる事を連絡する。

(続く/記:高橋喜一)


■以上/宮城全労協ニュース247号(2013年7月30日)