宮城全労協ニュース/第253号(電子版)/2013年11月4日
宮城県知事選、際立つ低投票率



 宮城県知事選挙は10月27日投開票され、三期目をめざした現職が大差で当選した。不戦敗を選択した民主党は自主投票となった。無所属・共産党推薦の対立候補は、これまでの実績から票を大きく伸ばしたが、現職候補を脅かすまでにはいたらなかった。

 村井知事は新政権との「蜜月」関係を強調し、用意周到な準備を進めた。「最高得票」の記録を突破する絶好のチャンスとだったが、前回票にも達しなかった。投票率は実に10ポイントも下落、過去2番目の低さとなった。36.58%という投票率は「現職の強さ」とは裏腹に、村井県政と県民意識の距離の大きさを示した。

 知事は翌日の定例記者会見で「得票率は86%」と誇ったが、それは有権者の31%にすぎない。

 同日投開票された南三陸町長選挙(現職と批判派候補が競った)と対比しても、県知事選挙の低投票率は際立っている。投票率は前回より低下したが、それでも78.1%であり、減少幅は4ポイント弱にとどまった。

 8月に実施された仙台市長選は過去最低の投票率(30.11%、前回は44.72%)だった。津波被災区である宮城野区と若林区は30%を割った。知事選と仙台市長選の結果は「オール与党化」への不信と、復旧・復興政策への被災地のいらだちを見せつけた。



<2013年知事選>投票率36.58%
 村井候補 591,265
 無所属(共産党推薦)候補 92,791

<2009年知事選>投票率46.57%
 村井候補 647,734
 国政与党候補 174,702
 無所属(共産党推薦)候補 51,848



低投票率が意味する知事と県民との距離


 ゼネコン汚職事件で現職の仙台市長と知事が逮捕された1993年、自・社・公・民社推薦の無所属新人候補が「勝手連ブーム」を巻き起こし、64万8千票を獲得して当選した。以降、これが「県政史上の最多得票数」となった。

 前回の2009年知事選挙は政権交替直後の秋に実施された。新政権の行方を占う拠点的な地方選挙の一つとして注目された。民主党をはじめとする国政与党推薦の新人候補は完敗、村井知事は「記録」まで200票弱までせまって話題となった。

 政権再交代と民主党の不戦敗。その勢いに乗って村井知事は「記録」超えをねらった。前回選挙で微妙な立ち位置を余儀なくされた業界団体への働きかけにとどまらず、連合宮城の各労組への協力要請を行うなど「全方位」の陣形を広げた。民主党議員の一部と連合宮城の一部の労働組合は現職支援に回った。

「共産党と社民党以外はお集まりいただいた」。告示日の事務所あいさつで、知事は、出席した国会議員を前にそう述べたという。民主党幹部議員の顔もあった。なにかと相違点がクローズアップされてきた岩手県知事が期間中、自制した形ではあったが、現職支援にかけつけるシーンもあった。

 知事陣営にとって問題は、40%前後と予想されていた低い投票率であり、知事当人も「白票でもかまわないので投票所に」と訴えた。結果は予想を大きく下回った。「勝ち馬へ、政党も業界も」(朝日新聞)動くなかでの極端な投票率の低下は、被災地をはじめ県民意識と村井県政との落差を示した。

 知事の政治力に影響が出るとの指摘があるが、重要なのはそういうことではない。県民意識との「距離」を、知事と県執行部はどのように考えるか。問われたのはそういうことだ。



知事の手前勝手な弁明


 「圧勝」と「低投票率」のはざまに立って、知事は何を示すか。注目の定例記者会見は開票の翌日に行われた。知事は、投票に向かう「動機づけが十分できなかった」と認めたが、よほど不本意な結果だったのだろう、批判が対立候補に向けられた。

 対立候補の争点は県民全体が関心を持つ内容ではなかった、それが「低投票率につながった一つの要因」かもしれないと知事はいう。低投票率については選管で分析し、次に反映してもらうとも述べた。県政のための<前向きな反省>の視点が感じられない。住宅建設の遅れに関しても投げやりムードの答弁だといってよい。
 
 被災者の医療費免除(の打ち切りと復活要求の)問題は、「被災者全体の中の国民健康保険に加入している方の中のよく病院に通う方が特に対象になる」ので「宮城県民全体からすると非常に限られた人数」になる。TPPは「国が決めること」であり、水産業特区は「既に始まったこと」だ。「原発もこれから国がどうするか決めること」だ。こうして論点がかみあわなかったと、知事は主張する。

 しかし、被災者医療費援助の復活に対して知事は積極的ではないと、多くの県民が思っている(知事は対象者は限られているから県政全体の問題にはならないと発言しているが、家族・親族や関係者はその何倍になるか!
)。TPPや原発については国への同調姿勢に強い批判がある。水産業特区では強引な姿勢が問題となってきた。

 知事からすれば「もっと大所高所から宮城県全体をふかんした政策」が議論されるべきであって、そのために「重厚なマニフェストを示した上で、トピックとして医学部(の創設)や空港の民営化、広域防災拠点などを強くPRしたつもり」だった。そのような選挙戦にはならなかったと不満な知事は、国政への政治力がもっと評価されてしかるべきだと言いたいのだろう。

 震災当初、知事への批判は「トップダウン」姿勢に集中した。いま政権再交代の中で、国政との「蜜月」関係が逆に疑念を増大させている。

 知事選挙を前にして、消費増税の引き上げ実施が宣言され、それとセットになって復興法人税の一年前倒しが提示された。被災地の強い反対にもかかわらず、知事は安倍首相の演説を受け入れ、「カネに色はついていない、財源が確保できれば(復興法人税の廃止は)問題にならない」と踏み込んで発言し、安倍首相を支えた。その直後に知事は「医学部増設」を首相に直接要請し、首相は賛意を示した。知事は成果として強調したが、県民は一連を経緯を手放しで受け入れているわけではない。

 原発問題ではどうか。東北電力は女川原発再稼動への「準備」を進めている。知事も「原子力規制委員会が再稼動を同意した場合」に言及しはじめた。自民党政権の原発維持政策を支持するのか、賛否が知事に突きつけられるタイミングがくる。しかし、知事は「原発は国が決めること」だというこれまでの持論を繰り返し、女川原発再稼動問題を争点にはしなかった。誠意ある姿勢ではない。低投票率には、そのような知事への抗議の意思も含まれているだろう。ちなみに知事の「得票率」最下位は女川町だ。



「復興政策の基本」を見直せ!

 
 住民と県の争点の一つに「防潮堤」がある。気仙沼などで相次ぐ住民の異論は、高層の防潮堤建設が本当に命を守る政策なのかという点だけではない。住民たちは何度も会合を重ね、北海道奥尻島などの教訓を学び、生活、産業、環境など多岐にわたる再検討を県に求めてきた。県は、国の予算は時限つきであり、間に合わなければ自治体独自では建設不可能になると主張した。知事も「時限立法」を楯にとって決着をはかった。

 当選翌日、NHK仙台放送局の番組で知事は、「動き出した事業は止められないともいうが、住民の意向によって計画が変わることはあるのか」と問われ、「状況によってはあるかもしれないが、基本的方向は変えるべきではない」「復興構想会議で決めたことであって、同じような災害があったときに命が失われないような街づくりや防災対策という大前提の下に進める」と答えた。

 この「大前提」を問い直す必要がある。たとえば高台移転方針が各地で行政と住民とのあつれきを生んだのは、津波被災の沿岸部は地形も産業も生活文化も異なり、一律対応ではいかないという現実にぶつかったからだ。「現実を知らない議論」が基本方針づくりを主導し、復興庁に引き継がれた。だから知事も当初、復興庁に怒りをぶつけたのではなかったか。

 時限的予算も話が逆だ。地元事情を優先させる必要がある。まして「現場主義」だと政府がいっている。そもそも「流用」と「未執行」の予算ではないか。自治体は、その予算の獲得競争に駆り立てられている。知事は国に対して、予算の総見直しを求めるべきだ。時限が切られているから結論は動かせないのなら、住民との議論は形式的なものにすぎず、住民主体の復興になるはずがない。

 知事はこの間、「創造的復興」に上乗せして、「震災がなければできなかった」という言葉を多用している。水産業特区も「農地集積」もそうだ。「震災があったから実現できた」と数十年後に言われるような宮城県をめざすという。「震災から数十年、みんなの努力でここまできた」、ではない。「震災があったから、ここまで転換できた」。大型土木・建築事業などハード重視、製造業を中心にした企業誘致の促進が重点化されていることがうかがえる。

 養殖水産業の株式会社化、「TPP時代を生き残る」競争力ある大規模農業化、仙台空港の民営化、内陸部の自動車産業と関連企業の誘致など。それらは震災前、「富県戦略」と知事が命名していた産業構造の転換政策に位置づいている。

 大震災があったから転換の促進が可能となったと理屈づけてしまえば、行政にとって、たとえば水産業特区の対立の打開は優先課題でなくなるだろう。そして現実はそのような道に入り込んでしまっている。複数の漁業調整委員の辞任や漁業者の提訴など混迷の一途だ。他方、経済団体や企業の活動が行政機能を代替しながら活発化している。


 歴史的な低投票率を逆用して、県政の「オール与党化」と「国政一体化」が進む危険性がある。県政の横暴をチェックする努力が、ますます問われる。


■以上/宮城全労協ニュース253号(2013年11月4日)