第二回スタディツアー「福島編」
<視て!聞いて!考える!>
第二回スタディツアーが2013年10月、宮城全労協の呼びかけで開催された。今年は「被災地の今」を肌で感じるために、「視て!聴いて!考える!」ためのツアーにしたいと準備し、全労協の全国の仲間たちにも企画を紹介した。
震災から2年半を過ぎ、マスコミで取り上げる震災報道も地元紙を除いて激減し、扱いが小さくなってきたと感じている。多くの場合、記事の背後に潜む被災地住民の苦悩が見え難いなかで、ならば被災地に心を寄せる人々が「取材(視察)」にやってくる、そういうツアーが良いのではないかと考えた。
「取材(視察)」を通じて「記者(参加者)」が、それぞれの暮らしのなかから生きる・生活する価値観を見つめ直し「考え」、そして「報道(行動)」するきっかけになればと思う。
スタディツアーは準備を含めて数度にわたって取り組まれた。その中の一つを、以下に紹介する。
◎なお、大阪全労協の仲間たちが11月3日、4日の両日、ツアーに参加し、その記録を多数の写真とともにホームページに掲載しています。「大阪全労協」(11月6日・7日号)で検索してください。
<レポート:高橋喜一・電通労組>
<写真>
「時間が止まったままの浪江町請戸地区」
「請戸から見た福島第一原発」
「希望の牧場」
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「数値」に翻弄される日々
この間、福島では避難区域の再編が慌しく進められた。再編の指標とされたのが「年間積算線量」だった。だが、昨年「避難指示解除準備区域」に再編された南相馬市小高区の一年からは、「年間積算線量」の変化を感じることはできないし、まして復興が進んでいるわけではない。
避難生活を余儀なくされて2年半、家族も分断されてきた。「数値」に翻弄され「数値」によって細分化される避難住民の思いは・・・。何事も「迅速な復旧・復興」という枕詞の中で、避難住民の声、要求が出しづらくなり「諦め」が先に立っていると地元の友人が語っていた。「空間線量毎時3.2μs」。今回の某避難指示解除準備区域の数値だ。
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全村避難の飯館村から南相馬、浪江町へ!
JR福島駅から出発し、一路、飯館に向かう。
福島県は全国有数の「果物生産王国」。モモやリンゴ、梨等の果樹園が拡がり花咲く季節は、この上ない景色だ。「白い木肌」「黒い木肌」のリンゴの木の話をして、車からの風景に注目してもらう。
白と黒には意味がある。原発事故後、果樹についた放射能セシウムを除染するために、高圧放射洗浄によって樹皮が剥けた木が「白い木肌」。そうでないのが「黒い木肌」。
何度かテレビ報道もされたが、放射能汚染被害に必死に立ち向かう果樹農家の苦悩・苦闘を想うと、自然に涙が流れたのを思い出す。地震・大津波による被害、そして福島原発事故による放射能が福島の美しい山野を汚染した。「福島産」と表記された果物など農業生産物は、生産者の必死の努力をあざ笑うかの如き風評被害の拡がりの中で「買い控え」られ、買いたたかれた。
飯館村に向かう道すがら、農家の軒下の「大根干し、つるし柿」の姿はない。今頃の季節には、ごくありふれた田舎の風景だったが、それを垣間見ることすらできない。「放射能」が作りだした現実の風景だ。
飯館村を走る国道12号線に入ると、黒々とした田圃(除染によって表面がはぎ取られた姿だ)とブルーシートに覆われた除染土・廃棄物が拡がっている。このルートは年間積算線量が20ミリシーベルトから下回るとされた「避難指示解除準備区域」を経て、年間積算線量が20ミリシーベルトを超え50ミリシーベルト未満の地域とされた「居住困難区域」につながる道路である。
除染、インフラ復旧をして、環境が整えば解除し帰還を促すという「避難指示解除準備区域」が解除に向かって動き出した姿である。しかし20ミリシーベルト以下なら「居住できる」とする根拠は何もない。「追加被ばく線量年間1ミリシーベルト」の基準は期限の無い何時の日かの「目標」だ!全くでたらめというしかない。福島の人々は「一般の20倍」の放射線を強要され受忍する事で「復旧」を語れという事だ。
何度も訪れた飯館村は、その都度その姿を変えてきた。青々とした雑草が生い茂っていた季節が去って、阿武隈高原は秋の装いを始めている。何代もかけ、長い年月のなかで人々がようやくつくりあげた農地を覆う枯れ色の姿をみると、元の農地のように輝きだすのだろうかと不安を覚える。
飯館から浪江町に向かう道路の行き止まりは「長泥地区入口」だ。鉄柵を張り巡らし封鎖扉が、人の立ち入りを拒んでいる。近くの雑草地は10μs以上を示す。第一原発から漏れた放射能汚染「飯館ルート」は、第一原発から双葉町、浪江町を経て飯館村、川俣町、福島市から福島県中通りを汚染した。飯館村長泥地区、浪江町赤宇木地区、津島地区は高濃度汚染地域で帰還困難区域だ。
この「汚染ルート」を南下し、最後に福島第一原発をこの眼で見ようとするツアーだ。つまり、「福島ツアーコース」は放射能汚染源に向かって進み「なぜ」を問い返す。
●鮭! 故郷の川にかえる!
この季節、東北の川には長い旅を終えた鮭が遡上してくる。浪江町請戸地区は4月1日の再編により、避難指示解除準備区域に指定された。震災前は約500所帯1,600人が住んでいた。
請戸橋から川面を見ると、水しぶきをあげて鮭が飛び跳ねている。この川から旅立ち、4年という長い時間をかけて太平洋を回遊し、最後の役割を終えた鮭の白くなった魚体が水中に浮かんでいる。採卵し、受精させ、幼魚を育て、川に放流し、帰ってきた鮭を獲り、採卵し・・・放流。漁民が営々と続けてきた鮭の養殖のサイクルは、原発事故によって切断された。放射能に汚された川と変わり果てた故郷。請戸港の倒れた防波堤、船溜まりは、地震によって2メートルほど沈下し、護岸を波が洗っていた。
津波で破壊された漁業施設、住宅地まで打ち上げられた多数の漁船、破壊された家々の数々。遠くの崖の上に福島第一原発の1から6号機の排気筒がにょっきりと天に伸び、大型クレーンが見える。あそこまで僅か6から7キロ。あそこからの海岸の風景はどう見えるのだろう?
枯れ草に覆われた大地に、廃墟と化した請戸小学校が建っている。体育館の床は陥没し、舞台上には「祝 修・卒業証書授与式」横断幕があり、被災当日の状況を浮かび上がらせている。時計は津波到達時間で止まっていた。2階の各教室は支援によって小奇麗に整理されており、黒板には沢山のメッセージ。「請戸が大好き がんばっペ請戸」、そして「原発ゼロの日本を残そう!子ども達のために」と!
11月26日、秘密保護法案に対する福島公聴会で浪江町の馬場有町長は、国の情報隠しによって避難した町民が大量の被曝を受けてしまった事を指摘し、「情報公開」の法案の問題点を訴えた。情報を秘匿する事の根本的問題が「浪江町民全員避難」のなかに凝縮されている。
11月21日、小学校周辺に集積されていた「震災瓦礫」の撤去・移送作業が始まった。
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原発から14キロ「希望の牧場」を訪れる!
福島の現実を見ることが何よりも大切なことだ。そして福島の現実から目を塞いではいけない。人々が一緒になって見つめ、考え、解かなければならない。「何よりも命を大事にする!」社会とは。
1500頭が「餓死」、1500頭が「殺処分」、100頭の「離れ牛」。「言った以上、折れるわけにはいかない」吉沢さん(希望の牧場代表)の言葉だ。経済的にも価値の無い牛をどうするのか?・・・「被曝牛の調査研究」や「土地の保全」など牛たちを生かす道(活かす道)の模索が「希望の牧場」だ。だが、国の「殺処分の指示」に相反した行動に対する「攻撃」と、その指示に従わざるを得なかった飼育農家との軋轢など、取り巻く環境は厳しい。「時間をかけて被災地住民の絶望を待つ」という政府・東電の動きのなかで「希望の牧場」は「原発事故」の本質を問い「命の尊さ」を社会に突き付けているのだ。
今回、5グループ、延べ60人が参加したスタディーツアー。初めて被災地を訪れた人も多く、新鮮な驚きを話してくれたり、思いを綴った手紙を寄せてくれた。地域の集まりで東北の被災地で視て聞いたことを話した事などを伝えてくれた。
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原発ゼロの日本を残そう!子ども達のために!
読者のみなさん!時間があればぜひ被災地に来て下さい。宮城県の被災地では、政府の各地区一カ所という「震災遺構」保存方針のなかで、来年から取り壊されるものもたくさんあります。「視て!聴いて!考える!」、そして福島と繋がろう!
■以上/宮城全労協ニュース256号(2013年12月23日)