鉄産労・結成30周年を祝う
仙台で記念集会を開催

歴代4人の組合委員長が挨拶
鉄産労(鉄道産業労働組合)は6月1日、仙台市で結成30周年記念祝賀会を開催。全国、地域から多くの人々が参加し、ともに祝った。
集会冒頭、司会は鉄産労結成の直接の契機が「9・17行革不当処分」にあったことを振り返った。
1982年9月17日、東北新幹線職場で二名の青年労働者が不当処分を受けた。労働条件をめぐる助役への抗議が「暴力的言動」とされた。国鉄当局と闘うべき組合(動力車労働組合)中央は統制処分をもって当局と歩調をあわせた。
「昨年九月十七日、動労仙台第一運転所支部の両君に対して、当局はそれぞれに懲戒免職と停職十二ヶ月の処分を発令した。『職場規律』の名によって、職場での組合活動を封殺・弾圧する処分であった。両君と動労仙台地本は、不当処分撤回に立ち上ったが、当局とゆ着した動労中央は、処分撤回闘争に敵対し、さる二月一日には、あくまで闘おうとする両君ほか一名に組合権の停止を通告するという言語道断の利敵行為を働くにいたっている」(『ギリシビキ』国鉄東北労研・1983年2月15日号)。
「9・17行革不当処分」は仙台の地域的な出来事ではなく、当時の国鉄労使状況を象徴する事態だった。「両君への処分は、全国で吹き荒れる職場活動家への首切り攻撃と軌を一にしている。昨年十二月だけで、帯広駅、福島駅、筑豊支部で計五名の国労組合員の首が切られたが、いずれもあたりまえの職場闘争にたいする報復の即決処分であった。(第二)臨調行革を背景に、当局は、今日、労働組合の暴力的解体にのり出している・・
」(同)。
不当処分との対決を貫く労働者たちは仙台地裁での仮処分裁判闘争をはじめ、その闘いを全国・地域で進めていった。激しい「弾圧」と対峙しただけではない。いわれなき「誹謗・中傷」が加えられた。それらをはねのけ、1984年2月5日、鉄産労は結成された。
結成記念集会は一ヵ月後、奇しくも「3月11日」。みぞれまじりの雪が降るなか、全国から多くの労働者たちがかけつけ、会場は熱気に満ちていた。「鉄産労の結成は、何よりも全国の闘う労働者の支援と協力によって勝ちとられたものであり、同時に鉄産労は、全国各地で職場と地域を結び日夜闘い続ける労働者の財産であり、闘いの成果」であると組合機関紙創刊号は記している。
主催者を代表して御礼と感謝の挨拶に立った執行委員長の高橋勇さんは30年前の結成記念集会にふれ、次のように述べた。
「動労OB会から脱退して鉄産労OB会を結成した初代会長が登壇し、<義理と人情を大切にしよう!>これが我々の基本綱領だ、と。「30年間、『国際主義の旗』と『義理と人情を大切にしよう!』は鉄産労の思想、哲学として団結を強固なものとしてきた」。
「中曽根臨調行革、総評解体、労働戦線右傾化の嵐」のなか、<鬼の動労>という言葉は死語になろうとしていた。当事者たちや国鉄当局は幕引きをはかっていた。一方、鉄産労は「鬼の動労」への依存や郷愁と決別し、新しい労働組合に挑戦しようとしていた。鉄産労は30周年記念集会の当日、第31回定期大会を迎えた。そのスローガンには「国際主義の旗のもと、『世界にはばたく鉄産労』を実践し、21世紀の階級的労働運動を創造しよう!」と書かれている。
この三年、組合も組合員たちも大震災による三重被災、地震・津波・原発破綻の現実と格闘してきた。大震災は人の命の尊さを再認識させたが、「それを支える社会が必要」であり、労働運動の役割が問われた。そのように指摘する委員長発言は、みずから津波被災者として避難所で暮らし、住民たちとともに闘った経験に裏打ちされたものだった。
多くの人たちが連帯の挨拶を述べた。
発言の最初は全労協・金澤議長。「労働組合、労働運動がいま歴史的岐路に立たされている。政労使会議に参加した連合のあり方が、日本の労働運動が一つの区切りを迎えたことを示している。社会的な役割がかつてなく問われているいま、鉄産労の次の活躍を願ってやまない」。
鉄産労を支援し、ともに歩んできた人たちがこれまでをふりかえり、また様々な立場から鉄産労に期待して発言した。
東京大空襲の実体験をまじえた反戦・平和の切々たる訴え。「国際主義」を掲げる労働組合はそれほど多くはないとの叱咤激励。ソ連邦解体後の三十年、その次をどのように展望するかと問いかける発言。すべての発言が、各々の短い時間のなかで鉄産労への連帯と期待、要望を率直に語るものだった。
最後は福島県生まれの組合員による故郷の歌。予定にはなかったそうだが、電通労組の組合員たちは韓国労働歌を披露、歴代委員長挨拶に続いて最後は「インターナショナル」の大合唱となった(*写真)。

「インターナショナル」の大合唱で記念集会を終える
(寄稿・仙台Y)
■以上/宮城全労協ニュース265号(2014年6月26日)