「さようなら原発」石巻で集会
〜福島、下北、女川を結んで
(注)6月8日、石巻市内で「さようなら原発 in いしのまき2014」が開催され、一連のイベント、集会、市内行進には200名を超える人々が参加しました。石巻在住の仲間から報告文を寄せていただきましたので紹介します(見出しは編集部による)。
●大震災翌年から続く石巻での取り組み
〜大飯原発差し止め判決の緊張感のなかで
「さようなら原発 in いしのまき」は、東日本大震災の翌年、2012年から石巻市民や労働者をはじめ、福島第一原発事故以降、こどもの健康といのちを守るために新たに活動を開始した子育て世代の母親たち、宮城県内の市民の呼びかけによって毎年開催されてきた。
今回は福島と青森・大間、そして女川原発地元をつないで開催された。福島から双葉地方原発反対同盟代表の石丸小四郎さん、青森から大間原発建設用地内でただ一人、自分の土地を守り続けている「あさこはうす」の小笠原厚子さん、「さようなら原発一千万人署名市民の会」呼びかけ人の鎌田慧さんが報告、講演した。
昨年12月、東北電力は被災した女川原発2号機の再稼働にむけて、安全審査を原子力規制委員会に申請した。女川原発では現在「安全対策」として莫大な金を投入、20mを超える防潮堤建設(現在の高さから15m嵩上げして29mに)が進んでおり「要塞化」されている。危険性が除去されるわけではない。電気料金に上乗せされている原発維持費が「膨大な無駄」として危険性を覆い隠すために使われているのだ。
女川原発再稼働の動きが強まっている。青森県の東通原発(東北電力)も安全審査は進行している。
一方、「人格権、平和的生存権を全面に押し出した」大飯原発運転差し止め裁判の画期的な判決が出された直後であり、昨年までとは違った緊張感に包まれ、運動拡大への自信にあふれた集会となった。
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午前の部、悪天候のなかイベントが
石巻地方は昨年より十日ほど早く梅雨入りとなった。当日も時折、強い雨が降りつけていた。
会場となった石巻中央公民館は、脱原発、反原発の横断幕やのぼり旗が張り出され、参加者を入場を待った。あいにくの悪天候をついて「午前の部」から多くの人々が駆けつけ、「出店・音楽会」は大賑わいとなった。
「こどもの遊び場コーナー:江戸ごま」や「無添加パン・クッキー」「フェアトレード商品」「手作り帽子・Tシャツ」などのコーナー。自然エネルギー展示、被災者支援のリサイクルバザー、指定廃棄物最終処分場建設に反対する栗原ネットワークのブース、地元十三浜のわかめ販売など出店が所狭しと設置され、熱気充満の盛況ぶりだった。ミニコンサートのコーナーでは地元のシンガーソングライターによる音楽会が会場を盛り上げた。
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「女川から未来を考えるつどい」(8月)から
参加団体からのアピールもあった。
8月10日、被災地の女川町総合体育館で「女川から未来を考えるつどい」(加藤登紀子トーク&ライブ With 小出裕章)が開催される。つどいを準備している「女川から未来を考える会」の女川町議・阿部美紀子さんがアピール。
「町内の7割以上が被災した女川町の復興にとって、原発が足かせになっている」「原発再稼働に多くの町民が不安を抱えている」、そのようななかで「原発から脱した女川復興に向けて8月の集いが開催される」と意義を訴え、集いへの参加を呼びかけた。
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指定廃棄物最終処分場「候補地」から
「汚染稲わら」など宮城県内で出た「指定廃棄物」の最終処分場候補地として、環境省は県内の3ヶ所(加美町、栗原市、大和町)を選定した。一方的に通告された自治体ではどこも、住民ぐるみの反対運動が広がっている。
集会では加美町・町議の伊藤由子さん、「放射能から子どもたちを守る栗原ネットワーク」からそれぞれ反対運動の報告と協力の要請があった。
大和町の候補地は陸上自衛隊王城寺原射撃場に隣接するところで、沖縄駐留米軍の射撃練習場にもなっており、大和町は危険だと反発している。加美町は県北部地域の水源に近く、栗原市の候補地は岩手・宮城内陸地震(2008年6月)で崩壊した山中にある。いずれの候補地も、自然環境と住民生活を破壊する危険性は明らかだ。
政府は受け入れ自治体への交付金(対象5県分で総額50億円)を示したが、札束で強要する態度やあいまいな県知事の姿勢がさらに地元の反発をかっている。
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主催者からの挨拶〜実害と風評被害に苦しむ日々のなかから
午後の部「報告・講演会」に先立ち、「さようなら原発 in いしのまき2014」実行委員長の佐藤清吾さん(宮城県漁協石巻市北上町十三浜支所運営委員長)が開会の挨拶。
「政府、電力会社など原子力ムラの「安全神話」の下での原発推進が、福島第一原発事故を起こした。「収束宣言」をしたが、なんの根拠もなかった。事故から3年、政府は原因や真相を明らかにしないどころか、その矮小化と虚偽の情報によって国民を欺いている。広範囲に拡散した放射能のため実害と風評被害に苦しんでいるのに、再稼働や輸出を進めるというこの国の姿勢はまともとは思えない」。
「大飯原発差し止め訴訟での勝利に勇気つけられた。判決は名文であり、読みながら涙があふれた。政府、財界は反省なく、再稼働、輸出へと邁進している。同じ轍を踏むのは明らかで、それを私たちが自ら許せば人格権、生存権を放棄することになる。絶対認めることはできない」。
佐藤さんはこのように新政権の原発政策を強く批判、福島・大間・女川原発地元をつないだこの集会を成功させたいと挨拶した。
続いて「午後の部」が始まった。石丸小四郎さん、鎌田慧さんの報告と講演の主な内容を次に紹介する。
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「福島の現状と課題」(石丸小四郎さん)
双葉地方原発反対同盟代表である石丸小四郎さんは「福島の現状と課題」について報告した。石丸さんは「福島の現状を知ってもらうために石巻に来た」と切り出し、被害の深刻さとその特徴を次のように示した。
1.複合災害として原発災害が現実となった。
2.複数の原発が連鎖的に爆発して広範囲に放射能汚染をもたらした。
3.多数の原発関連死を生み出した。
4.多くの人を被ばくさせ、リスクを拡大させている。
5.陸地の放射線被害をもたらした。
6.海洋の深刻な放射線汚染が拡大し被害を拡げている。
7.事故の収束のメドが全くたっていない。
8.事故収束のためには膨大な被ばく労働が必要になっている。
9.金銭的にも、数十兆円の損失をもたらしている。
10.様々なところで社会的対立を作り出しており、政府をはじめ誰も責任をとらない。
政府はいま、原発をベースロード電源として再稼働を進め、輸出をセールスし、核燃料サイクル再構築に向かっている。これは「原発事故焼き太り政策」であると批判した。
痛烈な打撃を受けた福島県の現状について、石丸さんの報告が続いた。
人口は激減した(2011年1月、202万7000人→2014年6月、193万8500人/事故前比で約8万5千人の減少)。
避難者総数が今年に入ってやっと13万人を切ったこと、震災関連死認定数は1715人になったことなどが報告された。
病院関連では病人放置の実態(避難過程で50人が死亡)、災害対策に関しては「SPEEDI」の存在を官邸トップ、原子力安全保安院、東電、原子力安全委員会のトップさえ知らなかったこと。国、福島県、東電、警察、自衛隊などは「原子力複合災害」を全く想定していなかったこと。オフサイトセンター(現地本部、福島県、政府)が合同対策協議会を組織し共同で対応することができず、全く機能しなかったこと。
マスコミでは避難所生活の美談だけが報道されているが、障がい者や高齢者などが差別的待遇にさらされていたこと、特別養護老人ホームなどでの死亡率が震災前の2.4倍に達していること、自死も46名などと「救えた命」が救えていないこと。
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収束・廃炉への強い懸念と「原発立地地域の末路」
「原発さえなかったら」は福島県の総意だと石丸さんは語り、現状への懸念と課題に話を移した。
県土の3分の2が「放射線管理区域」(4万ベクレル/u以上、0.6マイクロシーベルト/時)である。福島のみならず、放射性物質は日本全土で確認されており、西日本でもセシウムが確認されている。石丸さんは「西日本の人はもう忘れているのではないか」と、その風化を懸念していた。
除染は遅々として進まない。原発敷地内に流れ込む地下水問題については「原発が岩盤の上に建つ」というのは「大嘘」で、「軟弱な透水層(砂岩や礫岩など水を通しやすい地盤)の上に建っているのが福島第一原発であり、だから地下水問題が発生する」と図を示して解説した。
今後の課題として、40年とも50年とも言われる廃炉作業がある。原発事故収束労働者の使い捨ては廃炉収束作業の放棄につながる。外国人労働者向けの求人が始まっていることを踏まえながら、収束労働者の命と権利を守ることが重要であること、余震対策も大きな課題だと指摘した。
石丸さんはさらに過酷事故の風化政策(収束宣言と原発再稼働、報道の減少、原発輸出)、過酷事故の過小評価、放射能とがんの因果関係の否定を指摘し、このような政府の意図的政策と闘うことが必要だと強調した。
石丸さんは最後に、ゴーストタウン化した双葉町駅前通りにある「原子力 明るい未来のエネルギー」と書かれたアーチを撮った写真を示し、「これが原発立地地域の末路だ」と述べ、報告を締めた。
●鎌田慧さんの講演
鎌田慧さんは、今日は経済産業省前に設置されている「脱原発テント村」の1000日目で、この石巻集会も連帯して開催されているとして、「現在の最大の運動課題は、再稼働させないこと」だと述べた。
川内原発を最初に再稼働させようとしているが、全国で連携して再稼働を止める必要がある。再稼働されれば事故が起こるわけで、福島のようなことがあっても反省もない、電力会社が儲けるための再稼働は許されないことだ。
反原発運動について鎌田さんは次のように述べた。以前は総評・社会党ブロックが中心に展開されていたが、社会党が弱体化し、総評が解体するなかで運動も後退を余儀なくされてきた。しかし、福島第一原発事故で何かしなければならないという市民や市民運動団体が運動に参加し、3年が経つ今もその状況は続いている。政府は原発をやめていないのだから、「やめた」と言わせるまで闘い続けるしかないし、廃炉になるまで運動を拡大していく必要がある。
5月21日に出された大飯原発運転差し止め裁判の判決について、鎌田さんは、裁判官が勇気を持ってだしたもので「良心宣言」だと思うと語った。これまで裁判所が判断してこなかったことを反省して、その責任を明確にしたもので、これは脱原発運動があったからであり運動の成果である。
「人が普通に生活していけることが国富」と常識を明確にしたもので、この判決は大飯原発だけに限られて出されたものではなく、日本の原発政策そのものに対する判決であることを受け止め、原発輸出と再稼働をとめるために全力で闘うこと。原発推進を支える独占企業や電力会社はマスコミを囲い込み接待して、事実を社会的に明確にすることを阻んできた。その接待費用も電力料金に上乗せされており、そのような社会体制を変えていくこと。
鎌田さんは、原発事故収束労働者を支えていく活動も同時に行っていくことを訴え、講演を終えた。
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下北半島で闘い続ける小笠原厚子さん
講演中にマグニチュード5.2(石巻震度4)の地震があった。引き続き、小笠原厚子さんと鎌田慧さんの対談が行われた。
小笠原さんは、母である故熊谷あさ子さんの意思を継いで、「海と土地があれば生きて行ける、何があっても、絶対に土地は売らない」と買収を拒否し、大間原発建設用地内のある土地(1ヘクタール/炉心予定地から約100mの距離)を守り闘い続けている。
赤裸々な電力会社の買収工作が話された。友人が、1億円が記帳された新しい通帳を持ってきて「宝くじに当たった」とそれを見せ、「この金で土地を売ってくれ」と迫ってきた。友人までも使っての買収の実態だった。
また下北半島は電源交付金漬けになっているが、30q圏内の函館市(人口40万人)は蚊帳の外であり無視されている。函館市の大間原発建設差し止め裁判をともに闘うことも訴えられた。
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「再稼働やめろ!」と石巻市内でアピール行進
緊迫した集会だった。長時間にもかかわらず、参加者たちは集会に集中していた。
講演会が終了しても、強い雨が断続的に降り続けていた。女川原発立地自治体である石巻市内で、再稼働策動後初の「市内アピール行進」が行われた。
「原発やんだ!」「おらほにやんだ!」「あんだほうにもやんだ!」という地元のことばでコールをしながら、石巻駅前までアピール行進を行った。
(付記)行進は途中「アーケード通り」を通過したが、中心部商店街は「シャッター通り」と化している。市外から参加した人々は、とくにかつての商店街を知っている人々は、石巻中心部であっても復興にはほど遠い津波被災地の現実を体感したのではないだろうか。
(石巻在住/M)
■以上/宮城全労協ニュース266号(2014年7月6日)