「女川から未来を考えるつどい」〜
1500人が参加(8月10日/女川)
●「女川から未来を考えるつどい/加藤登紀子トーク&ライブwith小出裕章」
〜強風と大雨の中、地元、県内、全国から集まる
8月10日、各地に大きな被害をもたらした台風11号が東北地方に接近するなか、「女川から未来を考えるつどい」の会場となった女川町総合体育館は、地元はもとより県内外の各地から参加した大勢の人たちで埋まった。参加者たちは強風と大雨をはねのけて会場にかけつけた。女川原発反対運動にとって感動的かつ歴史的な「つどい」になった。
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半年をかけて「つどい」を準備
「大震災から3年5か月。女川は827名の死者・行方不明者を出し、町の7割が被災して現在復興中です。本日、離島や半島の浜から参加予定の住民たちは、台風で船を出せず参加できませんでした。被災した原発を抱え、どんな未来を考えるのか。今日、女川に来て、集会に参加して、見たこと、聞いたこと、感じたことを持ち帰って活かして頂きたい。」
半年にわたり中心になって「つどい」を準備してきた実行委員長の阿部美紀子さん(女川町議会議員)は、高揚した面持ちで開会の挨拶をした。
自宅を津波で失い、仮設住宅から脱原発を掲げ、震災の年の2011年11月、女川町議選に立候補して初当選した阿部美紀子さんは、「町を再建するのに原発こそが足かせになる。再稼働に多くの町民が不安をもっている。震災で原発が止まっている今こそ、原発依存から脱却する絶好のチャンス」と訴え、一人で手書きのチラシを作って仮設住宅をはじめ女川町内に配って回っていた。
その活動を支えようと近隣の市や町から有志が集まり、この閉塞した状況から抜け出す取り組みを模索し、「女川の現状を知ってもらい、女川の人々を忘れないでほしい。女川に多くの人が集まる企画をしたい」と「女川から未来を考える会」を立ち上げ、加藤登紀子さんと京都大学原子炉実験所の小出裕章さんを招いたトーク&ライブを開催しようということになった。小出さんは学生時代(東北大工学部)、女川住民に原発を受け入れないように活動してきた。闘いの原点でもある女川への思いは強い。
被災した方々が一人でも多く参加できるようにチケット代を千円とし、仮設住宅へのチラシ入れを行い、全国に賛同と支援を呼びかけながら準備が進められた。
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小出裕章さん、女川への熱い思いをこめて
小出さんは「原子力発電と女川の復興」と題して講演した。
福島第一原発事故による放射能汚染の実態を解説しながら、事故は残念ながら収束していないと説明した。また原発事故被害者の境遇について、避難すれば生活や家庭が崩壊し心が潰れる(去るも地獄)、汚染地に残れば被ばくにより身体に傷がつく(残るも地獄)という苦しい選択を突き付けられていると指摘した。
女川の復興に関して小出さんは「大学時代、女川に住んで原発に反対するビラを浜々の一軒一軒に撒いて回った」と振り返りつつ、次のように語った。
「女川漁協が100億円で漁業権を放棄して原発が建てられ、膨大な補償金や裏金で町は潤った」「原発は過疎地に押し付けらた」。それは「福島第一原発の立地町である大熊町や双葉町と同じだ」。しかし「福島のそれらの町は今や無人となってしまった」。「大震災で女川は壊滅的な被害を受けた。大熊町や双葉町は放射能で汚れ復興できないが、女川は必ずや復興できる。危険と引き換えのカネに頼るのではなく、豊かな海とともに」歩むべきだ。
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若者や漁業・農業者たちから「原発に頼らない街づくり」
女川町の高校生や漁業者、近隣の農業者、母親、住民もマイクを握り、「原発に頼らない街づくりを第一に考えたい」と話した。
震災時に小学6年生だった高校生は、女川中学校時代に取り組んだ「いのちの石碑プロジェクト」について発言。「地震が来たら石碑より上に逃げるよう呼びかけ、逃げない人がいたら引きずってもいいから逃げさせる」。「千年後の未来の人々にも伝えていく」という活動を紹介、「私たちも女川の復興や未来に貢献できるように頑張りたい」と語った。
女川の漁業者は「将来地震がきても安心、安全に生活できる町を第一にしていきたい」と語り、原発に頼らない街づくりを呼びかけた。
環境省によって「指定廃棄物最終処分場建設」の候補地とされた宮城県北西部の3市町の反対運動が近隣住民から紹介され、「原発から出たゴミは発生者責任として政府と東電が責任をとるべきだ」と発言し、全県の住民の運動で建設を止めていこうと呼びかけた。
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加藤登紀子さん、参加者と一体となったライブ
続いて加藤登紀子さんが女川総合体育館の中央に設置されたステージに立った(登紀子さんはそれを「リング」と呼んでいた)。トークを挟みながら10数曲を披露、そのたびに大きな拍手が寄せられた。
「わせねでや」は東北の言葉で「忘れないでね」という意味だが、3.11の大津波で被災した松島湾に浮かぶ「桂島」を歌ったのだという。加藤さんは戦争のこと、お連れ合いとのこと、そして震災と福島第一原発事故について率直に語っていた。この「つどい」への思いや意気込みを感じるものであった。観客と一体となったライブに、参加者一同が感動に包まれていた。
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女川原発再稼動を許さない力に
市街地の7割を破壊された女川町。津波浸水地域は7メールの嵩上げ工事中で、復興公営住宅は一部完成したものの、高台の復興団地造成工事は端緒についたばかりである。遅々として進まない復旧・復興、止まったままの鉄道。人口流出(減少率28%)と高齢化が進み、閉塞感が漂っている。原発の再稼働の動きが公然化している。東北電力は2013年12月、女川原発2号機の「適格性審査」を申請した。
しかし、その一方で、女川をどのような未来に導くのか、千年後の未来を考える若者たちもいる。中学生たちの発議による「いのちの石碑プロジェクト」は被災者住民を励まし、希望の象徴して全国にも報じられた。
女川在住のある小学生は次のような詩を書いた。
女川は流されたのではない
新しい女川は生まれ変わるんだ
人びとは負けずに待ち続ける
新しい女川に住む喜びを感じるために
このつどいの成功を、女川原発の再稼働を許さない力に変えて行きたい。
(M/石巻・記)
■以上/宮城全労協ニュース269号(2014年8月20日)