宮城全労協ニュース/第272号(電子版)/2014年10月14日

「女川のつどい」に参加して
こみ上げる反原発運動の軌跡



 8月10日、宮城県女川町で「未来を考えるつどい」が開催され、列島を縦断した台風をはねのけて1500名もの人々が参加しました。G.Kさんからいただいていた「感想文」を掲載します。なお、写真は寄稿者の提供、見出しは編集部によるものです。

「つどい」についてはニュース269号、石巻からの報告をご覧ください。

以下は「秋のつどい」の紹介、ならびに報告です。



「2014みやぎアクション秋のつどい」が11月8日に開催されます。主な内容をご案内します。

□原発のない未来を子ども達へ!
□11月8日(土曜)13時30分〜16時30分/仙台弁護士会館
□参加費:500円

□講演/井戸謙一さん(2006年志賀原発運転差止判決を下した裁判長、子ども脱被ばく裁判弁護団)

□報告
○福島県浪江町から/古澤正巳さん(希望の牧場ふくしま代表)
○宮城県女川町から/阿部美紀子さん(女川町議・女川から未来を考える会代表)

□主催/女川原発の再稼動を許さない!2014みやぎアクション

<脱原発を願う私たちを勇気づけた、福井地裁の大飯原発差し止め判決には唯一の「先例」があります。それが2006年金沢地裁が下した志賀原発差し止め判決であり、その判決を書いた裁判長が井戸謙一さんです。井戸さんはその後、退官され、ふくしま集団疎開裁判、さらに「子ども脱被ばく裁判」の弁護団に加わっておられます。・・>
(集会案内チラシより引用)



「指定廃棄物最終処分場」候補地に調査強行!

 3つの候補地を選定した環境省は10月8日、各々の現場で調査を抜き打ち的に実施しました。建設予定の5つの県のなかで初の現地調査です。調査は11月中に終えるとされています。地元自治体と住民は一貫して容認しないと反対を表明し、また県内の消費者、農業者、環境保護運動なども声をあげてきました。安倍首相は計画通り実施と答弁しています。既成事実を重ねる政府に同調するのか、反対する地元自治体と住民の側に立つのか。宮城県が問われています。



オスプレイ飛来反対!

 11月6日から9日の期間、県内沿岸部などで日米豪による合同軍事演習が計画されています。2011年大震災と同規模の地震と津波を想定した訓練に、米軍機オスプレイが飛来して参加します。沖縄は今、県知事選挙に向かっており、被災地での災害訓練にオスプレイが参加するとアピールする意図も明らかです。
 日米軍事同盟として実行された「トモダチ作戦」の強化・拡大ではなく、東アジア・太平洋地域の民衆連帯、「人間の安全保障」による災害救援・支援が必要です。合同軍事演習に反対・抗議しよう! <オスプレイ配備撤回、普天間基地の閉鎖・撤去、県内移設断念>を訴える沖縄に連帯しよう!





《8・10「女川のつどい」に参加して思うこと
〜こみ上げる反原発運動の軌跡》







<台風のなか、列をなして会場へ>


 8月10日、女川の総合体育館を会場に「女川から未来を考えるつどい」が開かれた。加藤登紀子さんのコンサートと小出裕章さんの講演が聞ける(しかも千円で)というので、石巻の知人経由でチケットを入手。この日何も予定がなかった連れ合いに運転を頼んで出かけることにした。前日に同行が決まった2人の知人と総勢4人での女川行となった。

 この日は台風11号が東日本を通過するために悪天候が予想され、つどいへの影響を心配する声も多かった。私たちが仙台を出発したのは午前10時過ぎ。その時にはもう雨が降り始めていたが、まだそれほどではなかった。石巻を過ぎて女川に入ったあたりで猛烈な叩きつけるような雨が降り出す。会場に近づき、車の列が連なるころには風雨が一層強くなってくる。

 豪雨の中、雨合羽姿で駐車場整理に当たる石巻全労協の仲間たちが見える。6月8日の石巻集会(鎌田慧さん、石丸小四郎さんが講師)でも駐車場整理をやっていたのを思い出す。続けての駐車場係、しかも強風雨の中での奮闘振りに頭が下がる思いだ。

 車を止めた場所から会場までは少し距離があり、雨傘が用を成さず、その間を歩くだけでずぶ濡れになる。こんな悪天候の中でも会場に向かう人が列を成しているのに驚く。


<何十年ぶりの再会のシーンが>


 会場に入ると、入り口で東京から参加の友人が出迎えてくれる。聞けば「トーク」に登壇する小出裕章さんに会いに来たという。かつて女川での体験を共有した人たちの再開の場でもあるのだろう。ロビーで人待ちしていると、仙台駅近くでいつも出会うAさんが声をかけてくる。お互いにここで会うとは思っていないのでビックリ!

 ほかにも日ごろからよく会う人だけでなく、懐かしい顔やしばらく見なかった顔もそこかしこに見受けられる。

 席について、配布された資料に入っている賛同人名を見て、その中に何十年ぶりに見る名前を見つけて驚いた。主催者としてそれだけの広がりを組織したともいえるが、「原発再稼動」の動きに居てもたってもいられず、意思表示の場として「賛同人」となった個人も全国各地に多数いたのだと思う。

 なつかしい顔をたくさん見つけ、声をかわした。一緒の車で行った友人も会場内で、中学校の同窓生やら何人もの旧知の人たちと再会を果たしたという。つどい開始前の会場内のあちこちで、こんな風景が繰り広げられていたのに違いない。


<胸にこみ上げる女川原発反対運動の軌跡>


 会場内に目を向けると、フロア中央にリングのような四角い舞台があり、四方を囲んでイスが十数列配置されている。奥に集会名の入った横看板があり、その下にスクリーン、その両脇にはタペストリー(子ども達と一緒に作った物で、6月8日集会でも使われていた)が下がっている。

 入り口側には2階があり、2階席にもすでにかなりの人数が座っていた。労働組合の赤腕章をつけた人たちもいる。首都圏などから参加した顔見知りの労働組合員たちも多数いた。後で分かったのだが、柏崎で原発反対運動に取り組んでいる人たちも参加していた。11月24日に柏崎で小出裕章さんの講演会を予定しているのだそうだ。

 冒頭、主催者あいさつに立ったのは地元女川町議の阿部美紀子さん。知る人ぞ知る、女川原発反対同盟代表の阿部宗悦さんの娘さんだ。父親似の顔立ちに、私は一瞬、宗悦さんがその場に立ち、話しているかの思いにとらわれて、胸にこみ上げるものがあった。

 公共の利益を表向きに、裏では東北電力による札束で頬を叩くような漁民への攻勢。それでも漁業権を売り渡すことを拒み続けたそれぞれの浜の漁民たちの闘い。漁業権放棄を決定させず反対派が勝利した漁協総会。その後、原発推進派が漁業権放棄(売却)を強行可決した漁協総会。・・・様々な場面が、苦い敗北の記憶とともによみがえる。


<女川の浜を歩いていた小出裕章さん>


 2011年3・11震災と直後の福島第一原発事故。あれから3年5ヶ月。
 未だ復興からは程遠い被災地そして福島第一原発の現状。にもかかわらず、「原発再稼動」を当然のことのように推し進める安倍自公政府や財界の動きに直面している。「原発再稼動」の是非をめぐって国論を二分する重大な局面で、いま「女川から未来を考えるつどい」が開催されることの意義は大きい。

 小出裕章さんは「懐かしい町、女川」と題して、自らの学生時代(東北大学工学部原子核工学科)に石巻に住んで「のりひび」と題する原発建設反対のチラシを撒きながら各浜をめぐっていた頃のことから語りはじめた。

 また2011年の3・11震災後、同年夏に女川を訪れ、町の中心部や五部浦の集落が消えてしまったのを見たときの思いを語った。

 事故直後から「原発を止められなかった責任」を語る小出さんだが、とくに子どもたちの置かれている状況について、警告を発し続けている。(以下、発言の要旨)


 福島第一原発事故は未だ収束しておらず、現在も進行中である。大気中に放出されたセシウム137の量は、日本政府のIAEA閣僚会議への報告書を基にすると1・2・3号機合わせて広島原発の168発分に当たる。その結果、東北・関東のかなり広い地域が「放射線管理区域」にしなければならない汚染を受けた。

 年間1ミリシーベルト以上の被爆をしてはいけないし、させてはいけないという法律があるのに、事故後、それを反故にした政府は犯罪者である。低線量被爆に関して100ミリシーベルト以下なら安全だと言う学者たちは刑務所に入れるべきだ。事故当時、定期検査で止まっていた4号機の使用済み燃料用プールの底には広島原発1万4000発分のセシウム137があり、大量放出の恐れがある。
 

<地元から10人、それぞれが思いを語る>


 小出さんは最後に、「放射能で汚染された町は復興できない。だが、女川には人々が戻り、家を建て、仕事を再建して、いつか必ず復興する。放射能で汚染するような選択は決して、して欲しくない。」と締めくくった。

 その発言を受けるように、地元の皆さんのトークへ続いた。10人の方々が次々に立ち、自らの思いを語った。

 皆が口々に語ったのは、女川の未来に原発はいらないこと、原発と両立する未来がありえないこと、それを今回の福島の事故で学んだこと。

 9人目に発言に立った元鹿島台町長の鹿野文永さん(「女川原発の廃炉を求める会」会長)は、県内三箇所で進められる「指定廃棄物最終処分場」の選定の動きについて、石原環境大臣と村井宮城県知事に撤回を求めていくことを表明した。賛同の拍手が送られた。


<会場を包んだ加藤登紀子さんとの連帯感>


 加藤登紀子さんのコンサートは、会場自体の形状や音響設備の不十分さがあり、歌い手としてはかなり神経を使う舞台となったと思う。ギターあるいはキーボードのみによる伴奏で歌うことは特に支障とはならないが、天井の高い体育館では音が拡散し、声が十分に聞き取れないときもあり、聴衆にもやや不満が残ったかもしれない。

 それをカバーしたのは、加藤登紀子さんの熱意であり、小出さんとのトークも含めて「反原発」(脱原発)への意思を共有する、参加者との連帯感であったと思う。お連れ合い(三派全学連の委員長だったかな?)が獄中に居るときのことを、「中に居るときが一番安心だった。浮気できないから・・・。」と言って笑いをとったり、地元松島湾の桂島を歌った「わせねでや」(「わすれないでね」の意)を丁寧に歌う姿勢は聴衆の共感を呼び、被災から3年5ヶ月の日々を共にふり返る時間を共有することができたといえる。


<集会最後の感動的な場面>


 アンコールでのできごと。加藤登紀子さんは、帰りのバス時刻を気にする人たちに間に合うように退出を促しながら、なおも歌い続けたこと。その直後、会場内で具合が悪くなった人が出て、心配そうに様子を見ながらも歌い続けたこと。(もっと早めに切り上げればよかったかな・・・と一瞬思ったのかも知れないが)

 会場内では具合が悪くなった男性のもとに、近くにいた養護教諭の方が駆けつけたり、スタッフが救急車を手配したり、ちょっと離れたところにいた鍼灸師の方ら医療関係者と見られる人たちが自発的に駆けつけ、脈をみたり・・・。幸い、担架で運び出されるときにはその男性は意識がはっきりしており、大丈夫そうだった。

 会場と歌い手が一体となって進行していることが実感できたできごととして記しておく。

 コンサートの最後には小出さんや主催者、スタッフが舞台に上がり、加藤登紀子さんとともに歌を歌った。聴衆も一緒に歌い、この日のつどいの成功を確かめ合うことができた。

 女川の未来は全国の原発立地の未来でもあることを忘れてはならない。

 この日のつどいの成功が、原発「再稼動阻止」の一点にむけて、当面する川内原発の再稼動を許さないために全国の力を集めていく取り組みの出発となったことを確認したい。


(寄稿G・K/2014年8月24日記)



■以上/宮城全労協ニュース272号(2014年10月14日)