宮城全労協ニュース/第277号(電子版)/2014年12月18日

自公与党は現状維持/
沖縄全区で反自民が勝利



 総選挙の結果が出た。
 
 結果は与党の現状維持だった。300を超える可能性もあると予測されていた自民党は、首相を先頭に激戦区の突破をめざしたが、議席増は果たせなかった。
 
 社民党は現状を保持し、そして共産党は大幅な議席増を果たした。民主党への風当たりは依然として強いが、それでも前回よりは回復した。次世代は敗退した。みんなの党は解党し、維新などに流れ込んでいた。一部のマスコミが書きたてたような与党の「大勝・圧勝」とは異なる。

 保守系や財界系のメディアは、与党現状維持を歓迎しつつも「おごってはならない」と指摘した。あまりにも策略に満ちた解散・総選挙だったからだ。

「風はどこからも吹いていない」。麻生財務大臣は特異な総選挙をそのように表現していた。自民党支持者の多くが感じた戸惑いを代弁したのだろう。「アベノミクス解散」のあざとさは投票率の大きな下落となって示された。有権者の半数が棄権し、さらに小選挙区制度によって累々たる「死票」が切り捨てられた結果の現状維持である。最悪の投票率を質問された首相は「これは与党も野党もない(問題)なんだろう」と平然と答えた。


膨らんだ安倍政治への疑念


 野党もメディアも出し抜いた「電撃解散」だった。日銀緩和と「年金積立金管理運用」の見直し表明が連動して株価は上昇、総選挙の環境づくりに貢献した。「10%消費税は日本経済にマイナスだから延期する。だから、アベノミクスの信任を問いたい」。首相はそれが選挙の「大義」だと切り出した。政府首脳は「選挙の評価は結果が決めるものだ」と解説した。

 急上昇に沸いた株価は反落し、乱高下を繰り返している。選挙期間中に公表されたGDP改定値は、民間調査機関の予想にふたたび反して、さらに低下した。「民間」からは内閣府に対して、統計手法の公開を求める声が上がっている。最重要の経済統計値が国家官僚機構によって独占的にはじき出されていることが、奇しくも「アベノミクス解散」のなかで浮き彫りとなった。

 安倍政権発足以降の執拗な「メディア戦略」は今回の総選挙でさらに強化された。とくに首相の言動は露骨だった。日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」は「「読売」「朝日」「毎日」「日経」・NHK・日テレ・時事/開票2日後、編集委員ら首相と会食」(12月18日付)と報じた。「完全オフレコ」が出席の条件だったという。このような会合の存在は政権発足以来、折に触れて指摘されてきたが、報道各社からは恥じることなく参加が続いている。

 首相は「戦後レジーム」打破という悲願達成のために、国民投票をはじめとする策を練っている。<どうであれ選挙は結果だ、首相はこれで4年間の政治権力を手にし、悲願の「改憲」を実行するだろう>という。はたしてそうなるか。安倍政治を打ち破る闘いが問われる。


沖縄は政治の可能性を見事に示した


 そのような総選挙のなかで、沖縄では全4区で政権与党に勝利した。候補者たちは共産党、社民党、生活、保守系無所属と、それぞれの政治経歴をもつ人たちだ。沖縄社会大衆党が全域にわたって奮闘した。差別と基地押し付けを許さないという断固たる闘いが政治を支えている。

 沖縄の「マグマ」を前にして、首相も官房長官も最後まで現地入りしなかった。問題は票の損得勘定という選挙戦術の域を越えている。日本政治の最高責任者たちは、沖縄に犠牲を強要する本土政治から一歩も出ようとはしなかったのだ。

 安倍政権のかたくなで狭量な政治の対極に、沖縄が示す可能性への実感が広がっている。スコットランドやカタロニア、そしてアイヌ民族を思った人たちが全国に多数いるだろう。沖縄が示した結果は、多くの教訓やヒントを与えている。


戦後最低を更新した宮城の投票率


 首相は第一声を被災地であげた。「被災地の復興なくして日本はない」と繰り返したが、復興の成果を強調して民主党を攻撃することが演説の主眼だった。与党は意図的に震災と原発の争点化を避けた。被災地では国政から取り残されたという感情が広がった。

 河北新報は「仮設で自殺か、50代女性死亡(南相馬)」と投開票の翌日に報じた。

 低調だった選挙戦とはいえ、東北では岩手をはじめ、それなりの「政治劇」が展開された。比較して、宮城は「冷たい風」が吹いた。仙台市の二つの区で実現した民主党と維新の選挙協力も成功しなかった。

 投票率は戦後最悪だった前回を大きく下回った。

 2005年(小泉内閣)64.58%、
 2009年(麻生内閣)67.35%、
 2012年(野田内閣)55.24%、
 2014年(安倍内閣)49.23%。

 政権交代と大震災を前後する5年間で、実に20ポイント近くもの下落だ(小選挙区)。

 仙台市は1区が49.03%、2区が47.34%で津波被災が集中した宮城野区は44.65%(県内最低)、若林区は46.01%だった。石巻市は45.76%にとどまった。
 
 4年目の冬を仮設で迎えざるを得ない被災者たち。「復興格差」の現実に直面する人々。「指定廃棄物」に翻弄され、原発再稼働に揺れ動く県民。被災地の焦燥と絶望と怒りがこの数値に示されている。いくつかの選挙事務所では当確の「万歳三唱」をやめたという。

「東北が日本の未来を先導する」と政府も経営者団体も、評論家たちの多くも口をそろえるが、被災者たちは踏み台にされ、被災地は農業をはじめ実験場と化している。先日、名取市で野菜工場が自己破産を申請した。被災水田から「水耕栽培」への転換、規模拡大、六次産業化の復興モデルとされ、公的補助を受けて注目を集めた工場だった。

 復興予算の獲得を競うことでは政治の活性化はつくられない。まして、原発政策を3.11以前に戻すことでは、被災地の再出発は築かれない。求められているのは、民衆による共同の復興事業を語り、組織することだろう。統一地方選、2016年参議院選挙を準備しよう。


■以上/宮城全労協ニュース277号(2014年12月18日)