宮城全労協ニュース/第285号(電子版)/2015年7月12日

福島視察ツアーに参加して
新入組合員たちが感じたこと


 宮城合同労働組合の組合員たちが、今春、福島視察ツアーを企画しました。4月19日、一行は早朝、仙台駅から車に分乗し、宮城県南部沿岸、つまり津波被災地を通過、開通した直後の常磐自動車道を南下して福島県内の相馬地域に入りました。

 新しい組合員たちが宮城合同労組ニュースに綴った感想記を転載します。

 同行した電通労組の仲間による視察ツアーのコメントを、あわせて掲載します。

(注/本号はニュース283号からの続報です。)



現場に立ち、肌で感じることの大切さを改めて実感


 私にとりまして、震災の翌年以来の原発被災地訪問となりました。

 参加するにあたっての私自身の関心事項は、除染など国主導で進められている帰還にむけた取り組みで、はたして避難者が戻れるようになるのかというところにありました。

 実際に訪れてみると、確かに国が定義する生活圏は除染作業が進められているように見受けられましたが、一歩その外に出れば線量が急上昇、原発事故以前は生を営む上で山に入ったであろう事を考えると、そこも生活圏であったはずが除染作業の対象外。

 除染作業が完了すればあたかも以前のような暮らしが出来るかのような報道もされていますが、『帰還許可が出されたところで小鳥が籠の中に入れられるようなものではないのか…』というのが今回のスタディツアーで私が一番強く思ったことでした。

 問題を正しく捉えるにあたり現場に立ち肌で感じることの大切さを改めて実感すると共に、この様な貴重な機会を企画して下さった事に感謝いたします。

 自分の目で確かめられて本当に良かった!

 ◇T(宮城合同労組組合員)記



「非常に有意義、感謝」のツアー


 汚染の酷い山側の除染風景。家々の周囲の表土を削り、木々を伐採し田畑を土で埋めるというやり方を目の当たりにしてがっかり。地雷原の真ん中に30坪だけ地雷をとってそこに建てた家に住めと言われて頷く奴はいないだろう。

 家々の軒先、小高工業高校グランドや飯舘村の田んぼに集積されたフレコンバックの山。これをいったいどうするのだろうか?どうしようもないのではないか。焼却して濃縮したところでどこに?焼却時の大気中への二次拡散のリスクが大きいのでは?

 いたるところ線量が高すぎ。年間被曝1mSv/年以下が国の基準だったはず。購入以来マークしたことのないようなガイガーカウンター(線量計)の数値にただただビビるしかなかった。

 「福島の放射能は完全にアンダーコントロールだ」などと騙った安倍首相の言葉とは裏腹の事態が今も続いているということを改めて実感した。経産省や電力会社、推進派はこの後始末もつけられないくせに原発再稼働などとよくもまあ図々しくも言えたものだと思う。

 隣県がここまで痛めつけられていることが我慢ならない。原発は田舎(東北)をバカにする差別の構図が見える。官僚や電力会社の発言や立ち振る舞いに「福島なら20mSv/年でも大丈夫でしょう」みたいな中央からの差別意識が見え隠れする。同じ東北人としてここが特に許せない。

 翻って我が県宮城。東北電力は2017年4月以降の女川原発再稼働を計画中だという。女川は爆発した福一と同型のBWRMARKTタイプ。事故原因も詳細不明であるにもかかわらず同型プラントの再稼働が認められるわけがない。燃料デプリを取り出して炉心損傷等も詳細にわからないのに、である。要は震災前事故前と推進派はまるで変わってない、ということ。

 事には絶対許せないことがあってそれがこのことだなあと私は思う。なので仙台の脱原発運動、毎週金曜日の「金デモ」、「東北電力本社前個人抗議アクション」等仙台で一市民として自分が参加できる抗議活動には今後一層積極的に参加していきたいと思う。

 一人ではなかなか行けない(行かない)ところばかりだったので、自分の目で確かめられて本当に良かった。効率よくポイントを回ることができ非常に有意義だった。感謝です。

 ◇M(宮城合同労組組合員)記


<視察ルートから>
 
〇そのままの津波被災地
〇小高駅前から中心街に向うメインストリート
〇「希望の牧場」
〇飯舘村「復興の桜」
〇積み重なる「除染廃棄物」




















スタディツアーを迎える飯館村2千本の桜!

4・19<見て!聴いて!考える!スタディツアーin福島>


 4月19日、宮城合同労組の呼びかけによるスタディーツアーに参加した。<見て!聴いて!考える!福島原発汚染地区〜南相馬・浪江・飯舘・伊達を巡るスタディツアーin福島>という企画だ。視察ルートをたどりながら点描してみる。今後の取り組みの参考にしていただきたい。


■再生可能エネルギーへの野心的な取り組み

 仙台駅東口から一路、福島県南相馬に向かう。被災農地の「大規模化集約工事」が大々的に行われている光景が宮城県側では拡がっている。

 今回、16名の参加者が最初に目指すのは「脱原発都市宣言」を今年3月25日に発した南相馬市。「南相馬アグリパーク」、北泉浜の「原町火力発電所」、「東北電力グリーンパーク」を見学するためだ。

 アグリパークは飯舘村を源流とする新田川沿い、約2ヘクタールの敷地に太陽光パネルが敷設され、500キロワットを発電している。隣にエアドーム型植物工場があり葉物野菜を作っている。申し込めば体験学習、ワークショップ、実験などいろんな事が学べる施設だ。

 南相馬市の「再生可能エネルギー推進ビジョン」は極めて野心的だ。「原子力発電への依存から脱却するために、本市の消費電力、或はそれ以上の電力を再生可能エネルギーで生み出す事を目指す」とし、「2020年は南相馬市の消費電力の再生可能エネルギー導入比率を65%、2030年にはほぼ100%を目標に設定する」という計画だ。


■<交流の場>となった南相馬の「道の駅」


 南相馬の「道の駅」で小休止。震災後、この「駅」を待ち合わせ場所として何度も使った。関東や関西など、多くの仲間たちがここを訪れている。

 今回は交流をかね、「線量計の値から年間被ばく線量を計算する」「日本で初めて起きた被ばくによる死亡事故とは?」「2006年イギリスで起きた暗殺事件とは?」等を車中で考えてもらう趣向を思いついた。

 追加で「1975年アメリカで起きた事件『シルクウッド』(映画題名)」も調べてもらう。放射能にまつわる事件を調べ、放射能の恐ろしさを知り、原発事故後の福島を視て脱原発を考える。そういうことにも意味があるだろうと思った。


■そのまま残っている津波被災の惨状


 6号線を南下し「太田神社の大看板」が見えれば、そこから先は「20キロ圏内」。今回は小高区村上地区の集落を視察する。ここも何度か来たところだが、津波によって破壊された家が数多く残っている。つまり放射能汚染のためにこの4年間、放置されたままなのだ。

 この状況で「解除したから戻りなさい」と言われて果たして喜べるか? かつて人々が住んでいた宅地跡には水仙、ムスカリ、パンジー等の美しい花々が咲き誇っている。何とも空しくなる風景だ。

 被災沿岸部から内陸側の小高市街地域に向かう。このルートも何度かみんなと一緒に来た。何が変わったのか。

 小高駅から町のメイン道路が通っている。商店街では信号機だけが「青・黄・赤」を規則正しく表示しているが、横切る車も珍しい無人の街だ。1万3千人を超える人達が消えている。列車通学の高校生が乗ってきた自転車が駅の置き場に整然と並んでいる。

 あの時、大きな振動の後に襲った大津波はこの駅舎にも到達した。政府は2016年4月までに全面復旧させるという。生活する術が何にもない状況で、日々「ガラスバッチをぶら下げてくらせ」という。「早期帰還」を強制し、住民が戻ったことを世界にアピールし、原発事故からの復旧・復興を印象づける。そして帰還対象住民は「解除後1年で慰謝料を打ち切る」方向だ。


■「希望の牧場」から「全村避難」の飯舘村へ


「除染作業中」の旗が立ち並ぶ県道を一路「希望の牧場」へ。現在は300頭の被曝牛が生きており、子牛もたくさん見られる。餌不足が心配された冬場をどうにか乗り切ったようだ。吉沢代表を始め牧場のスタッフの奮闘のおかげだ。代表から浪江町の深刻な状況を伺い、原発事故がもたらす取り返しのつかない生物・環境破壊の現実を受けとめた。

 今回の「視察ツアー」には初めて「希望の牧場」に接した人たちも多くいた。じかに感じる体験は貴重であろうと思う。

 視察団はさらに「八木沢峠を飯舘村へ!」北上する。そこには春の飯舘が待っていた。まさに<花咲き匂う><咲いた桜は2千本>の景色が一行を迎えた。

 昼食後、標高5百から8百メートルの阿武隈高地に拡がる「全村避難の飯舘村」に入った。約6千人の村民が避難しており、今も無人の村だ。12年の避難区域再編によって「帰還困難区域・長泥地区」「居住制限区域・16地区」「避難指示解除準備区域6地区」に分けられた。

 環境庁が実施した「草野地区拠点除染地域」で「その後」の線量を確認する。「福幸のいぬ」と会う。伊丹沢の2千本の桜、「復興の桜・村民の絆づくりの碑」の見学。飯舘樋町の「フレコンバックの黒山」の視察。そして長泥地区への「立ち入り禁止」ゲート前に向かう。これが今回のルートのポイントだ。

 このルートだけでも、いろんな出会いや体験があった。視察団の仲間たちはそれぞれ、多くのことを感じ取っただろう。参考のために、いくつか付記する。



@空間線量2.3μSv〜3.7μSv/hの「居住制限区域草野地区26地権者」を対象に3ケ月にわたって「拭きとり、堆積物の除去、表土剥ぎ取り等」を実施した。除染後は「0.7〜2.3μSv/h」。国が総力を挙げて実施した除染だが、除染目標の「年間1mSD」には程遠い数値であり、さらに現在はこれ以上の数値を示しているのが実態だ。


A「福幸のいぬ」は、飯舘村が全村避難になった時、村民と一緒に行動できなかった犬たちだ。その後、ボランティアたちが引き取り、時々飼い主が訪問する。約30頭の犬が管理されている。私達が車から降りると犬達は、ちぎれるほどしっぽを振り『ワン!ワン!ワン!』と一斉に鳴いて迎えてくれた。もともと飼い犬なので噛んだりはしない。みんなで犬と交流した後、車に戻ろうとしたが、その雰囲気を察知した瞬間、犬達は静かになった。その寂しそうな視線を感じると切ない。


B飯舘村の心は「までい」だ。2千本の桜見学に行く道を聞くために「全村見守り隊」の詰め所を訪れた。よもやま話を交えながら道を聞いたが、ちょっとつかめない。今から見回りに出かけるという二人の爺ちゃんが「あどついでこ」と言うことで桜咲く現地まで案内してくれた。お礼を言うと軽トラから腕を出して「バイバイ」。格好いい後ろ姿だ!

 丁度、地主の会田さんもいて(たまたま仮設から自宅に戻っていた)自由に2千本の桜を見学できた。「復興の桜・村民の絆づくり」の碑の前で記念撮影。会田さん夫婦と話をしているうちに「CD持ってけ!」ということになり「飯舘復興の桜」CD5枚を頂いた。「春の飯館/花咲き匂う/咲いた桜は2千本・・」、気持ち良さそうに会田さんが歌っていた。


Cそして、飯樋町。昔、馬のセリが行われていた土地で、地理的に言えば「国道114号線、399号線⇒浪江を経て津島、長泥の帰還困難区域(高線量区域)」の延長線上にある。飯樋町の「平坦地⇒田圃の一等地」には夥しい黒いフレコンバックが山となって積まれている。「早く復旧したい」との村人の思いが、この地を「仮置き場」にするという本当に辛い決断に至ったのだ。


D長泥へ。雪深い長泥へ向かう道。除染の痕と、木々が萌黄色に輝く山里の春の光景が交錯する。立ち入りを禁止するゲート前では、カウンターがあっという間に10μSv/hを超える。50μSv超の高線量地域が、バリケードの向こう側に、延々と浪江の町まで拡がっている。毎日通ってくる警備員のおじさんたちも、本当に大変な環境の下で働いている。

 ここから一山向こうの「蕨平」地区に建設される焼却炉。14万トン(飯舘村内)の除染廃棄物を24時間365日焼却炉を燃やして減容化する国の計画。飯舘村民からは説明が「までいでねッ!」と反発が起きている。フィルターで99%除去できると国は言うが、そうだとしても「1%」は空中に放出される。その放出量を考えると新たな汚染が蕨平地区に拡がるのは明らかだ。

 飯舘〜霊山ルートを通って帰路へ。山間の佐須地区にも広大な仮置き場があり、焼却場建設がなされている。道路沿いの家々は既に除染を終えているが、庭先や田圃にうず高く除染廃棄物が積まれている。沢水が流れている所では、覆った土砂が崩れ、黒いフレコンバックが露出している所も見える。

 除染廃棄物処理問題は、原発事故被ばく地域に新たな苦しみを生み出している。今回のツアーは宮城合同労組としての初めての企画だったが、白い梨とピンクの桃の花、そして桜満開の福島の里を巡りながら原発事故と向きあった一日だった。

(レポート/電通労組・高橋)


*文中、見出しは編集部でつけました。


■以上/宮城全労協ニュース285号(2015年7月12日)