長谷川穣さんを偲ぶ
震災から5年の仙台で
2月27日、長谷川穣さん(郵政合同労組・前委員長)を偲ぶ会が仙台市で開催されました。組合員、宮城全労協、郵政労働者など多くの仲間たちが参加しました。
長谷川さんは1943年仙台市に生まれました。愛子郵便局に入局(61年)の後、仙台中央郵便局に配転(65年)となりました。89年「郵政合同労働組合」の結成、91年「全労協郵政労働組合全国協議会」の結成に尽力しました(享年73)。
宮城全労協は当日、「ニュース特別号」を配布しました。ここに掲載します(一部、加筆・修正しています。)
なお、震災直後の郵政合同と長谷川さんについて、当時の「宮城全労協ニュース」に関連する記載があります。199号では「泥かき」支援に取り組む長谷川さんの姿を見ることができます。
■180号(2011年3月17日)
「緊急、矢本・石巻の3名から連絡!」
■185号(3月29日)
「石巻地区からの通信と支援への御礼!」
■190号(4月27日)
「<青い鯉のぼり>を探してください」
■194号(5月29日)
「被災者(東松島市野蒜地区)からの手紙」
■199号(7月24日)
「地域再建の一歩〜福祉施設の再開」
(2016年3月5日)
●郵政合同労組が「長谷川穣さんを偲ぶ会」を呼びかけ
2011年3月大震災。内陸部でも水道、電力やガスの供給が失われ、地域によっては回復までに長期間を要しました。
長谷川穣さん(当時、郵政合同労組委員長)は直後、仙台市東部で独居していた病身の母親を呼び寄せ、自宅で緊急避難生活に入りました。西部(山形県側)にあった自分の住まいもライフラインは失われていました。
組合員たちとの連絡もとれない状況が続きました。全員の無事がはっきり確認されたのは、2週間後のことです。何人かの組合員は自宅が津波に直撃されていました。
そのころ、石巻全労協や電通労組の仲間たちは、大阪電通合同労組をはじめとする仲間たちとともに、東松島市野蒜・東名地域で復旧活動を開始しました。宮城全労協の支援活動が広がり、その場に長谷川さんは参加しました。
組合員たちは生活再建と地域復旧のために闘っていました。
組合の全体集会がもたれたのは、震災から2カ月以上が経ってからのことです。再開した組合員たちは、それぞれの体験を少しずつ、語りはじめました。
仙台市在住のある組合員は、緊急避難所で自分の子どもが「排除」されていると感じました。同じような思いをもって、避難所を出ざるをえなかった人たちがいた。「排除」された家族たちが、私の家で一時期、同居生活を送ったのだ、と。
沿岸部のある組合員の親戚が多数、亡くなっていた。その現実をみなが理解したのは、かなり時間が経ってからのことです。
●闘病生活の中からのメッセージ
長谷川さんは「復旧・復興」のなかで母親と死別、その後、自分が癌であることを通告され、手術を受けました。2014年秋に「再発」、2015年5月から再入院していましたが、昨年8月末、他界しました。
長谷川さんは1960年代、いくつかの労働現場の経験の後、仙台中央郵便局で働き、全逓労働運動に参加しました。「反戦・反合理化」を「社会主義の理想」をもって闘い、青年労働運動の時代を多くの仲間たちとともにかけぬけました。
1980年代以降、総評崩壊のなかにあって、地域に根ざした独立労働組合、郵政合同労働組合の結成を呼びかけました。全国的な郵政労働者の組織結成(郵政全労協)に際しては、初代議長として奮闘しました。
「また沖縄に行きたい」。長谷川さんは病床で語っていました。地域共闘やピースサイクル、震災復興活動などで活躍するシーンを振り返りながら、在りし日を偲びたい。組合はそのように考えています。
長谷川さんは常々、「労働者の健康こそが労働運動の原点だ」と主張していました。<人間として健康であるための24時間>を訴え、深夜労働、長時間労働の強要に抗議し、また郵政現場を支えている非正規雇用労働者との連帯を求めてきました。
病床にあって「スポーツは人生の中で大きな部分を占めてきた」と語っていた長谷川さんでした。
(2016年2月)
●注/2015年9月
闘病生活中の何度かの会話を文章化しました。内容は対話当時(7月初旬まで)のものです。2020東京五輪は、その後、スキャンダルなどが続いていますが、それらに関して変更は加えていません。
新国立競技場の建設計画に対して批判が広がっていました。問題はあっても当初案で行くと首相は言明、それが急転直下の白紙撤回となりました。「安保よりも影響は大」「支持率は低下し、事態は深刻と政府は危惧」。そのように報じられている中での出来事でした。
膨張する建設費に関して、安倍首相には知らされないまま、あの招致演説がなされたのだと報じられています。事実なら、「汚染水コントロール」発言への疑念はいっそう膨らむばかりです。
「エンブレム」問題が続き、日本の得意分野だと評価されてきた「運営能力」が問われる事態です。失態を打ち消すかのように「復興五輪」という言葉が再び、浮上しています。
■病床から東京五輪を思う
「汚染水コントロール」撤回!
2015年6月〜7月、長谷川穣(談)
●破綻した「新東京国立競技場」
民主党政権時代に決まったことだと安倍首相は突き放した。おかしい。誘致した東京都政は、事実上、自公与党と一体だったのだ。首相発言は責任逃れだ(注)。
ラグビー国際大会と連動しているから、変更は大変だという。有力政治家が介在していることは広く知られていることだ。五輪が特定の競技にそれほど振り回されるという事態がまかり通っている。
巨大収容施設が新たに必要なのか。「コンパクト五輪」がコンセプトだ。市民のスポーツのためであり、憩いの場となり、首都圏直下地震の避難所をかねる。そのような主張があった。だれのための国立競技場なのか。根本がはっきりしないままだ。
招致活動の段階までさかのぼって反省してみるか、小手先の対応で終わるか。そもそも「汚染水コントロール」という「ウソ」で招致された東京五輪なのだ。「おもてなし」などと言っている人たちも含めて、責任が問われなくてはならない。
(注)「これから国際コンペをやって、新たにデザインを決めて、基本設計を作っていくのでは時間的に間に合わない」(7月10日/安倍首相、衆院委員会)。首相はその後、白紙撤回を表明、以前から撤回を考えていたと述べた。
●声をあげ始めたアスリートたち
有識者会議なるものが開催され、「見直し」とする首相方針を追認した。テレビで報道された元総理大臣を頂点とする五輪体制の男性たち。いかに世間の感覚とかけはなれているか、その象徴的なシーンだった。しかし、それがスポーツ界の権力構造なのだ。
いまアスリートたちが「おかしい」と声を上げ始めている。ほんの数人で、しかも現役ではないが、巨大な圧力がかかっている中でのことだ。
そのような数人の現場発言は、マスコミもいま正論として、好意的なスタンスで報道している。孤立させられないように、私たちはそれらの言動を支援すべきだ。
考えてみてほしい。「汚染水コントロール」を真っ向から批判したアスリートや業界人がいただろうか。
●期待と怒り
スポーツは私の人生の大きな部分を占めてきた。2020年に向けて、心高鳴る自分がいる。見届けることができるかどうか、それはわからないが。
やっかいなのは、東京五輪が「いかさま」だということだ。
「汚染水コントロール」。安倍首相の発言がなければ、私は「復興オリンピック」に自分がかかわることを夢見て、それを生きがいとしたかもしれない。
もちろん、スポーツは国家戦略の下にある。政権はアスリートたちに特別の環境を提示する。
現に、産業競争力会議や規制改革会議などで特区が検討されている。「特区」思想はスポーツ界にも広がり、地元のスポーツ界は競争にさらされ、淘汰されていく。国家予算の配分は「選択と集中」でなされる。大多数の競技者たちは厳しい環境(経済的にも社会的にも)のもとにある。国家のエリート養成コースに乗ったとしても、成功者は一握りに過ぎない。メダリストでなければ罵倒される風潮もある。
私はここにきて、そのような議論をしようというのではない。「五輪」そのものを否定しようというのでもない。
「大震災復興」を掲げて招致した五輪が、被災地を切り裂いている。そのことを許してはならないと言いたいのだ。「日本人」はこのまま、「復興五輪」を心晴れて受け入れるというのだろうか。
競技場問題が浮上したのは偶然ではない。福島への裏切りを抱え込んで出発したことの因果であり、いかさまの帰結なのだ。新国立競技場の見直しで、とどまってはならない。「汚染水コントロール」の撤回まで進もう。
●なぜ「汚染水コントロール」発言が必要だったのか
オールジャパンの「おもてなし」チームは、国際会議の場で喜びを爆発させた。しかし、首相の「汚染水コントロール」発言については、国民多数は信用していない。だが、首相は発言を撤回していない。マスコミもこれを問題としない。
招致決定の直後のテレビ番組では、疑問を呈した発言者が罵倒されていた。候補地のなかで東京がふさわしいわけではないという発言があったが、猛烈な反論によってかき消された。
ある著名なスポーツ評論家は、首相発言について「ものは言いようだと思った」と述べた(NHKラジオ)。彼女は「ウソ」だと明言はしないが、信用してはいないと示唆した。それがぎりぎりの表現だったのだろう。その後、私が知っている限り、スポーツ界から首相発言を批判する動きは起きなかった。
ところが、東電幹部は(コントロール下にあるとの首相発言について)否定的な発言をした。当時の東京都知事は「必ずしも(アンダーコントロール)ではない、だからアンダーコントロールにすると(首相が)意思表明したことが大事だ」と述べた。
首相は発言後の最初の福島視察で(海に向かって当局者に)コントロールの<範囲>はどこかと質問した。首相には土地勘がなかったということだ。
首相はなぜ「努力目標」と言わなかったのか。誰が国際舞台での「首相のウソ発言」を望んだのか。ほかならぬ「原発ムラ」だったのだろう。首相は沈黙し続けている。肝心なことが国会で論争になっていない。そうした経過の上で今回の「新東京国立競技場」問題が起きた。
●「汚染水コントロール」では「復興五輪」にならない
招致が決定されたとき、被災地出身のオリンピック・パラリンピック候補者たちは、ふるさと復興支援のために五輪をめざすと決意を語った。被災地は感動し、拍手した。
競技者たちも被災地の人たちも、そのとき「汚染水コントロール」を心の中に閉まったのだ。痛々しさを私は感じた。これは「呪われた五輪」だ。
「スポーツ界」は沈黙した。巨大な五輪パワーを前に「汚染水コントロール」は「タブー」となった。「復興五輪」も白々しい嘘っぱちとなった。
当初から、「人も資材も東京に行く」と被災地は懸念していた。それだけではない。首都圏は災害リスクを抱えている。関東直下や東南海をはじめ、政府の予測値でさえ、近い将来の大規模災害を予測している。2020年にオリンピックを開催することじたいが、大きなリスクを背負っている。
反対意見は排除され、東京五輪は招致された。招致がすべてであり、あとはなんとでもなる。過信と無責任の体制が政財官に敷かれた。首相の「汚染水コントロール」も新東京国立競技場もそうだ。
被災地は復興五輪の網をかけられた。逡巡していれば出し抜かれる。「復興五輪」が被災地を競争に追いやっている。
●被災地を励ましたスポーツを忘れずに
震災直後から、ボランティアたちが被災地にかけつけた。競技者たちもそこにいた。2011年、プロ野球やスケートなど華々しい活躍があった。仙台市中心部での凱旋パレードは大きな声援に包まれていた(津波被災地をパレードしたら、もっと感動的だっただろう)。
そんな大きなことではなく、身近なことが重要な役割を果たした。
岩手出身のプロ・サッカー選手が宮城の被災学校を訪れた。寡黙な彼はボールの蹴りあいを淡々と繰り返し、子どもたちはちゃんと理解して走り回っていた。見守っていた大人たちが涙を流した。こうしたことが被災地の多くであった。
(私は震災後、健康を損なっていて、そのような場に参加できず、残念だった。)
スポーツは国家の道具だし、権力構造が隅々まで貫徹している。一方、スポーツは労働者人民のためにある。そういう二面性は、私が実際に経験してきたアマチュアの小さなスポーツ社会にもあることだ。
体制側にとって、ウソであれなんであれ「復興五輪」をこえるスローガンはない。脚光をあびる人たちはアスリートだけではない。演出家やプログラマー、振付師や音楽家、パフォーマーたちは「被災地をいかに演出するか」を問われる。
「汚染水コントロール」のままで、行くのか。
五輪の歴史の中には、いろいろな抗議のシーンがあったことを、私たちの世代は知っている。いま、若者たちが「戦争法案反対」「民主主義」と叫んで立ち上がっているという。いっしょに歩きたいと思うがかなわない。その若者たちが東京五輪に対して、どのような姿勢をとるだろうか、見届けたいと思う。
●「復興マラソン」を走り抜けたい
さきごろ石巻で「復興マラソン」があった。石巻全労協の仲間たちがいるはずだ。テレビを注視した。
市民ランナーが全国から参加する。ボランティアたちが石巻市を支える。被災地の現実は複雑だ。いろんな問題が発生するだろう。その現場で全労協の仲間たちは格闘しているのだろう。
2020年、東京オリンピック・パラリンピック。体験したいが、確かなことが言えない。走り終えてタバコをふかす私に向かって、仲間たちは「矛盾している」と言ったものだ。汗がさわやかに引けていき、心も穏やかになっていくときに、どうしてタバコなのか。そんなやりとりを思い出す。
前回の東京は1964年。国立競技場内の聖火最終ラン、東洋の魔女たちや裸足のアベベ。その記憶は消えない。多くの若者たちが上野駅に向かった時代だった。
あの有名な行進曲の作曲者は福島生まれだ。後に自殺したマラソンランナーのことを、私たち世代の「東北人」は絶対に忘れていない。東北の貧しさ、東北への「差別」を、私たち世代は彼の死によって共有した。
「復興五輪」に人々の善意があることは確かだ。だからこそ「汚染水コントロール」は許せないのだ。
(はせがわ ゆたか)
<参考>
首相の二つの演説から、関連する部分を抜粋します。
■安倍首相の所信表明演説より(2014年9月29日)
「6年後には、見事に復興を成し遂げた東北の街並みを背に、三陸海岸から仙台湾を通り、福島の浜通りへと、聖火ランナーが走る姿を、皆さん、世界に向けて発信しようではありませんか」(2項目<復興の加速>末尾)
■首相最新の施政方針演説より(2016年1月22日)
「ラグビー日本チームの世界への「挑戦」。あの歴史的な勝利は、私たち日本人に、大きな自信と勇気を与えてくれました。日本で開催されるラグビーワールドカップ、東京オリンピック・パラリンピックの成功に全力を尽くします」(5項目<おわりに>冒頭)。
■以上/宮城全労協ニュース293号(2016年3月5日)