「改憲派」3分の2を確保
11勝は一人区共闘の成果
東北と沖縄の一人区で国政野党の共同候補が勝利した。沖縄と福島では現職大臣を落選させた。
いっぽう自公与党とおおさか維新は勝利した。改憲派は参議院でも「3分の2」に達した。
参議院選挙が突きつけたのは、このように対照的な結果だった。
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「全一人区での野党選挙共闘」という初めての試み
全一人区で政権野党(民進党、共産党、社民党、生活)の4党が候補者を一本化して闘った。初めての試みだった。
「市民運動」が重要な役割を果たした。昨年来、安保法制に反対する運動の中で、「野党は共闘」の要求が全国に広がっていった。若者たちはその言葉に「立憲主義」破壊への危機感と、変革への希望をこめた。政権野党はこれに応えた。しかし、与党は向き合うことなく、政略的な批判を集中させ、首相を先頭に「民・共野合」と口汚くののしった。
選挙期間中、与党主張に組みする論調が大手メディアで目立った。一方、自公選挙ブロックは無批判状況のなかで機能した。メディアの「批判精神」は政権野党側の試みに向けられた。政党コマーシャルでも自民党の物量は群を抜いた。こうして「安倍政治の時代」が印象づけられた。
与党の激しい攻撃と大メディアの批判のなかで、32の一人区中、11選挙区で政権野党側の統一候補は勝利した。
多くのマスコミが「4野党共闘は伸びなかった」と報じたが、従来どおりであれば、自民党候補はいわゆる「改憲4党」の枠組みの中で圧勝していたはずだ。
「野党共闘」にはもちろん、地域によって濃淡があり、それぞれの事情に左右された。さらに複数区と比例区は党派選挙だ。教訓と課題は残された。
次の参議院選挙(2019年夏)は前回の自民党の「圧勝組」が改選対象になる。民進党にとっては最悪だったときだ。衆議院の任期切れは2018年12月だ。
共同通信社は参議院比例代表の得票を衆議院選挙に当てはめて試算している(河北新報7月13日)。野党4党が共闘したとしても、衆議院の小選挙区では定数295のうち自公ブロックは266を占める。比例をあわせて自公は全議席の77.7%を占める(*注1)。
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「改憲4党」と「改憲勢力」の使い分け
マスコミは「改憲勢力3分の2を突破」と報じた。「改憲4党」ではなかった。
改憲発議のために必要な「3分の2」に到達するには、改選議席で78が必要だ。この数字が勝敗の事実上の判断基準となった。ところで78議席は「改憲4党」か「改憲勢力」なのか。
いくつかの全国紙がこの点を意識的に書き始めたのは、最終盤になってからだ。
「非改選無所属ら4人参入、改憲3分の2まで74議席」と毎日新聞は報じた(7月6日)。日経新聞(10日)は「『3分の2』攻防、実質は74議席に」と見出しをつけた。
「改憲ハードル」はこうして、国民的な議論とは無縁の場で「78議席」から「74議席」に下げられた。それほど選挙情勢が拮抗していた。自民党が東北などへの集中対策を決定したと報じられていた。
実際には「改憲4党で3分の2」に達したのは、選挙から2週間近く後のことだ。開票即日の追加公認(1人)に加え、岩手の元民主党大臣の入党を認めたからだ。この時点で自民党は27年ぶりに参院で単独過半数を回復した。
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「納得がいかない」という選挙後の声
首相は開票直後、「(改憲に)橋がかかった」と表現した。争点から外しながら、選挙後、一転して改憲への前のめり姿勢をあらわにした瞬間だった。
結果について「首相の態度には納得がいかない、そこまで白紙委任したわけではない」。選挙後、そういう声が紹介されている。
北海道新聞の調査(11、12日)では「3分の2」に達した結果を「よかった」と答えたのは19%にとどまった。「よくなかった」は40%、「どちらともいえない」が41%だった。「よかった」と答えたのは自民党支持者で40%、公明党支持者は32%だった。
同様の報道は多い(*注2/共同通信社の世論調査)。英国の国民投票との類似性を論じたコメントも見られる。与党勝利にもかかわらず、そのような国民意識の現実があり、改憲議論は慎重であるべきだとする声は与党や経済界(*注3)にもある。
しかし、首相の独断的動きを牽制するという政財界の思惑は、現実には、改憲議論に加われという圧力となって民進党に向けられる。「安倍改憲反対派」を分断しようとする策謀が始まっている。
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被災地の抵抗
3年前、被災地は民主党に厳しい判断を突きつけた。一転して東北は激突の場となった。政権交替後、4回目の国政選挙で初めて、被災地は安倍政権に逆らい、痛打を浴びせた。
高木復興大臣は被災3県での全敗について「極めて残念」だが復興政策への影響はない、復興政策への不信任とは「必ずしも思っていない」と述べた。
安倍政権は選挙直後の沖縄での暴挙と同様、東北被災地でも「復興路線」を修正しようとはしない。
「アベノミクス」とTPP。集団的自衛権容認と戦争法強行。5年を迎えた震災復興の現実。国政への疑念は広がっていた。
「4野党共闘」の成立が突破口になった。「野党は共闘」の運動が選挙構造に変化をもたらした。地域で様々な集まりが持たれた。仙台では10代の若者たちが「選挙に行けば未来が変わる」とコールし、行進した。
安倍首相は政権奪還後、最初の復興地訪問の地に福島を選び、原発政策を民主党政権から転換して元に戻すことを宣言した。首相はつまり、福島に屈服をせまった(歴史を思い出した人たちは多いだろう)。
それ以降、首相は「被災3県」を頻繁に視察し、「被災地の復興なくして日本の再生なし」と繰り返した。経済政策と同様、復興に関しても都合の良い数字を並べたてた。そのような言動への疑問が、被災地に蓄積されていった。
「復興議論」は「熊本地震」を経ても深まっていない。熊本県知事が当初アピールしたのは「創造的復興」だった(*注4)。
大震災被災地は「日本の縮図」であり、「元に戻すという発想では、過疎化から逃れられない」。こうして政府や自治体は、そして多くの論者も「創造的復興」を主張した。5年が経過して「創造的復興」はどこに、どのようにあるのか。介護や医療の危機、社会保障への不安、農林水産業の現実、原発への地域従属。逆に、被災地で広がり続ける格差と分断こそが、まさに「日本の縮図」そのものではないか。
沖縄とともに勝利した「東北一人区の乱」にどのような意味を持たせるか。もう一つの正念場だ。
秋季国会に備えよう!
「積極的平和主義」という欺瞞、安保法制発動、改憲発議に反対しよう!
安倍政権への徹底抵抗を!
(注1)この数字(単純適用だが)からは、かつて選挙制度改革派が期待した「二大政党制」など影も形も見ることはできない。反対派が当時指摘したように「議会制民主主義」そのものが危うい。「民意」を反映していない。現行選挙制度の見直しは「野党共闘」の大きな課題となるべきだ。
(注2)河北新報(7月13日)
「『改憲』3分の2、評価二分」「安倍政権で実現/48%反対」、
「自公支持層にも戸惑い/肯定的受け止め、半数未満」と題して調査結果を報じた。
とくに支持する政党はないとする層では、「3分の2」について「よかった」が1割未満だった。
(注3)経団連会長の記者会見(7月11日)から「憲法改正」に関する項目
「現下の最重要課題はデフレ脱却・経済再生であり、経済界としては経済最優先で取り組んでほしい。日本国憲法については、国の最高法規であり、その重みと重要性を認識することが基本である。そのうえで、時代の変化を踏まえて、改正要件も含めて必要に応じて見直すことは否定されるものではない。諸外国でも時代の要請に応じて、憲法を改正している。日本国憲法の制定から70年が経過し、様々な変化がある中で、各界各層が時代に即した憲法のあり方について十分に議論を行なっていくことが求められる。衆参の憲法審査会において与野党での議論を始めていくとの安倍総理の考えを支持している。
経団連としては、憲法改正の個別の論点にどう対応するかについて、国会での議論の動向を注視しながら必要に応じて議論し、見解をまとめていく。経団連が率先して憲法改正に係る議論を行なっていく考えはない。9条や安全保障に加えて、教育、環境といった我々に身近な論点もある。今後、どのような議論がなされていくのか、注視していく」。
(注4)参院選での政権側の勝因として「熊本地震」への政府対応と、オバマ大統領の広島訪問が日本に与えた影響を重視する主張がある。
熊本地震について。政権はマスコミ報道に関する「危機管理」に成功したといえる。
地震直後の政府対応への支持が多数(60%超)との世論調査が、当時、複数のマスコミから発表された。しかし、何が起こっているのか。人々はマスコミとくにテレビ報道から判断するしかなかった。しかも、現地報道は地域的にも内容においても限定的なものだった。一定時間が経ってから、容易ならざる事態だという認識が広がっていった。
<写真>安保法制に反対する共同行動(3月27日、仙台)
■以上/宮城全労協ニュース299号(2016年7月27日)