宮城全労協ニュース/第302号(電子版)/2016年10月22日

宮城合同労組が沖縄学習会


 宮城合同労組は8月、沖縄学習会を開催しました。定期的に行っている組合学習会の一環です。テーマは「沖縄の歴史と今を知って共に未来を考えよう」。講師はGさん(仙台市在住)。

 学習会冒頭、宮城合同労組の組合員だった縁で講師を引き受けたと語ったGさん。今回、学習会の内容をニュースに収録するにあたって、「それに加えて、普天間基地移設問題や辺野古での新基地建設、高江でのオスプレイ用ヘリパッド建設…での国側(安倍自公政権)の沖縄県民を無視したあまりにも強権的な動きに直面する現在、何が問題であり、この先どのような解決が可能なのか(あるいは不可能なのか)を、日米関係、琉球・沖縄史も含めて整理しておく必要を感じていたことも、自らの力不足を省みずに講師役を引き受けた理由のかなりの部分を占めている。」と述べています。


 以下、Gさんの報告です。
(なお講演録からの引用文には要約部分があり、また読みやすくするために段落をつけています。)



翁長知事講演録をテキストにして


 学習会のテキストには、沖縄県の主張がわかるものとして、昨年9月に国連欧州本部で行われたサイドイベント(国連人権理事会)での翁長雄志知事の講演録を用いた。新しい組合員たちを含め、皆、この日配布されたテキストによって知事の講演内容を初めて知ることから、参加者が順に講演録の一節ずつを読み進め、そこに出てきた事項について、私が簡単な注釈を加える形で進めた。長文であるが、重要な資料なので掲載した。

 翁長知事の講演は、冒頭、次のような前置きではじまっている。


 「今、沖縄で起きていることは、ある意味、世界的な意味を持つということを含めて、話させていただきたい。……写真にもあるが、沖縄県にある世界一危険と言われる普天間基地。周辺は全部住宅地であり、小中高校がすぐそばにあるのだが、今回、それを移転するのに、また沖縄県がそれを負担して、あの美しい海を埋め立てて新基地を造っていくというようなことで物事が進んでいる。その中で、沖縄県民の自由と平等と人権と民主主義が全く無視をされている。ある意味で自己決定権がないがしろにされているということが、しっかりと見えてくる。ジュゴン、これは絶滅危惧種であり、…ウミガメ、そしてサンゴ礁の美しい海、ここが埋め立てられて基地になる。その実情を多くの方々に見ていただき、そして世界からこの状況を見ていただいて、この沖縄に新しい基地を造らさせないという流れをつくっていきたいということで話させていただく。」

 続いて、沖縄の地理的・文化的面を紹介。美しいサンゴの海とアジアの国々との交流の上に、観光立県として成果をあげており、昨年は年間720万人、うち外国人が100万人、今年は外国からの旅行者が40%増の140万人の見込みであることにふれている。

 次に、およそ600年前に成立した琉球王国が、日本や朝鮮、中国あるいは、東南アジアのタイやベトナム、フィリピン…と交易し、栄えてきたこと。ペリーの黒船来航当時は、日本の浦賀に行く前に琉球に来て琉米修好条約を締結しており、ほかにフランスやオランダ等とも修好条約を締結しており、琉球が欧米各国から独立国家として認められる国であったことを語っている。


 以下は、翁長知事がその後に話した内容の大略。


その後、明治政府による「琉球処分」により、1879年に日本国に併合された


<70年前のあの第二次世界大戦の沖縄・日本で行われた唯一の地上戦、沖縄戦で20万人が亡くなった。うち沖縄県民が10万、日本軍が8万〜9万、あるいは米兵も1万人が亡くなった。しかも、住民が日本軍といっしょになって逃げ惑ったところにいちばんの厳しいところがあったこと。沖縄では、独自の言語を使う人が多かったことから、言っている意味が分からないということで、スパイではないかということで殺されたり、墓に逃げ込んだり、洞窟に逃げても、日本軍が来て沖縄の人をそこから出してそこに立てこもることもあった。

 沖縄の地上戦は沖縄県民にとって、70年経った今も、一時も忘れられない、おじいちゃん、おばあちゃんから告げられた平和の大切さ、戦争の醜さ、人間の醜さを、島全体で体で感じてきている。
   
 戦争が終わって、今度は米国軍が占領した。沖縄の人は、ほとんど全て、古里から遠く離れた収容所に住まわされた。その間に、米軍が、普天間基地・嘉手納基地…、ある意味で強制接収して、沖縄の人がいない間に全部基地に変わっていた。沖縄の基地は、沖縄県民がどうぞと差し出した基地はひとつも無い。全部、沖縄にある基地は強制接収されて今日まで使われてきている。>


<戦争が終わって7年目、1952年には、今度は日本が(それまでは日本も全体が米国の占領下にあったのだが)、米国から独立する引き換えに、私たち琉球・沖縄を米軍の施政権下に差し出した。米軍の施政権下で日本人でもなく、日本の国籍も無い、米国の国籍も無い、国会議員を出したり日本国憲法が適用されるということも無く、27年間を過ごした。1879年に日本に併合されたと思ったら、それから70年後ぐらいには、今度は日本から切り離されてしまって、米軍の施政権下に入った。

 米軍の施政権下では、治外法権、いわゆる無法地帯だった。米軍の高等弁務官が取り仕切って、(任命の主席や、県議会・市議会もあったが)、ほとんど自己決定権の無いまま、布令・布告という法律を出して、私たちを管理した。大変過酷な、自らのアイデンティティーを問われる、人権問題というようなものを、このサンフランシスコ講和条約で切り離されて、1972年に日本に返るまで、それが成された。

 それから60年以上が経ち、普天間基地が住宅街ができて危ない、そして老朽化しているということで、「もう一度、沖縄県、お前たちがその基地を負担しろ。この普天間を返してやるから新しい基地を差し出しなさい。」ということで、あの美しい大浦湾を埋め立てて、そこに普天間の基地を移して、「どうだ、これで厳しい環境にある所から、人口の少ない所に移るからいいだろう」というようなことで、今起きているのがこの基地問題だ。

 私たちからすると、自分たちが差し出した基地でもないにも関わらず、老朽化したから、世界一危険になったから、今一度お前たちが負担して基地を差し出せということに対して、大変理不尽さを感じて、今、その新辺野古基地を造らせないということでやっている。>


<残念ながら、日本政府はこれを一蹴して、工事をまた再開し、やり始めようとしている。そこは何れにしろ基地ができたら米軍が使うわけであるので、米軍も当事者であると思っているのだが、6月にワシントンDCに行って、上院議員や下院議員や国務省、国防総省の高官と会ったが、「これは日本の国内問題だから、日本政府に言いなさい。」という話だ。私からすると、沖縄県民からすると、目の前にあるのは米軍の基地であり、米国の方が私たちの当事者だと思うのだが、「日本の国内問題だから、国内で解決しろ。」ということだ。

 だから、日本に返ってきて、外務大臣や防衛大臣にそういった話をすると、「後ろでアメリカがだめだと言っているんだよ」ということで、私たちはたらい回しにされて、自己決定権、あるいは人権、といった意味でも、他の都道府県の日本国民と違う形で沖縄が推移今日まで推移している。

 1972年に日本に復帰したら、基地が減るかと思ったら、日本本土にいる米軍が沖縄に移ってきた。沖縄には海兵隊は基本的にいなかったが、日本本土の山梨県や岐阜県、岩国にいた海兵隊が(1950年以降に)沖縄に移ってきて、沖縄の基地はさらに倍加していった。沖縄は日本の国に返ったにもかかわらず、基地問題は何ら解決しないという状況になってきた。>



 翁長知事はこう述べた後、最後に、沖縄県が時代の変化の中で、自己決定権を蹂躙されてきた歴史を踏まえて、4つの項目をあげて、「一体沖縄の基地問題の真犯人が誰なのか」、と問いかけている。


「沖縄県が小さな国で、武力も無く平和な国であったということ自体が、この基地問題の原因なのか。あるいは、日本政府が日本全体でこのことを考えることがやりきれない。そういう日本政府の責任なのか。あるいは沖縄県の基地は全部米軍の基地であるにもかかわらず、私は当事者ではないと言って知らんふりを決め込む、あのアメリカが私たちの沖縄に基地を置いている人なのか。あるいはまた、人類の英知というものの限界がそういうところにあるのか。

 …ぜひとも皆様方に、これから行われる辺野古基地建設を、どのようにして建設されるのか、あるいは私たちがどのようにして止めるか、日本の民主主義というものは一体どうなっているのか、アメリカの民主主義というのはどうなっているのか、ぜひご覧になって、沖縄の基地問題の真犯人は一体誰なんだということを世界中で絵解きしてもらい、今置かれている沖縄の現状に関心をもってほしい。

 私たちの沖縄がこれからもしっかりと子や孫のために、誇りをもって生きていけるようなことを皆さん方が助言して頂けるようにお願いをして、報告にかえる。」と締めくくった。



参加者が意見・感想を述べ合う


 学習会の最後に、参加者の意見・感想を述べ合う時間があり、各自の沖縄への思いが語られた。

 沖縄国体のときに、ソフトボール会場となった読谷村で知花昌一さんが「日の丸」を引きずりおろしたことを覚えている。後年、その知花昌一さんが講師の集会が仙台であり、参加したことがあったが、その後は、沖縄についてあまり関わることができないできていることを反省しているとの発言。

 震災後、なかなか進まない復興や、東京電力の電力供給のために福島に原発が作られたこと、米軍基地を押し付けられている沖縄と自分たちのすむ東北との共通点を感じるとの発言。

 米軍演習(県道108号線越え実弾砲撃演習)が王城寺原演習場など本土内五ヶ所に移転されるときには、「沖縄でいらないものは王城寺原でもいらない」を掲げて沖縄と共に闘った。けれども、今の沖縄の主張を聞くと「基地は本土に持っていけ」と言われていると感じる。そう言わせている日本政府の(そして運動側の)現実があり、それだけ、沖縄が置かれている状況が当時より厳しくなっていることを感じるとの発言。
 
 翁長知事の講演内容そのものが、現在の沖縄県と日本政府の対立の厳しさを反映しており、歴史的事実をもって問題点の所在を明らかにしている。それ故、学習会参加者が各自、この資料を読み込んでいくことで、学習会テーマの「沖縄の歴史と今を知って共に未来を考えよう」が果たされるだろうことを、参加者の感想からも実感できる学習会となった。


 翁長知事の言葉を借りれば、「人類の英知の限界」とあきらめるのではなく、日米安保体制がもたらす辺野古での新基地建設に対して断固「拒否」を貫くことが、日米政府との力関係を逆転させていくためのてことなることを確信し、一歩一歩、歩んでいこう。

 最後に、お礼を…。 参加された皆さんのやわらかな雰囲気に、普段の合同労組の作風すら感じられ、居心地のよい中で話させてもらえたこと、有難かったです。久々に合同労組の皆さんにお会いでき、嬉しいひと時を過ごすことができました。
                                 
                                    
                                    
※ 以下は、当日、私が説明を加えた何点かのメモ。(後日加筆もあり)


1.辺野古・大浦湾には5334種の動植物が生息している。

 うち、262種が絶滅危惧種。
(ジュゴン・アカウミガメ・アオウミガメ・ベニアジサシ・ヤドカリ他、節足動物、海藻類など)

2.1609(慶長14)、島津の琉球侵攻

 奄美大島→徳之島→沖永良部島→沖縄本島の順に侵攻。
 その後、奄美を薩摩藩が直轄支配。
 琉球国を維持し、間接支配。
                                    
3.琉球処分

 1872(明治5)琉球藩設置。
 1875(明治8)明治政府、中国(清)との冊封、進貢関係の禁止を要求。
 1878(明治11)清国、「琉球処分」について日本政府に抗議。
 1879(明治12)日本政府、「琉球処分」を強行。
  沖縄県を設置(廃藩置県)
 (琉球処分官が400人の兵隊、160人の警官を率いて。)
                                   
4.清国との関係

 1880(明治13)清国と分国・条約案を妥結。
 (宮古・八重山諸島を清国に分けてやるかわりに、ヨーロッパ並みの通商上の特権を清  国に認めさせる。)
 1894(明治27)日清戦争
  沖縄内で頑固党(親清派)と開化党(親日派)の抗争が再燃したが…
 1895(明治28)下関条約
  日本の勝利によって「琉球の時代」が終焉。
  また、台湾の植民地化により、沖縄の軍事的位置や、
  砂糖生産地としての経済的位置も相対的に低下。
                                       
5.天皇メッセージ(1947)、マーシャル米国務長官宛
 「琉球諸島を米政府が35年ないし50年以上にわたり軍事占領することを希望する。」
                                    
6.サンフランシスコ講和条約(1951年4月28日発効)

 沖縄では「屈辱の日」
 
 沖縄には 核兵器、特殊作戦部隊が常駐。
 その後、ベトナム戦争、湾岸戦争・・
 そのつど、基地機能を再編強化してきている。
                                        
7.ハーグ陸戦法規 46条「私有財産はこれを没収することを禁ず」

 米軍による土地接収は、明らかにこのハーグ陸戦法規に違反している。

8.占領政策を巡って
                                    
 *海軍軍政府の基本方針 「より充実した民主主義を実現する」
                                    
 沖縄の人たちは、自らを日本人と意識しているが本土から差別されている。
 本土との潜在的溝がある。(戦前、知事は本土からの派遣。)
 沖縄「諮恂会」を設置。 女性参政権の実現。・・・
 当初、早い段階(45〜46年)での島民の収容所からの帰村を考えていた。
                                    
 *マッカーサーは、在本土沖縄人10万人の帰郷を計画(1946年1月)
  
 日本(本土)復興の妨げになっている。
(当時、陸軍やマッカーサーの考える日本に沖縄はふくまれていなかった。)

 ※マッカーサーの考え方…

 (アメリカの沖縄支配に、日本人は反対しないだろう。
  なぜなら、沖縄人は日本人ではないのだから。)

 海軍軍政府は、本土在住沖縄人の帰郷に反対した。
 「10万人が戻ると、必要な食料の28%しか生産できない。」

 *冷戦の開始。

 東アジア(中国・朝鮮)情勢の緊迫化が進み、沖縄の軍事基地化。
 〜海軍軍政府から陸軍による統治に変更された。
 
 ※1946年8月 中城村に在本土10万人の引き上げ(帰郷)実施。
 みなと村〜那覇軍港での荷役作業に従事。


9.高江のヘリパッド建設を巡って(略)
 


■以上/宮城全労協ニュース302号(2016年10月22日)