宮城全労協ニュース/第323号(電子版)/2018年8月24日

翁長沖縄県知事を追悼する/投稿


 
(注)掲載にあたって。

 投稿が書かれた8月18日の時点では、翁長知事の後継候補者は未定でした。報道されたように、その後「調整会議」による検討が続けられた結果、8月23日、玉城デニー衆議院議員(自由党幹事長/沖縄3区選出)に対して、辺野古新基地建設反対の「オール沖縄」候補が要請されました。詳細はマスコミ各社の報道を参照してください。

 繰上げとなった沖縄県知事選挙は9月13日告示、30日投票です。




<追悼 翁長雄志沖縄県知事>

 悲しみのなかに芽生える希望 
 ―子や孫の未来を見すえる「島ぐるみ」の闘い―


投稿(G.K.)2018年8月18日



 沖縄県知事の翁長雄志氏が8月8日に亡くなられた。現職の知事であり、67歳と早すぎる死であることに加え、翁長知事が辺野古新基地建設をめぐり安倍自公政府と真っ向から対決し、去る7月27日には辺野古新基地建設を巡る「辺野古埋め立て承認」の撤回を表明したばかりであることから、11月に予定されていた県知事選も含め、沖縄のみならず日本全国に大きな衝撃を与え続けている。

 8月17日からの沖縄防衛局による土砂投入を阻むべく開かれた8月11日の辺野古新基地建設に反対する県民集会(主催・辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議)は、翁長知事逝去の報を受けて追悼の思いを抱いた多くの県民の参加もあり、7万人の大集会が実現した。

 10日の通夜には1500人、13日の告別式には4500人が参列し、翁長知事に別れを告げ、参加者からは「平和を求める心を引き継ぐ」決意が口々に語られたと報じられている。

 県知事選挙は、9月13日告示・9月30日投票と、繰り上げ実施が決まった。そこを当面する最大の焦点として、日本政府・沖縄防衛局による辺野古での土砂投入と沖縄県による埋め立て「承認」撤回の時期を巡るギリギリの攻防がすでに始まっている。



 前知事の仲井真弘多知事が日本政府の圧力に屈し、自身の公約であった普天間飛行場の「県内移設」反対を覆して、「普天間飛行場の5年以内の運用停止」等の4項目を条件に、沖縄防衛局の名護市辺野古の埋め立て申請を承認したのが2013年12月。その仲井真知事誕生時に選対本部長として「県内移設反対」を掲げ闘った翁長氏は、このときに自民党と袂を分かち離党するに至る。(離れていったのは自民党県連の方だと翁長氏は言う。)

 翌2014年1月の名護市長選では「辺野古移設」反対派の稲嶺進氏が二期目の当選。

 また同年11月の県知事選挙では、「県内に新たな基地は造らせない」ことを公約に掲げた翁長氏が「オール沖縄」の力を背景に、現職の仲井真氏に約10万票の大差をつけて勝利。名護市民、沖縄県民が「県内移設」=「辺野古新基地建設」に反対であること、仲井真前知事による「埋め立て承認」がいかに県民の意思とかけ離れたものであるのかを明確に示す結果となった。

 同じ時期(2014年)に行われた国政選挙においても、衆議院議院選挙で沖縄県内の全ての選挙区で、自民党候補が敗北し「辺野古への移設」反対を掲げる候補が勝利を収めたこと。前後する参議院議員選挙でも選挙区ではすべて「辺野古移設反対」派が勝利。沖縄県民は翁長知事を先頭に、「オール沖縄」として文字通り島ぐるみで、「県内への移設=辺野古新基地建設」反対を表明することとなった。

 にもかかわらず、日本政府・沖縄防衛局は、こうした「オール沖縄」の民意を背景に、辺野古への新基地建設の中止を求める翁長知事に対し、会うことすら拒んで門前払いを重ね、聞く耳を持たず、「辺野古移設」が「普天間飛行場問題の唯一の解決策だ」と繰り返すばかりで、ただの一度も沖縄県に歩み寄る姿勢を示すことがなかった。



 2015年4月に初めて菅官房長官との会談が実現した際に翁長知事は、「辺野古の新基地は絶対に建設できない。移設を粛々と進めるという(菅氏の)発言は問答無用という姿勢が感じられ、上から目線の言葉を使えば使うほど県民の心は離れ、怒りは増幅する。菅官房長官の言葉はキャラウェー高等弁務官の姿を思い出させる」と述べ、日本政府の強圧的な対し方に苦言を呈している。また同年12月の代執行訴訟第一回口頭弁論の意見陳述では「政府は民意にかかわらず、強行している。米施政権下と何ら変わりない。日本に地方自治や民主主義はあるのか。沖縄にのみ負担を強いる安保体制は正常か。国民に問いたい。」と問いかけている。

 翁長知事が就任した2014年12月から亡くなる今年8月までの4年間は、一言で言えば、安倍自公政府・沖縄防衛局による「沖縄(県)いじめ」「翁長いじめ」の日々の連続であった。それは、薩摩藩の琉球侵攻に始まる日本と沖縄の構造的差別=「国内植民地」としての位置に加えて、戦後、1948年サンフランシスコ条約によって日本から分断され、米施政権下・米軍政支配の重圧にさらされ続ける沖縄の位置を映し出している。

 1972年の日本「復帰」は、戦後民主主義の表現でもある平和憲法(日本国憲法)への「復帰」を願う沖縄県民の思いに支えられて実現したものであったが、現実には、米軍基地は削減されることはなく居残り、さらに海兵隊が日本本土から沖縄に集約されるなど、むしろ基地機能は増強されていった。日米安保体制の負担は沖縄により重く圧し掛かったまま、「復帰」後も変わることなく今日に至っている。その構造的あり方こそが沖縄差別に他ならない。



 翁長氏の死は、病(すい臓がん)に因るものではあるが、明らかに、こうした日本と沖縄の構造的差別の上に成り立つ「いじめ」の仕組みの中でもたらされた死であることを見逃してはならない。安倍自公政府・沖縄防衛局は「差別」「いじめ」に無自覚なのではない。意図的にこの構造的差別を利用し、日本と沖縄の間、さらには沖縄内部に分断を生むことで「いじめ」を増幅し、辺野古新基地建設に反対する動きを封じ込めようと画策してきている。

 芥川賞作家の目取真俊(めどるましゅん)氏は自身のブログ「海鳴りの島から 沖縄・ヤンバルより」で8月8日に「翁長知事を死に追いやった日本政府・沖縄防衛局を決して許さない」と題する一文を発し、その中で「翁長知事の死は直接の原因は病でも、そこまで追い詰めていったのは日本政府・沖縄防衛局による強行姿勢であり、新基地建設を進めるために安倍政権が沖縄にふるってきた暴力の結果である。翁長知事の死はたんに個人的な死ではない。自らの言いなりにならない者は力でねじ伏せればいい、という日本政府・沖縄防衛局の暴力は、沖縄県民全体に向けられているのだ。」と喝破し「怒りをもって辺野古新基地建設を阻止しよう。」と呼びかけている。



 翁長知事は2015年10月に「埋め立て承認」を取り消し、政治や司法の場で沖縄の主張を訴えたが、国との訴訟では最高裁で敗訴が確定した。その後も、知事選公約である「辺野古に新基地を造らせない」ためには法的権限をどのように用いればよいのか、あらゆる方策・可能性を追い求めてきた4年間であった。

 今年7月27日には「埋め立て承認」撤回方針を表明し、今後の国との法廷闘争も含めて、どうすれば新基地建設を阻止できるかを考え、最後の最後まで、病室においても資料を読んでいたという。

 11月に知事選を控え、また8月17日には沖縄防衛局が土砂投入を開始するという局面での「撤回」表明に対しては、遅すぎるとの評価もあるが、考え抜いた上での時期設定であったことだけは確かだ。

 翁長知事は7月27日の埋め立て承認撤回方針の表明会見で、次のように述べている。

「朝鮮半島の非核化と緊張緩和に向けた米朝の努力が続けられている。このような中、20年以上も前に決定された辺野古新基地を見直すこともなく強引に推し進めようとする政府の姿勢は、到底容認できるものではありません。私としては(日本政府は)平和を求める大きな流れからも取り残されているのではないかと危惧している。」



 日本政府、沖縄防衛局と鋭く対立し、一歩も引くことのない翁長知事の立ち位置が良く分かる発言をみてみよう。

「私は保守の人間だが、沖縄に在日米軍専用施設面積の74%が集中するのは大変理不尽、許されるものではない。」

「(沖縄が)自ら望んで基地を提供したことは一度もない。米軍に銃剣とブルトーザーで力づくで土地を強制接収された。」

「今の日本の米国に対する従属は、日本国憲法の上に日米地位協定があり、国会の上に日米合同委員会がある。この2つの状況の中で日本は米国に何も言えない状況がある。」

「根本にある日米地位協定の改定もできずに、『沖縄に力がない。しょうがないさ』『経済振興策をもらおう』などと政治が寝転がってはいけない。沖縄に生まれ、なおかつ政治家を志した人間はやり抜き通さなければならないことがある。沖縄のご先祖は私等よりもっと苦労している。その苦労をひきついで今の沖縄の文化があり、私たちの人格がある。だから、子や孫のために沖縄の負荷が小さくなるよう政治に全力をあげなければなりません。」



 沖縄の基地経済への依存は1972年の15.5%から2013年には5.1%に低減している。米軍基地の存在がむしろ沖縄の発展を阻害している。翁長知事は、こうした実状の上に、アジア経済の拡大をとりこんだ沖縄経済の振興に尽力していた。全国一といわれる子どもの貧困対策にも力を入れていた。

「アジアのダイナミズムを取り入れ、アジアが沖縄を離さない。沖縄はアジアの地政学的意味も含めて経済ということでは、大変大きな立場になってきている。平和的利用、アジアの中の沖縄の役割、日本とアジアの架け橋、こういったところに沖縄のあるべき姿があるのではないか。」

「いつかまた切り捨てられるような沖縄ではできない。・・・この思いを共有して何十年後の子や孫に(手渡したい)。私たち沖縄は何百年も苦労してきたんだから、いまやっと沖縄が飛び立とうとしている訳だから、そしてそれは十二分に可能な世の中になってきているんで、・・・飛び立とうとするのを足を引っ張ろうとして、沖縄は振興策もらって基地を預かったらいいんだなどというものが、これから以降もあったら、沖縄の政治家としては、これはとても、容認できないという思いです。」(7月27日記者会見にて)



 翁長知事を失い、今沖縄は大きな喪失感を抱えている。島ぐるみの悲しみの只中にある。当面する9月県知事選挙も候補者選定をはじめ、多くの困難を抱えている。 

 辺野古新基地建設を巡る状況も、知事選の結果に左右されつつ、沖縄防衛局による土砂投入の強行など多くの困難が今後も続くことが予想される。

 にも関わらず、沖縄には希望があると言い切れる。それは、翁長知事が命を削って貫いた志の高さによる。沖縄と沖縄人の誇りにかけて、日本政府と対峙し闘い抜いた翁長氏が掲げた「沖縄の心」は末永く、沖縄の人々の未来を照らし続ける光となるだろう。多くの人々が、翁長氏の志を受け継ぎ、屈することなく闘う決意を固めている。

 しかも、すでに種はまかれたのだ。

 何十年後の子や孫のために・・・との思いは、若い世代につなぐことなしには成り立ち得ない。だが、沖縄では、すでに若い力の芽生えが兆していることを私たちは知っている。

 今年6月23日の「慰霊の日」に行われた「沖縄全戦没者追悼式」に当たり、中学3年生相良倫子さんが朗読した自作詩「生きる。」

 まっすぐに顔を上げて、出席者に向かい語りかけるように朗読する相良さんの姿と語られる詩の言葉は、その場にいる参会者たちの心をつかみ、感動を呼びおこすものだった。

 今生きてある自分が、紛れも無くこの島(沖縄)の歴史と自然と先人たちの生の連続の上にあることを、格調高く謳いあげている。



 「私は、生きている。/マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、/心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、/草の匂いを鼻孔に感じ、/遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。」



 この冒頭の書き出しから伝わるのは、作者の、感受性豊かな若い命の躍動だ。

 詩は、この後、73年前の沖縄戦の惨状を描き出す。さらに、命を奪われて犠牲にされていった人々が、自分と変わらない、懸命に生きる命だったこと、日々の小さな幸せを喜び、生きていた人間だったことへの気づきを通して、たくさんの命を犠牲にする戦争の無意味さ、愚かさをうったえ、戦争を許さないこと、平和を創造する努力を厭わないこと、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指す決意を、今を一緒に生きているみんなに向けて語りかけ、呼びかけている。

 沖縄戦で阿鼻叫喚の壮絶な戦場となり、死の島と化した73年前と目の前の美しい島の対比のなかに、鎮魂と悲しみの過去を繰り返さない強い決意が、そして輝きある未来への希望が高らかに謳いあげられている。最後の、<私は今を、生きていく> の言い切りに強い意思の力を感じる。心打たれる詩作品だ。



「大好きな、私の島。/誇り高き、みんなの島。/そして、この島に生きる、すべての命。/私と共に今を生きる、私の友。私の家族。//これからも、共に生きてゆこう。/この青に囲まれた美しい故郷から。/新の平和を発進しよう。/一人一人が立ち上がって、/みんなで未来を歩んでいこう。//摩文仁の丘の風に吹かれ、/私の命が鳴っている。/過去と現在、未来の共鳴。/鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。/命よ響け。生きゆく未来に。/私は今を、生きていく。」



 この日、相良倫子さんがまっすぐに前を凝視しながら自作詩を朗読する視線の先には、安倍首相が着席していた。テレビの映像を見る限りでは、安倍首相が顔を上げることは無かった。沖縄の若い魂と向き合うことが後ろめたかったのだろうと勝手に想像した。(人間らしい心と恥じらいが少しは残っていれば、のことだが・・・。)(*注)

 安倍首相は、この日も「沖縄県民に寄り添う。基地負担の軽減に取り組む。」といつもながらの言葉を型どおりに並べていた。心ない、おざなりな物言いは軽すぎて、誰の心にも届かない。

 沖縄の未来は、新基地建設を強行する奴等によっては開けない。未来は間違いなく若い力に受け継がれていくことを確信する出来事だった。

 遠く宮城の地から、沖縄の子や孫の未来を見すえる「島ぐるみ」の闘いに心を通わせよう。安倍自公政府との負けるわけにはいかない闘い、東アジアの平和の一翼に日本の民主主義をすえ直す闘いが、ここ沖縄から始まる。

                              (2018年8月18日記/G.K.)





(*注)安倍首相に直接向けられる沖縄の人々の視線。私たちは今年も映像や写真を通して、そのシーンを見た。投稿者によれば、東京新聞記者による一枚が2017年の東京写真記者協会賞グランプリに選ばれているという。その写真は、「6月23日に沖縄県糸満市の平和祈念公園で行われた沖縄全戦没者追悼式で、献花に向かう安倍晋三首相を、翁長雄志知事と子どもたちら出席者が、厳しい視線で見つめる様子を捉えた」という説明とともに、東京新聞のサイト(2017年11月25日)に掲載されている。写真タイトルは「沖縄の視線」であった。



■以上/宮城全労協ニュース323号(2018年8月24日)