宮城全労協ニュース/第333号(電子版)/2019年10月7日

30周年を迎えた全労協
「日本労働運動を支える一翼へ」!



 全労協(全国労働組合連絡協議会)は結成30年を迎えた。9月末、定期全国大会(第31回)とともに記念レセプションが東京で開催された。


 30年前、総評の解体という歴史的な転換点に立って、全労協は結成された。「労働戦線の右翼的再編」に抗議・対抗する闘いが各地で続けられた。試練の中で多くの課題に直面しながら、労働者民衆の武器としての労働運動たらんとしてきた。

 渡邉洋全労協議長は、とくに第二次安倍政権発足以降の危機的状況を指摘しつつ、次のように提起した。

「こうしたきな臭い状況を打ち破る主体として、労働組合はもっと発信力を身につけ、存在感を増していかなければなりません。しかし残念ながら日本の労働組合は年々組織率を下げ、労働争議は激減し、春闘の存続も危ぶまれる事態となっています。そしてこれは全労協自らも問われている問題です。」

「闘う労働組合、まともな労働組合の結集体は、いっそうその必要性を増しています。全労協が、新たな仲間とスクラムを組み、より大きな隊列を形成して日本労働運動の一翼をがっちりと支えていくことが問われています。」

(「日本労働運動の一翼を支えていく」(記念集『全労協30年の歩み』より)


「予測不能」と称される国際政治の混迷のなかで、全労協は30周年を迎えた。経済波乱の予兆、気候変動や「人工知能」など新たな難題が広まるなかで「グレタ世代」が象徴する変革の波が世界規模で登場している。危機と可能性の時代のなかで、全労協の挑戦は続く。



 30周年に寄せた宮城全労協のメッセージを紹介する。


<変容する時代とともに、初志を大切にしながら>

宮城全労協議長 大内忠雄

 
 30年前、私たちは全労協結成に合流すべく「宮城労組連」から「宮城全労協準備会」へと歩を進めました。

 「宮城労組連」は総評運動を源流とし、1970年前後の総評青年労働運動の「反乱」を基盤としていました。「総評解体」という厳しい局面を自覚し、私たちは新しい時代に飛び込んでいきました。先輩諸氏や各地の労働者たちとの議論を深め、連携を大切にしながら「社会的労働運動の地域的な発展」をめざしました。世界の大転換が現実となり、日経連が新政策を打ち出していました。

 大きな転機が二つの大震災によってもたらされました。それは政治の激変に直結しただけでなく、国や社会のあり方を根本から問うものでした。

 阪神・淡路から16年後、私たちは水や電気、ガソリンもままならないなか、福島に思いをはせながら、組合員と家族・親族の安否の確認、住まいの確保などに追われる日々を過ごしました。沖縄や関西をはじめ各地から寄せられた激励の数々を忘れることはありません。

 そうして私たちは東北全労協とともに、「被災労働者から復興労働者」へと転じよう、「地震・津波・原発」の「三つの被災」との闘いを進めていこうと議論し、地域に積極的に関わっていきました。

 福島が故郷であったり、親族・友人が暮らしていたりする組合員たちが多くいます。しかも、原発被害は「県境」をこえて宮城、岩手にも広がりました。権力や体制が作り出す何重もの「分断」に抗い、私たちは労働争議、原発被災者たちの裁判への支援などを福島の仲間たちと協力して進めてきました。

 「三つの被災」との闘いは「復旧・復興」を政治利用してきた安倍政権との闘いにほかなりません。女川原発再稼動を許さない県民運動に参加し、住民とともに反対世論を広めます。「汚染水コントロール」という虚言で誘致された「東京五輪」に対して、私たちは異議を主張します。農林水産業や「水」の「震災便乗」「民営化」に反対します。

 社会は大きく変容しています。労働者の生活、権利、団結のために、初志を大切にしながら、皆さんと連帯して全労協運動を進めます。


 最後になりましたが、30年のなかで直面した多くの仲間たちとの別れを忘れません。悲しさと悔しさは、私たちの記憶のなかに生き続けています。(2019年7月1日)



■以上/宮城全労協ニュース333号(2019年10月7日)