| 宮城全労協ニュース/第53号(電子版)/2004年2月7日 |
●本号の内容 ★1・31集会に470名が参加! (集会の内容は別途紹介の予定。本号では資料として糸数さんのメッセージを転載。) ★集会資料/糸数慶子さんからの集会メッセージ ★第4回世界社会フォーラム(インド・ムンバイ)に参加して(その1) ●集会案内 ◎札幌/2月14日 全国交流会とピース・ウォーク(連絡:ほっかいどうピースアクション) 13時、札幌コンベンションセンター ◎仙台/2月22日 集会と抗議デモ(呼びかけ:宮城全労協) 13時、仙台市勾当台公園野外音楽堂 ◎東京/3月20日 WORLD PEACE NOW! http://www.worldpeacenow.jp/ ★1.31集会に470名が参加! 「イラク派兵に反対し、憲法改悪を許さない1・31東北集会」 「自衛隊のイラク派兵に反対し、憲法改悪を許さない1・31東北集会」が1月31日夜、仙台市で開催された。主催は集会実行委員会。470名が参加し、会場のホールは立ち見者も出て熱気に満ちた夜となった。 「土井さん、糸数さんを迎えて!反戦・平和のトーク&ライブ」と銘打たれたこの集会は大きな反響を呼んだ。集会は、土井たか子さん(衆議院議員・前社民党党首)、糸数慶子さん(沖縄県議・沖縄社会大衆党副委員長)の講演と、地元仙台で注目を集める若手バンドによるピース・ライブのジョイントとして企画された。 土井さんを慕う退職労働者や市民たち、全労協などの労働組合員、社民党支持者、市民運動など幅広い参加であった。ヒップ・ホップを支持する若者たちも土井さんの演説に聴き入った。糸数さんは同日、公務のため渡米することとなり、急遽欠席となった。糸数さんはメッセージを寄せ、「参加された皆様と共に、英知を結集し、戦争への道を断つ決意」を表明した。「日本政府の愚かな選択」を「いつかきた道、戦争への道」として糾弾、小泉政府打倒の新しい平和運動の構築を訴えた。 土井さんは迫力満点の演説で満場を熱くさせた。集会前日、特別委員会で自衛隊派遣承認案が強行採決された。土井さんは自民・公明両党を徹底批判、「はらわたが煮えくり返る思い」を聴衆にぶつけた。「日本はあの戦争を反省し、平和憲法のもとで、武器を持って外には絶対に出ないと誓ってきたのではなかったのか」。土井さんはまた、その場しのぎに終始する「小泉政治」を指弾し、憲法改悪を許さない闘いを呼びかけた。 ピース・ライブでは土井さんとの共演も実現した。「若い世代が土井さん、参加者といっしょに歌える曲」という実行委員会事務局のリクエストに応えてバンドが選んだのは「花」と「翼をください」。最後は全体の大合唱で集会を終えた。 ★資料 <自衛隊のイラク派兵に反対し、 憲法改悪を許さない1・31東北集会へのメッセージ> 2004年1月31日 糸数 慶子(沖縄県議・沖縄社会大衆党副委員長) 四季に乏しい沖縄ですが大寒を過ぎたころには10度前後の寒気が訪れ、冬らしさをみせました。今、緋寒桜が野山を紅色に染め、これから足早に春へと向かいます。寒さの厳しい東北の地では春はまだ遠く、雪景色の中でしょうが、冬と親しくお付き合いをしていることと思います。 このたび、自衛隊のイラク派兵に反対し、憲法改悪を許さない1・31東北集会への参加に声をかけていただいたことに感謝を申し上げます。悲惨をきわめた沖縄での戦争、敗戦後27年間も米軍の占領下に置かれた沖縄、その沖縄の歴史を語り合うことこそが若者たちへの平和へのメッセージになるとの主旨で集会を主催された実行委員会の皆様、そして集会に参加されている多くの方々に敬意を表します。 お招きをいただきながら公務のため参加できなかったことをお許しいただければと思います。 私は、いまこの集会に参加されている皆様と同様に、日本という国の政府の愚かな選択に憤りさえ覚えます。イラクはいまなお戦場なのです。その戦場に自衛隊という軍隊を派兵した。この選択は、いつかきた道であり、戦争への道なのです。 私たちの沖縄は、1945年4月から6月までの間、戦場と化しました。約3ヶ月の戦争で20数万人の尊い命を失い、全てが灰燼と帰しました。沖縄の人々のこころにあるのは、あの忌まわしい戦争への問いかけなのです。 しかし、沖縄は日本から切り離され、27年間も米軍の占領下に置かれました。そこは戦場そのものであり、全てにおいて軍隊が優先され、人権や平和を希求する沖縄のこころは踏みにじられてきました。米軍車両にひき殺された少年、地上から落下してきたトレーラーに押しつぶされて死んだ少女、小学校に墜落した戦闘機、そして米兵による殺人、婦女暴行などの凶悪犯罪、枚挙にいとまのない事件事故のほとんどは、支配者である米軍が処理し、なにひとつ明らかにされることはなかったのです。それが占領下なのです。 いま占領下のイラクでなにが起こっているか明らかではありません。伝わってくるニュースはテロであり、米英中心の占領軍の被害状況です。その報道は、イラクの復興に努める正義の占領軍と、それを阻害する悪のテロという単純な構図を作り上げていきます。そこだけに目がいくと自衛隊の派兵は正義となり、正当化されるでしょう。そうではなく占領軍そのものに目を向けるべきなのです。占領下の沖縄が体験したことが、そのままイラクで起こっているとみるべきです。 占領下で筆舌に尽くしがたい屈辱を受けた沖縄は、米軍からの解放を願い日本への復帰を切望しました。祖国復帰です。その祖国復帰の運動は、戦争につながる一切のものを排除するという一点に集中し、米軍基地の即時無条件全面返還を訴えました。しかし、復帰は実現したものの基地は残り、再編強化へとつながっていきます。 沖縄はそのような状況にあっても日本への復帰が平和憲法への復帰ととらえました。戦争を放棄した憲法9条への復帰です。それが沖縄のこころでした。しかしながら沖縄での戦争から59年、復帰から32年を数える今、日本は戦場に軍隊を派兵したのです。 私たちは、歴史からなにを学ぶのでしょうか。 あの戦争からなにを学んだのでしょうか。 イラクへの自衛隊の派兵は当初、国民の大多数が反対しました。しかし、派兵が決定すると、賛成と反対が拮抗したのです。既成の事実を積み上げていくと、これほどまでに平和はもろく、崩れ去るものなのでしょうか。 私たちは新たな平和運動を構築しなければなりません。日本政府は人道支援、復興支援、国際貢献などという響きのいい語句を連ね、戦争への道を突き進んでいるのです。自衛隊員に死傷者が出たとしても殉教者にまつりあげ、国際貢献や日米同盟の重要性を説き、障害となる平和憲法の改悪に向かうことでしょう。 その戦争への勢力に打ち勝つためには現小泉政権の打倒しかありません。そのためにこそ新たな平和運動が求められているのです。 私は残念ながら集会に参加できなくなりましたが、この集会に参加された皆様と共に、英知を結集し、戦争への道を断つ決意を表明して、メッセージといたします。 ■以上 ★もう一つの世界は、必要! 第4回世界社会フォーラム(WSF/インド・ムンバイ)に参加して (連載−1) 日野正美(電通労組) 1.急転直下のムンバイ行きとナリタ ムンバイ行きには、実はちょっとした事情があった。当初予定していた仲間が体調を壊したため、年末段階ではインド派遣は断念せざるをえない雲行きだった。困ったな、残念だなと思っていたところに、ATTACのメンバーから私に打診が来た。ATTACのセミナーは各国から出席するので電通労組も参加してほしいとのことだった。何気なく「パスポートが何とかなればねー」と安易に言ってしまった。その一言が、私をムンバイに運んでしまったのである。 パスポート申請が1月5日、受領は13日。14日にインド大使館へヴィザ申請。16日に受領。そして17日に出発。駆け込みセーフであった。 その間、現地の「セミナー」で発表するレポート作り。NTT民営化以降の合理化と労働問題に絞り込んだ「報告書」を作成した。NTT11万人合理化と対決する裁判闘争の位置付けについても盛り込んだ。大阪の喜多幡さんに英訳していただき、出発前日、組合員の協力で購入したばかりの電通労組首都圏支部のプリンターで印刷した。 出発前日まで文字通りドタバタで、WSFの認識も浅く、準備も不十分な中での初の「海外旅行」となった。成田での搭乗手続き、出国手続き、全て一人で初めての体験。事前「学習」をまったくしていなので戸惑いの連続だった。私はヴィザの関係でATTACの仲間たちの搭乗便から遅れ、17日12時の便で出発した。しかも、デリー空港の霧のため2時間半遅れ。結局、成田を出たのは15時になった。成田第2ターミナルビルから搭乗。ビルからは「横堀団結小屋と鉄塔」が見える。複雑な思いだ。飛行機が滑走路を滑り出すと今度は窓から「木の根ペンション」が・・。 2.15時間の飛行とカレー攻め 成田からバンコクまで7時間、(整備・機内点検で1時間、バンコク空港)。 バンコクからデリー4時間、(整備・機内点検で1時間、デリー空港) デリーからムンバイまで約2時間。 機内食は、各ルートごとに3回カレーのオンパレード。さすがにデリーを出てからの食事はノー・サンキュウだった。機内で出国手続の用紙は貰うものの全て英語。わかるところだけ書き、あとは客室乗務員に書いてもらった(なんとかなるものです)。 成田を15時に出て、ムンバイに翌朝・日本時間6時30分着(現地時間3時)。入国手続きで1時間半くらいかかる。成田で替えた「USドル」(1万円を71ドル)を、今度は「ルピー」に交換。1ルピーは約2.6円(領収書も出さない交換所なので3800ルピーくらいかな?)。 空港に出ると、「物乞い」の裸足の子ども二人が寄ってきた。タクシーチケット(150ルピー)を購入し、タクシーナンバーを探し運転手にホテルを示して乗り込むも、運転手は、他の運転手と話し込んでいてなかなか出発しない。走り出すと怖いくらいのスピードでガンガン行く。信号はほとんどない。ライトは点けず、朝霧で濡れたフトントガラスも拭くわけでもなく突進する。薄暗くまだ開かない露店の立ち並ぶ通りを20分ほど走り、5時過ぎにホテルに着く。 明日から、いよいよフォーラムへの参加だ。 (以下、次号に続く) ■以上 |