宮城全労協ニュース/第74号(電子版)/2005年10月19日
<日中労交宮城・訪中団員からの寄稿>
(2005年10月17日)

◎海外旅行が初めてという仲間たちが
垣間見た中国(電通労組組合員)

◎貧富の格差をどうするのか!
(元自治体労働者)


小泉首相の靖国参拝を糾弾する!

小泉首相は10月17日午前、中国や韓国など各国の強い反対の姿勢を無視し、靖国神社の参拝を強行した。私たちはこの靖国参拝を断固糾弾する。アジアと日本の関係にとって百害あって一利なしの愚考であり、日本をますます危険な政治状況に追いやろうとする「確信犯」の政治行動である。日中、日韓をはじめ、東アジア民衆の連帯がさらに求められている。

以下に紹介するのは、日中労働者交流協会宮城(日中労交宮城)の訪中団の一員として訪中した二人の仲間からの寄稿である。総勢20名の団員は9月22日から26日まで、長春と北京を訪れ、地元の労働組合との懇親会をもったり中国人民坑日戦争記念館などを視察した。1名を除いて、団員とっては初めての中国訪問である。

●清水宏幸先生の遺影を抱いて

この訪中には清水宏幸先生(清水内科外科医院院長)が参加されることになっていた。清水先生は昨年12月の日中労交宮城の設立に尽力され、2月11日には「中国革命と東アジア」、7月7日には「盧溝橋事件と日中戦争」のテーマで学習会の講師をつとめられた。清水先生は日中労交宮城の事業である今回の訪中をとても楽しみにしておられ、長春にて中国医学の研究の数日を過ごされる予定でもあった。しかし、先生は訪中直前の9月15日、心臓大動脈裂傷で74年の生涯を閉じられた。9月10日、訪中団の結団式が日中労交宮城と清水先生の最後のひとときとなった。

なお、11月23日午後、仙台で「清水宏幸先生をしのぶ会」が開催されます。日中労交宮城と宮城全労協が実行委員会の事務局となっていますので、詳細はお問い合わせください。

<寄稿>
◎海外旅行が初めてという仲間達が
垣間見た中国
(電通労組組合員)

日中労働者交流協会−宮城訪中報告
 2005年9月22日から26日まで4泊5日で日中労交−宮城の仲間は、北京総工会、長春総工会との交流を行って無事に帰ってきました。訪中に当たり、両総工会とも大変忙しい中、交流会に時間を割いて頂いたことに感謝をします。その上にたって簡単にその報告をします。

日中労交−宮城は、昨年12月に設立をし、2005年2月11日に第1回の学習会「中国革命と東アジア」を開催し、7月7日には、「盧溝橋事件と日中戦争」と題して学習会を開催をしました。いずれも講師は、9月15日に急逝された故清水宏幸先生でした。鋭い歴史観と分析で提起を受けましたが、どちらのテーマも一回で終わる内容の物でもなく連続した学習会にと考えていた矢先の悲しい知らせでした。残された先生の資料をいかに生かして行くかが問われています。
 こうした中で、日中労交−宮城は訪中の仲間を募集を行い、最大で36名の募集人員になりましたが、家族の病気、介護等々の問題が発生し、22日出発したのは20名となりした。清水先生の遺影を抱いての訪中となりました。

海外旅行が初めてという仲間がほとんど!
 訪中に当たり、日程が決まったのがよいが、事務局員を始め、海外が初めてという人ばかり、取り急ぎ旅行会社の方を派遣依頼「海外旅行についての一からの学習会」をしての出発となりました。
 今回の団員の構成は、親子、夫婦、家族等々と様々の構成となりました。
 最初の海外旅行としては、中国の税関や空港で若干のトラブルがありましたがまあまあの合格点での帰国となりました。

北京空港に到着
 22日夜、北京空港にようやく到着、ここに私達の労働者学校の先生Iさん夫婦が、午後8時頃にもかかわらず出迎えてくれました。その後に夕食を共にしました。何かと心強い気持ちでした。中国が気に入ったら是非来て欲しいという要望されました。

北京の町の様子
 中国北京に行ってびっくりしたことは、車が非常に多いこと、高速道路も渋滞をしている事でした。それに日本と同じでコマーシャルの看板が目立ち、それも、欧米諸国の人が写っている看板です。
 一般道路では高級車が走っている中に、バスは冷房もなく窓を開けて走っているし(一部冷房の入っているバスが走っているが料金が高いそうです)、リヤカー付き三輪車、自転車が走っている中を、広い道路を何処でも人が横断をしているのが目立ちました。
 見た限りでは、貧富の差がかなり出てきたのではないかという気がしました。あの天安門広場から故宮博物館に行く地下道の中で、子供を抱きかかえ力なく座り込み、空き缶を置いている姿を見たときには、社会主義国なのかという疑問を持ちました。

中国現場労働者との交流が今後の課題
 23日北京総工会と25日長春総工会とも、大変忙しいにも関わらず交流会に参加いただいたことに感謝をします。北京総工会では、会長一人の参加、2日後の長春では、2名の方が参加しての交流会でした。共に、小泉自民党の圧勝に疑念を持っていました。
 交流を通して感じたことは、日本の労働者との交流を強く望んでいることが共通していました。特に、長春総工会の方は、日本の東北地方との交流を強く望んでいました。
 私は、こうした交流も必要であるが、現場労働者との交流が必要だと痛感をしましが、中国語を話せるわけでもなく、無理なことであると思いました。それでも何とかしなければならないと思っています。今回の交流は、スタート台についたばかりと言う事だと思います。この上にたって今年11月釜山APECの閣僚・首脳会議、12月香港でのWTO開催反対の闘いを共同の闘いとして積み上げていく事が大切だと思います。

中国の反日運動
 日本の国連安保常任理事国入をを表明してから、中国、韓国の労働者を始めとして東アジア人民から猛反発をうけ、特に中国労働者、学生からは激しい反日運動を起こされました。小泉の靖国神社参拝問題、教育問題等々侵略戦争を反省しない態度に対する反撃でもあります。
 私が、北京、長春で感じたことは、一般の労働者の方は反日感情を表面的にではあろうと思いますが、全くないと言うことです。団体客として行動をしていたためかもしれませんが。むしろ、今から日系企業や小泉首相が、中国労働者にどのような対応を取ろうとするのかでかなり違ってくるのではないかと思います。
 次に、北京市内で日本車が、あまり目に付きませんでした。この点について長春のガイドさんが話をしていましたが、日本企業が、自動車産業の技術が漏れる事を警戒をし、援助を行わなかったようです。そこでドイツとの合弁企業で自動車産業を発展させてきたんだという話がされました。この事からも判るとおり、今頃になって日本企業が進出しても信用をしないという態度に伺えました。中国が必要としているときに手を差し伸べない日本企業に対する不信感があるように思われました。
 今回の反日闘争にしても、1989年6月4日の天安門事件(天安門事件のきっかけとなった人物、総書記を追放され、その直後に死亡した胡耀邦総書記が名誉回復するのではないかという記事が、朝日新聞に記載されていました)にしても、中国労働者、学生が抱える問題、貧富の拡大等その矛盾を深く蓄積していると思います。今の改革開放の方針を取っていく限りますます貧富の拡大する一方であり、この結末は北京五輪大会以後に表面化してくるのではないかと思います。

貧富の差
 改革開放の結果、貧富の差が拡大して来ていると記しましたが、中国の教育制度は日本と同じで6・3・3制度だそうです。改革前は、同じ学校で教育を受けていたようでしたが、今は、高給取りの労働者は、子供を公立ではなく、私立の学校に入れて送り迎えもベンツ等の高級車で行っていると言うことです。こうした教育にも格差の拡大が押し寄せてきているように思いました。それに、一人っ子政策の結果でもあるのではないかと思います。

中国人民抗日戦争記念館にて
 中国人民抗日戦争記念館は、1937年7月7日抗日戦争のきっかけとなった盧溝橋事件のあった橋の側にある建物で、今年7月7日にリニューアルオープンした新しい記念館になっていました。会館内は8つのテーマで構成されていました。中国全土から見学に来ており、ここで関心をした事は、どの子供達も熱心にノードに記録をしながら見ていることでした。
 この会館の中には、中国共産党の歴史と、抗日戦争での国民党との統一戦線が正しかったことを教えているような気がしました。7テーマでは、日本の戦犯の名前があり靖国神社に祀られていることを表示をしています。最後の8テーマでは「未来に向けて」の処に、小泉首相が中国のトップと握手をしている写真が大きく出ているのには、さすがにと思わせる場面でした。
 最後に、日中労働者交流協会関係者の皆さんにお世話になったことを感謝しお粗末な報告とします。

 (記念館にて陳独秀の名前が出てくるのかと思っていましたが、でてきませんでした。
それでも、ガイドさんにこの人を知っていますか聞いたら、陳独秀を知っていると言うことでした。)


貧富の格差をどうするのか!
(元自治体労働者)

近年、世界中で最も経済成長が目覚ましい国が中国である。北京都心は東京と見紛うような高層ビルが建ち並び、2008年の北京オリンピック開催に向けてホテル等の巨大ビルの建築ラッシュである。

ガイドさんによれば、「都会と田舎の所得格差が広がっている。北京の主力企業労働者の賃金は、日本の中堅企業労働者と大差が無い」という。しかし、車が行き交う幹線車道内で危険な労働をしている「交通整理員は月収1万円なので食えないため、アルバイトもしている。整理員の殆どが田舎出身である。」という。このように、北京市内の労働者間の賃金格差がありすぎる。

田舎の農業収入はどうなっているのか。
北京から北西へバスで1時間余り、「万里の長城(八達嶺)」へ向う車窓からは、車道に沿って広大な土地に果樹やサトウキビ(?)等が延々と栽培されている風景が広がる。土壌は降雨量が日本に比して極端に少なく、パサパサと乾燥し、茶褐色(?)の痩せ地である。農民が生き抜くためには、日本だったら耕作不適地である痩せ地であっても、根気強く耕して、食糧を得ることが不可欠なのだろう。
農民の収入は都会人の数分の1〜数拾分の1である。農民の低所得は深刻さを増している。

時間外勤務手当はどうなっているのか。
我々訪中団を誠心誠意を尽くして案内してくれたガイドさんやバス運転手の2日間の勤務は25〜6時間に達する。ガイドさんに、「時間外手当は支給されるのか」と問うたら「支給されない。正社員は支給されると思うが・・・。」という。北京で夜9時過ぎ、中国茶専門販売店で我々に茶を煎じて飲ませ、販売していた若い女性労働者(公務員)に「今夜の時間外勤務の手当は支給されるのか」と尋ねたら、「支給されない。ロシアの労働者は勤務時間が終ったら帰る」といっていた。
経済の国際競争力を向上させる政策は、労働者のサービス残業等の犠牲を強いている。今、中国は経済一辺倒だった江沢民総書記時代の路線を修正し、貧富の格差解消など社会的不公正を是正していく政策が問われている。

帰国当日、ガイドさんに「私の月収(年金)は20万円だが、北京でどんな生活ができるか」と尋ねたら、「田舎では楽な生活ができるが、北京ではそうはいかない。贅沢な生活をするには30万円以上必要だ」という。私は1人暮しであり、20万円で食えぬ訳ではないが、税が高く余裕のある生活とはいえない。ちなみに、9月の支出を預金通帳でみると、国保、固定資産税49,500円、電話・水道等の公共料金等26,451円で、トータル75,951円である。

私は旧日本軍が中国侵略の最中の1943年2月、内蒙古自治区の区都「フフホト(呼和浩特)」で生まれた。今回の北京行きが初めての海外旅行であり、出入国の手続きが面倒でうんざりしたが、来年は娘と一緒に生誕地を是非訪れてみたいと思っている。

■以上