◎お知らせ(1)
3月23日、07けんり春闘中央総行動
電通労組はこの日、各地で春闘勝利の統一行動を闘います。
◎お知らせ(2)
宮城全労協は4月6日、07交流シリーズの第1回として、電通労組による交流企画を開催します。
<第1部> 裁判などの報告
<第2部> 首都圏に配転され「定年退職」とされた組合員を囲んで
*詳しくは宮城全労協か電通労組にお問い合わせください。
◎お知らせ(3)
NTT反リストラ裁判・判決
2007年7月25日(水)13時25分/東京地裁710号法廷
<本号の内容>
★判決は7月25日に!
★2月14日に結審、原告2名から最終意見陳述
●7月25日、勝利判決を勝ちとろう!
NTT反リストラ裁判は2月14日、東京地裁で13回目の口頭弁論を終え、結審した。原告二人が最終意見陳述を行った。労働者として生き働き、闘うことの尊厳と誇りに満ちたものであった。判決は7月25日となった。法廷をうめつくし、勝利の判決をかちとろう。
この日の朝、情宣活動を行う仲間たちに対して、NTT東日本は「社員の通用口までラバーコーンで塞ぎ、敷地内をくまなく封鎖」(電通労組ホームページ参照)するなどの敵対行動にでた。正しい政策と胸を張るなら、NTTは何をおそれるのか!
結審には郵政4・28反処分裁判の原告から、「28年目に元の職場に戻ることができた。この裁判もぜひ勝って、地元に戻れるようの今後とも応援します」という連帯のあいさつをいただいた。(なお、2月14日の判決で勝利をかちとった仲間の一人が3月1日、元職である郵便局に復帰し就労した。電通労組首都圏支部の組合員はこれを激励し、門前にかけつけた。
郵政4.28被解雇者の職場復帰を支援する労働者たち(3月1日 電通労組組合員撮影)
■420団体・10878筆の署名を提出
原告団がよびかけた署名(共闘ニュース20号参照)に多くの方々から賛同の声
が寄せられた。「公正判決を求める要請
署名」は当日、東京地裁民事11部の担当事務官に渡された。
原告団と電通労組は裁判を通じて、11万人リストラは最大利益を生み出してきたNTTの経営の上で必要がなかった、原告たちへの首都圏配転は業務とは関係のない「報復人事」であり「みせしめ配転」である、「家族とともに暮らす権利」は労働者にとって当たり前のものであるし時代の要請でもある、と主張してきた。短期間ではあったが、多くの労働者がこの主張に共感し署名を寄せていただいた。
■電電民営化、通信自由化の果てに
2003年10月の裁判開始以降、NTTリストラによる退職・再雇用と見せしめ配転の不当性が法廷で明らかにされてきた。NTT11万人リストラは会社側によって「NTT構造改革」と命名された。そのことが示しているように、小泉−竹中による新自由主義の経済社会政策にもとづいた攻撃だった。
そのような政策のもとで、情報通信産業での大型企業買収や新規参入が進み、激烈な市場競争が繰り広げられてきた。労働者の雇用や待遇も急速に変化していった。ヤフーグループの「無料街頭販売」が時代の風景となった。しかし、その労働者たちの雇用・労働条件が社会問題になることはなかった。「小泉改革」の熱気とあいまって、規制解体・市場競争原理が時代の主流となっていたからだ。若者たちが非正規労働者として情報通信産業の企業間闘争に大量に動員され、一方、NTTの中高年労働者リストラが並行して強行された。
インターネット企業との業態の垣根も低くなり、ライブドア事件の類が通信産業から見て「対岸の火事」とはいえない段階にいたった。実際、近未来通信はIP電話の中継基地というネット企業的な装いをもち、株式投資に変わる錬金術をアピールして一般投資家を誘った。情報流出が各社で続発し、IT企業の最先端で有効な対策が打てない状況も軽視することはできない。
様々な問題が噴出している。ドコモによる海外投資の失敗、平成電電の破綻、ユニバーサル基金の利用者負担の事実上の強制、ソフトバンクの不正公告と携帯各社による不義の料金設定、固定電話網の危機・IP電話のあいつぐトラブル・公衆電話の撤去拡大などなど。政治の介入も顕著だ。NTT規制(次世代通信網の開放義務)とNTT再編(グループ解体)は小泉−竹中時代では結論にいたらなかった。「通信と放送の融合」もそうだ。政策選択のなかには当然、利権闘争と政治介入がある。携帯戦争の喧騒の裏側で、労働者犠牲、利用者不在による暗闘が続けられている。
一方、菅総務大臣は情報通信産業に対する国家的なテコ入れをねらい、その研究チームを総務省に発足させ、4月にも基本戦略が発表されようとしている。「情報通信の国力強化」とはなにか。電電民営化、通信自由化、市場開放政策とどのような整合性があるのか、ないのか、まったく不明のまま密室作業が進められている。
■安倍首相の「仕事、労働」を問う
「誰しもが仕事に夢と希望をもてる社会」。安倍首相が好んで口にしている言葉だ。
「チャンスにあふれ、何度でもチャレンジが可能な社会」を構築するとも述べている。「一人ひとりが、日々の生活に対して、誇り、いきがいや、充実感、明日への希望を感じられることが大切であり、そのための経済成長でなければなりません。国民それぞれの個性や価値観にも着目し、「働き方」と「暮らし」を良くしていくことにこそ力を注ぎたいと思います」(1月26日、施政方針演説)
安倍は予算委員会で、キャノン労働者の発言を聞いたかとの野党議員の問いに、「(直接は聞いていないが)趣旨は聞いている」と不機嫌そうに答えた。安倍の心根にある労働者への嫌悪感が透けて見える貧相な対応だった。
安倍首相に問いたい。NTTリストラにはどのような態度をとるか。「労働の多様性」とか「一人一人の誇り」とか、あるいは「規制にもいろいろある」と本気で考えているのであれば、具体的問題に関して見解を述べなければならない。小泉前首相は労働者犠牲を公然と主張した。小泉路線を引き継ぐのか、あらためるのか、それとも中川自民党幹事長が強調している「第3の道」とは何か。
結審にあたって原告から2名が最終意見陳述を行った。不当・不法なリストラが労働者と家族をどのような苦難に落としこめてきたのか。そしてNTT巨大資本による不当配転攻撃と闘ってきた心情とはどのようなものか。最終陳述は安倍の空虚な言葉を断じて許さないものだった。
7月25日、勝利判決を勝ちとろう!
●最終意見陳述より
以下は二人の原告による陳述の抜粋・要約。
陳述の全文は原告団あるいは電通労組までお問い合わせいただきたい。
(電通労組 http://WWW.dentu-rouso.or.jp/)
@@最終意見陳述
私は1965年電電公社に入社以来、2000年仙台で電報局が廃止になるまでの36年間を電報労働者として働いてきました。入社当時、電報はまだ社会的に重要な通信手段でした。「チチシス」「ハハキトク」などの電文に代表される「緊急の通信手段」としての電報や、春には「サクラサク」などの合否を知らせる電報もたくさん利用されていました。
当時の電報は、配達される宛先も、駅のホームで列車を待っている人や、人里離れた山小屋など今では到底考えられないものもたくさんありました。いかなる山間僻地でも、電報は必ず配達されなければなりませんでした。受付けてから配達されるまでの時間も、何時間と決められていました。
私はこの36年間の間に電報の殆んど全ての作業に携わりました。私は、公共の、緊急の通信手段を担っているのだという使命感を持っていました。この仕事をやることで、「世の中の人々のために働いているのだ」という意識が、私の生きる支えにもなっていました。若いときから、電報の受付こそが私の「天職」だと思って生きてきたのです。
そのような「緊急の通信」としての電報も、電話の普及に伴い、緊急性も薄らいできたのです。会社は電報の職場を合理化し、労働者をどんどん減らし、2000年12月、私は36年間勤めてきた電報職場から出されました。しかし、電報の受付の仕事は現在でもあります。同じビルで派遣労働者が働いているのです。私たちの仕事を、賃金・労働条件のより劣悪な派遣労働者などに置き換えただけでした。また、携帯電話がこれだけ普及した今日でも、電話を持たない人々は存在しています。
確かに「時代の流れ」と言えなくもないでしょう。しかし、電報の受付に半生を捧げてきた私にとっては、ほかの事をやれと言われても、それは会社が考えているほど簡単なことではありません。・・・
2003年4月に東京支店光IP販売プロジェクトに配転になりました。
・・・配転以降4年間を振り返るとき「いったいこの配転は何だったのだろう」と首をかしげざるを得ません。
光プロジェクトに配転されてから、3回連続で成果主義賃金の最低ランクである「D評価(注/4段階の最低評価)」を受けました。さらに、年間賃金の評価である「総合評価」でも1回の「D評価」を受けています。それまでの「C評価」に比べ、1回のボーナスについて十数万円も減らされました。これは大変なショックでした。・・・これが会社の言う「適材適所の人材配置」なのでしょうか。
私だけではありません。私の担当では、最高で4割もの人が「D評価」を受けました。みんな私と同じ気持ちだったと思います。この中には以前の職場では大変なスペシャリストだったような人もいました。光IP販売プロジェクトは、NTT関係の人々の間で、『強制収容所』と呼ばれていました。会社の意向に逆らった人間ばかりを、それも50代の中高年ばかりを集め、慣れない外販をやらせ、「D評価」でいじめる、そのような意味合いです。それは今日も変わっていません。
私は56歳にして単身赴任を強いられました。・・・会社はこの裁判で、今や単身赴任はどこの企業でもやっていることだから、問題はないのだと主張します。私は、これは間違っていると思います。確かに、単身赴任を禁止したり、制限する法律はありません。しかし、単身赴任をする企業を野放しにすれば、前述のような悲劇が数多く繰り返されることになるでしょう(注/2年前の中越地震の際、母子の乗る乗用車が崖から転落して生き埋めになり母子二人が亡くなる事故があった。そのとき夫は単身赴任で東京にいた。)
私たちだけでなく、同じような境遇にある多くの人々になりかわり、「家族とともに暮らす権利」が当たり前の権利として新たな規範になることを、私は心から願っています。
私は、この裁判の判決を待たず、来る3月31日で定年となります。私は、裁判の判決により地元に帰ることを願って止まなかったのですが、大変残念です。
加えて、昨年4月より高齢者雇用安定法が改正され、60歳定年後の雇用が企業に義務付けられるようになったわけですが、会社は、私たち退職・再雇用拒否者をこの法律の対象ではないとしています。私は、断じて納得できません。
このようなかたちで職場を去らなければならないことについて、心の底から怒りと悔しさが込み上げてきます。
その怒りと悔しさをこめて、裁判長に、公正な判決を出してくださるように訴えます。
@@最終意見陳述
私は1967年、18歳で電電公社に入社し、仙台電信施設所に配属になり、電報受付関係の機器の修理、FAXやデータ転送の端末機器等の保守業務を53歳になるまで一貫して行ってきました。一言で「機器の修理」と言いましても、通信端末機器は多種多様にわたり、長い経験と蓄積があったからこそ日々の変化する機器類の故障に対応できたのです。
お客様宅にうかがい故障状況を聞き、お客様に説明し、修理を終えて「ご苦労様でした」と感謝の言葉を頂いた時は本当にうれしいものでした。それは保守業務を担う労働者一人一人が感じていた事です。少しでも早く故障回復させようと一生懸命努力してきたのもそのためであり、働く者の誇りを持って日常の仕事を行ってきました。
50歳になってあと10年頑張ろうと思っていました。しかし53歳になった時に、会社は「NTTの構造改革」を提案してきました。それは「これまでの仕事を続けたかったら一旦NTTを退職し、賃金を30%カットし子会社に再雇用する」というものでした。
私は、これまでの仕事を続けていきたいと強く願うと同時に、何故これまでの仕事を続けることが賃金を減額されなければならないのか?何故、私たち中高年労働者のみが矢面に立たされなければならないのか、強い憤りを感じました。
子供の学校の問題、家のローン、これからの生活、親の介護、自身の健康や老後の生活の事など、50歳を越えた労働者にとって乗り越えなければならない様々な問題があります。
私は、会社が言うところの「退職・再雇用」も「満了型」も何も選択をしませんでした。それは、私と私の家族・家庭を考えた時にそれ以外の選択はできないという事だからです。
それからの会社の私に対する扱いは決して忘れる事のできないものでした。これからの仕事は何なのかを明らかにされないまま、これまでの職場から隔離され、目的にない研修の毎日でした。
ME東北本社(北仙台)、東京研修センター、仙台支店での研修、営業同行研修、教材を渡され自学自習などの日々が続きました。「退職・再雇用」に同意しなかった労働者に行われた事であり、会社の意にそぐわないものに対するものでありました。これを「報復」と言わずになんと言うのでしょうか?
54歳(2003年4月)になり会社は東京への広域配転を行ってきました。東京都葛飾区金町に新しく作った組織「技術部情報システム体系化推進PT」という所でありました。業務の内容を全く説明されないなか、入社以来住み慣れた仙台を離れなければなりませんでした。
・・・会社は「業務上の必要性」をこの裁判の中でことさら強調してきました。しかし、人間の自然の営みを壊してまで行うほどの「業務」とは何なのでしょうか?
・・・54歳を過ぎて定年まであと6年という時に、私にかけられた今回の配転は会社の意に従わなかったが故の仕打ちでしかありません。
・・・今年も「雇用選択」が実施され、退職できない労働者には遠隔地配転が待っています。多くの労働者が思い悩み苦しみました。このような非人間的な制度を一日も早く止めさせたい。
そのためにも、私たち原告が地元に復帰し働けるように公正な判決を下されるよう訴え、私からの陳述とします。
■以上

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